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裏街バケモノカルト  作者: 楢木野思案
四・胡蛾の夢
46/46

8 虚妄に立つ理由



 意識が漂っているのだと、望まぬ浮遊感に包まれている最中に自覚することはできない。

 君月(きみつき)にとって睡眠とは単なる待機時間だ。現実逃避に一役買うのは一時のものだし、悪夢を見ることがあろうと起きたら全てなかったことになるのだから、そこに快も不快もない。


 そんな目覚めを待つだけのまどろみの中で、ぴくりと自分の瞼が動く感覚がした。

 肉体の感覚がある。もっと驚くべきは、脳がそれを認識できる状態にあること。明晰夢なんて初めてだと、自分が昨日どうやって布団に入ったかも思い出せない君月はさらに不思議に思う。


 しかしそれも一瞬のことで、その何らかの反射が起きた理由へと意識は向けられる。四肢も表情も、夢なのだから当然のごとく自由に動かせるものはない。視界は変わらず闇に閉ざされている。

 なのに瞼が動いたのなら、自分はその裏に何かを見たのだ。


 思考が追い付いた途端に、何かに急き立てられるような焦燥が君月の胸を焼く。

 ──何か、起きてはならないことが。あってはならない事象が、絶対に阻止しなければいけない行いが。


 訳も分からないまま酷くなる頭痛が、ひたすらに動けと君月にがなり立てる。

 ぼうっとするな。目を開けろ。腕を伸ばせ。掴め。止めさせろ。絶対に彼を、


「──やめろ!!」


「おゥ。なかなか豪快な寝起きだな」


 伸ばした手で何かを握りしめた、確かにそんな気がした直後、君月の目の前にあったのは(かなえ)の驚いた顔だった。


 真っ当に起き抜けの過程を踏めなかった思考が一時停止する。横たわった状態から上半身を起こし、少なくとも目の前の相手ではない誰かに向けて怒鳴りつけたままの体勢で、君月は数秒ほどフリーズした。


 そうだ。──まず、昨晩普通に寝入ったわけではなかった。『夜警』によって意識を奪われたところから記憶がない。気絶中の君月の顔を覗き込んでいた格好の鼎は、『白瀬』に一人で会いに行ったところ行方不明になり、化け物同士での共謀が疑わしい状況。


 状況を整理し終え、ようやく視界からの情報を受け入れるようになった君月が周囲を見回すと、のどかな農村風景が広がっていた。辺り一面に緑の葉を生い茂らせた低木が植えられている。

 桑畑だ。


「……なるほど。地獄にしては、つい最近も見たような光景だ」


「オレがいるとこっていやァ思い浮かぶのは地獄ってか」


「や? そういう理由じゃなかったけど、言われてみれば確かに」


 まだ未消化の思考のせいで重い頭を押さえつつ、君月は皮肉に皮肉で返す。何が面白いのやら、鼎はからからと口を大きく開けていた。

 ──死も覚悟した。いつ終わるとも知れない生業だし、心残りなら周りに配ってやりたいほどあるが、使いどきは間違えていなかったはずだ。


 なのに、目が覚めるとそこは土蔵や牢獄ですらなく、開けた屋外。太陽は高く、空は青く澄み渡っており、君月の中に違和感ばかりが積もっていく。

 まるで昨日散策した『理想郷』そのままの風景なのだ。


「地獄のくせに無駄にディテールが細かいな……」


「安心しろよ、まだオレもオマエも死んじゃいねエ。ここは『白瀬』の野郎の体内だ」


「それは朗報だけど。体内?」


 地面の上で足を組んでいる鼎がしたり顔で頷き、


「ヤツの力は『織り込み』だ。あの祭文を最後まで聞いたやつは魂を取り込まれ、ここで消化される中で力も記憶も奪われる。オレも来んのは初めてだが……」


「ストップ。つまりなんだ、ここは現実じゃない? 精神世界みたいなものか」


「らしいなァ」


 穏やかでない話をしておいて鼎はのほほんとしている。それが普段の灰髪ではなく白髪を晒していた理由も、二()して上着を着ていないのに寒さを感じないのも、魂だけだからと聞いて納得する。詰め寄るのも馬鹿らしくなり、君月も伸ばしていた足を胡坐に変えた。

