21.脱出
ドキドキと五月蝿い心音に、初音は唇を噛み締めた。
どうすべきであるのか、正しい道がわからない。
あの扉の向こうに、ヒョウの子どもがいる可能性は高い一方で、皆を危険に晒すことは明白だった。けれど、この機を逃せば親子が再び会える可能性はーー。
「うわっ!? 何だこれっ!?」
突如管理室の扉が開いて顔を覗かせた男の声に、初音はハッとして顔を上げた。
見れば騒ぎを聞きつけて顔を出した作業服のスタッフが、呆然と入り口で突っ立っている。
そしてその男の背後ーー室内に見える台の上に動く、ヒョウ柄と黒い毛並みーー……。
「うっ……っ」
「母さん……っ!」
反射的に動こうとした女性のクロヒョウが、思うように動かないその身体をガクリと崩して膝をつく。
「離して……っ」
「母さんっ!」
「離してっ!!」
バタつく2人に、初音の心臓がドクドクと鳴った。
「何騒いでるっ!?」
「先に行ってください!」
騒ぎを聞きつけたジークが叫ぶのと、初音の声が重なる。
「初音っ!?」
「うわっ!?」
気づいたら、作業服の男に中剣で牽制しながら突進していた。
「どいてっ!!」
油断していた作業服の男を跳ね飛ばして、台の上を覗き込んで手を差し入れる。
温かくて柔らかな感触。力を入れるのが恐ろしいほどのか弱くて小さな命が、3つ。
直ぐ様踵を返して部屋の入り口へと戻る最中、ガッと髪を掴まれて上げそうになる声を押し殺す。
「何だお前っ!? 人間……獣人かっ!?」
「…………っ!」
反撃に出ようと、涙を堪えて振り返ろうとしたその時。
「離せ……っ!」
「がっ……!」
バキリと容赦のない音がして、作業服の男が男性のヒョウに顎を蹴り上げられた後に地へ沈む。
「早く……っ!」
「あっ……ありがとう……っ!」
バタバタと通路へ戻り、手を広げて待つ女性のクロヒョウに初音は子どもたちを渡す。
「ありがとう……っ……本当にありがとう……っ!」
「……良かったです……っ……後は逃げないと……っ!」
「……えぇ……っ!」
涙を浮かべる女性のクロヒョウに、初音は子どもたちを連れに行って良かったと、ホッと胸を撫で下ろした。
「早くしろっ! こっちだ! ここから出ろっ!!」
潜入していた際に魔法陣を壊しておいた、いくつかの窓の一つをジークが差し示す。燃える焔の向こうで、人が集まっているのがイヤでもわかった。
「あなた、先に行ってこの子たちをーー」
「わかった」
子どもを受け取った男性のヒョウが窓から姿を消し、女性のクロヒョウが脱出を試みた所でぴたりとその動きを止める。
「どうしーー……」
「ぅう……っ!」
目を見開いて身体を硬直させる女性のクロヒョウの異常事態に、初音が周囲を見渡す。
初音たちが逃げて来た通路で、どこかの部屋から出て来たのか、見るからに魔法使いらしい格好で何事か唱えている者がいた。
「やっと1人かっ! 貴様らどこで油を売っとるんだ! 全員減給だからなっ! 女のクロヒョウだけは絶対に逃すなよっ!! 逃したら承知せんからなっ!!」
「くそ……っ」
怒号柄飛び交う中で、ジークが顔を歪める。
ジークが焔の先の大勢を牽制するのが精一杯と見るや否や、初音は気づけばその魔法使いらしき者に飛びかかっていた。
「うっ!?」
小さく呻いて詠唱が途切れた魔法使いを足蹴にして振り返れば、女性のクロヒョウがガクリと縛られた何かから解放されたのがわかる。
「ジーク行って!!」
「初音……っ!?」
ガシリと窓の外から女性のクロヒョウを引っ張り上げる男性のヒョウ。
「……ジーク……っ!」
引っ張られながらも、ジークの衣服を掴む女性のクロヒョウ。目を見開いて視線を揺らし、明らかに固まっているジークが、初音の声にピクリと身体を震わせる。
「おい、待たんかっ!!」
「早く行って!!」
次の瞬間、焔が一際大きく巻き上がる。屋敷の所々に残り火を残したその焔の出火元である窓が視界に映る頃には、そこにいた人影はきれいさっぱりと居なくなっていた。
「いっ……っ!」
わぁわぁと鎮火に奔走する屋敷の住人の中で、初音は警護の屈強な男に腕を捻り上げられて中剣を取り落とす。
騒がしい空気の中、でっぷりと突き出た腹の1人の男がふーふーと怒り心頭に顔を赤らめて足音荒く近寄って来た。
「何てことしてくれたんだ、あぁっ!? 女だからって容赦しないぞっ! 大切な金ヅルを逃したなっ!? 絶対に吐かせてやるっ!!」
「…………っ」
至近距離で怒鳴り立てられて、初音はビクリと身体を硬直させる他ない。
「……人間が2人でヒョウの救出とはどう言うことだ!? 誰かに依頼でもされたか!? ……性悪どもは星の数ほどいるから、心当たりがない訳でもない……が……いや、いくら弱っていようが捕縛しないままでは獣人相手に逃げられるだけだろう……。おい、こいつは本当に人間なんだろうな」
「は、はい。捕縛の魔法には反応いたしませんので……っ」
「……力も非力な普通の娘のようです」
初音が体当たりした魔法使いと、初音を締め上げている警護の男が物凄い形相の男に各々報告を上げる。
「裏にいるのは人間か……獣人か……。……んん? ……お前……」
ぶつぶつと呟く男は、ジロリ初音を見るとそのまま至近距離まで詰め寄る。
ギョッとするが、警護の男に抑えられてわずかに身じろぐことしかできなかった。
「お前の顔……見覚えがあるな……?」
「え……っ!?」
目を細めて初音の顔を睨む男は、しばしの後にポンとその手を打ったーー。




