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裏街バケモノカルト  作者: 楢木野思案
四・胡蛾の夢
43/46

5 出遅れ作戦会議



「お二人とも。薬──錠剤、粉、液体、植物片、何でも構いません。一通り集めて持ってきていただけますか?」


 気絶から目覚めそうな郷民を前に(けい)は何事か考えつつ、ユユとアキに向かって言った。「既に分類されているものは極力混ぜないように。一つずつ確認するのは骨が折れますから」と付け足される。

 外を見張っていたアキが窓際から離れ、腕まくりしてユユを振り返った。


「うしっ、探すか後輩」


「言い忘れました。アキ、少し静かに」


「っべ、さーせん」


 叱られて肩をすくめるアキに合わせてユユは小さく笑い、そして自分を鼓舞するためにふんっと気合を入れた。声は出さないことで同じ轍を回避。


 たまたまこの時期だけ立ち入りが禁じられているのだから、さすがに整理整頓はされている。観音開きの薬棚はガラス張りで、見ただけで中身がだいたい分かる。パッと見て錠剤などが詰め込まれている方をアキが探しにいったため、ユユは比較的収納にゆとりがある方の扉を両手で開いた。


 茶色や青のガラス瓶に陶器の乳鉢、銀のトレーに乗った医療器具。数も種類も多いものの、用途が分かるのはピンセットくらい。

 流し見したところ、見える範囲に錠剤や粉がぽんと置かれていることはなかった。──というかまず、薬ってどうやってしまっておくものだろう? と現代医療育ちのユユはそこで止まる。多分、こういうところに分かりやすいキャッチコピー付きのパッケージはない。


 ならば何を目印に探せばいいのか。悩みながら、ひとまず見覚えのあるような小瓶を手に取った。これが正解かは分からないが、


「景さん、アロマオイルって薬に入ります?」


「オイル? どこにあったものですか?」


「ここ、ピンセットにハサミとかの道具と、空っぽの瓶ばっかり置いてたとこの奥にありました。けど他に薬っぽいのがなくて」


「少し借りますね」


 隣にやってきた景が開け放たれた棚を眺めたあと、ユユから薬瓶を受け取る。

 そしてユユには読めなかった、細長い瓶に貼られている英語の説明書きに目を通し、その眉間にしわを寄せた。


「……なんて書いてたんです? それ」


「いえ──ちょうどいいもの、でしょうか。甘蔗(あまつら)さん、ありがとうございます」


 かと思いきや、ユユの問いに答えたときにはむしろ顔が綻んでいる。不思議な移り変わりにユユが目をぱちくりさせていると、「ケイさんこっち」とアキが呼んだ。

 彼の物色していた棚は綺麗に整理されていたようで、確かにひっくり返すよりそのまま見せた方がよさそうだと思われる。


 そうして三人で一通りざっくりと調べ終え、さらに景の言う物をいくつか用意したところで、アキが景に耳打ちした。視線は床ではなく、今しがた椅子に座らせた郷民の方へ油断なく向けられている。


「これでどうするんすか?」


「残念ながら、信奉者に対して拷問は効き目が薄いんです。こちらに従わせることも難しければ、説得も同様に。なので、話す目的自体をすり替えてあげましょう。俺たちではなく、相手にとって意義があると思わせるために」


「つまり同じことをすればいいんですよ」と景はこともなげに言った。

 拷問と口にするとき、ユユの手元のスタンガンと奥にあった水道をちらりと見ていた気がしなくもない。もし効き目があればどうしていたのだろう。

 それはさておくとして、ユユも声をひそめ、


「ユユたち、何かやった方がよかったり?」


「複数対一の構図は不要な圧を与えますし、避けましょうか。二人ともあの衝立の反対側にいてもらっても?」


「うっす。黙っときます」

「はーいっ」


 蛇腹状のパーテーションの奥に行った二人を見送る、その景の正面でうめき声がした。医療用のバンドで背もたれにくくりつけられていることも理解できず、起きたばかりで視線が胡乱にさまよっている。


「……診療所? 今は、開いてないはずじゃ、」


「おはようございます。少しお話ししませんか」


 郷民が顔色を悪くして硬直したあと、顎を引く。優しく声をかけた景だが、彼からすればナイフの柄で殴りつけた当人だ。その表情が、状況を正しく理解したというサインだった。