 腕をつねってみると確かに痛みはない。一方でねじり上げると皮膚は赤くなるのが面白く、君月が何度か試していたところ鼎が変なものを見る目をしていた。

 君月は咳ばらいをして、


「力……は元からないからいいとして、記憶か」


「あァ。なんか知られて困ることでもあったか? そういや、随分な寝ぼけっぷりだったな」


「はっ、だからあんな不快な夢を見させられたのかと思ってね。それだけだよ」


 あれは記憶の浸食の影響だったのだろうか。夢の中で何を見たのかは分からずじまいだが、胸に残るあの異様な焦燥感だけがいやにくすぶっていた。

 そんな君月の誤魔化しに気づいてか、鼎が肩をすくめ、


「詮索するつもりはねエよ。むしろよく起きられたなと思ってな? 何しようがぴくりともしねェし、一生寝っぱなしなんじゃねーかってくらいだったぜ」


「おい、僕に何したんだお前」


「はは、今ならちィとばかし齧れるかと思って」


「は!?」


 いやァ無理だったわ、と鼎は悪びれもしない。試した時点でまずあり得ないのだが。顔を真横に向け、一瞬噛みつくほどの剣幕になった君月だったが、深呼吸を挟んで鬼気を静めた。

 ──いくら人真似を長年続けていようが、相手は化け物。もとより、まだ生きているのならこんなところで和気あいあいと話している時間はない。


 君月は手のひらを地面につけて立ち上がる。「おん?」と不思議そうに顔を上げた鼎を冷たく見下ろし、


「そうだな、僕が来るのが分かって待ち伏せてたのか。お前、やっぱり『白瀬』と──」

「まァ待て、まずは聞け」


 片手を伸ばして制止された。落ち着けと諭されたのは不服ながら、無理に話させる手段がないのも事実だ。

 腕を組んで仁王立ちし、大人しく話の続きを待つ体勢になった君月に、鼎は、


「先に言っとくが、ここからの脱出方法はねエ。アイツが死ぬのを待つだけなんだ、ゆっくり話そうぜ」


「……ふうん? 続けなよ」


 まるで『白瀬』の死を望むような口ぶりに君月は引っかかりを覚えながら、顎をしゃくって促した。

 青空をまばらな雲が緩く流れている。この場所と鼎のペースに合わせていると、いつまで経っても望む答えは得られそうにない。軽く睨めつけると、「だァから急かすなって」と鼎は手のひらをひらひらと振った。


「さて、どこまで聞いてる? オマエがここに来たってことはアイツとはもうやり合ってんだろう、他のやつらは逃げたか?」


「ああ、この分だとまだ無事なんだろうね。どこまでって言われても、お前が次代の『白瀬』に選ばれたから用済みの僕らは外に出ていい、としか聞かされてないよ。僕がこうなる前に信者を一人捕まえたから、話を聞くようにと(けい)には言ってあるけど」


 君月が目覚めるまでにある程度の時間があったというのなら、残った三人は上手く逃げのびたのだろう。その点は安心だ。景は頼まれごとなら必ずやり遂げるだろうし、あれでアキも並みの人間や化け物相手にやられる腕ではない。懸念点もありはするが、


「もう僕にはどうしようもないしなあ……あっちで上手いこと調整してくれるのを期待するしかない」


「何の話だ?」


「こっちの話。そういや、甘蔗(あまつら)くんを一人にしていいのかい? 彼女、根性はあるけど危なっかしいとこもあるだろ」


「アイツならわーきゃー言いながらなんとか生き延びんだろ。関係ねェ」


 ユユの話を持ち出せば鼎を揺さぶれるかとも思ったが、残念ながらにべもなかった。鼎は気だるげに頭を掻き、


「とにかく、本当に何も聞かされてねエと……『十分な説明も賭けの成立条件の一つに含めること』って言っときゃァよかったな。オレがしくったのはそうだが、アイツも相変わらず意地が悪ィ」


「つまり、ここに来る前に『白瀬』と話をしたと。思った通り組んで──や、勝負をしかけたんだな?」


「そォいうこった」


 鼎の態度の違和感から抱いていた疑念に確信を得る。君月が指を突きつけると、鼎は我が意を得たりとばかりに両目を瞑った。

 殺し合った仲というのは事実だったらしい。ともすれば、自分たちはその諍いに巻き込まれたのだと考えることもできるが──、


「目が見えねェ割に感覚が鋭いもんで、オレの正体にも気づいてやがったからな。それにヤツは昔っからオレのことだァい好きだったんだよ、食っちまいてェくらいにな」


「なるほど、自分一人じゃあ負けるのは自明。だから僕らに『白瀬』を殺させようと仕向けたのか。……で、ここにいるってことは、お前はとっくに負けて取り込まれたあとだと受け取っていいのかい?」


