24.安堵 ⭐︎
ガッと言う鈍い音と、カエルを踏み潰したような声と共に、初音にかけられていた男の重さが消える。
崩れ落ちる屋敷の天井と燃え盛る炎を背景に、ダークグレーの髪が舞う様を、初音は呆然と見つめた。
「ジー……?」
縛られた不自由な手を支えに、何とか起き上がって発しようとした言葉は遮られて、ふわりと包まれる。
「ジーク……?」
「……置いていって……すまない…………っ」
「………………や、だって……私が……行ってって……っ」
焦げくさい中でもわかる嗅ぎ慣れた匂いに包まれて、初音は心からホッとして、安堵から涙が滲む。
潜入前のジークの様子を見るに、助けに戻ることはないと、期待するなと、どこかで自分に言い聞かせていた。
ましてや初音だけの為になど、あり得ないはずだと。
わずかでも期待して、期待した分だけ絶望するのが、怖かった。
ごうっと巻き上がる焔が部屋の半分を仕切るように立ち上り、未だひっくり返って呻いている男との隔たりを作る。
「……平気か?」
少し遠慮がちに尋ねられたその言葉に、初音は声を出せずに無言で首を縦に振る。
そんな初音に、ジークがそっと息を吐く気配がした。
「行くぞ」
「逃すわけないだろうがっ!!」
ジークの声に重なった男の怒声に呼応するように、部屋の扉が開け放たれて警備や魔法使いが雪崩込んでくる。
「その身のこなし、人間でないなら完全体の獣人かっ!? あの雌と同じ毛色ならお前もクロヒョウだろうっ!? 魔法まで使える新種の獣人なんて聞いたことがない!! 欲しい! 欲しいぞその《《種》》が!! お前ら死んでも取り逃すなよ!? 捕まえたやつにはボーナスだっ!!」
ジークに殴られたか蹴られたらしき腫れ上がった頬をものともせずに、男は鼻血を垂らして興奮したように身を起こすと、目を血走らせて喚き立てる。
「ぐ……っ」
「ジーク……っ!!」
部屋の前に待機していたのであろう魔法使いが、3人がかりで詠唱を唱えていた。
見えない力に動きを止めたジークが、ピタリとその身体をこわばらせる。
気づけば、黒くて丸い耳と長い尻尾が久しぶりに現れていた。
「やはり獣人かっ! 素晴らしい! いいか、絶対に逃すなよっ!! 逃したら許さんからなっ!!」
「窓か……先に逃げ……っ」
「ジークっ!?」
伝う汗とその金の瞳が、胸を押さえるジークの余裕のなさを物語っていた。
「何してる! さっさと捕まえんか! コイツらを捕まえたら、逃げたクロヒョウたちを追ったヤツらと合流しろ! 子どもまで連れて行きよって! 捕まえたらお前ら共々躾し直してやるわっ!!」
キィとヒステリックに、興奮したような気味の悪い真っ赤な顔で喚き立てる男の声に反応した警護たちに、初音たちはわらわらと取り囲まれる。
「こい」
仕切られた焔を消火して弱め、近づいてくる警護の1人の手が伸びてくるのが、初音にはまるでスローモーションのように見えた。
「…………っ!」
半分抱きしめられたような中腰体勢のジークから抜け出して、初音は縛られたままの腕にジークの頭を抱え込み、警護を睨みつける。
「こっちに来ないで!! 触らないで……っ!!」
初音が叫ぶや否や胸に熱さを感じると共に、初音とジークを中心に円を描くように焔が巻き上がる。
警護は悲鳴を上げて飛び退り、わぁと遠くで聞こえた悲鳴の先を見れば、焔の先で3人の魔法使いが弾かれたようにひっくり返っていた。
「……え……?」
ぽかんと口を開けて状況についていけない初音は、ぎゅうと胸に抱きしめたままだったジークの頭がモゾりと動いたことに気づく。
「……離せ……っ」
「え?」
思わず腕の中を見下ろして呆けた声を上げると、初音はしばしの後にバッとそのまとめられた腕を天に向けた。
バツが悪そうな少し赤い顔で床に座り込むと、ジークは乱れた髪のままにその頭をふるふると振る。
もしかしなくても、胸にジークの顔を思い切り押し付けていたのではと思い至り、初音は急上昇する体温と大量の汗をかきながら言葉を失った。
「なっなんだっ!? 何が起こった!? おい、お前ら何してる! さっさと捕縛の詠唱をせんかっ!!」
アワアワと不測の事態に焦る腹の突き出た男を初音が見やれば、男はギクリと明らかにその顔を強張らせた。
特に面白くもなさそうな仏頂面をしたジークは、初音を縛っていたヒモを千切ると未だ燃え続ける焔へと投げ入れる。
「ほ、捕縛の魔法が効きませんっ!!」
「何でだ!? あいつは獣人だろうっ!? さっきは効いていたじゃないかっ!?」
「そう言われましても……っ……効かないんです……っ!!」
「何でだっ!! 払っとる金分くらい働け、このバカどもがっ!!」
ギャァギャァと混乱の渦中で低レベルに騒ぐ男と魔法使いたち。
その様を戸惑いながら焔の中心で眺めていれば、ジークに肩を抱き寄せられて初音はピシリと固まる。
「……《《主人》》に無許可の隷属魔法は部が悪いのを、お前らも感じたんだろ?」
ニヤリと笑ったジークが魔法使いを見据えれば、腰を抜かしたようにガタガタとその身体を震わす者がいる一方で、真っ青な顔で再び詠唱を唱える者がいた。
けれどその効力が見られるより早く、弾かれたように見えない力に跳ね飛ばされて地に落ちる様に悲鳴が上がる。
ジリジリと手も足も出ない警備に焔ごと包囲されつつも、相対する互いの表情はすっかりと逆転をしていた。
「……どうやらここに、俺を止められるヤツはいないようだなーー」
「う……っ!?」
フンと鼻を鳴らして1人ニヤリと笑うと、その金の瞳を光らせたジークはサッと初音を担ぎ上げる。
「初音、悪いが……もう少しだけ付き合ってくれ」
「え……っ!?」
初音が言い終わる前にジークは軽く跳躍すると、焔で弱った床に大穴を開けて階下へと飛び降りる。
そんな2人を、残された警備たちは元より、腹の突き出た男もただただ呆然と見送って、各々無意識にその胸を撫で下ろしたーー。