 ◆



 赤みの残る顎に触れようとして、身をよじるだけで使い物にならない腕に焦りと警戒の度合いが上がるのが見える。そこに、「痛みますか?」という問いかけがあり、


「……まあ、はい」


「先ほどは手荒な真似をしてすみません。申し訳ありませんが、また指笛を吹かれてしまっては困りますので。飲み物はいりますか? もし、水でよければ」


「いや結構です」郷民の男性は頑なに勧めを固辞した。


 なぜ自分を気絶させておきながらここまで連れてきたのか。

 なぜ拘束はありつつも丁重な扱いをするのか。


 そういった疑問が態度に透けて見える。真っ先に大声を上げなかったのは、アキが裏に控えていることを知らない彼にとっては賢明な判断であり、景にとっては幸運の先触れだった。

 疑問を持つことができる人物こそ、この場での話し相手には最適だからだ。それに、崩し方ならいくらでもある。


「ではこれは、お吸いになりますか?」


「──それは」


 景は日頃から持ち歩いている電子タバコを取り出して見せた。もっとも、景自身に中身の持ち合わせはないのだが。あいにく肺に欠損があると喫煙者にはなれない。

 ではなぜ携帯しているのかといえば、こういうときのためだ。


 信者が食い入るように見つめる理由はまさにその中身。──ユユはアロマオイルだと思っていたようだし、景も詳しくは告げなかったが、それは麻薬だった。恐らくはあの集会所で使用されていたものでもある。

 あの場で洗脳の一助となっていたのは(こう)であったし、これは診療所にあったのだから、より惹かれてしまった者への特別措置か。表情の変化は著しかったが、生唾を飲み込むばかりで信者は口を閉ざし続けている。


 だから景は、手にしたそれを握りこむと口を近づけ、吸い込んでみせた。


「あっ」


 信者が声を漏らした。景は決して深く吸い込まず、肺に蓄えたと見せかけてゆっくり蒸気を吐き出していく。白い煙がくゆる方向へと視線が追いすがる。

 堪能するそぶりでたっぷり時間をかけて独特な臭みのある煙を吐ききったあと、改めて景はタバコを差し出した。


「どうぞ」


「……どうも」


 二度目の反発はなかった。景の手元に満足そうな吐息混じりの煙がかかる。

 こわばっていた表情が薄っすら和らいでいくのを、景は目を細めて観察した。


椿原(つばはら)と言います。普段は商社で事務をしているんですが、貴方はここで何を……いえ、どんな理想の実現に取り組まれているんですか?」


「──」


「これ以上の手荒な真似はしたくありません。それとも、部外者はその程度の希望も叶えてはもらえないのでしょうか」


 電子タバコを懐にしまいながら、『理想郷』だと伺っていたのに、と景は悲しげに首を斜め下に向ける。そのまま数秒間の沈黙が続くと、それに耐えかねた相手が口を開いた。


横井(よこい)……です。漫画を描いてみたくて、脱サラしてきました」


「ああ、貴方が」


「はい?」


「いえ、こっちの話でした」


 依頼にあった不自然な求人募集の一つが判明し、膝を打つ景を横井が不審そうに見る。話が逸れるのは本意ではないので、景は咳払いで軌道の修正にかかる。


 背筋は伸ばしつつ、軽い前傾に。胸を開き、両手はゆるく重ね、少しだけ頭を傾ける。決して声は上ずらせてはいけない。


「俺たちは今、非常に困惑しています」


「──」


「突然仲間が連れ去られたからです。交渉のテーブルに着きたかっただけだというのに何者かに襲われ、訳も分からず混乱しています。──ただ『理想郷』に興味を持って訪れただけの俺たちが、なぜこうも排斥されなければならないのか、と」