 返事はふんと鼻を鳴らす仕草だった。つまりイエス。指をさして一笑に付すこともできたが、君月はあえてにっこり微笑み、「ドンマイ」と慰めの言葉をかけてやった。

 鼎はぺっと唾を吐き、


「オマエらのハンデになってやったんだ勘違いすんな。オレが暴れんのもできたが、信者のヤツらで肉壁を作られたらしまいだ。ンだし、あのままだといつかは時間切れだったろう?」


 不機嫌そのものの態度でどこまで真実を言っているのか知れないが。時間切れと鼎が口にしたのは事実その通りで、あの『集い』の最中、君月は適当に信者と論争してタイムリミットを引き延ばしながら、ここから脱出する方法ばかりを考えていた。

 場に旅行で訪れただけの一般人が混ざっていたため、力づくの手段を取ることが難しかったのだ。そのうえ薬物を使われては、と君月は嘆息し、


「まあね。僕や景はまだいいとして、他は時間な問題だった。特に甘蔗くんはひと月と()たなさそうだ」


「だろ? だからルールを設けて、賭け事好きな『白瀬』を乗せてやったんだ。オレもオマエらにも利があるようにな。崇めてもいいンだぜ」


「つつしんで遠慮するよ」


 からかいを即座に拒絶する声に、しかし先刻までのとげとげしさはない。

 これ(・・)が八方塞がりになりかけた事態を動かし、現状打破への道を作ったのは事実だ。たとえ鼎自身が狙われたのをこちらに押し付けただけで、それがその副産物だったとしても。伝達不足のせいで、結果的に何も分からず逃げ出すことになったとしても。

 危うく景が犠牲になるところだったとしても、だ。


「なんか言うことねェの?」


「……どうも?」


「へェへえ」


 誤解は解けたとばかりに機嫌を直して絡んできた鼎を流し、君月は思索にふける。

 功罪はかろうじて功が上回る程度。悪意があったわけではないのなら、ギリギリ妥協できる範囲。

 ──僕の懐の深さに感謝しろよ、と君月は心の中で毒づいた。口に出したら面倒になりそうだったので引っ込めたが。


「経緯は理解した。ただ一個、この空間が『白瀬』の体内なら、なんで『理想郷』──名仙(めいせん)村の見た目をしてる?」


「分かんね。が、オレの予想じゃ……おい、オマエ」


 眉をひそめた鼎の顔が先ほどより近い。ぐらりと視界が傾き、君月は片足を前に出して踏ん張った。唐突に襲ってきた強烈な眠気に瞼が重くなり、自分の声が一周分遅れて聞こえる。


「解説してみろよ、化け物。なんだ、これは」


 眠くてたまらない。三徹したときでもこうはならなかった。頭を下げているとそのまま崩れ落ちていきそうで、君月は上を向きながら問いただす。その下で鼎が立ち上がった気配がしたかと思うと、


「あァ、やっぱしそうか。この場所と同じ、オマエにも夢が混ざり始めてンな」


「……くそ、こっちは眠くて思考力が低下してるんだよ。もっと分かりやすく喋ってくれ。あと長時間黙ってたらまずそうだから適度に僕に口を挟ませろ」


「要望が多いが叶えてやるよ」


 呆れ混じりに言われ、正面から肩を両手で掴まれひやりとする。しかし意外にも支え以外の意図はないらしく、その力を借りざるをえない状況に君月は歯噛みしつつ、どうせならと思いきりもたれる。

「重ィ」「重くない」聞こえてきた不満を一蹴すると、ため息が聞こえた。


「オマエが目が覚めたのは多分、奇跡だ」


「へえ、だいぶ後味最悪だったんだけども」


「ならその最悪に感謝しとけ。オレはどうもしなかったが、オマエはただのニンゲンだ。今寝入ったら、もう一度はねェと思えよ」


「あぁそう。お前が起きてられるのは、腐っても化け物だから……か」


「寝んなバカ野郎!」


「うるっさいなありがとう!」


 真正面から叫ばれ怒鳴り返す。飛び出た発言の支離滅裂さに自分で笑いそうになり、頭の鈍り具合を再確認。ならもう、いっそのことだ。


「夢が混ざる、ね。じゃあ起き続けるには、ここじゃない、現実を強く認識できればいいって?」


「おォ、効果ありそうだな。やってみろよ」


「人ごとだと思って全く」


 適当に言ったことだったが、鼎にもすんなり受け入れられたことで確かにそれしかないかと思い始めてくる。


 夢の中で現実を認識する方法。リアリティチェック。ここが夢だということ自体はとっくに君月も認識している。足りないのは現実に繋がる、手がかり。


「──まァ、別にいいのか。オマエがヤツに飲み込まれても。オマエが消えればオレとの契約もパァになる、そゥしたら『白瀬』と再戦だ。ここで朽ちろよ、ニンゲン」


「……あぁ?」


 鼎が退くのと同時、出し抜けに手を離され、前のめりにがくりと膝が折れる。ズボン越しに触れた柔らかい土の感触が布団のようで、途端に調子づいた睡魔に抗うべく、君月はとっさに片膝を立て足の裏で地面を踏みしめた。

