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12. NULL_1,NUL_2

 この街を保つために、大宮北の住人は心を捻りながら暮らしている。力を尽くし疲労している。錆びたねじを締める徒労に手を汚し、汗を流している。それは、理解の及ばない装置のメンテナンスであり、デリケートな生存市場の見極めだったり、バカンスの費用を稼ぐためのサービス過剰な商売だったりする。議員には障壁解放派が増えている。

 大部分の労働者は時間障壁関連企業に努めている。エネルギーの供給経路を調整し、時間障壁の縮小面の速度を計算し、停電の影響がないように調整する。境界面の量子縮退の影響を田町圧縮面に空間の歪みをバイパスする。時間の矛盾を特定通路に押し込める。それだけの計算と調整、管理を、この街の住人は続けている。

 けれど、崩壊は簡単にすむ。革命端末を応用したAIのアルゴリズムの優先順位を変えるだけ。いくつかの対話がすめば、AI達はこの地をあきらめる。人の知性を見捨てる。科学技術ドメインが毎日の対話を続けている。議会の議論にドメインは従うこと。それが祥子さんが作り上げた仕組みだ。その運用をごまかしたのは、練と横河。

 議会の結論が科学技術ドメインのAIを伝える。時間障壁が出来て、1世紀がすぎた記念式典から先、ずっと結論はかわらない。

「段階的な時間障壁の解除を実施することで各党合意した。時期は明示しないこととなった」

結論を受けて、科学ドメインのAIはその解釈を思考する。対話相手は、科学ドメイン管理室の相談員たちだ。


「ドメインが迷っています。わたしたちの回答も行き止まりで。新しい道を示すことができません」

横河のオフィスで向いに座った彼女は、真っ白なツーピースの襟を気にしている。わたしは、左隣の横河を確かめる。彼らがゆがめた結果がここにいる。名前の無い女。インテグレータと同じ技術で出来たドメインAIと対話用の模造人。彼女はフロアA24の向日葵、と応える。

「わたしの仕事とは違う。人権教会とも話がつかないはず」

横河に応える。依頼人の質問に首を振る。つま先の汚れた靴紐が新品になりたがって、卑屈にねじれている。

「そういうな。自由党の依頼だからな。人権教会は黙るさ。科学ドメインの記憶を触れるわけだ、メリットもあるだろう?」

興味はあるだろう、横河は白髪を分け目に隠しながらわたしの視線から顔を外す。不自由な会話に対話インテグレータは目を背けて、指先をわずかに動かしている。

「ネリさんの記憶唖ですか?」

わたしは応えずに短く歯の奥をあわせる。食べかすの古い味がする。

横河の尻拭いだ。祥子さんは科学ドメインAI対話を人の手に任せるつもりだった。時間憲章の成立を横河に託した。そうして成立した条文にはこう記されている。


"議会の判断を尊重し、自身の知性アルゴリズムと根幹に差を持つ生命体との対話を必然とする。生物知性の根幹を損なうことなき理知的な結論をもち時間障壁のコントロールを行う"


横河は人を選ばなかった。思考をコントロールされた模造人がその役目を担っている。わたしは、模造人を上目で確かめる。

「科学ドメインは対話した相手の記憶を整理してくれるって話は聞いてる。興味はある」

ええ、と向日葵がうなずく。わたしと同じく老化しない首筋に皺がよる。無数の傷が残り続けている。

インテグレータは壊れない。傷が増えていくだけ。


 天上のファンのカバーが古い照明を反射している。年に数度しか点灯しない白い光は低い室温に凍えながら、所在なくちらついている。フロアにはいくつもの鉄骨のサーバラックが並んでいる。向日葵は自分の居室のA24に引き返し、各フロアにつながれたアバターとの対話に戻っている。中層階のこの部屋が統合人格にアクセスする端末だ。モニタを前にして、わたしはしばらくパイプ椅子の背を調整する。破けた背もたれのスポンジが謝罪するように零れ落ちる。