 わざとらしくない程度に被害者を装う素振りに、反応があった。相手からすれば突然人質だと言われ、気絶させられたのだから警戒するのも無理はない。

 だからこそ、立場は同じだという訴えが有効になる。


「まさか、警戒しただけ?」


「そのまさかですよ。誰だって見慣れない風体の『警備員』に身に覚えのない警報を鳴らされれば恐れ、逃げたくもなります。知らないんですから」


「『夜警』。警備員じゃない。『夜警』です、あれは」


 景の些細なあえての言い間違いに食いつく信者。

 指笛を使った彼が、一見して化け物を使役したようにも思えたが──やはり共生とはいかないのだろう。その口ぶりには畏怖が垣間見えた。

あれ(・・)ですか」と景は素知らぬ顔でつついたうえで、


「そういえばここに来るまでの間、俺たちを追う者はおろか外に出ている人も見かけなかったんでした。もしかして、夜間は外出を控えられているんでしょうか。──野犬が出たら困りますしね」


「『白瀬』様の守るこの地に害獣は立ち入れません。……分かってて言ってますか? 確かに、皆が外に出ないのは『夜警』が理由ですが」


「村を守るためなら手段と相手を選ばない、そういう生態なんですね。でしたら、貴方もあまり呼びたくはなかったことでしょう。重ねて、失礼しました」


「あー……いや。はい」


 うやうやしく下げた頭の上で、困惑した声がする。そこに生じたのは、何か後ろめたいことがあるか、もしくは何かを訂正するか迷ってやめにしたときの濁りだ。


 ──すなわち、『夜警』の呼び出しは郷民にとっての常套手段ではない。

 この郷民はまだ疑問を抱ける。口ぶりや表情からしても一般人の範疇を超えておらず、狂信者には程遠い。そんな人物がああいった窮策を取ったからには、何か理由があるのだ。


「そうだ。指笛を吹かないと約束していただけるのなら、その拘束は外しますよ」


 途切れた話題をそのまま脇に置き、思いだしたように景は提案した。気まずくなるほどの沈黙が与えられたあとであれば、警戒も解けかけていた信者は深く考えることなく頷く。

 景が背中側に回って手首のマジックテープを剥がし、また正面の椅子へと戻る。自由になった腕を軽く回している姿を眺め、景は「ところで」と声の調子を変えて注意を引くと、


「ペンを取っていただけますか? その後ろの引き出しにあるはずなんですが」


「ペンですか? まあ……はい、ありましたけど」


 どうも、と頼みごとを聞き入れてくれた相手に笑いかける。


 今、最も聞き出すべきは、「(かなえ)が新しい『白瀬』に選ばれた」という発言の真意。それに加えて、自分たちだけが外に出ていいと言われたこと。

 そして、目の前の彼が畏怖の対象である『夜警』をけしかけた理由。


 直接問いたださず、求める答えを自発的に告げさせるために。

 そのために重ねたフックの、細かい一つひとつが効果を発揮し始めた感覚を、景は重ねた手の下で慎重に握る。


「お話ししませんか、と尋ねたでしょう。『理想郷』での暮らしについては先ほどの集いで。しかし、『白瀬』様についてはあまり話されていませんでしたよね。もう少し聞きたかったんですが。……ほら、こんな風に、何か俺たちの知らない事実がこちらを取り巻いている気がしてならないんです」


 狂信者との交渉をうまく運ぶには、いかに相手の領域へ潜りこむか。否定はご法度。過度な賞賛も知識不足が少しでもあれば逆効果となる。


 ならば自らが擦り寄るのではなく、相手に寄り添えると思わせればいい。


「……それは、不安ですね」


「分かっていただけますか? よかった、何か誤解があるんじゃないかと心配で」

 

 知らず知らずのうちに背信へ足を踏み入れた男性は、それを予感してか大きく息を吸い込み、そして振り切った。


「あなた方は、『白瀬』様と賭けをされてるんですよね?」


「──。いいえ。初耳だ」


 完璧にくくりつけた表面上の余裕が崩れ去るのをすんでのところで防ぎ、景は驚きの表出としてその目を丸くするだけに留めた。

 ついでに衝立の向こうから動揺する気配がした。二人が身じろぎしたか、息を呑んだか。その程度の微弱な空気の揺れに、しかし衝立を背にしていた郷民は気づかなかったようで、景は人知れず息を吐く。


