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裏街バケモノカルト  作者: 楢木野思案
四・胡蛾の夢
42/46

4 夜警



 ──どうしよう。どうしようどうしよう、え、ユユどうしたらいい?


 素の白髪を晒し、次なる『白瀬』と言われるのも受け入れ、なぜかあっさりと連れていかれた(かなえ)。慌ただしく次々とその後から出ていった郷民たち。


 訳も分からず取り残された旅行者たちの中で、ユユはもっとも巨大な混乱の渦中にいた。


 考えるのは元から苦手だ。勢い一択、気合いは十分。ぐぬぬと目を固く瞑り、状況をきちんと理解しようと励んだところで思考はまとまらないばかり。

 頬はすでに拭ったが、なんだかあの『集い』からずっと頭がぼうっとしているのだ。しかしそれでは埒が明かないから、ユユは決めた。


 ──よし、考えられる人に考えてもらおう。


 目立つなとは言われた。けれどこの部屋の監視はいなくなった。

 どうしてもというときはあいつに任せろとも言われた。鼎は多分、自分から消えた。


 ポケットからフル充電のスタンガンを引っ張り出す。

 すー、はー、と深呼吸で気持ちを整え──なぜか頭がさらに重くなった気がしたが──ユユは一人、白い部屋を抜け出した。



 外に出る瞬間が一番緊張したかもしれない。しかし、予想に反して廊下に見張りはいなかった。


 両側に点々とふすまが並び、通路はところどころ枝分かれしている。廊下の距離はそれなりだが、少人数に分かれたあと三階まで連れてこられてきたのだ。捜索には手間がかかりそう。

 畳張りの室内は防音性に優れているようで、廊下に出るまで聞こえなかった話し声が他の部屋から漏れている。まだ情報は伝わっていないようだ。

 厚底が無用な音を立てないよう、そろそろと移動しながらユユは順番に各部屋の様子をうかがう。


 外に出てみると、不思議なことに調子がよくなった気がした。それに、とユユは部屋に残していった人たちのことを思い返す。

 ──彼らは鼎が郷民を驚かせていたときも、ユユが外に出たことに対しても無反応だった。何かがおかしかったのだ。


 そうして何枚目かのふすまにユユが耳を押し当てたところ──「全ての夢が肯定される。なら矛盾が発生した場合はどうするのかい? 取捨選択の生じる可能性を無視し、全てを真の理想と一括でくくるのなら、それはただの総意だろう。君らの欲望の犠牲になった者がいないとどうして言い切れる?」中からレスバが聞こえてきた。


 ──目立つ気しかない!


 ユユは愕然とした。ねちねちしている。じゃなく、生き生きとしすぎている。え、この状況で?


 どう聞いても君月(きみつき)の声だが、内容はさておきいざ合流が見えてくると固まるユユ。

 突入。いや無理。ちょっと開けて様子見る? いや絶対バレる。


 ああでもないこうでもないと脳内会議が白熱しかけたとき、ガタリと正面のふすまがずれた。目が見えた。


「……あ? あなた──」


 勢い一択。会議の結論を放り投げ、ユユは動いた。顔を出しかけた郷民の女性の「ひえっ」という細い声に罪悪感が募る。


「いっ、痛くされたくなかったら、言うこと聞いて。あっあと、静かにして、じっともしてて」


 スタンガンを突き付けたうえで、不慣れが丸わかりの脅し文句。自分で言うが、女性が挙げた両手よりユユの手の方がぷるぷるしている。もし将来お金に困っても、強盗だけは絶対できないと分かった。


「……中にいる、半分だけ金髪の男の人と、ピン留めつけてる男の人。あとギターケース持ってる人。外に出して、ください」


「ああ、最後の一人以外はいますね。いいですよ」


 えっ、と戸惑ったのはユユの方。すんなり行きすぎだ。

 郷民の手でふすまが開け放たれると、そこには呆れ顔の君月とさりげなく周囲を警戒している(けい)が立っていた。


「……君、強盗には向いてなさそうだね」


「めちゃくちゃ分かったので二度としないです」



 ◆



 別のグループに入れられていたアキも、ユユがもう一度脅しをかけるまでもなく解放してもらえた。

 合流直後、「……ケイさんっすか? ガチもんの?」とやたら眩しそうに目をすぼめていたのが不思議だったが。心なしか顔にも元気がない。いや元々なかったかもとユユは思い直した。