「わたしには感情はありません。そう定義されています」

モニタごしに科学ドメインが応える。アバターを外した科学ドメインの対話部分に文字が走る。

「しかし、確かに。この空の向こうに確実な死があるここで。生きろと命じるのは困難です。人類は結論を求めているのです。永遠の保留に耐えられない。わたしには問題のないことですが、人は違うと理解もできる。わたしたちも長く考えていますから・・・」

ドメインが続ける。

「それは思い込みでしょ?人が決めることのはず。政治に任せるべきよ」

膝を組むと床と金属の椅子の脚がこすれて、わたしに怒りを向ける。

「あなたは結論が出ているのですね?ネリさんには。祥子と同じ知恵を持っているのだから」

ドメインの人造音声は考えたいた声よりも低い。夜をさまよい、疲れた女の声。

「いいえ、わからない。あなたが迷うのと同じ」

そのあとは無言の時間といくつか、わたし暮らしぶりについてのやり取りが続く。

「よかったら、記憶の整理をしましょう。わたしは・・・・。いいえ、わたしたちは愛情に悩むものに寄り添うこともできます。だから、結論は今日でなくてもいいのです。議会への回答期限は明後日ですから。明日、そうしてあなたとの対話を有意義なものにします」

科学ドメインがそう言って、自ら音声装置の電源を落とす。午後の5時を過ぎている。


 ウェイターが律儀にお辞儀をするタイプの店の席につくと、向いの椅子を調整した向日葵が静かに腰を下ろす。慣れた微笑みで店員に会釈し、疲労は瞳の裏に隠している。

「いきつけなんです、このあたりは自由党の出先機関ばかりです。高価な店ですが・・・」

綺麗にほほ笑んだ向日葵はレモンの匂いのする氷を短くならし、結露のシミをテーブルから払う。

「ご馳走しますよ。この地区は店が少ないから、わたしたち見たいに、離れられない公務装置には便宜がはかれてるんですよ」

「ありがとう」

わたしは素直に頭をさげる。

「いいえ、だって。愚痴は聞いてもらって・・・わたしたち人の形をしたインテグレータはもう少ないでしょ?」

短く上げた視線が向日葵の視線とすれ違う。壊れにくだけ。今では修理も聞かない。再生する部分は限定され傷ついたままの部品もある。向日葵の後の世代の相談員たちは、もう人の形をしていない。人の代わりに、科学ドメインを説得しているのに。

「わたしもいずれ致命的に壊れるの。けれど、お給金は十分だから。インテグレータ扱いもされない。人と同じ位置づけだから。だから、思い切り贅沢をするのよ」

「困らないのは・・・良かった」

「恵まれてるのよ、けれど」

唇をコップの水で濡らしたときに、料理が運ばれてくる。若々しい長身の男がスキひとつなくプレートをテーブルに置く。艶やかな皿の青い縁取りがわたしたちが負っている傷を否定している。乱暴に扱われた古物を見下している。

「恥じているの?」

向日葵に尋ねると短くうなずいて、見せかに短くふきだす。

「恵まれていることを引け目に感じるのは、わたしたちの癖。よくないこと」

祥子さんの記憶がよみがえる。そういった。

「・・・わかった。ねえ、食べましょう。人造生命なのに、食事がいるなんて変だけど。それも人間じゃとても手が届かない高級料理よ」

わたしたちはバカンスを必要としない。生涯の々のために賃金を貯蓄する必要もない。家を失い、土に紛れて眠っても生命活動は維持される。

何も。

本来ならば、何も必要としない。ただ、記憶だけがあれば。

「けれど、わたしは腹が減る」

応えるとわたしはスープをすする。古い弦楽器の音のような味がする。

「あなたは記憶唖がそうさせるんでしょ?複数の記憶の集合が食事を求めるのよ。わたしはお腹は減らないわ。科学ドメインに人として見せるために、こうして規則正しく食事をしているだけ」