 ──賭け。ここの『神』が賭け好きだと民宿で漏らしたのは鼎本人だった。

 さらに郷民の言う、景たちの身柄の開放が『白瀬』同士の話し合いで決定されたということが事実であれば。


「この状況を作り出したのは、現『白瀬』様と次代『白瀬』様。そういうことですか」


「新たな『白瀬』様の出現に立ち会った郷民からは、そう言われましたよ」


 集いに参加させられていた時、一度だけふすまが開き、外から入ってきた女性と郷民同士で何ごとか話していたと景は思いだす。あのときに情報共有が行われていたのだ。


『神』とあらばすぐに嫌悪と敵意、それと少しの好奇心を向ける君月(きみつき)と違い、景にはあの少女の皮を被った化け物へ向ける特異な感情はない。

 ただ、彼女が旧知の間柄だという『白瀬』の画策に加わり、こうなるよう仕向けたのであれば──最低限、その弁明がほしいところである。


 肩に入りかけた力をゆっくりと息を吐くことで減らし、景はかわりに間隔を開けずして指を一本立てた。


「であれば、逆にこちらが何も知らないことへの証明になりませんか?」


 その一見して変わらず落ち着いた態度に、納得したように男性の首が上下し、


「──夜が明けて襲名の儀式が始まるまでに、あなた方を全員『白瀬』様の内に取り込む。それが今代の『白瀬』様の代替わりのために必要だそうです。そのために『夜警』の動員も許可されて……本当に知らなかったんです?」


「ええ。しかし、それが対象であるこちらに知らされていなかったのは不自然だ。何か手違いがあったのかもしれませんね。要するに儀式の一環なんでしょう? まさかそんな、大事な継承に関して伝達不足があっただなんてわけが」


 考え込む動作でペンを構えて口元に寄せる。景自身に責めようという素振りはない。しかし、「儀式」と強調された信者の顔色は優れなかった。


 これもまた、自身の上に何かを据え、その信仰に縋って生きる者の特徴だ。自分の行動が、独断が全体の不利益につながることを恐れる。聞こえはいいかもしれないが、往々にしてそこにあるのは他者を憂う利他心ではない。

 ──もしも『神』に見捨てられたら。そう思うだけで、たまらない気持ちになるのだ。


「あ、あの。何か、聞きたいことはありますか」


「そうですね。では、この賭け──儀式を成立させるために必要な情報を」


 自身の信仰を自ら妨げてしまった気配に怯える信奉者に、景は分かりやすい道を提示した。



 ◆



 張りつめた緊張感に始まった尋問は時間が経つにつれて空気が変化し、すっかり様変わりしていた。


「そうなんです。あの人前職でパワハラして飛ばされたみたいで! 理想を求めてここに逃げてきたあとも『集い』でいつも仕切りたがってるんですよ。いつも話が長くって!」


「いますよねえ、分かります。そういうのは思わず聞き惚れるくらいに話自体が上手くないと。俺も一部の人を除き、大抵は意識を飛ばしてますよ」


「その成りであんたもか! 分かるなあ」


 ──めっちゃ打ち解けてますね。

 ──ダチかって雰囲気だよな。まず嘘だが。


 多分こんな感じのことを言っていそうなアキと目線で頷き合う。景の話術は情報を引き出すというより、手玉に取るというかのごとしだ。

 ──相談所のおやつ、この前一人だったときに多めに食べたの、絶対バレないようにしようとユユは心に決めた。


 手持ち無沙汰が限界を迎え、少し固まってきた気配のする腕をゆっくり慎重に伸ばしていく。

 ずっと身動き一つしないようパーテーション裏に潜んでいたから、このへんで肩をほぐさないとバリバリになってしまいそうだった。


 十数分ぶりに解き放たれた肘が、パキッと小気味いい音を立てるまでは。


「あ」


「あれ、今のは──」

「ではご協力ありがとうございました。アキ」


「ほんとすんません。またちょっと寝ててください」


 早口で飛ばされた号令にアキが応える。隠れていた場所から飛び出すやいなや、物音に反応して首を回しかけた横井の頭上から、鞘にしまった刀をしたたかに打ち付けたのだ。

「いたっ!」瞬間に響きわたった、あまりにも痛そうな音にユユがかわって首をすくめる。


「──」

 渋々といった顔で意識を奪った当人はおろか、つい先ほどまで談笑していた景にも支えられることなく、二回目の脳震盪に襲われた彼は椅子から転げ落ち、無言で床に沈んだ。


 一部始終をパーテーションの隙間から見届けたユユは、非常に気まずい罪悪感を覚えた。


「こほん。まあ、ちょうどこれ以上は絞れなさそうな、ほぼキリのいいといっても差し支えないぐらいの頃合いでしたし」


「頭殴んのってリスクあるからあんましやりたくないんだよなあ……」


「あの、次からユユ腕伸ばしたりしません。誓います。ほんとに」


 景のフォローをよそにアキが物騒なことをぼやく。床に突っ伏している彼にごめんなさいと一回手を合わせておいて、ユユは切り替えに努めた。起きてしまったことはもうしょうがない。よし。

