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裏街バケモノカルト  作者: 楢木野思案
四・胡蛾の夢
44/46

6 しょせん、阿吽には程遠い



 単独で北側へ向かう(けい)と分かれたあと、まずはまっすぐ南下していくことにした。

 先導はアキが、ユユもその後ろについて一本道を歩いていくらか経った頃、一番近場の建物に辿り着いた。


 ここか、と建物をくっと指さして首を傾げられたので、ユユは頷いた。トタン張りの平屋倉庫。地図に従えばここは飼料庫になる。

 『糸』対策に耳栓や耳当てをつけると互いの声が聞こえづらくなるのが難点であり、よって身振り手振りでやり取りすることにしたのだ。よっぽどのことがない限り。


 郷民の話によると、『織代』はここをぐるっと回って反対の出口の先に置かれているらしい。もちろんユユは面倒な遠回りより、大きく入口の開いた飼料庫を突っ切ることを選んだ。


 コンクリートの上で二人分のスニーカーが甲高く鳴る。屋根の隙間から差し込む月の光だけが視界を支えている。見上げると、宙を舞う粉が光に透けていた。飼料袋や、暗さで何かは分からない箱があちこちに高く積まれており、軽い迷路のようだ。

 開けた場所から室内に入ったことにより、斜め前を歩くアキの手が腰元に差した刀の柄から離れけかていた、そのときだった。


 ──ずざざ、と床に積もった粉を荒っぽく引きずる音が後ろからしたのは。


「──!」


 悲鳴が喉に詰まったのが不幸中の幸い。

 ユユは咄嗟にアキを見上げたが、物音に気づいた様子はない。耳栓のせいだ。

「っお、なんだよ、」瞬時にユユは両手でアキの腕を引っ張る。体重の差でびくともしなかった。──ああもう!


 片腕を取られて驚いた顔をするアキに、急いでユユはしーっと人指し指を口の前に立てた。その必死さに事態を把握したのか、または背後のそれがやっと耳栓越しに届いたのか。

 引きつる口元が、いるのか、と声を出さずに紡いだ。


 ユユがこくこくと首を縦に振る。指さした近くの物陰へと、身を屈め二人そろって静かに歩を進め出した。


 ──『夜警』は目が見えない。もし今入口にいるとしたら、この入り組んだ倉庫の中にいた自分たちにはまだ気づいていないはず。

 希望的観測でしかないが、夜警の位置を示す衣擦れが早まったりしていないことから、あながち間違いではないと思いたかった。


 辿り着いた、車体の下に広い空間のある──恐らくはトラクターの陰に座り込み、ユユは口元を押さえながら深く息を吸って浅く吐く。車を背にし、目の前には壁。よほど意図して覗き込まなければ見えない場所だ。

 ふと、横で大きな図体を折り曲げて俯いていたアキが顔を上げた気配がする。見ると、自分の手の甲を見せて何かを訴えてきた。


 分からないなりにユユがこわごわ手を出すと、彼はそこに指で文字を書き始めた。声が出せないなら筆談で、ということだ。


 ──なんで きゅうにきた?


 手の甲に書かれたその疑問に、ユユも同じ思いだと言いたくなる。

 いつからか、ずっ、ずっと床を擦る響きが砂混じりではなく、コンクリートをなめらかに滑るものにかわっていた。つまり、夜警が順当にこの飼料庫へ侵入してきているということ。

 気づかれてはいないとしても、どうして一直線に。考えて、ユユは目を見開く。


 ──おりしろ、まもってるかも


 同じく指文字で返すと、「ああ」の形にアキの口が開いた。

 既に一か所、あぜ道の端で織代を見つけた後である。とはいっても見つけたのは単なるダミー。今度のは本物かもしれない。


 どれが本物か、その判別方法をあの郷民からは聞き出せなかった。日常に隣接した場所に設置されているため大まかな場所は知っていても、一年前の織代の設置は『白瀬』と関係者(・・・)だけで行ったこともあり、それ以上は分からないと。


 よって今分かっていることは、それが丸い繭のような形をした手のひら大の石であること。それが本物であれば、どかしたときに分かるということだけだった。


 ──きれたりしないですか


 ユユはそう続けて書いてみた。ダメ元だ。

 即座にアキが大きくかぶりを振りかけて、髪が風を切る音を危惧したのか単にしかめっ面で全力の「無理」をアピールするだけにとどまった。さすがにユユも大人しく引き下がり、あとはただ夜警が過ぎ去るのを待つしかない。