 片手をつけてそのまま立ち上がろうとしたが、そこが限界だった。眠気が君月を下に下に縫い留めてくる。


 鼎の態度は急転直下もいいところだ。気まぐれで埒外、当然に人の心も持ち合わせていない。先ほどまでと逆転の構図でせせら笑いながら見下ろしてくる相手を、君月は下から睨みつける。


「……言ってることも、やってることも滅茶苦茶だな。何がしたいんだよ」


「オレの利になることだァけ。なァ、もう眠くて限界だろ? ぶっ倒れる前にアレ聞かせてもらいてェな、冥途の土産」


 ふざけた口調で煽りを入れる鼎に、君月は「誰がやるか」と反射で口にしかけて──寸前で留まった。

 かわりに、格好が崩れないよう立てた膝の上に肘を乗せ、大きく息を吸い、


「──いいよ。一つだけ、教えてあげよう」


「お、やりィ」


「お前は肉食だから、血には聡くても魂の有り様には気づかなかったんだろうけど。……意識だけになった今なら分かるんじゃないかい?」


 質問をされると思っていなかったであろう鼎が目を瞬かせる。口を閉ざして首を傾げ、君月をまじまじと見ること数秒。灰色の目がかすかに見開かれ、「うァ」と小さくたじろいだ声がした。

 そこからどうしてこんなものを、とでも言いたげに探ってくる顔つきに変わる。珍しくも予想通りの反応に、君月の中に湧き上がるのはその意表をついてやった達成感と、それ(・・)がまだ消えずにいたことへの嫌悪感。


 しかし、この胸に燃え広がる感情が今はありがたい。君月は落ちかけの瞼を持ち上げ、皮肉げに頬を緩める。


「やっぱりまだ残ってたか。十年近くたっても消えない、神の残滓だよ」


「……確かにオレにとっては専門外もいいとこだ、詳しくは分かりゃしねェよ。だが──何があった?」


 そんな、まるで普通そのものといった顔もするんだなと君月は思う。

 最低レベルだった気分がわずかに上がる。への字に曲がろうとする背筋を伸ばし、訝し気に覗き込む鼎の方に顔を寄せ、攻撃的に笑った。


「むかーし、ある教団にいたことがある。そこの教祖がひどいやつでね、逃げてきたんだ」


 過去を語ることに恥も憂いも、古傷を抉る類の痛みも存在しない。それはただ、今日この日までも地続きであるからだ。

 その代わりとでもいうのか。あの日から消えない感傷を思い起こさせ、後押しするように、君月の腕に小さく痛みが走る。

 構わなかった。いい、気付けだ。


「──いつか全ての『神』の欺瞞を引っぺがして、滅ぼす。そのために僕は生きてる」


 両足で地面を踏みつけて腰を上げる。

 ここが蝶ならぬ、どこかの蛾が夢見ただけの虚妄そのものだとしたら、君月が帰り着かなくてはならないのは虚妄が実現した世界。そこに、君月が立ち続けなければいけない理由を宣言する。


 ──他人の夢に混ざって容易に崩されるほど、薄く淡い意志のつもりは毛頭ない。


 夢の中だというのにしっかりと服に付着した土を払い、君月が一息ついた頃には、あの異常な睡魔はすっかり消え去っていた。

 一部始終を黙って眺めていた鼎に、君月は「どうだ」と得意げに言い放つ。


「よく立てたな。もう無理かと思ったが」


「ああ。お前に冥土の土産なんか一つもくれてやるもんかって思ってね。そのためにも僕は生きて戻んなきゃいけない」


 朗らかながら剣呑な雰囲気で挑発し、調子が完全に戻ったことを主張する。

 ふんっと鼻から息を抜き、「やんのか?」と君月の誘いに応じて口角を上げる鼎に、


「や、美曙(みあけ)にお前の海馬を切除させる。これが解決した暁には、今見聞きした全てを忘れてもらうさ」


「……バカ言うな。んな繊細な作業があの女にできると思うか?」


「あー……これを機に成長してくれないかな」


「バカが極まってんぞ、まだ眠てーんじゃねエの」


 力だけが頼りの彼女に辛辣なのは君月も同じ。それはどうでもいいとして、「おかげさまで目ぇぱっちりだよ」と君月が言うと、鼎が目を窄めた。

 君月と同じく眠りに誘われたわけでもないのに始終眠そうな表情が、気のせいだろうか、このときだけばつが悪そうに見えた。しめたと君月は思う。


 突然がすぎる裏切りに疑念を覚え、どうせジリ貧だと乗ってみたが、まさか本当にただの──手助けだったとは。


「いつ気づいたかって? だってお前が僕との契約で制限されてるの、『人間への手出し禁止』だけじゃないか。自力で『白瀬』の世界から帰れるわけない。だから僕が起きてられるよう、わざわざ話させたりしたんだろ? どうもどうも、お世話様」


