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4.猫

わたしにも当たり前のことは起こる。仕事をし、命を奪い、富をかすめ取り、秘密を暴いている。

悲劇とお笑いぐさを生んでいる。


 外窓の枠で鳴く黒猫を抱き上げたとき、その体温に肩の力を抜く。猫の尖った歯がわたしの肩を噛んだとき、わたしは低く呻き、獣の息に反逆する。瞳が赤い。改造されている。振り払った黒猫はすでに意識をうしなっている。力なく首から床におちて鳴き声を衝撃音に隠して絶命する。晴れた夜、よくわたしの家の屋根に来ていた。金色の瞳をしていた。今は違う。


 首の傷に触れて、出血を確かめる。すぐに、わたしは手足のしびれと視野狭窄を覚える。毒の影響を理解する。寝床にもぐりこんでから、緊急連絡通信がブートローダ経由で横河と人権教会に発信される。履歴を確かめてから意識を失う。何度か、失神と覚醒を繰り返した。

 3日がすぎる。ひどい汗を取り換える夜を3回迎える。横河が1度、見舞いに来る。覚えているのはその姿がいつもと違う、似合わない灰色のシャツ姿だったこと。年相応の慰めと疲労を混ぜた心無い言葉を残したこと。どちらも鮮明な映像記憶だけ覚えていて、心底の感情は何も覚えていない。見舞い品の冷凍フルーツとヨーグルトを皿にあけて飲み込む。すこし悪くなっている。

「野良の動物の集団墓所の場所を教えて」

横河にお礼を済ませたあと、通話を入れる。

「時間断絶の傍らだな。偽装天面の外に置いた。人も動物も断絶面にちょん切られた死体が大量にあったからな。埋葬手続きは厚生省の管轄か・・・獣は知らないが」

「わたしに手続きの権利はない。この猫にも」

横河が手続きの代行を申し出を断って、天面の北口の通行パスを頼む。横河は生返事をする。


 郵便配達がドアをノックする。傷の修繕がうまくいったとはにかむ。荷物とパスをうけとる。横河に頼まれたと。

「横河は気がきくから。穴を掘るんだからって。けれど、そのスコップを僕のもの」

「ありがとう。わたしの…軍用のものは重たかった。横河にも」

配達人はまだ青白い頬に消えない微笑みをつくっている。


 墓だけが偽装天面の外側にある。死をバカンスで乗りこえた人間たちにとって、死は疲労と選択に変わった。涙を落とすべき墓前も、悲しみの共有人格(AI)が不要にした。ここには、この時間障壁の稼働時に断絶に肉体を切り取られたものたちの墓所が残されている。時間障壁起動時の混乱の時期に、救うことのできなかった命が境界面にそって散乱していた。体一部を通常時間に残されて悶えるものから、逆に四肢を残して消えたものまで。

 時間障壁の外には炎が迫っている。真空破壊を原始とした核の炎が迫っている。その外の命は焼かれる寸前で止まっている。引き延ばされた時間の中で、ゆっくりと死んでいる。


 墓所が偽装天面の外側に置かれた理由は、埋葬の効率の他にもうひとつ理屈があった。永遠を手に入れた人類の宗教(リビング・デイライツ)の影響がある。途切れない生命の謳歌の中、死の象徴は不要。死人は、生きる人から離れ姿を消すこと。頭痛程度にとどまること。死への恐れは、”無限の加速”を望むきっかけになるのだから。

 穴を掘り終えてから、わたしは猫の亡骸の首筋を確かめる。古い型のコネクタに変換端子が差し込んである。ケーブルとつないで、改造猫の記憶を移動する。量子化された記憶は、わたしのもとへ移動すると猫の脳からは消えてなくなる。いじられた記憶からの解放を願いながら、かたくなった黒猫を埋める。

 猫に転写されていた記憶は、激しい怒りだった。わたしを強く憎み、憤怒の吐き気を噛んで生きている。殺人術のスクールの生徒のものだった。そのスクールの師範代をわたしは知っていた。


 クアントムと呼ばれた改造人類の一種。製造一体目の彼はOneと呼ばれていた。汗から致死性の放射性元素を発散する体を持っていた。わたしたち、インテグレータが開発される前、生みだされた毒物人造体の記憶。わたしたちが戦場に投入される前、古いむかし彼は多くの命を奪った。毒物人造体のわずかな成功事例だった彼はわたしたち、インテグレータの開発計画の遅延を補った。捨て駒として、戦場に送られ、その進行先の命に病を振りまいた。無限分裂する細胞に守られた彼は、その生存能力故に時間障壁内の施設に保存されていた。祥子さんの研究成果が彼を救う。そうして、わたしたちは友人になった。戦場でももともと顔見知りだった。


 彼が殺人術のスクールを開いたのは、自分の死神のイメージを利用したから。彼ほど、敵にも同胞にも恐れられた存在はいない。放出する毒素による病は、バカンスでも修正できない。世論は、彼を排除するように求め賞金がかけられた。インテグレータたちが賞金目当てに彼の命を狙った。何体もインテグレータが返り討ちにあって埋められた。そうして、彼にはハクがついた。