 頼りは物音だけ。景いわく、体長は二メートル以上、木彫りの面に襤褸に近い布切れを纏った人形のような化け物。


 ──もし、その長い首を伸ばされて上から覗き込まれたら。


 限界までスペースを狭めるべく身を寄せたから、アキの肩が少し高い位置で上下しているのも分かる。それをそこまで強く感じないのは、ユユの心拍数も同じくらい跳ね上がっているから──「っ」


 息を呑む。前触れもなく、辺りが一気に暗闇に閉ざされる。

 何かおかしいとユユが屋根を見上げた方に、顔があった。まるで本物の人面のように、それは笑っていた。


 ──いる。いるいる、ひだり。


 意識を逸らすため、ほとんど無意識で間近にあった手にユユは指で文字を書き連ねて訴えた。分かってると言いたげに小さく首を縦に振るアキの頬に、汗が一筋垂れるのが見える。光源が戻ったのだ。

 見上げるほどの長身で天井を覆っていた夜警は移動し続けている。トラクターのすぐ横を、ずり、ずりと重たい衣擦れが通過していく。

 今更、抱えた膝に頭を潜り込ませたりできない。凍り付いた体で、ユユはただ見つからないことだけを願った。


 何分、経ったのか。握りしめていた手の痛覚がなくなった頃、ため息交じりに囁く声が聞こえた。


「……行ったな」


 軋む首を回し、ユユは立ち上がったアキを見上げる。口に出して確認されると、状況を認識する機能が徐々に息を吹き返してくる感覚があった。

 夜警の移動する音が絶えてから、確かに長い時間が経っていた。


「こっ……ユユが、その、気づいてよかったーって。ね、思いません?」


「怖かった」を引っ込めて、声の震えも隠して意地を張った。ユユの空元気に、アキは身を起こしながら無言。そのまま立ち上がり、さっさと出口に向かって歩き出した。

 薄情だと思ったが、ユユは遅れて悟る。


「あ、聞こえてない……」


 多分、ぼやけて聞こえる程度のユユの耳当てより防音性能が高いのだ。かえって緊張の解けたため息を吐くと、アキの背を追いかけにいった。

 外に出ると目の前は土手になっていて、暗くてよく見えないものの水のせせらぎが聞こえる。川が流れているらしく、外界から村を隔絶する物の一つだ。


「あった」


 土手の上、地面に根を張ったように縦向きで直立する石の前で立ち止まった。苔どころか土汚れもない、手の長さほどのつるりとした楕円体。置かれた底部の周辺の土には水面の波紋のような、枯山水に近い盛り上がりがある。

 ついさっき見たものと同じ、織代だった。


 一呼吸おいて、アキがそれを持ち上げた。しかし、


「なんも起きねえ……」


 数秒待っても変化はない。外れだ。何かが起きるかもという緊張感からの解放と、徒労に終わった疲れに二人揃って肩を落とす。

 くじ運は今のところ、絶不調だった。


「先輩。次、こっち」


 気を取り直してユユが地図の一点を指さし、OKサインを片手に首を傾げる。「あー、おっけ」と疲れの見えるアキが頷いた。


 一度最南端まで来たため、次の織代探しは北東に向かって引き返すことになる。付近で夜警と遭遇した以上、もはやどこに潜んでいるか分からない。できる限り、身を隠せる場所があるところを転々として移動しようとなった。


「──え、暑ぅ」

「蒸しあっつ!」


 何棟か連なっている温室の手前のビニールをめくって中に入ると、空気が一段重くなる。顔面に纏わりついた湿気と熱に、ただよう肥料の匂いが気勢を削ぐ。反射的に出た声はこもり、透明なドーム状の壁に吸い込まれていった。


 うえ、とユユは顔をしかめて足を踏み出す。葉を踏みしめるたび、乾いた足音がした。栽培されている作物には実や花といった特徴がなく、何なのかは分からない。ただ視界を埋め尽くすほど背が高く、ユユの身長を越えてアキに届くかといった具合だった。

 言い換えればそのくらい狭いということ。これならあの背の高い夜警は入ってこれないかもしれない。


 先ほどよりは軽い足取りになりつつ、温室の隅にまで辿り着き──、


「外れだぁー……」

「だーっもう、またかよ」


 ユユはがっくりと肩を落とし、アキが苛立たしげに頭に手を当てる。ようやく見つけた三つ目の織代も偽物だったからだ。


 足元がむき出しの土でなければ、ユユはとっくに座り込んでいたと思う。そのくらいの徒労感だった。外れに次ぐ外れだ、次こそ当たると勢いこんで向かえる余裕は早々生まれない。

 その証拠に、通路の端にいる人物はヤンキー座りで下を向いている。苛立ちか焦りか疲労のうちどれか知ったことではないが、手すさびに何か物音を立てるのをやめてほしかった。


