体育の時間(第1回体力測定)
謹慎がとかれた、アリシアは、あの似合わないエプロンドレスを着て、さらに、麦わら帽子をかぶって、フィルとジョナサンを待っていた。
今日のアリシアのいでたちは、さながら、農家の娘のようであったが、白く美しい肌と、手入れをされたプラチナブロンドは、彼女が農民でないことを、その姿を見た者に改めて認識させた。
ジョナサンと、フィル、二人はいつも通りやって来た。
そして、エプロンドレス姿のアリシアを見て、ジョナサンは目をそらして何も言わず、フィルは前回同様に、爆笑した。
ただし、少し学習したのか、《似合わない》とは言わなかった。
それでも、アリシアの機嫌を損ねるには十二分だったため、アリシアは、かぶっている麦わら帽子をフィルに投げつけた。
「何すんだよ、似合わないって言ってないだろ」
フィルは不服そうに言った。
「何を言ってるんですの?フィルのその態度で、十分似合ってないと言ってるのと一緒ですわ。」
アリシアは、怒りが収まらず、真っ赤な顔で地団駄を踏んだ。
フィルが、また余計な事を言う前に、ジョナサンは、フィルに当たって落ちた帽子を拾い、埃を払ってからアリシアに被せて、アリシアに聞いた。
「アリ、今日は何をするの?」
ジョナサンに聞かれたアリシアは、いつもの無表情に戻って言った。
「グレタ、アレを持ってきてください。」
アリシアは、控えていたグレタに声をかけた。
グレタは、アリシアにメトロノームを渡した。
「何だコレ?」
フィルは、メトロノームを指して不思議そうにしていた。
「コレは、メトロノームですわ。」
アリシアは、どや顔で、フィルに教えた。
本当はストップウォッチが欲しかった。
だから、父親に謹慎をといてもらってすぐ、グレタや執事に聞いて探してみた。
しかし、邸にはなかったし、この世界に、存在するものなのか、ハッキリとは分からなかった。
もしかしたら、ないのかもしれない、とアリシアは、思った・・・
アリシアの世界は不思議な所で、京子さんが住んでいた世界と同じモノも存在すれば、存在しないモノのあるのだ。
モノの存在するしないは、魔法の有無が関係しているかもしれない。
そうして、ストップウォッチを諦めて、母親と約束していた午前のお茶の時間にサロンへ行き、そこで、アリシアは、グランドピアノの上に置かれたメトロノームをみつけたのだ。
「メトロノームは、何に使う道具なの?」
ジョナサンが聞いた。
「メトロノームは、一定の間隔でテンポを刻んでくれる道具ですのよ。」
アリシアは、ジョナサンの質問に答えた。
「えっ、今日は歌でもうたうのか?」
フィルの質問に、アリシアは、再びドヤ顔で、答えた。
「今日は、体力測定をいたしますわ。」
そう、高らかに宣言した。
「体力測定?」
ジョナサンもフィルも、何のこっちゃ?と言いたげな様子で、顔を見合わせた。
アリシアは、庭に出て、グレタと、リタに50メートルと100メートルの線を引かせた。
グレタとリタが作業している間、アリシアは、ジョナサンとフィルに声をかけて、準備運動を始めた。
「二人とも、私のマネをしてください。1、2、3、4、5、6、7、8、2、2、3、4、5、6、7、8」
そう言いながら、アリシアは、屈伸運動を始めた。
ジョナサンも、フィルもポカンとして、アリシアを見つめた。
「お前、何やってるんだ?」
たまらず、フィルが聞いた。
「何って、決まっていますわ。今から、走りますから、その準備ですわ。何事も準備が大切ですのよ。だから、二人とも、ちゃんとおやりなさい。ほら、行きますわよ。1、2、3、4、5、6、7、8、2、2、3、4、5、6、7、8」
アリシアにつられて、ジョナサンと、フィルも準備運動を始めた。
準備運動が終わったので、説明を始めた。
「これから、50メートルと100メートルを3回ずつ順番に走ります。」
「走るのは良いけど、その50メートル?とか、100メートル?ってなんだ?」
フィルが聞いた。
アリシアは、地面に置かれた一直線の紐を指して説明した。
「コッチの短い紐が50メートル、コッチの長い紐が100メートルです。最初は50メートルを1回ずつ走ります。まず、フィル、走ってくれるかしら?」
「うん。わかった。」
フィルは50メートルの紐の隣に立った。
フィルが準備できたのを見て、アリシアは、フィルに言った。
「それじゃあ、わたくしが、《よーいドン》と言ったら走り出してください。」
「よーいドンだな?分かった。」
アリシアは、メトロノームを1分間に60回のテンポを刻んでくれる60BPMにセットし、かけ声をかけた。
「位置について、よーいドン」
アリシアのかけ声とともに走り出したフィルは、まだ 5歳にもかかわらず、10秒ほどで走りきった。
アリシアは、持ってきたノートにフィルのタイムを記録した。
次に、ジョナサンに測ってもらい、アリシアが走る事にした。
アリシアは、スタート地点で靴を脱いだ。文字通り本気だ。
幼いアリシアの靴のかかとは、もちろん低い。