「なんだよ後輩」


「多分気のせいなので、なんでも?」


「それでは皆さま、『白瀬』様の指示です。どうぞ、外に出てもらっても構いませんよ」


 アキを連れてきた郷民が手のひらを見せた。急展開につぐ急展開にユユは思わず周りと顔を見合わせる。君月が疑り深く、


「まさか僕に言い負かされたからってわけじゃないだろ? 何が理由だ」


「お連れ様が先ほど、新しい『白瀬』様に選ばれました。『白瀬』様同士で話され、このように決められたそうです」


 連れ? と首を傾げる面々にユユは事の次第をかいつまんで説明した。そもそもユユは何も説明されていないのだが、それも含めて。

 鼎の意図は不明なままだ。──ちなみに、自分と引き換えに仲間の解放を願ったという可能性はこの場の誰一人として思いついていない。これが()徳。

 ともかくと、君月が現状を一言でまとめあげる。


「なんだ、つまりは人質ってことかい。せっかくの伝言も無駄になったじゃないか」


「ご納得いただけたでしょうか? では私は、まだ『集い』があるので」


「残念ながらまだ話し足りない気分でね。景」


 淡々と会話の流れで君月が呼びかけ、郷民の首筋に光るものが添えられた。


「今から貴方がこちらの人質です。声は上げないように」


 背後から手を回してナイフを突きつけ、脅迫する景。合図から実行までは一瞬。微笑を湛えたその手つきのスムーズさに、ユユが一生知らなくていい敗北感を味わう中、


「どうなっているのか、じっくり聞かせてもらいましょう。まずは誰にも見られずここから出る手段を」


「ケイさん!」


 アキが声を上げて警戒を促す。

 刃を向けられた郷民は小さく両手を挙げていた。その指を折り曲げて口にもっていったかと思うと、にやりと不気味に唇を曲げたのだ。


 背後をとっていたのが仇となったか。微小な動作に反応が遅れた景が止める間もなく、ピーッと甲高い指笛が吹き鳴らされる。

 同時に、両側からかすかに聞こえていた『集い』の声が完全に消えた。


「何して──いや、何を呼んだ?」


「夜警ですよ。『白瀬』様のご友人方、──ッ」


 両耳から血を流し、不気味ににたにたと笑うその顔が、ゴスッという鈍い音とともに沈んだ。景がナイフの柄で顎を突き上げたのだ。


「ご容赦を。君月さん、これは……」


 郷民は意識を失った。なのに、ユユは肌が粟立つのを止められない。その横ではアキがケースから引き抜いた刀を構えている。その顔は真っ青だった。


 ずり、ずりという何かを引きずる音が、廊下の端からした。


「逃げろ」


 君月が言う、その瞬間に誰もがスタートを切っていた。音がする反対方向へ。ここにいたらまずいと言われなくても理解していた。


 ──これが、神域。


 ふすまはしっかり閉ざされていて、人は誰一人出てこようとはしない。ただの建物のはずなのに、床、大気、光、音、全てが異質。常に逆風にさらされているような空気の重さ、木の床には泥に沈み込むような錯覚を時折覚える。視界が点滅して揺らぐのは、蛍光灯が古いからだと思いたい。

 背後から迫ってくる威圧感から気を逸らしたくて、最後尾を走るユユは一番先頭に向けて声を張り上げる。


「せんぱっ、(それ)あるでしょ! やっちゃってくださいよずばっと!」


「無理だ無理俺を頼るな!! なんか来てることしか分かんねえし、つか声がでかい!」


 全力の拒絶が返ってきた。無意味すぎるやり取りだ。けど声を出さないと、何かに飲み込まれそうで。

「つかお前なんださっきから近いんだ、よ」振り向いたアキの顔が一拍遅れて驚愕に染まる。──その顔すっごい怖いからやだ、とユユは思った。


「ミツキさん。今なんか喋ってますか」


「何も? 元気だね君ら!」


「じゃ誰っすか。あー、てなんかぼそぼそ言ってんの」


 ぞくりとユユの背中を恐怖が駆け上がる。

 そんな声、聞いた覚えがない。


 ユユのすぐ斜め前を走る君月が、ハッとしたように耳を押さえた。


「僕にも聞こえた。……耳の中からだ」


「っぱ空耳じゃねえ! これどうにかしないとマズいっすよ絶対!」


「あの、一回隠れるってのは! なんか来そうで来ないし、ユユもう限界っ、」


 耳の中からの声だとか、二人が騒いでいるそれがユユには全く聞こえない。おかしいのはどっちか、どちらもなのか分からない。きっと空間丸ごと全部がおかしい。だからいっそのこと、一回提案してみた。よし、と頷かれる。