 葉かビニールか、何かに絶えず触れているようなのだ。


「先輩、何カサカサしてるんですか」


「何も触ってねえけど……いやごめん。切り替えて行くか、次」


 上半身を曲げて耳横で伝えた甲斐があって、アキはすぐに顔を上げ、ばつの悪そうな表情で謝ってきた。落ち込んでいたのだろうか、腰を上げたときには切り替えていたのか、その素振りは見えなくなっていたが。

 ただ、ユユが引っかかったのは。


「……今、何も触ってないって?」


「ん? ああ」


 つま先立ちしても埋まらないその差は、アキが腰を屈めてやっと耳打ちできるようになる。通常時であれば多少もやっとするところだが、今はどうでもいい。

 思いだしたかのように、鼓動が加速していく。さっきの彼がただ俯いていただけで何もしていなかったのなら。

 ──カサ、カサとビニールの幕を揺らしているのは、誰。


 風だと思い込みたい一心で、ユユは外へと目を凝らす。何も見えませんように。誰もいませんように。視線を上に上に、だんだんとずらしていく。

 自分に囁いた直後のユユの尋常でない様子に気づいたのか、アキも振り返って同じところに視線を向けた。

 そして、


「あ」


 最初、それがどちらの喉から発せられたのか分からなかった。同時すぎたから。

 半透明の天蓋越しにぼんやり透けていたのは、にたりと笑う木の面。



 ◆



 夜警が外にいる。気づいた瞬間、頭を駆け巡った最悪の事態にユユは動けなくなる。

 頭部以外は暗闇に閉ざされて見えないが、たったビニール一枚越しの距離に身がすくむ。カチカチと無意識に鳴りだす歯が、耳当てをしているからか余計に反響して聞こえる。うるさい──、


「──っ」


 肩に手を置かれ、ユユは弾かれたようにアキを見る。焦りを押し殺した顔で、首を横に振られた。口が一音ずつはっきり伝わるよう大げさに、無音で動く。


 ──ばれてない。


 虚を突かれた表情のユユが、確かめたくないと嫌がる心をねじふせつつ改めて外を見やる。夜警はごく至近位置にいるものの、確かにその動きは止まっていた。


 落ちついて逃げれば、きっと。ユユは一瞬だけ目を瞑り、深呼吸する。頷き合った二人は、そっと忍び足で今いる地点から反対側、夜警から遠い方の出口に向かって進みだした。


 後ろに着いていたユユが今度は先導役。ふかふかした土が足音を吸い込んでくれることに感謝しつつ、一列でゆっくりと撤退を図っていく。

 時折、夜警が動く気配がした。温室の横すれすれにいるため、夜警の身に纏う布に当たったビニールの仕切りがぱたぱたとひらめくのだ。そこにいることが分かるたびに先を歩くユユはびくりとして立ち止まり、息を殺して耐え忍んだ。

 再び静かになるのを待って、また歩き出す。その繰り返し。


 ぱたぱた、かさり。──待つ。止まった。足を動かす。

 ぱた。──待つ。待つ。まだ。──止まった。

 もっと遠ざかって、先へ。


 着込んだ上着がこのビニールハウス内では仇になった。汗がじんわりと浮かんでくる。どうにか夜警との距離を離していき、ようやく出口が見えてくる。

 後はもう、外に出るだけ。──そのはず。


 どことなく、妙な感じがした。どうして今そんなことを考えたのか。自分でも分からなくて、けれどその言語化できない違和感にユユは足を止める。

 出口を前にして立ち止まったユユを訝しんでか、アキに軽く肩を叩かれる。ここまで順調にいっていて、なぜと不思議に思ったのだろう。


 それはそうだ。ユユも分からない。けれど、この直感の正体を暴かなくてはいけない気がした。

 考えて、気がつく。


「……足音の、間隔」


 止まると足音がしなくなる。それはつまり、夜警が止まるタイミングを見計らって、ユユたちが動いているのではなく。


 ──ユユたちが動いているときを狙って、夜警が動いているのだ。


「せんぱい」


 振り返ってアキの腕を引く。「ほんとに、バレてないですか」胸騒ぎを含んだ耳元の声に、その顔色が変わる。


「……泳がされてる?」


「かも」


 聞かれてはいけないと頑なに封印してきたひそひそ話にも、斜め後方にいる夜警は反応しない。その様子にかえって信ぴょう性が上がる。


「出てくるのを待ってるんだとしたら、」


「そこを狙われる前に、一か八かだな」


 目を合わせ、頷く。ビニールの垂れ幕を跳ねのけ、二人は外に飛び出した。汗ばんでいた肌が一気に冷やされる。刹那の解放感にユユは白い息を吐き、しかしその直後発せられた背後からの圧に口が横一文字に引きつった。