 景に頼まれたアキが横井の手と口を塞いだうえで診察ベッドの上まで運んだあと、気を取り直したところで景が集合をかけた。


「では、改めて得られた情報を整理しましょうか」


「っつったって、これ言いがかりのレベルっすよ」


 賭けなどと、この最悪な現状を横井が称した一言は「何それ」に尽きる。遅いくらいだが、ユユは自分の中にある大っ嫌い村のリストを更新した。

 聞き出したところで、すでに翻弄されきった状況に納得するわけがない二人を前に、景が横井に持ってこさせておいて使わなかったペンを机に置くと、


「彼らの意図はさておき。賭けのタイムリミットが明日の日の出まで。俺たちを『白瀬』の内に取り込む、それが今代の『白瀬』の代替わりに必須だと言われましたが……本当に言葉通りの意味かは不明ですね」


「ああ。そもそも次の『白瀬』だって言われてんのがアイツ、本郷(ほんごう)なんすよ? 代替わりも何もっつうか。んな、甘蔗」


「そーですよ。トウテツが何か企んでるんです、ぜーったい。……結局あのあとどこに行ったのか、この人も知らないみたいだったし」


 ──まさか、あいつが『白瀬』に負けて取り込まれてるなんてことあるわけないし。


 だとすれば、だ。ユユはつい唇を噛みしめたくなるのを、顔を俯きがちにして見せないようにする。

 あれが稗田村のときと同じ理由で行動を起こしたのであれば、今度もユユのせいになる。疫病神もいいところで、自分で自分を責め立ててじくじくと胸が痛い。


 自分で人間に危害を加えることができないのであれば、他の化け物にやらせればいい。そんな発想、盲点だった。


 ──反省したと思ったのに。


「……許さないもん」

 湿っぽい恨み言は声にほとんど出さず、口の中だけで囁く。タイミングを同じくして、表情を引き締めた景が話を進めにかかる。


「何にせよ、狙われたのなら立ち向かうしかないでしょう。そのために必要なのが神域の攻略、ひいては織代の破壊。『夜警』──『白瀬』の創造物は神域内でしか活動できませんから、そこを突く」


 力の維持には神域が不可欠のはずだと君月が言い、よって全ての織代の破壊を指示されたのだと景は続けた。


 それに、「ミツキさんが言うんなら間違いないっすね」とアキが頷く。ユユも安心したような、伝聞形式だったことで本人がここにいないことを再確認させられたようなといった複雑な心地だ。


 そして、そのために必要な情報は景が郷民から先ほど聞き出していた通り。それを書き入れるためか、景がユユに視線をやり、


「甘蔗さん、地図を出してもらっても?」


「ん、先輩があの人運んでる間に準備しときました!」


 大活躍中の手描きの地図を出番とばかりにユユが引っ張り出す。聞き耳を立てていた話の流れからして、くると思っていたのだ。あのペンが初めて役に立つ瞬間でもある。

「こんなものでしょうか」


 描き終えた景がペンのキャップを閉めて、机上の地図につけられた丸印は全部で十か所。昨日の『シラセ祭』の説明では「村に三か所設置された織代」とあったが、その数値のズレが意味するところは、