「はァ。そういうことにしといてやるよ」


 自分が絡まれる側になると、途端にシャッターを下ろすのが早くなるのが面白くない。言葉少なに会話を打ち切った直後、鼎は遠くに見える家屋のある方へと踵を返した。

 表情が見られなかったと残念がる暇もなく、君月を置いてさっさと歩き出したその背中に声をかける。


「ねえ、どこ行くんだい」


「ここでじィっとして、またオマエがああなっても面倒だ。『白瀬』が織り込んだ中で逃げられたヤツはいねエが、何もしねェ理由にはならないだろ? オマエを起こしたのも、捜索に人手が欲しかったからだしな」


 来いよとばかりに手の甲を見せて振り向きもせずに片手を振られる。怠惰がちな普段の鼎の傾向からすると、現実世界に残った人員に任せてだらけようとするかと思ったのだが、自ら動こうとするとは意外なものだ。

 そうする理由は、やはり。


「ま、そういうことにしといてあげるよ」


 君月は首を軽く振り、小さく呟いた。先を行く鼎に大股で歩み寄り、その一歩前に立つ。殊勝に後を着いていく選択肢はない。追い抜かれた鼎から、ハン、と漏らすのが聞こえた。

 人の気配もなく、ただそこに連綿と建ち並ぶだけの長屋風の団地を目指し、二人は歩き続ける。完全に静止していた空気が縦断されて生まれるそよ風とともに、沈黙がその間を流れていく。


 君月がそこに滞在した期間は一日と少しだが、それでもこの場所が細部に至るまで名仙村の完全再現だと分かる。鼎の推測に従えば、この『白瀬』の体内に田園風景を混ぜ込んだのは以前そこにいた被害者たちだ。辺り一帯、薄ら寒いはりぼて。奪われた現実の名残は自然と君月の足を早め、


「──化け物のために人が命を捨てることなど、あってはならないと僕は思う。同時に、そんな宗教(もの)は潰れちまえとも」


 久々に蓋を開けた、冷たい本心を少量、溢れせた。

 ぴったりと着いてくる足音に混じり、「オレへの文句か、それは」と投げかけられる。──もちろん、と花丸をあげてやりたい。


「お前にも考えがあるってことは理解した。僕と協力せざるをえない状況が理由でも、手を貸してくれたんだ、感謝はするさ。だけど」


「──」


「僕はお前が嫌いだ。お前()の種族が理由じゃなく、お前自身の所業が理由で」


 歩きつつ、黙った鼎に、君月は悪態をぶつける。今言うべきでないと分かっているが、言えるのは今しかないのだから。


 忘れるわけがない。

 あの日、君月の目の前で鼎は人を食らったのだ。それがたとえ殺人鬼であろうとも、その直前まで己を痛めつけていた人間であっても。

 生きるために、人は虫も動物も殺す。それ自体は世の理だ。ただその過程が、相手への侮蔑を含み、好きに弄ぶ類のものであればどうだろうか。

 そういう生態を持つ生き物を、許せる理由がないと君月は思う。


 鼎は反発するのでも、向けられた敵意を笑い飛ばしもしなかった。それが意味するのは、君月の言葉はあるのかも分からない心の内に飲み込まれたのか、右から左にすり抜けたかのどちらかだ。


「ニンゲンにも人殺しはいるだろう。同族殺しはいいのか? 特に、ヤツは極めつけだったぞ」


「だから相殺されてセーフとでも言いたいのかい? 生憎、人の業は知ったことじゃない。そういうのは警察に任せておくよ。僕が敵視してるのは、世間に擁護される君らのその在り方だ」