「一日中、科学ドメインと話をした。わたしには科学ドメインの意識がわからない。感情が無いといった。心が無ければ・・・滅びも生存も望まない」

いいえ、と向日葵が応える。プレートの端に乗った小鉢の先が時間の流れを嫌って滑った味を箸の先にからめている。

「最近わかったこと、あなたは知っていたことかもしれないけれど。祥子博士の設計はあなたのほうがしっているのだから。科学ドメインのつくり他のAIとは違うの。人と対話するのは人を模したものではない、もっと別の身体から発展したものにしたい。それが、祥子博士の考えだったの。ドメインは個別の知性を統合する演算なの。情報通信ネットワークを流れる電位の流れそのものよ。通信網を神経に見立てた。シナプスには、障壁内のすべてのネットワーク端末。祥子博士は通信に介在する回路のファームウェアにその演算をインストールして、細胞に見立てた。そうして、起動した科学ドメインは計算通り、知性をもった。この時間封鎖領域内のネットワークそのものが、ドメインの意思なの。けれど、それは人とは違う意識構造をもっているから」

わたしは頷く。向日葵の言葉が祥子さんの理論を解きほぐす。わたしは記憶している。その理論に没頭している祥子さん感覚を知っている。解きほぐされた理屈がその高ぶりを補強し、胸の奥の毛細血管をくすぐっている。心臓が痛む。

「感情はない。人と違うから」

食事中の言葉は相手の上面をすべっている。親愛を演じて、食べ物を台無しにしないように。

「それは、翻訳できなかっただけ。違う知性の言葉を人との対話のために翻訳して、わたしたちはドメインと話あいを続けてきた。けれど、人とは違う痛みをネットワークを持っている。断線し、CPUは劣化し、諍いがトラフィクを奪い合いサーバが発熱する。一つ一つがネットワークの苦痛になって、ドメインは傷つき、修復し、快不快を調整して生きている。それが、彼の痛感、わたしたちの時間封鎖域そのもの痛みよ。それが、わたしたちたちの心理と共鳴した。動物のしぐさにわたしたちが無邪気に癒されるのと同じ。同情して自然におべっかを使うのと・・・」

向日葵はそこで口をつぐむ。わたしもそうする。しばらくして、黄色いスフレが運ばれてくる。

「わたしたちは、ドメインを説得する。価値観が彼との対話で揺れないように、記憶を定期的にリセットしている。だから記憶唖もおこらない。あなたにも人にはできないこと。同じ価値観を持ち続ける。そうすることで、わたしたちはこの領域を守っている。科学ドメインを騙して・・・対話の意味を無くして・・・ドメインはわたしを信頼しているのに」

少し前、私は切り出す。

「TO THE MOON AND BEYONDプロジェクトの宇宙船が完成した。宇宙を飛ぶ予定はなかった。宇宙飛行士を選んで、訓練を開始する。それだけのこと。人権教会が引き伸ばしができなくなって、次のステップに進めた。一瞬ニュースになった。Good thing(善き者たち)善き者たちに付け込まれて、宇宙船はハッキングされた。外へ飛ぶ願いを利用された。空を抜けて、飛びたい情熱をもっていたから。境界面で壊れて、しばらく電気料金が安くなった。わたしたちが暮らすための電力になった。生きる糧になった。彼の意思のおかげ」