 来ている。案の定ではあるが、遅かった。図られたことが悔しくて、気づけなかった後悔が口をついで出る。


「気づかれてた、飼料庫のときからっ、ユユたちのこと探しに来てたんだ!」


「ああそりゃ、偽物しかないところも見回るわけだわ。ちくしょう耳良すぎだろアイツ!!」


 もはや声をひそめたやり取りにも、耳栓を気にしたジェスチャーの会話にも意味はない。走りながら互いに何もかもをぶちまける。

 夜警は織代を守っていたのではない。最初から侵入者に狙いを定めて、恐らくは一度見失ったあとも捜索し続けていたのだ。


 地面を捲りあげて追走してくる夜警の裾に、湿った土がまとわりついているのか。重いものを無理やり高速で引きずる音がする。後ろは見れない。


「来てる来てるきてる!!」


「わぁってるよ!!」ぴったりと後ろに着いて走っているアキが舌打ちをした。

 それは万が一対峙せざるをえなくなったときのため、そしてマップを暗記しているのがユユだから。闇雲に駆けだしたようでいて、向かう先は一つと定めたユユの足が迷いなく土を跳ね上げる。

 ──いや、追いつかれたくない一心ではあるけど!


 目を凝らすと見えてくる建物の影に、アキが後ろから声を上げる。


「あの建物か!?」


「ですっ、家畜小屋!」


「織代は!」


「この中のどこか! 候補の一個!」


「分かった、扉押さえてろ!」


 先に辿り着いたユユが扉の取っ手に飛びつく。共同体ならではの緩さか、鍵はかかっていなかった。

 外側に開く木のドアに手をかけると、錆びた蝶番がはずみで低く軋む。がたつきに背筋がひやりとしたが、踏ん張って開けるとなんとか人ひとりが入れるほどの空間ができた。そして、


「今!」

「えい──ッ」ユユに続いてその隙間にアキが滑り込んだ直後、ユユはほとんど体当たりのように扉を閉めた。

 扉を視界から外さないまま数歩あとずさり、はっ、はっと短く息を吐く。

 耳を澄ませどあの接近音はしない。どうやら全速力で飛び出したおかげか、距離は稼げたようだった。ただしそれでも、時間の問題ではある。

 見上げた天井は高く、温室のときのように夜警の侵入を拒むことは期待できない。


「うぇ。……こん中探すのか」


 呼吸を整えるユユよりは余力を残していたアキが鼻をつまんだ。その言葉をきっかけに、再稼働し始めた頭が状況を認識しだす。すえた臭い、夜半の侵入者を警戒する複数の鼻息。

 生物の気配だ。


「匂い……紛れられそうでラッキー、ですけど」


「ああ、急がねえと」


 ユユも落ちつかない気持ちを抱えつつ、建物の中心の通路へと一歩踏み出す。

左右には柵で区切られた区画があり、その中のいくつかには牛か豚か分からないが動物のいる気配がある。縦に長い空間を擁し、しかしその割に頭数は少ない。

 その中にまで目を配りながら織代を探し、駆け足で通路の中間ほどに差し掛かったときだった。


「なかなか見つかん──ッ、早えな!」


 アキが後ろを振り返る。──バキッと、扉を叩き割らんとする何者かがいた。夜警に追いつかれたのだとユユも悟る。


「先輩こっち!」

 一番近くの生き物が繋がれていない区画へと、アキの腕を掴んで引っぱる。さっきの失敗を踏まえ、両腕に全体重をかけたユユの勢いにアキが驚いた顔でたたらを踏む。勝ったと思ったのも束の間、反動にのけぞった体。やばい、と思う。


「あっぶねー……夜警と関係ないとこで心臓に悪いわ」


「……助かりです」


 咄嗟に取ったユユの二の腕を離してからアキが冷や汗を拭く。ほとんど倒れ込むようなかたちで二人、急遽の避難場所に逃げ込んだ。幸か不幸か、夜警に怯える動物の鳴き声がうまく話し声をかき消してくれている。

 しかし、扉に体当たりをしかけているような音はひどくなっていく。直後、ひときわ大きく蝶番ごと叩き壊され、唾を呑む。


 中央の道幅よりも身幅が大きかったのか。重い布が左右の鉄柵を打つ、鈍い衝突音とわずかな金属の響きが繰り返し反響する。かん、かん。

 生き物のざわめきの中で、金属音が近づいてくる。


 もうこうなっては身をすくませているだけではいられない。ユユは辺りをさっと見回して、


「……くぐれます?」


「ギリだが」


 四つん這いになれば通れそうな鉄柵を見て言ったユユに、「先行っとけ」とアキが顎をしゃくる。その台詞に甘えるわけではないが、ユユは膝をつくと先に奥へと進みだした。肩越しに後ろを覗くと、アキがその体格ではぎりぎりだろうにさして遅れず来ているのが見える。