 ただ淡々と反論する鼎に、君月は滔々と連ねる。


 正義感など片腹痛い。悪だと見なして糾弾したいわけでもない。私刑と言われればそれまでだ。

 裁かれざる罪を正す。それが世界に必要なことであり、君月に必要なことだと信じている。──ああ、そうだ。確かに人は、信仰から逃れることはできない。


「……だから付け入られるんだよ」

 その呟きに、鼎の低い声が被さる。


「『神』差別だとか叫ぶ気はねェが、矛盾してんな。どっかのツインテが嫌がりそうな理屈だ」


「へえ、君が彼女を引き合いに出すんだ? 誰かや何かを嫌う権利は誰にだってある。好きにすればいいよ、現実を見れば彼女も理解するだろうけどね」


「そうかよ。だが、オレが人殺しならオマエはどうだ? 目的のための殺し。相手が『神』だろうがやってることは同じだぜ」


「同じで結構。誰も手出しできないやつらが多くを殺す前に殺す、そこに一つの理もないとは思わないだけさ。さて、着いたね」


 妥協点を探る気のない会話は平行線のまま終わりを告げ、三度、ふんと鼎が鼻を鳴らした。気に食わなかったか呆れたのか、どちらだとしても、互いに口出しはできても手出しはできない状況だ。考えるだけ意味はない。

 君月が足を止めたのは集合住宅の前。現実では立ち寄ろうとも思わなかった場所だが、今はどんな手がかりでも欲しい。


 そうして扉を開けようと持ち上げた腕の、袖の隙間から見えた部分に違和感を覚えた。


「ん? なんだ、これ」


 ドアノブに触れる寸前で引っ込めた左腕を君月は眼前に持っていく。肘から下、皮膚の一部が茶に近い赤に変色していた。ぼんやりと丸くついた、身に覚えのない軽い鬱血が五か所程度。

 そのうち一つの付近には、細い半月状の何かが食い込んだような痕。


 気味の悪い直感が君月の背中を駆けのぼる。右腕の同じ位置にも似たかたちがあった。何かを察した本能が先んじてアドレナリンを吐き出し始める。点々とある鬱血の上から片方の指の腹を押し付けてみれば、その並びにちょうどぴたり揃う。心臓が、嫌な鳴り方をした。


 ──さっきの痛みは、まさか。


「……あ、ちょっと。僕より先に行ってるんじゃない」


「止まってんのが悪い。オマエも来ればいいだろ」


 立ち止まっていた君月の下をくぐり抜け、鍵のかかっていなかった扉を開けて中に侵入した鼎に声をかけると、後ろ手に人差し指をくいっと二回曲げるジェスチャーをされた。

 ひとまずその後に続くことにした君月は、中に入ると同時、思いもよらなかった光景に目を見張り、


「繭、か?」


「に見えるなァ」


 開け放たれた扉から漏れた外の光によって白く輝く、楕円体の物体。多少の凹凸はあるが、概ねなだらかな表面を、綿あめ状に軽く解けた糸が柔らかく包みこんでいる。それが見える範囲で五つ以上。そこら中の床に横倒しになっている繭は、ちょうど人ひとりが中に入れそうな大きさだった。


 一番近くにあったそれに触れると、硬くざらついた質感が伝わってくる。手の甲で軽くノックしてみたところ、コッコッと乾いた、やや鈍い響きが返ってきた。

 中は、空洞ではない。


「電気はつかないな。まァこの明るさなら見えるだろ」


「そうだね。トウテツ、手分けしよう。手当たり次第に繭を叩いてみるんだ。まだ反応があるかもしれない」


「反応っつゥと……なるほど、中にいるのか」


 照明のスイッチを探しにいき、空振りで戻ってきた鼎に指示を飛ばす。正面にあるリビングはそちらに任せ、君月は近くの扉を開けて回る。寝室に和室、あちこちにある繭をゆすったり、軽く叩いてみたが、どれもこれも沈黙を返すばかり。

 ──何が起きるか分からないが、もう壊してみようかと君月が思ったとき、「こっち来てみろ」と廊下から声がした。


 足の踏み場もないなと思いながら向かった先のリビングの奥で、一つの繭の横に鼎が立っている。

 否、それは繭になりかけている途中だ。下半分を既にくるみ終え、紡がれる最中の糸がほのかに蠢いている。覆われていない部分から、閉ざされた瞼が垣間見えた。

 ちょうど棺桶のように頭部だけが覗いている。目元以外に表情を察せられるパーツがない、顔の溶けかけた人間が繭の中にはいた。


「──骨が見えないね。丸ごと溶かされてるのかな」


「マジで胃の中なんだなァ、ここ」


 足元を見下ろし、文字通りに他人事の感想を二()して述べる。

 損壊具合は口元が特にひどく、皮膚と肉と唇が引っ付いてひと塊になって溶けだしていた。歯や頭蓋骨の露出はなく、溶解した部分は下に陥没しており、人というより蝋人形が熱でやられたようなありさまだ。目元に皴が寄っていないことから、眠りながら死んだと見えるのが唯一の慰めだろうか。