「アキくん! 向かって右の扉だ!」「理由あるんすか!」「適当!」階段を駆け下りてすぐの扉を君月の指示でアキが開け放つ。


 電気の付けられていないその大部屋には、人が大勢詰め込まれていた。


「なんっだ、この部屋……!」

「うっ、やば」


 アキのあとを追ってそれを目にしたユユが、まず中の臭気に鼻をつまむ。風呂に長期間浸かっていない人間の臭いだ。服も粗末なもので、中には汚れがひどいものもある。


「行方不明だった名仙(めいせん)村の住民だ」


 入口で注意深く中を見つめていた君月が呟いた。え、と改めて見返すと、座り込んでいるのが年齢層の高くやつれた人ばかりだと分かる。その人数は、ザッと見積もって郷民と同じくらい。確か、本来の比率は四対六。

 続けて何かが腑に落ちたのか、君月は「ああ」と溢すと苦々しい顔になる。


「……不自然な人の勧誘は、自分たちの夢の次の犠牲者探しか」


「ミツキさん! ちょっと、」


「──なんでみんな、耳塞いでるんだろ」


 階段まで戻っていったアキが背後で騒ぐ中、ユユは気づいた不自然さを口に出す。中にいた人々は突然差し込んできた光と不審者に目を瞬かせていたが、擦ろうとする様子はない。

 全員が全員、自分の耳を塞いだ手を外そうとしないのだ。


 異様な状況にぴたりと止まっていたユユの足が、ふとした瞬間に動き出す。──そうだ、閉じ込められてたなら逃がしてあげなきゃ。


 その横をすり抜け、ずんずんと中に押し入っていく君月。一切ためらわず一人の胸ぐらを掴むと、閉ざされた耳元に声を叩き込んだ。


「ご老人! 立てますか!? ここは危険だ、今すぐ僕らに着いて」


「うぅるさい! 聞いたらもうしまいだ! まだわしらは聞いてない。夜警を呼ばれたのは君たちなんだろう!? わしらに構うなっ」


 老人に噛みつくほどの勢いで怒鳴り返され、君月がひるむ。逃げることを拒んだ老人は、久しぶりに大声を出したのかぜいぜいと息を吐いている。

 自身の耳を強く握りこんだ手の甲に血管を浮かせ、ようやく息を整えた老人は、血走っていた目に憐れみを浮かべた。


「やつには耳しかない。わしらを思うなら、早く外に出て、そのふすまを閉めてくれ」


 諭しながら頼みこむ様子に、ユユも声を失った。あれ(・・)──『夜警』の存在をこの人たちは認識している。ふすまには何の鍵も掛けられていなかった。

 そのうえで、誰も逃げようとしない。──決して逃げてはいけないと固く信じているのだ。


「ミツキさん!」

「なんだ!」


 焦った様子で走ってきたアキが、君月を老人から引きはがした。気が気でない顔を正面から君月に向け叫ぶ。


「ケイさんが来ない!」

「は」

「うそ」


 走馬灯が走る。たった数分間だけの。

 アキに言いがかりをつけたとき、何かが聞こえると二人が言い出したとき。三階にいた時点で、彼は着いてきていなかった。──なんで誰も気づかなかったのか。


「まだ耳の中の声は聞こえるかい、アキくん」


「まだ全然っす。今、『よー』って、なんか呼んでる」


「じゃ、ちょっと失礼」


 言うが早いか、君月が腕を伸ばしてアキの両耳に指を突っ込んだ。「え──っ()ぇ!」痛みに上体を折り曲げるアキの耳の内から、ぶちりと何かを引きちぎったのだ。

「ふむ。なるほど」


 君月が掲げたのは、赤く染まった二本の細い糸。握った拳からは血がぽたぽたと垂れている。すぐさまきらきらと鱗粉めいて霧散していったそれを、彼は冷静な口調と裏腹に真っ青な顔をして見つめていた。