「この中の七個がダミーっと。身内にも知らされてないってのは防犯対策っすかね」


「よほど重要なんでしょう。……もしくは、それで賭けと言ったのか」


 景の口にした内容にユユらが首を傾げると、彼は軽く手を振って、


「いえ、当たり外れのあるくじを引かされるようなものだなと。この仕様を指して『賭け』と言うのなら、いい趣味していますね」


 微笑の残る口元の端を曲げ、珍しく毒をほのめかせた。


 村の構造は縦に長く、その中心は先ほどまでいた集会所をはじめとし、住居や今ユユたちがいる診療所など、主に生活のための区域。

 その北側はまるまるかつての製糸業の跡が残っており、製糸場に養蚕室、乾燥小屋、桑畑、最奥には防風林がある。

 かわって南側は農耕用に整備されているらしく、共同農場や温室、家畜舎から飼料庫などの倉庫もこのあたりに密集していた。


 ──その中の織代が配置されている候補地は、大きく分けて北側が五か所、南側が五か所。

 ユユは小さく頷く。幸か不幸か、嫌がらせがあることには慣れてきていた。


「だったら、どれが本物かとか考えても意味ないのかも」


「ええ。下手に惑わされる必要はない。十か所全て破壊する前提でいきましょう」


「そうだ、村のやつらが直接妨害しにくるかってのも考えにくいよな。『夜警』が無差別に来るってんなら、今寝かせてるやつが呼んだのはよっぽどの例外だったんじゃないっすか」


「でしょうね。普段は織代の守り番をしているという『夜警』に敵を絞れば、注意すべきはあの呪言のような……祭文」


「そっかケイさんも。俺も聞いたんすよ。耳の中に直接何かが入り込んできたみたいで、しばらくブツブツ──」


 ユユは聞いていないが、ずっと声が聞こえていると訴えたアキの耳から君月が何かを引き抜いた光景は覚えている。それがなくなった瞬間、アキが聞こえなくなったと言うのも。

 耳の内に仕込まれていたのは、細くて透明に近い『糸』だった。


 そのときのユユは気が動転して辿りつかなかったが、今まさに思いだした記憶がある。


「『乗っ取られたくなかったら、糸は避けろ。万一のときは引っこ抜け』。……って、トウテツが言ってたことだ」


「耳から入り込ませた『糸』を媒介に、祭文を対象の脳に行きわたらせて織り込む(・・・・)。それを最後まで聞くと──と。脅威ですが、種が分かれば対策の取りようはあります」


「耳を塞いじゃえばいい!」


「その通りです、甘蔗さん」


 景が微笑んで首肯し、アキは確かにと膝を打っていた。

 対処法が確定したとなって、自信満々にユユはリュックから今回の旅に持ち込んできたあるものを取り出す。これで一安心だと思うと、そのもこもこにぎゅーっと抱きつきたくなった。


 ──持ってきておいてよかった、耳当て!


 一方で男性陣二人はティッシュを丸め、水で濡らすことで即席の耳栓を作っていた。「なんか喋ってください」「なんか、とは」「あ、すげえ意外と聞こえない」とコントじみたやり取りをしていたが、会話が変な風に一方通行だ。


 感心した顔のアキはともかく、景の方の防音効果は大丈夫なのだろうか。ユユが疑問に思っていると、景が一度耳栓を外したうえで、


「中に糸を入れないようにするのが目的なので、まあ大丈夫でしょう。しいていえばあの布を引きずる音、『夜警』の接近に気づきづらくなることがネックですかね」


「お、やっぱこれ外すと確かに違う。そういや俺らは見てないんすけど、『夜警』の見た目って」


「……二メートルかそれ以上の巨躯。首が長く、木彫りの面に襤褸に近い布切れを纏った人形でした」


 異形だ。何かが擦れる音の出どころはその装いだったのだろうか。自律して動く、木彫りの面。できることなら遭遇したくない。


 アキがごくりと唾を飲み込んで「その、斬れそうな感じっすか?」と聞くと、「木製のようでしたが、中がどうなっているかまでは」といやに地に足の着いた答えが返ってきた。

 自分の想像の範囲だけで十分に手いっぱいなユユだったが、そこでふと我に返る。

 ──木製。つまり、電気が効かないかもしれないということだ。


「それと、あの化け物は目が見えないようです。人の言葉は理解できていませんでしたが。音で判断して、糸を潜り込ませた相手だけを連れ去るのか……物音には気をつけてください」