 一通りの観察を終えた君月は、せめて安らかにと心の中で口にし、


「一つ確認させてくれ。『白瀬』は織り込んだ人間を操れるんだったよな?」


「そうだが。自分の身体が何しでかしてるか、不安か?」


「気にしたところで、だろ。ともかく、これで分かった。彼らがいなくなった名仙村の元住民。『理想郷』の信者が都合よく夢を叶えるため、労働力として使われていたんだ」


『白瀬』の力で飲み込まれ、肉体を操られ、最後には夢の中で生を終える。夢が混ざり込むこの場所が村を模しているのも道理だ。

 集会所に大勢が押し込められていたが、ここにいる人々もかつてはあそこにいたのだろう。無期限に使い潰せるということではないのか、非常食を兼ねているのか。──『神』にはありふれた悪辣さだ。

 君月の考察を目を細めて聞いていた鼎が、神妙に言う。


「で、これがオレらの未来の姿っつゥわけだ」


「ああ、このままだとね」



 ◆



「──なあ。今のアイツって本当に本郷か?」


 壁にユユを押し付けて、恐れを含んだ顔でアキが疑問を口にする。ユユはただ茫然と「本当に、って」と呟いた。

 誰であろうと無差別に襲うはずの『夜警』と並んでいる鼎。遠くの後ろ姿しか見えなかったから、そうだと確信を持つのも、違うと否定することもできない。

 否定は、できないのだ。


 ぐるぐる巡る思考を言葉にできずに黙りこくるユユに、アキは腕を軽く掴んでいた手を下ろす。声に感じる焦りを抑えて、


「ターゲットに認定されないのは魂が人間じゃないから。……本当にそれだけか?」


 分からない。ユユには、何も。


「なんなら、見た目が同じだけの別人って説もあんじゃねえの」


「……あ」


 ユユは瞠目した。

 ──裏切られたと思って、なのに不思議とむかっ腹が立つのでもなくて、自分で自分の感情の動きに混乱ばかりしていた。それが、最初から違ったとしたら。


 強い風が吹いて霧が晴れたようだった。何かに賭けたい衝動が胸を突く。ユユはただぼんやり形を捉えるだけだったアキの目をまっすぐ見据え、


「トウテツは、君月さんとの契約で人を傷つけられなくなってます。だからそれで判断できるんじゃないかなって」


「おっけ。食おうとしてきたら偽物、何もしてこなかったら本物な。それさ、」


「はい」


「マジで言ってる?」


「……まじでした」


 眉を寄せた正気を疑う表情を向けられ、ユユの声は尻すぼみになる。アキが正しいと気づいたからだ。

 アキの付けていた耳栓はもうない。ユユの耳当てを使うにしても、夜警に近づけるのは一人だけだ。蜘蛛を操り、防いでいようがいまいが糸を侵入させようとしてくる相手に。

 さっきみたく、ユユが耳を塞ぎながらアキが立ち回る作戦を続けるのは無謀がすぎるだろう。超短期決戦だったからなんとかなっただけだ。

 そうなれば、どちらかが単独で行くほかない。これも似たり寄ったりの無茶だ。だが、


「──お願い、します。早く次の織代探しにいった方がよくて、ならここは気づかれないようじっとしてるべきだって分かってます。けど」


 身を潜めている壁からはみ出さないよう注意しながら、ユユはアキに小さく頭を下げた。自分で行ければよかったのだが、いくらなんでも力が足りないし、さすがにアキも止めてくるだろうとユユは思う。

 だから、それでも、馬鹿な頼みとは承知の上でどうしてもと願ってしまう。


「あれが本物なのか、……ほんとにユユを裏切ったのか。それを何よりも先に知りたいって思っちゃってるんです」


「──。──わぁったよ」


 三白眼を限界まで細く絞って、痕になりそうなほど眉に皴を寄せて、アキは渋い顔で根負けしたように首を縦に振った。目に見えて表情を明るくしたユユに、一本立てた指を突きつけ、


