43.葛藤
「獣風情がつけあがるからこうなるんですよ。獣は獣らしく首輪に繋がれて、地を這い支配されるのがお似合いなんです。そこで小娘の悲鳴でも聞いているといい」
「やめろ!!」
「焼印の用意を。2度と、そんな気も起こさぬようにわからせてやります。……まぁ」
そこで言葉を切ったバイパーの弧を描いた瞳と、初音の視線が交錯する。
「そんなこと考える気も暇も、なくなるでしょうが」
焼印が再び初音に近づくのを、初音とジークが各々視界の端で見る。
「せめてもの手向けです。2人とも、お揃いの印をお同じ場所につけてあげます。今生で会うことはもう2度と叶わないでしょうが、同じ印が刻まれていると思えば寂しくないでしょう?」
「このゲスが……っ!!」
最大まで開いた瞳孔で睨み上げるジークを、バイパーはさも愉快だと言わんばかりにその顔を荒く蹴り飛ばした。
「ジークっ!!」
「それは嬉しい。最大限の褒め言葉ですね」
ぼたたっと床に散った血に初音が暴れ叫ぶけれど、その身体は動かない。
にっと笑ったバイパーの視線を受けた男が、高熱を持った焼きごてを手に初音ににじり寄る。
「あんた、ぜったいに許さないから……っ!!」
「どう許さないのか、教えて欲しいところですねぇ」
余裕綽々、笑んだバイパーが目を細めた次の瞬間、焼きごてを持つ男が低い唸り声と共に吹き飛んで壁に当たり落ちた。
「何ですかっ!?」
バッと顔を向けるバイパーと衆目の中で、初音の背後にいた魔法使いがローブの奥でその口をニッと歪めた。
「長いご高説、どうも。反吐が出そうなほど胸くそ過ぎて、尻尾巻いて逃げなかった自分を称賛したいよ」
胴元施設の魔法使いに扮していたアスラの、その手に握られていた細い針金が、ピンとはじかれて床に落ちる軽い音がしたーー。
時は少し遡り、適当に走り回った路地裏の先、静かになった周囲を注意深く確認して、アスラは手枷の《《あった》》自身の手首を見下ろしていた。
そのまま首輪と口枷のベルトを自分で器用に外し、はぁと大きく息を吐く。
極度の緊張が抜けきらない身体を労るように、アスラはずるずるとその場に座り込むと、そっと手の中にあった小さな鍵を見た。
アスラの拘束を解く鍵を、思い返しても一瞬であった事態の中で、初音はアスラへ受け渡して握らせていた。
なんて事はないその小さな鍵を、伏せた顔の隙間からじっと見つめたアスラは、ため息と共に顔を伏せて握りしめる。
自由になった。
鳥の捜索に即して身の危険も顧みずに2人に協力し、言われるがままにこんな所まで赴いた。これだけ身を賭したのだから、フィオナ令嬢にも、2人にも十分だろう。そう、言い聞かせている自分に気づいていた。
よくわからない獣人と人間の2人組と行動を共にしてから、長いようで短い時間が過ぎていた。
子どもに教えるように、一般常識のような基礎知識から魔法の基本的な知識、奴隷の慣習、そして捕縛魔法のちょっとした実験にも付き合った。
ふとした時に、この2人に協力することが、実は人間を滅ぼす壮大な計画の初期段階だったりしないだろうかと、不安に駆られる時がなかった訳ではない。
それでもどことなく感じる獣人の人の良さと、初音の気の抜ける様子に毒気を抜かれることの繰り返し。
「もう、いいだろ……っ」
もう十分に付き合った。我が身の危険も顧みず、必要以上の貢献もした。ここはグリネットからも遠く離れた奴隷の国。
実際問題アスラは奴隷の身分でもないのだから、正式なお尋ね者にでもならない限り、拘束具も奴隷の印もないアスラが追いかけ回されるいわれはなかった。
奴隷の国の滞在は出費がかさむだろうけれど目立たぬように拠点を移し、この周辺で地道に獣人狩りでもすれば質素な滞在費くらいは稼げるはず。
そうしたら機会を見て、商団やハンターに混ざって移動をする。受け入れてもらえる力も勝算も、あるつもりだった。
終わりだ。全部終わり。おしまい。ここまでだ。フィオナ令嬢にも、2人組にも、十分なほどに手は貸した。
これ以上の危険を犯すメリットは、何もない。
ざりと音を立てて立ち上がると、路地裏に身を隠すように一歩を踏み出したアスラは、ぴたりとその足を止める。
ゆっくりと、自身の右手に握りしめた拘束具の鍵を、無言で見下ろした。
迷うな。迷うな。こちらに素顔も、名前も、素性も見せなかった2人組。信用だって、信頼だって、なんの関係だって、ない。
これ以上の何があると言うのか。きっとアスラが出るまでもなく、あの魔法の効かない獣人が何とかするはずだ。
そんなことを繰り返し、飽きもせずに自身に必死に言い聞かせ続けている自分に、気づいていた。
関係ない。関係ない。そう思いながらも、投げ捨てられない鍵に奥歯を1人噛み締める。
「私はそんなに扱いやすそうに見えたか」
「え?」
あまりに不自然で、意図がわからなくて、ある時ぽつりと初音にこぼした言葉。
自分でも、なぜそんなことを言ったのか、なんて返して欲しかったのか全くわからないことを、つい聞いてしまった。
執拗にその素顔や素性を隠しながらも、何かと親切に対応してくれる初音に、気が緩んでいたのだとはわかっていた。
「巻き込んでごめんなさい。でも、前も言ったように、アスラさんだから、お願いしたんです」
「だから、何で私だったんだ。扱い易そうだったのか。懐柔しやすいとでも思ったか」
わずかに苛立ちを見せたアスラに反応して空気を変える獣人を、無言で押し留めた女の口から出た言葉。
たいして期待していなかった質問に返ってきた答えは、アスラには思いもよらないものだった。
「私は、いつからこんなにヤキが回ったんだんだろうな」
グシャリと前髪を握りしめて、押し殺した声を漏らす。
いつだって、たった1人で生きながらえることに精一杯で、他人を踏み台にして自分を守って、強者に擦り寄った。
それが当たり前で、そうでなければ身よりもなく弱い自分が、ここまで生き残ることなんてできなかったから。
「グリネットが、よほどこたえたか……っ」
ふっと1人自嘲する。
わかっている。信頼も信用も、居場所も何もない。いつも利用して、利用されるだけ。
そんな綱渡りの生活の結末に、不始末の責任を取らされた。
懲罰と言う名のグリネットのおもちゃにされて、心底嫌気が刺したのは事実だった。
それでも、あんなクズの手下に成り下がったクズの自分が、いつかこんなことになりそうだとはわかっていた。
どこかでわかっていた。
安らかで、胸を張れる、そんな自分でいられる、居場所が欲しいのだと。
利害関係だけで、気を抜けば寝首をかかれかねない、定まらないそんな生活に疲れ切っていた。
大木の樹上で、必死に助けようとする女が不思議で仕方なかった。自分の身の危険を顧みず他人を助ける人なんて、まして敵同士であるのに、そんなことがある訳ないと思っていた。
何か裏があるはずだと、そう思っていたし、その裏を知って納得したい自分がいた。
ーーいた、のに。