「ああ。俺らが会った、部屋に閉じ込められてた名仙村の爺さんたちも、じっとしてれば見逃されるって分かってたんだな」


「そんなことが。なるほど、村に足りない労働力はそれで」


 それぞれの見てきた事象をつなぎ合わせ、攻略の手がかりが揃っていく。

 今回は役に立たない可能性のある──いつも大助かりというわけでもないが──スタンガンをユユは握りしめ、「最悪これで殴っちゃおう」とその重みに頼ることにした。どちらにせよ、いつも通りユユはほぼ無力なのだし。


 ──怖くて泣きたくて帰りたくて仮に意味がないとしても、やるしかないのだ。

 ユユが早くもそんな最終手段の検討に入った一方で、


「最後に一つ。ここの住民は、いわば素面です」


「シラフ?」


「多少の小細工は弄しましたが。人をも操れる『神』の力が信奉者に使われていれば、こうも上手くはいきませんでした」


 ベルトに付けたケースに普段はどこにあるのか分からないナイフを入れ直し、準備を整えていた景が真剣な面持ちで述懐する。小細工が何かユユには分からなかったが、示されたのは『白瀬』の危険性について。


 ──ここの郷民はその教義に感銘を受け、自ら洗脳されにいっている。そこに化け物特有の力は介在していないことも、先の尋問で知らしめられたことの一つだった。


 それはそうで、自我を失った人々から信仰が得られることはない。一見簡単な帰結だが、このいわば『神』にとっての理想郷を実現させられた理由こそ、


「『白瀬』に高い知能があったから。──『神』にとってつまみ程度にしかならない恐怖や絶望ではなく、持続的に生み出される希望を食い物にする。賢いやり口ですよ」


「……頭いいなら、『夜警』以外にも罠とかあるかも」


 十分あり得ます、と景は頷いた。何もかも、警戒するに越したことはないということだ。

 続けて「他に何か、確認しておきたいことは?」と二人に向けて尋ねる。ユユは「あ」と手を叩き、


「痛み止め! と傷薬! さっきあったと思うので、念のため取ってきます」


 最初にアキが見ていた棚の方へ駆け寄っていく。

 備えあれば憂いなし──しかし記憶を頼りに物色する裏で、アキが景に耳打ちしたことにユユは気づいていなかった。


「……ケイさんタバコ吸わないでしょ。あれって──いやなんすか、これ」


「抗不安薬です。俺が試しに服用してから十五分は経過しているので、安全は保障できますよ」


 錠剤入りの瓶を渡されるままにアキが手にしたあとで、得体のしれない薬物を摂取したことを景は平然と明かす。たとえ分類が明記されていたとしても、だ。

 質問を上手くかわされただけではない。気づかれていたことに加え、その行為にアキは苦い顔になるのを止められなかった。

 ──君月が、いないからだ。


 その表情の変化をまた別のことに捉えたのか、


「大丈夫ですよ、アキ。俺がいますし、君月さんも」


「……わーってます」


「それにほら。ちょうど織代の配置は半分に分かれていますし、二人には南に向かってもらおうと思っていたところです。甘蔗さん」


「あ、はい! えっ、二人でって言いました?」


 明らかに必要以上の箱と薬瓶を抱えて戻ってきたユユが、話の流れを汲みとれずに首を傾げる。全員で動くとばかり思っていたのだ。


「はい。時間の制限も鑑みて、北側の五か所を俺が。残りをアキと一緒にお願いします」


 タイムリミットを言われては仕方がない。にこりと微笑まれての采配に、ユユとアキは互いの顔を見やる。

「……よろしくお願いしますー?」

「おう」


 ギターケースを置きながらアキが刀を装備する。気の抜けた返事は行動開始の合図には見合わなかったが、ともあれそういうことになった。



 ◆



 ──いる。いるいる、ひだり。


 すぐ真横にあるその手にユユは指で文字を書き連ねて訴えた。無駄にキャンバスが広くて書きやすい。ただし指の先にまでユユの震えは伝わっていて、もし紙の上だったなら元気なミミズが数匹のたくったことは間違いない。


 分かってると言いたげに小さく首を振るアキの頬に、汗が一筋垂れる。

 電灯もない飼料庫の中、トラクターの陰で二人は身を隠していた。そのすぐ横を、ずり、ずりと重たい衣擦れの音が通過している。


 診療所を出て間もなく。早々に『夜警』と出くわしたユユたちは、息を潜めてそれをやり過ごさなければならない状況に陥っていた。



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