勢い、殺人術のスクールの開講した。One という名を王と改名してわたしはその成功を願い祝った。いくらか彼のスクールに通い教えを乞うた。


 祥子さんが消えてからずっとわたしは一人きりを受け入れていた。そのほかをあきらめていた。インテグレータに与えられた長い生涯は人類本来の短い寿命とも、バカンスで再生を繰り返す現行人類とも相いれない。頑丈につくられ、長い耐久年数を与えられ、劣化する記憶を上書きしながら生きている人造物。人と似ているのは、開発のベースが人類だっただけのこと。

 王は違った。生徒ふれあい、契りをむすび家庭を築いた。子供が生まれ家族は何度も命を狙われた。

何度か護衛に雇われたこともあった。スクール売り払い、引退して、大宮北に引っ越した。狙われることになれ、家族は覚悟をきめて暮らしていた。しばらくして、彼は殺された。


記憶の主は、彼を殺した犯人。

「あなたが、王師匠を弱くしたきっかけだ」

そう言っている。弱い彼をみていられなかった。

 わたしは、その記憶の余韻を抱えたまま、黒猫の亡骸に砂を落とす。時間障壁の向こうで炎が止まっている。


 記憶の主をテネルに探ってもらう。記憶を移植して猫をけしかけたか。それとも、売り払ったのか。買い取った誰かが気の毒な黒猫に入れ込んだのか。

「今は、宇宙開拓船を乗組員に選ばれてるな。健全な仕事人だ。移民ペイロードの割り振り担当か」

宇宙開拓には体力がものを言う。その男、青桐は体力には自信があったという。王の生徒の一人。

住所を尋ねる。

「西地区の公演のあたりだ」

音声を切ってから、わたしは体を起こし、靴を履く。ドアの軽さと人造の曇り日が心臓を冷やながら、わたしは歩き出す。


「いや、覚えてはいるよ。ネリだろ、話をしたことはなかったよな。道場の隅っこで見かけたよ。師匠には大切な人だった。師匠と同じくらい強いんだろ?」

青桐は引き締まった腕をテーブルにのばし、カップを指にかける。指の毛が縮れている。わたしには覚えがない。インテグレータの記憶は統合され、簡略化され、時には消える。

 デスクも床も全部綺麗にかたずいていて、フローリングの床には思い出もおちていない。顎髭を生やしていて、青いTシャツには愛着の洗濯跡が斜めに入っている。

「あなたは、師匠を殺しても満足できなかった。だから、わたしを狙った。わたしを恨んでいた。こう思っていた。


”王師匠を弱くしたきっかけだ”


どうして、その記憶を捨てたの?」


「誰かを恨む力は、もういらなくなったからな。知ってるか?俺、宇宙にいくんだ。強くなったもの宇宙に行くためさ。いや、殺しに熱中しちまったが」

青桐はゼスチャーと視線で、デスクの画面を切り替える。採用通知と建造中の宇宙船のイメージ図が表示される。わたしは頷く。

「バカンスも2回目だからな。挑戦はしないと。惑星間航行だろ、ずっと夢だったから」

青桐の息が浅く弾み、インスタントコーヒーの匂いがする。宇宙船は十分に完成し改善が永遠と進んでいる。時間障壁の中の長い時が、既存技術をくそみたいに発展させた。残りは、飛び立つだけ。

障壁を突破し、時間障壁の外を覆う、真空破壊の灼熱を突っ切って。その術はまだみつからない。

「宇宙じゃ、殺しの術は役にたつだろ。未知の惑星じゃ、凶悪なモンスターもいる。だから、俺は選ばれた」

また、青桐はコーヒーをすすり、わたしも勧める。わたしもカップに口を近づける。

「けどよ、暴力と同じくらい必要なもんもあるだろ。そうさ、友好的な態度よ。恨みごとなんてもってるだけ邪魔になる」

腕を組んで青桐は深くうなずき、微笑む。安全酩酊飲料の効果で彼の頬は赤くてらてらしている。太い腕の傷ひとつない白い肌にも赤みがさしてくる。

「わたしを襲わせたのは、どうして」

猫に移植したのは買取業者ではなく青桐は本人。テネルの調べではそうなっていた。

「捨てた記憶だ、今の俺には必要ない。それは、よくよく考えてのことだ。確かに、もう恨みも消えしてしまってもいいわな。だがよ、どんな些細な記憶でも今の俺をつくってきたんだからな。尊重してやんなきゃうそだろ。それに・・・記憶を捨てる前は、あんたを本気で恨んでたんだからな」

青桐が飲み干したカップの底に残った粘性の液体が白い室灯を淡く反射している。考えごとを悟られないようにその光の向きを変える。


「お願いがある」

写真を一枚差し出すと、青桐はデータじゃないのか、と首をかしげている。

「乗り組み員にしてあげて、生きているのと同じに。実体があったほうが」

黒猫の写真に青桐は眉間に皺を寄せる。

「よく、わたしの家の屋根にいた。だからあなたはあの猫を選んだ。月を見ていた。あなたと同じ」

テーブルに写真を載せて、席を立つ。

「いつか、あなたと一緒に。外に・・・宇宙に連れて行ってあげて」













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