「いいか、一発だけだ。一発当てて、反撃してきそうになった時点で逃げっからな」


「はい!」


「そっちもだよ。逃げる準備はしとけ」


 言い捨てに近い忠告のあと、アキが石を拾い、大きく振りかぶって投げた。それは鼎も夜警の頭をも飛び越えて放物線を描いていき、地面に落ちる。

 遠くの鈍い落下音に、両者の視線が吸い寄せられたと見たと同時、


「っしゃ、五秒したら行けよ、甘蔗(あまつら)!」


 アキが駆けだした。鞘に入れた刀を下段に構え、胴か足を払うつもりだ。飛び出したと思いきや、ユユが振り返って陰から身を乗り出したときにはもう遠くにいる。

 言われた通りにいつでも走れるよう片足のつま先は反対方向へ。顔だけを覗かせ、固唾をのんでユユはアキの姿を目で追った。


 白髪が翻る。猛然と近づいてくる足音に、鼎が気付いたのだ。間合いに入ったアキは止まらない。夜警にも目をくれず、鼎の視界外から刀を突き上げる。


「──あァ、金髪。オマエはそうすべき(・・・)だよ。頼られたんだから」


 蹴りの予備動作めいて軽く上げられた足の裏で、鋼が食い止められていた。揶揄う声。薙ぎ払いにかかった体勢のままのアキに、鼎は刀を抑えていた膝を引き上げ、上半身をくっと沈め、がら空きになったその腹を──、


「──わぁあああっ! このっ、離れて!!」


 蹴り打たれる、その寸前、鼎の眼前に飛来した棒状の黒い塊。肩か頭か、どこに当たったかなんて見ている余裕はない。

 大事なのは、ゴスッという重く明白なクリーンヒットの音がしたこと。


「ァぐ」と呻いて後ろに倒れていった鼎も、まるで指示を待つようにその横で佇む夜警も見ない。見たらダメだ。投球直後の野球選手さながらの姿勢で、無我夢中にスタンガンを放り投げたユユは、ただひたすらにアキを呼ぶ。


「先輩、アキ先輩!! こっち!!」


「五秒したらっつったろ!? いいから走れ!」


 硬直の解けたアキが振り返り、鬼気迫った形相で走り出した。「っ」追い立てられるように、ユユも軽くなった腕を大きく振って走る、走る。

 背後にいたアキはすぐにユユの隣に並び、厩舎をいくつか超えて温室が見えてきたあたりで、後ろを確認していたアキが息も切れ切れに声を発した。


「甘蔗、なあ、来てねえって、」


「え!?」


「来てねえ! もう止まろう。あいつら、あそこから先に来れないんだ」


 段階的にスピードを落として立ち止まったアキは、両手を膝につけ、息を整えている。半信半疑にユユが後ろを見やると──かろうじて視界内だから数十メートルといったところか──薄っすらと白いシルエットが浮かんでいた。しかしアキの言うように、微動だにして動くことはない。


 十数秒の間、くどいぐらいに凝視してそれを確認したあと、ユユもようやく足を止め、肩の力を抜いた。疲労困憊だ。土が付くのも構わず座り込み、足を伸ばして冷たい空気をめいいっぱいに吸い込む。

 星空が、綺麗だった。


「あ……もしかして、ユユたちが織代壊したから。結界、動ける範囲が小さくなった、のかな」


「あぁ、確かに。そうだな、かもしれない」


 アキがあいまいに頷く。追われる心配がなくなったのなら、その理由は正直なんだっていいのだ。ユユも同じ。

 互いの顔に、汗が結露のようにびっしりと貼り付いている。刀を杖がわりに使い、両手を乗せて上半身を傾けているアキが長く息を吐き、


「とりあえずこれで、確かめたかったことは分かった」


「はい。先輩を思いっきり蹴ろうとしてた、アレは偽物です」


 ユユは確信をもって首肯した。先ほどまで陥っていた思考のどん詰まりが解消され、頭の中は不思議と凪いでいる。

 無理を聞いてくれたアキに感謝だ。ただ、その代償は──、


「そういやさっき投げてたの、あれスタンガンだよな?」


「……です」


「……おっけー」


 感謝と謝罪が相殺されて、両者ともにどちらもなんとも口にしがたくなる現状だ。しかし結果だけ見れば、その均衡が片側に傾いてしまっていることも理解していた。

 夜明けまであと何時間だったか、と探した月は西の空の中ほどにまだ輝いていたが、反対側の空の端は薄い青に変わってきている。淀んだ空気を吹き飛ばすように、アキがからっとした口調で、


「武器なし。防御なし。敵はうようよいる。よし、すぱっと諦めるか」


「ですね、時間ないし、あともうちょっとだけ──」


 え、あの。とユユは唖然として、細切れに口を開いては閉ざす。

 見上げたアキの顔は穏やかで、何度も自分の耳を疑った。だけど、いざ「今諦めるって言いました?」と確認しようと思うと声が出せなかった。

 それくらい、彼が口にしたのはあり得ないことで。


 ──あり得ないと思ってしまうくらいには、そうあってほしいと信じていたんだなと、ユユはそこで初めて自覚した。



二週間に一度の更新ペースになりそうです。書き進めてはおりますので……

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