 一度ユユたちを見失ったからか、背後の夜警の歩みは鈍重だ。湿った床で足を滑らせないよう注意しながらでも、この分であれば先に出口に着ける。


 落ち着いて、逃げればいいだけ。そう思いながらユユはまた振り向く。一回目よりも少しアキとの距離が離れていた。注視して見ると、なぜか止まって何かを振り払っていて、


「先輩、何して」


「ワラかなんか……くっついてくんだよ、ふわふわしてるのが」


 うざったそうに言うアキが頭を振り、何かを払おうと腐心している。「ふわふわって……あ」不審そうに眉をひそめたユユの顔を、くすぐる感覚。

 暗くて分からないが、何かが付着している。かさりと肩の上で動くものもあった。頬に触ってみると、それ()はふわりと微かな風圧に揺れ、掴もうとしたユユの指をすり抜ける。いくつもいくつも、空中から舞い降りてユユの頭を覆おうとしてくる。

 想像しうるその正体にぞわりとこみ上げてくるのは、未知への恐怖ではなく見知った脅威。


 ──蜘蛛だ。じゃない。糸だ!


「斬って、周り全部、糸!」


 時間差で到達した事実に、ユユは声を上げる。──人を操れるのなら、動物だって手下にできるはず。だから夜警は飼料庫の時点でユユたちを発見できた。

 叫び声に重るのは、それに先んじて居場所を察知した激しい衣擦れ。気づくのが遅かった。

 ユユの焦燥を、振り抜かれた白銀が鋭く切り裂く。


「粘っこいな、蜘蛛かよ!」


 藁を巻き上げる勢いとともに、何度か斬り払って周囲にまかれた糸を一掃。ひとまず拘束の危機は遠ざかったが、もはや夜警の接近は必至だった。十数メートルはあった距離がみるみるうちに縮まっていく。

 対峙は避けられない。アキが刀を正眼に構え直し、


「先行っとけ。俺ケイさんに怒られんの嫌だから!」


「わっかりました頑張ってください!」


「少しは迷えよ!!」


 脱兎のごとく駆けだしたユユの背中に非難の声がかかる。

 ──ごめんなさい先輩。お墓参りには一応いきます。そんな気持ちで出口までの一直線を走り抜ける。


 蜘蛛に乗られていた肩が今更むずがゆくなった。怖いのはもちろん無理だが、虫も普通に嫌だ。すぐにアキと意思疎通が取れてよかった、筆談なんかしていたら間に合わなかった。

 そう、夜警に警戒したユユの声量はきっと、聞こるかどうか危ういラインだったから。


「なのに、ちゃんと聞こえた?」


 何不自由なく。過不足なく。

 ──先輩、最後まで耳栓してたっけ?


 出口はもうあと少しのところまできていて、ユユは。


「あーもう、なんで振り返っちゃうかなあ……!」


 そっちを選んだ。窓からの月明りが照らすのは夜警の顔、それが立ち止まって何かを覗き込んでいること。その下、アキがいるであろう場所は影になって見えない。

 動物の啼く声以外、剣戟すら聞こえない。

 唇を噛みしめ、ユユは出口に背を向けて、


「──先輩がっ、逃げる時間稼いでくれないから! ユユがやんなきゃじゃないですか!!」


 泣き言まじりの恨み節を叩きつけ、全力でUターンを切った。取り込む相手を定めた夜警の動きはのろい。まさにあとは待つだけといったところ。余裕綽々で腹が立つし、怖い。しかし都合はよかった。怖いのも、ねじ伏せる。

 夜警のにやけ顔に見下ろされ、刀を構えたまま固まっているアキのもとに戻る。やっぱりあのとき取られていたのだ。

 ユユは耳に手を伸ばし、君月(きみつき)がしていたように何かを掴もうとする。──あった。二本の細い、糸が。


「まだ、寝ないで──っ!」


「……ってえッ! は、後輩お前、何戻ってきてんだ」


 正気に戻ったアキが目を見開いてユユを見ている。「誰のせいだと思ってるんですか」は一旦飲み込んで「上!」と切羽詰まって指さす。本当に真上だ。今までの距離がどうとかいうレベルではない。

