22.止まる足
「あぁ、そうだ。奴隷商から逃げ出した奴隷だ」
「……はぁっ!?」
あまりに予想外な男の言葉に、思わず声を上げた初音を意にも介さず、男は続ける。
「そうだそうだ、間違いない。おい、手配書を持ってこい」
そう言って、まだ屋敷の消火にバタつく使用人に持ってこさせた数枚の手配書を男はバサバサと眺めやる。
「これだこれだ。やたらと高額な懸賞金で気になっていたやつだ。まさか金の方から飛び込んで来るとはな」
「高額……懸賞金……?」
少しばかりは身に覚えのある内容に二の句が継げない初音に対して、男の機嫌がいくらか良くなるのを感じる。
「お前……一体何をした? どうしたらこんな懸賞額になるんだ? 異世界者だからか? ……獣人と消えたらしいな。獣人に脅されたのか? 雇い主は誰だ、人間か?」
返答する間もなく矢継ぎ早に降ってくる質問に、元より答えるつもりもないが初音は思わず閉口する。
「……言わないか。見上げた根性なのは褒めてやるが、あまり賢い選択とは言えないな」
初音を見遣るその視線が、じとりと粘着さを纏って顔より下に下がるのを感じた。
異世界の人間はこんなのしかいないのかと、値踏みされる不快感に初音は眉をしかめて反抗を試みるも、ガッチリと捕まれた身体は動かない。
「……獣人に攫われた人間の小娘だろう……? ケモノに人間の扱いができる訳もない。……それなら、引き渡しの時に《《多少壊れていても》》不思議ではないと思わないか?」
「………………は……?」
ニタリと笑みを浮かべて不穏なことを口走り始める男に、初音のこめかみを汗が伝う。
「多少なりと《《見目》》がよくてもケモノはケモノ。ケモノ臭くてな。どこぞの物好きのように愛玩として見るなど、高尚なワシには天地が返っても難しいんだよ」
どの口が言うのかと、その薄ら笑う口を引き延ばしてやりたい心境に初音は駆られる。
「最近は《《仕事》》も忙しくて、おちおち奴隷も買いに行く暇もなくてな。……若い人間の小娘も久しぶりだ。お前も獣人なんぞにいいようにされて辛かったんじゃないか? 慰めながら身の上話しでも聞いてやる」
「何言っーー」
「ワシの部屋に連れて行け。拘束は忘れるなよ」
「はっ」
何かを言うより早く男の指示に従った警護に口を塞がれる。
焦げ臭さと消火の跡が残る通路を、初音は引きずられるように連れて行かれたーー。
今し方脱出したばかりの壁に囲まれた建物を振り返り、ジークはその金の瞳を揺らす。
歩みはその迷いを表すように次第に重くなると、最後にはピタリとその足を止めた。
「……気持ちはわかるけど、ダメよ、ジーク」
「……残念だが……彼女の気持ちを無駄にはできない。冷静になるんだ。戻った所で私たちでは、助けることも出来ずに捕まるのが目に見えている……っ」
何かを悟ったように険しい顔を見せる女性のクロヒョウに、男性のヒョウも続ける。
「………………先に行ってくれ」
「ジーク……っ!」
俯き加減にポツリと溢すジークに、女性のクロヒョウは腕の中の子どもたちを気にしながらも追い縋る。
「ダメよ! アイラも待っているんでしょう!? 私たちが……っ……言える立場ではないけれど、みすみす行かせる訳には行かない! 一緒に逃げましょう! 何のために彼女が身を挺してまで私たちを逃してくれたと思っているの!? 今回みたいに、きっとまた機会がーーっ」
「…………それでも、置いて行けない」
「ジーク……っ!!」
必死に追い縋る女性のクロヒョウは、ジークの金の瞳に映らない。
「……もう少し行った森の先に荷馬車を隠してある。アイラたちは、深淵の森西側の大木の上にいるはずだ。ある程度近くまで行けば、きっと互いにわかる」
「ジーク!」
ジークの肩をガッと掴んだ男性のヒョウは、その表情を見てハッとしたようにその手を緩めた。
「…………俺を……息子同然に育ててくれた父さんと母さんには……感謝してる。アイラのところに、戻ってやって」
「ジーク……っ!!」
ガシリとその腕にしがみつく女性のクロヒョウに、ジークはゆっくりと微笑みかけた。
「……1人だった俺を、受け入れてくれて嬉しかった。守ってくれて、嬉しかった。……初音は……俺たちに敵意を持っていない人間のようだったから、うまくすれば……母さんたちを逃すことに利用できるんじゃないかと、そう思った。それだけだった……けど……」
行けとジークに叫ぶその裏で、行かないでと、怖いと叫ぶ声がジークに聞こえたのは、この胸にある印のせいか、気のせいか。
「ーー置いていけない」
静かな金の瞳が、決意を秘めて見返した。
「……っ……ジークは私の、大切な息子なんだから……っ! 戻って来なかったら……承知しないわよ……っ!!」
キュウと腕の中の子どもたちを抱きしめて、女性のクロヒョウがジークの頬に触れる。
「ーーきっと追っ手が来る。なるべく直ぐに遠くへ離れて。…………アイラに……お淑やかにしろって……言っておいて」
言うが否や、ジークは2人の顔を見ぬように踵を返して走り出す。
その後ろ姿を言葉もなく眺めやり、膝から崩れ落ちて涙を溢す女性のクロヒョウの傍らで、男性のヒョウは静かにその震える背中を撫でさすったーー。