37.懇願
「ネロ、恐らく象の一件の大木だ。先に遠くから様子を見て来て欲しい。無理をする必要はない」
「え? なに? どうしたの、ジーク」
そんなジークの言葉から始まった事態は、次第に予想しない方へと転がり出した。
「性懲りも無くまた来たようだ」
樹上でゆったりと昼過ぎのまどろみを、ジークとネロと共に堪能していた初音は獣さながらに視線を高く、その頭に生えた黒くて丸い耳を立てるジークを見上げた。
「えっ!? まさかこの間の!?」
「ーーこの臭いは、多分魔法使いと護衛の2人だな……。……人間の血の臭いもするが、あいつら食われたいのか……?」
くんとその形の良い鼻に意識を集中させたジークの言う通り、象とのいさかいがあった大木にはギドと、満身創痍のアスラの姿があった。
大木を背に、人間の臭いに加えたアスラの血の臭いに誘われた肉食獣たちを、必死に牽制する2人の姿に、ジークと初音は思わずと困惑する。
どう見ても正気の沙汰とは思えなかった。
「お前たちこんな所で何してる。次はないと言わなかったか」
ローブを目深に被ったジークが初音を背後に隠して獣に囲まれた2人に遠くから問えば、2人はハッとしたように顔を上げた。
「ア、アスラだっ! 会えてよかった! この間は悪かった!! 見逃してくれて感謝している! 頼む、お前たちに話があって2人で来た! どうか少し、機会をもらえないだろうか!?」
「………………」
怪訝そうに眉根を寄せるジークの腕に、初音がそっと触れる。
「……よくわからないけど、動物を狩りに来たみたいではなさそうだし、このまま放っておくのも……」
そろりと控えめに進言をする初音をチラと見下ろして、ジークははぁと大きなため息を吐き出す。
その身に焔をまとわせて、ジークをかえりみる肉食獣たちへと、その一歩を踏み出したーー。
「それで、俺たちに奴隷街に連れて行かれたと思われるその鳥を助け出して欲しいと?」
アスラとギドの決死な言伝を受け取った初音とジークはその相談の上、厳重な警戒をした上で半信半疑に、後日に比較的人間の街に近い場所まで赴くこととなった。
そこで待っていた、件の頼りない面々に囲まれたフィオナ・ギルベルト伯爵令嬢その人に、ジークはローブの奥からその金の瞳を細め見る。
ピクリと身体を震わせた若い護衛は身構えて、歳を重ねた侍女が青い顔でフィオナの側にににじり寄るのを、フィオナが無言で制した。
「私の身の安全のために、人間の領分近くまで来て下さり心から感謝いたします」
「それにしたって、良く貴族が外までのこのこと出て来たものだ。攫われて食われても文句は言えないぞ」
「おい、口の利き方にーー……」
不快感をあらわにする若い護衛を視線で制して、フィオナは口を開く。
「私は伯爵令嬢と言えど、女である故に屋敷での権力はないようなものです。両親と次期領主の兄には、政治の道具としか見られておりません。そんな私ですが、縁あってできた友人ーー鳥の獣人であるライラは、私と関わったばかりに、奴隷商に捕えられてしまい……っ」
「お嬢様……っ」
その澄んだ碧い瞳が揺れて、潤む可憐な容姿は周囲の同情を誘う中で、ジークは油断なく周囲への警戒を怠らない。
「ケガをして動けなくなっていたライラを見つけて手当てをしたことから、私たちは友人となりました。ライラは鳥の姿も人型の姿もとても綺麗な子で、一目見れば特別な子だとわかりましたから、お恥ずかしい話しですが、金と権力にがめつい家族に知られないように気をつけていたんです。ですが、私の行動を不審に思われた兄に見つかってしまって……」
「奴隷街に連れて行かれたと?」
「当初兄は……ライラを物珍しさから屋敷で飼おうとしたんです。しかしライラへのひどい仕打ちに反抗した私を、とっさに兄から守るためにライラが兄にケガを負わせてしまい、激昂した兄が感情のままに奴隷商へ……っ」
「…………」
「……都合が悪くなって、感情のままに捨てる殺す売り払うはよくある話しだな」
言葉に詰まる初音の代わりに、ジークがさもつまらなさそうに吐き捨てた。
「奴隷商の支部は各地に点在しておりますが、屋敷からの距離や奴隷商の顔ぶれからして、ライラは奴隷街と呼ばれる奴隷の国に連れて行かれたのではないかと思っております。……これはライラから譲ってもらった羽根で作った御守りになりますが、何か手がかりになりそうでしたらお納め下さい」
そう言って差し出された、白と黒の綺麗な羽根を見下ろした面々は、しばしその大きさに動きを止めた。
「…………こ……れは……」
「ライラの羽根です」
「……大きい……な……?」
普段よりネロを見慣れている初音とジークに加えて、初見であるアスラとギドもそのサイズ感の違和感に戸惑いを隠せない。
「ライラは大きくて美しい、とても綺麗な子なんです!!」
「……なんの羽根かわかるか……?」
「いや、さすがに羽根だけは……」
嬉しそうに瞳をキラキラさせるフィオナをよそに、ボソボソと初音に耳打ちするジークへ初音は小さく返す。
「無理を言っているのはわかっています。しかし、ライラを買い戻すような手段もつても私にはなく……っ、でも、ライラをこのまま放っておくこともできません。私にできることでしたら、微力ながら生涯可能な限り、何でもすると誓います。2度とライラに会うことができなくても構いません……っ!!」
祈るように指を組んだ両手を額につけて、フィオナはそっとその瞳を閉じる。
「どうかお慈悲を掛けて下さいませんでしょうか……っ!」
「お嬢様……っ」
フィオナの様子に口を出せない侍女と護衛を見て、様子を静かに伺うアスラとギドを見やり、ジークと初音は顔を見合わせたーー。