 そのうえ、獲物を取り逃した夜警の放つ圧が心なしか増している。放心しかけていたアキだったが、ハッとしたように再び刀を両手で握りしめてユユの前に立つと、


「すまん、助かった。多分あの蜘蛛にやられた」


「分かってますユユが引っこ抜いたので! 手いったいし」


「じゃ、このあとは!」


「考えてるわけない! ユユが耳塞いでます、いいからやっちゃってください──」


「よ」は声にならなかった。夜警が布に包まれた腕を広げ、無造作に振るったから。そして、それをアキが頭上に回した刀で受け止めたから。

 金属に固いものがかち合う、がつんという低い衝撃。アキの両耳をホールドしているユユの手を、一拍遅れて風圧が撫ぜる。ひゅっと喉が鳴った。


 一手防いだと思った矢先、また次の攻撃が来る。夜警は長い両腕を回そうとしてくる。体内に糸をもぐりこませるためだろう、この布に包まれたら終わりだ。

 ユユという荷物を抱え、防戦一方のアキが声を張り上げ、


「絶対手ぇ離すんじゃねえぞ、頼んだからな!」


「じゃあしゃがんでください! 高くて足攣る!」


「なんか言ってんだろうけど聞こえねえ──ッ」


 ユユは文字通りついていくので精一杯、コミュニケーションはぐだぐだもいいところ。言い合いだけ一丁前だ。

 頭のすぐ上を白刃が通過し、限界を迎えたユユの弱音がこぼれる。


「こんなの化け物より怖いしっ、当てたらユユ泣きますから!」


「だから聞こえないって、」


「ばーか!」

「おい!」


「聞こえてるじゃないですかぁ!」


 いらない台詞だけを聞き逃さなかったアキだが、その間も夜警の腕を弾き続けている。

 完全にその抱擁が閉じられそうになれば、布越しに片腕を下から絡めとって突き上げ、夜警がバランスを崩した隙間をくぐり抜ける。そうやってギリギリで躱し続け、しかし決定打がないまま。真後ろにいるため、アキの呼吸が激しくなってきていることがユユにも伝わる。


 さらには伸ばし続けた腕の痛みが洒落にならなくなってきたとき、疲労のピークを越えたユユの頭が一つのアイデアを弾き出した。

 正しいかは分からないが、迷ってはいられない。ほとんど考えないまま、ユユは自分の耳当てを外すと、「貸しますっ」とアキの頭にかぶせた。


「はっ!? おい、今外したらやべえって」


 ちょうど鍔迫り合いの最中、一瞬だけ交わった驚愕の視線を無視し、ユユは飛びつきにいく。夜警の衣服の裾の方、斬撃で裂けた大きな切れ目に向かって。


 ──掴んだ。

 両手で握りしめた、たっぷり泥水を吸いこんだぼろ布を無我夢中で引っ張る。びちゃりと指に纏わりつく割に手の中で滑るそれを、逃がさないよう腕に巻きつけて、夜警の反対方向に全体重をかけて手繰り寄せる。

 願うのはただ一つ、

「──剥がれ、てッ」


 他の人のように信じる神様がいなくて、自分の実力を信じることもできそうにないから、ユユがこういうときに考えるのは大小さまざま、過去の不運な出来事について。


 ──今、このときに上手くいったら全部前借りだったって思ってあげるから。何とかなってよ!


 びりびりと布が引きちぎれはじめたときには、快哉を叫びそうになった。

 気を抜かないで、握り直した布ごとユユは夜警の周りをぐるりと走り抜ける。裂いた部分を片端からたくし上げる。何度も何周も。

 狙われるかもと思うと足がすくむから、ユユが一心に見つめるのは、身に纏った布を引き剝がされていく夜警の地肌。


 黒々としたそれには、浮かび上がる木目があった。


「──そうか、やっぱ木でできてるのか」


 走り続けるユユの背後でアキの声がした。自身を狙った攻撃を止めたのだと、振り向く余裕のないユユが知ることはない。

 ただただ、意図が伝わった喜びに唇をほころばせ、


「弱点見えましたっ、叩き斬っちゃって!」


「この人形野郎、生きてねえなら最初っからそう言え! ビビったじゃねえか!」


 あらわとなった存外に細い手足の、むき出しになった弱点──球体関節に狙いすました一撃が叩きこまれた。

 幾度となく鋼と切り結んだ頑丈な腕は、結合部であっても一回で切り離されることはなく、しかしぼきりと骨の折れたような深い響きを立てる。


 夜警の片腕がぶらりと投げ出される。

 能面がたたえた薄ら笑いは、四肢を割られ、自身の下肢を踏み台にして飛び乗ったアキによって刃を首にねじ込まれてもなお、枯れることはなかった。


 糸の切れた操り人形同然に沈黙した夜警の前で、地面に降り立ったアキが断続的に荒い息を吐く。ユユは剥ぎ取った布を両腕いっぱいに抱えたまま、その場から身動きが取れないでいた。