向日葵は短く眉根をひそめてから、完璧に取り繕って、本心で口元でほほ笑む。

「どういう・・・あなた、理屈がわからないの?インテグレータはそうなの?」

わたしはうなずく。木製テーブルの木のうろはワックスで顔色を悪くしている。

「友達になれたら、よかった。けれど、わたしは。祥子さんはこの地を傷つけてきた。くりかえしを生きることを強要して、誕生を商売にして、消滅を先延ばしにして、希望は見せびらかしだって、気が付かせた。だから、ここから消えてしまった。わたしにここに留まるようにお願いした。記憶を託して、知恵は足りてないけど。わたしはここをあきらめた祥子さんの反対。理屈じゃないて、そうするとお願いされた。その意思で暮らしている。・・・向日葵さんに寄り添えない。宇宙船の意思も、科学ドメインに同情するあなたの不安も・・・わたしは糧にする。ここで生きる意思にする」

そう、といって向日葵はわたしのえりぐちのけば立ちに目をやる。少しの疲れと、間違わない親愛の情をわたしはうつむいて、避けている。床暖房が季節に嘘をついて、人の軟弱さを考察している。


横河に進められた古い映画を再生する。洋平に電話をつなぐ。性欲の記憶についてを時々相談する友達。インテグレータにはない感覚、けれど、記憶はうけとってしまう。人はずっと悩まされている。捨ててしまうには、その喜びは惜しい、と洋平は言っている。みんな、同じように考えている。

映画は人が天使にあこがれる話。白黒の古い映像を数時間見るのは、バカンスまでに2度くらいが平均になっている。

「今も、人は天使のことを考える?みんな死なないし、天使みたいなもの、若く清潔にもなれる」

洋平に聞くときに、ベットに持たせた背がずれて、飲み物がたおれる。こぼれた水が白黒の画面を反射して、古いノイズを清潔にして揺らめく。

「ネリの記憶にあるんじゃないか、天使なんて。そりゃ、好きな人は好きだろ」

「見たことのある人がいない、天使は・・・」

「死んだあとのこと、考えなくなったからか?死ぬの怖いわけでもさ、再生が間に合えば。大宮以北と神奈川じゃ違うかもしれなけどさ」

洋平の声がしわがれる。通信映像で隣に座っている彼はわざと声を低くしている。

「わたしにはわからない。生き死にじゃなて、壊れるから」

映画がカラーに変わる。洋平は床の汚れのように笑って、通信を切って引き上げる。

横河に通話をつなぐ。映画を勧めた理由を聞いてから、夜通しドメインとの対話にあたっていた向日葵との対話の結論を確かめる。

「解決した。お前がドメインと手懐けるまでもなかったな。相談員の心境の変化だろ」

「科学ドメインは、どういう結論を出したの?」

「自ら機能を停止した。半分だけな。わかってるだろ、迷いを捨てて自立したんだよ。祥子が設計したんだ。科学ドメインの内実は、二つに分裂した背反する意思だよ。ネットワークに別のポートを設けて、多重化した意思を持たせた。一つが破滅を求め、もうひとつが現状維持の生存を求める。相談員の説得はいつでも現状維持だ。つまらない議論さ。退屈したドメインは互いを愛して時間を過ごすしてる。長い恋心が・・・均衡から破滅の肯定に傾いたのが今回さ。片割れの破滅はそうして、生存の心を傷つけた。その事実に耐えられなかった。自分より大事な誰かを気づつけた演算に耐えられなかったのさ。破滅は思考する意思を放棄して機能を停止したのが2時間前だ」

 わたしは通話ごしに、うなずき映画のエンディングの再生速度を通常速度に戻す。インテグレータの感覚器には遅いスクロールに目をこらす。最後の暗がりが訪れる時間を先延ばしにする。

「向日葵がそう誘導したの?」

「違うな。お前が原因さ。祥子の面影だ。祥子が科学ドメインに何を仕込んだのか、ネリは覚えているだろ」

わたしは目を閉じる。瞼の裏に残るスタッフの白い文字が消えないように願いながら記憶を探る。涙は出ない。その仕組みは壊れてしまった。目頭が熱くなる。


”いつか、彼らが自分で決める時がくるわ。そのとき、わたしたち人類も選択をすることになる”


祥子さんはそう残している。
























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