しかし、走るようには作られていないため、しっかり踏ん張ったり、踏み込めたりしないのだ。
アリシアが靴を脱いだのを見て、グレタが驚いて声をあげた。
「お、お嬢様、何をなさっているんですか!?」
「だってグレタ、わたくしの靴は走りにくいですのよ。さぁ、ジョン、いつでも良いですわよ。」
アリシアが靴を脱ぎだした事に驚き、呆然としていたが、アリシアに声をかけられ、ジョナサンも慌てて準備した。
「位置について、よーいドン」
アリシアは、全力で走った。が結果は、15秒であった。
最後にアリシアが測ってジョナサンが走った。
ジョナサンは、9秒ちょっとで走った。
続けて、2回目、3回目のタイムを測ったらが、結果はあまり変わらなかった。
この結果だけでも、十分にアリシアの心は抉れた。
『神様って、本当にひどいですわ。』
ノートに記録された結果を見て、アリシアは、ため息をついた。
50メートル走の結果をみながら、さんざんため息をついたあと、アリシアは、100メートル走のタイムを測った。
フィルは、3回とも20秒ほどで走り、ジョナサンは19秒ほどだった。そして、アリシアは、27秒~30秒ほどで走った。
最後は足に疲労がたまりすぎて、思うように動かなかったのだ。
体力測定の結果、分かった事は、フィルの運動神経が、とても良いと言う事だけだった。
驚いた事に、フィルの結果は、3歳違いのジョナサンと、あまり変わらなかったのだ。
この散々な結果もあいまって、普段、あまりアクティブに生活していないアリシアは、力尽きて芝生の上に寝転んだ。
『京子さんに申し訳ないですわ』流れていく雲を見上げて、アリシアは、思った。
京子さんが転生したのがアリシアでなければ、もっと京子さんの能力を遺憾なく発揮できた気がしたのだ。
寝転がったまま起き上がらないアリシアをのぞきこみフィルが声をかけた。
「アリ、何やってんだ?」
アリシアは、流れる雲を指して言った。
「雲を見ていましたわ。」
フィルは、アリシアの横に寝転んで、空を見上げた。
「あの雲、動物みたいだな」
フィルの指す方には、確かに動物の横顔に似た雲があった。
「ふふふ、本当ですわね。」
それからアリシアは、顔だけフィルに向けた。
「ねぇ、フィル。貴方は、まだ将来、何になるか決まらないかしら?」
突然のアリシアからの問いに、フィルは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。
「何だよ、突然。」
「フィル、あなたの運動能力は、素晴らしいですわ。」
アリシアに誉められてフィルは照れてそっぽをむいた。
フィルが何も言わないので、アリシアは続けた。
「いまから、きちんと学べば、騎士でも、冒険者でも、フィルなら一流になれると思いますの。
わたくしは、あなたの才能を埋もれさせたくありません。なので、わたくしが護身術を習うという名目で、フィルに剣術の先生をつけようと思いますの。」
フィルは、そっぽを向いたまま言った。
「意味がわかんねえ。アリは、何でオレに剣を習わせたいんだ?オレを騎士にしたいのか?」
「違いますわ。約束いたしましたでしょ?わたくし、フィルに無理強いはいたしませんわ。でも、フィルの運動能力は、ただの平民として埋もれて生きていくには、惜しいではありませんか!わたくしがどんなに頑張っても、フィルのように早くは走れませんのに。いらないなら、わたくしがもらいたいくらいです。」
アリシアは、力を込めて言った。
フィルは、アリシアが走っている所を思い出して、笑った。
本人は一生懸命走っていたが、スピードは全然出てなかった。
「ハハハ。アリにもできない事があるんだな。それがに一番驚いたぞ。」
「フィル、笑わないでくださいまし。」
アリシアは、そっぽをむいたままのフィルを睨んだ。
「わたくし、フィルが思っている以上にできない事が沢山ありますのよ。」
アリシアは、自嘲するように言い、そして、ため息をついた。
「フィル、あなたは、天から、優れた運動能力を与えられたのです。与えられた才能を開花させることが、与えてくれた天への恩返しになるとは、思いませんこと?」
フィルはアリシアの方に顔を向けた。
「なぁ、アリ、もし、剣術をやってみて、好きじゃないって思ったら、辞めてめいいか。」
アリシアは、当然とばかりに頷いた。
「もちろんです。だって、フィルには職業選択の自由があるのですから、嫌なら無理に続ける必要はありません。当然ですわ。でも、好きかどうかは、やってみないと、分かりません。」
「うん。分かった。オレ、やってみる。」
アリシアとフィルは顔を見合わせて笑いあった。
その後、靴を脱ぎ、芝生に寝転がったままだったアリシアは、お茶に呼びにきたグレタに回収された。
そして、いつも、にこにこと、穏やかで優しいグレタに、アリシは生まれて初めてお説教もされてしまった。
公爵令嬢としてはしたない事をしたと、アリシアは、反省した。
『わたくし、またやり過ぎてしまいましたわ。』