 静かだった。

 圧はもう感じない。しかし、また動き出す気がしてならない。そんな警戒の中、アキがぽつりと、


「終わった、か……?」


「あ、フラグ。もうやですユユ、二度とこんなことしたくない」


「元気じゃん。うるせえ」


 呆れたようにアキが言う。頭を抱えるユユの発言が杞憂だったと言えるようになったのは、それから少ししたあとだった。



「し。探しにいくか。織代」


「うえ、二体目いるかもなのにい……」


「言うな言うな、考えないようにしてんだよ」


 刀を鞘に納め、アキが宣言した。距離を開けてエアで額を小突かれ、ユユはさらにぶーたれながらも着いていく。耳当ては返してもらったあとだ。

 一棟目を出て、少し歩いたところの二棟目の横に、それは置かれていた。


 これで四つ目、交互に取っていたから次はアキの番。織代の前でしゃがむと、アキがこれまでと変わらない楕円体の石を一息にどかす。

 ぐちゃりと、周辺の土がほどけるように崩れた。


「落ちっ──」

「アキ先輩!」


 忽然と失われた地面にアキの手が空を切る。少し離れていたユユが咄嗟に伸ばした手は重なることなく、張りつめた指と驚愕の顔が下へ遠ざかっていく。やだ、と頭が真っ白になる。

 予感した墜落の衝撃は、しかし思いのほかすぐに耳に届いた。続いて「いってぇ!」という叫び声。

 硬直が解けたユユは慌てて、二メートルほど空いた穴の縁に駆け寄る。身を乗り出して覗いた穴は底が見えるほど浅く、眼下には背中を押さえてうずくまるアキがいた。


「大丈夫です!? 立てます、っていうか腰! おじいちゃんになっちゃう!」


「何の心配だよ……いてえけど、折れてはないし、なんとかなる。っしょい、」


 食いしばった歯の隙間からゆっくりと息を吐きつつ、アキは自力で起き上がると、自分の手をまじまじと眺め、


「何だ? 手がべとべとしてんな」


「虫とか潰しちゃったんじゃ。うわ、よかった手とか伸ばさなくて」


「ひっでえ」


 大げさぶったユユの軽口をアキが鼻で笑う。謎の付着物に首を傾げつつ手をズボンで拭くアキの顔に直接当たらないようにして、ユユのつけたスマートフォンのライトが穴の中を照らす。

 照らし出されたのは土の表面ではなく、ある部分はぬめりを帯びて光を照り返し、ある部分はひどく見覚えのある凹凸を有した──、


「ぅ、え……っ、く」


 震える手で取り落としたスマートフォンに続くように、ユユはその場に膝をついた。

 こみ上げてくる吐き気。それが何なのか、認識してしまった脳が受容を拒否している。口元を覆い、小さくえずく以外に言葉を発さなくなったユユに、穴から脱出したアキが近寄って声をかけてくる。それにも、首を横に振るだけでユユは何も返せない。

 埒が明かないと悟った彼が自分のスマートフォンで再度穴を照らし、絶句したのが分かった。


 埋められていたのは、原形をわずかに留めながら、溶けてぐずぐずになった人間の死体だった。


「……マジか。触っちまった」


「っ、先輩も、これが本物だって思いますか」


「ああ、多分な。……ここまで崩れてるのは初だが、仏は見たことがある。似てるよ」


 苦々しく証言するアキに、一縷の希望を絶たれたユユが嘆息する。否、たとえ言われなくてもこれが本物だと分かっていた。

 ユユが吐きそうになった理由は、目にした遺体のグロテスクさだけではない。視界の端に映り込んだあの日のフラッシュバックを、ユユは途切れ途切れに口にする。


「幽霊ゾンビ。ユユ襲われそうになって、それ思いだしちゃって。……ごめんなさい、全然まとまってなくて」


「無理してまで見なくていいよ。俺が──つっても、」


 どう破壊すりゃいいんだ、とアキが見当もつかない顔。

 破壊。──そっか、 これが本物の織代なのだと今更腑に落ちた。


「胸糞悪い、……ん?」


 穴の縁で屈みこみ、下を覗き込んでいたアキが「変だな、手の周りだけ土がない」と疑問を口にした。手。その部分はまだ、そうと分かるくらい形が残っていたのだろうか。


 遺体を埋めて、その上から土をかぶせたのであればきっと難なく積もっていく。

 それが、一部分だけ空いているというのは。


「……ギリギリまで、生きてたのかな」


「生き、──あぁ。もがいた跡ってことか」


 どちらもそれきり閉口し、それ以上は沈鬱な空気が流れるのみ。


 ようやくユユが口を押えていた手を外して深呼吸した頃、携帯をしまったアキがおもむろに地面に手を伸ばした。拾い上げたのは織代──否、墓石。

 それはつまみあげられた途端に風化し、指の隙間から砂となってこぼれ落ちていった。



 ◆



 織代がアキの手の中で壊れた瞬間、地響きがした。それは誰かがまた穴に落ちるほどの震動ではなく、むしろ空気が直接震撼したような感覚。

 神域にほころびが生じたのだ。薄目で穴を見ると、見事に埋まっていて穴の底は二度とは見れなくなっていた。今度こそ、正しく埋葬されたといいと思う。

 時間も体力も費やしたが、まずは一歩目と遅れてやってきた実感。突然の揺れからのさらなる襲撃に備えてアキが得物にかけていた手を離し、


「よし。これで俺らの担当は残すとこあと一か所だが」


「それなんですけど、まず景さんに連絡しときません? 終わったのでそっち行きますって」


「わんちゃん今の揺れで分かってるかもしれねえけど。ま、しといていいよな」


 スマートフォンを出し、アキがメッセージを打っている。夜警の撃破直後に一瞬だけユユの中にあった高揚感は、織代を目にしたことで跡形もなく消えた。残った緩くたわんだ緊張感に促され、ユユはアキにかわって周りへの警戒に目を凝らす。


 てんてんと立ち並ぶ家畜舎。少し遠くにビニールハウス。木は伐採されていて見通しがいい。

 闇夜に浮かび上がる、白い髪。


「──ぇ」


「どうした」


「いた、んですけど」


「いたぁ? 誰が」


 一点を見つめて茫然とするユユを不思議がり、アキが背後の同じ方向に目をやる。

 視力はいいと彼は以前言っていた。だから、早くこれが見間違いかどうか確定させてほしくて、視線を固定したままユユはアキの袖を引っ張って急かす。無駄な期待をする前に。期待したんだと、ユユが自分で認めてしまう前に、


「あの、まさか。──トウテツじゃない、ですよね」


「……まさか、かもしれねえ。いやありえないだろ、なんで取っ捕まったはずの本郷(ほんごう)が外に──っじゃねえ!」


 ユユの予想を確信に変えながらぶつぶつ呟いていたアキが、ふいに血相を変えて振り向いた。「ちょっ」何かに気づいたのか聞くより先にユユは腕を取られ、建物の陰に容易く引きずり込まれる。

 ついさっきとは立場の逆転したリフレインに、「何するんですか!」と叫び返すほどユユは頭が回らない子ではない。壁に張り付いて息を殺している彼は、間違いなく何かを見たのだ。

 アキが再び声をひそめ、


「本郷の横に夜警がいた。並んで歩いてる」


「やっぱいたじゃないですか二体目……え、横に?」


 耳を疑う発言が飛んだ。

 鼎が、あの無駄に知性があってユユたちを追い詰めてきた──誰であろうと無差別に襲う化け物と一緒にいる。アキは、そう言っているのだ。


「……あはは、ほんとは戦って食べ合ってるんじゃないです? 並んでるのは見間違いで、」


「冷静そのもん仲良しこよしだよ。見るか? バレるから頭はあんまし出すなよ」


「っ」


 無理やりな作り笑いが引っ込んで、ユユは言われるがままこわごわ顔を覗かせる。


 確かに、いた。遠くの方でも目立つ白髪を揺らす背の低い少女と、その遥か上に首を伸ばした異形が、揃ってこちらに気づかずに遠ざかっていくのが見えた。


 ──そうだ。診療所でも、ユユは言ったじゃないか。「トウテツが何か企んでるんです」と自分で。

 なのにどうして、目が離せない。どうしてユユは、性懲りもなく目を凝らし続けている。


「……なんであんな近距離で襲われてない。ヒトじゃねえからか?」


「……ううん。アイツはいっつも、君月さんからの無茶ぶりに『ガワは人間だ』って言っていました。だから──、」


「だったらおかしいだろ」


 いつまでたっても覗き見をやめようとしないユユに業を煮やしてか、アキがユユの腕を引き、強引に身を隠れさせる。

 最初こそ彼が何を疑問視しているのか掴めなかったが、疑念と恐れの入り混じった表情に、徐々にその言わんとしていることがユユにも飲み込めてきて、


「なあ。今のアイツって本当に本郷か?」



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