 痛みに耳を押さえていたアキが、はっと息を呑み、


「まじか、聞こえなくなった。じゃっ、じゃあ戻らねえと!」


「そ、そーですっ、追いつかれたらきっと、大変」


「まあ待ちなって」


 君月は笑った。パニックの兆しを見せるユユとアキを落ち着かせるためか、顔色のわりに平然としたふりをしている。「邪魔して悪かったね、ご老人」と部屋の外に足を向け、


「君らは先に出口を目指すんだ。また何か聞こえたら、もう一人が耳を探って糸を引き抜くといい。……そうだな、使われてない診療所があったろ。あそこに隠れててくれ」


 こっちは何とかするから、絶対に待つなんて考えるんじゃないよ、と言った。



 ◆



 ──うく ふぬ


 耳の内で聞こえる意味不明な音の羅列は、心なしかじわりじわりと声量を増していた。アキの耳に入り込んでいた糸が、恐らくは自分の体内に根を張り始めている。ぞっとしない話だ。

 糸を通じて聞かされるのがまじないの言葉だとすれば、それには必ず終わりがある。それを迎えたとき、はたしてこの体に何が訪れるのか。


『白瀬』との対話を望み、この状況を作り出したかもしれない白髪の化け物の忠告通りか。

 いい気分ではないが、と階段を上りきった勢いのままに角を曲がり、


 ──いた!


 数メートル先で頭を押さえてうずくまっていた景に急いで駆け寄る。その横にはあのとき気を失わされた信者がいた。耳から流れた血液はすっかり床を焦げ茶色に染めている。

 糸を結びつけられるのであれば、手繰ることも可能ということだろう。そうして『夜警』という何かは自身を呼んだ者のもとへ、今も歩みを進めている。


 ずり、ずりと布を擦る音が近づいているのがその証拠だ。


「全くせこいなあ、やり口がっ!」


 君月は地面にあぐらをかいて踏みとどまれるようにしたうえで、信者の一番近くにいたために最も影響を受けた彼の耳から、憎い糸を力いっぱいに引き抜いた。


「……あ、おれ、は。どうしてここに」


 衝撃にびくりと震え、目を見開いた景の耳を血の付着した手ですぐに塞ぐ。よしなどと安堵のため息を吐いている時間はない。

 最初の放心状態から脱し、正気に戻った目が君月を捉えた。理解が追いついた直後、その顔が特大の申し訳なさに歪む。


「……すみません」


「いいから。謝るなよ。今は僕の声だけ聞いてればいい」


 ──のー、も と


 謝罪を短く切って捨てる。はい、と悔しそうに小さく聞こえた。

 君月はここから二人走って逃げるという可能性を捨てる。もはや現実的ではない。

 名仙村の老人は逃げようと言われてもなおここに残りたがった。『夜警』は呼び出されたが最後、全員を探し出して捕まえるという代物ではないのだ。──なら、まだやりようはある。


 ずっ、ずっ。ずりずりずり!

 布が何かをひどく擦り上げる音がした。床ではなく壁を。廊下の角を曲がったのだ。君月は背後を振り向いた。


「……来たな。何があっても絶対に喋るんじゃない」


 手の上からでも景に声が届くよう顔を寄せ、警告を発する。

 まず見えたのは能面のような白茶けた人面、次いで黒く長い首。腰の曲がった胴体は着物に包まれている。

 自身が地べたに座り込んでいる点を抜きにしても、見上げて余りあるほどの長身。二メートル前後だろう。

 腕や足、中身はどうなっているのかわからない。着物と表したが、布団を巻きつけただけのような杜撰な仕立てだ。引きずるのも分かる。


 人工的な彫りの深さが、高い位置にあるその顔に暗い影を落とす。人形、そう表現するのがぴったりだった。

 そこに向かって君月は威勢よく、


「ばーか。木偶の坊。ここってブラック企業みたいなお仕着せがましさだけど、時給いくら? 安月給?」


 藪から棒の雑すぎる煽りに、君月の手に押さえられた景の頭がぴくりと持ち上がりかける。何してるんですかと言いたいのだろう。

 しかし、その一方で『夜警』からの反応は皆無。それを確認し、君月は満足そうにほくそ笑んだ。


「よし。それじゃ賭けてみようか、景。あ、返事はなしだ」


「──」


「あいつは目が見えない。どうやら人の言葉も理解できないみたいだ。頼みの綱は糸だけなんだろう、だからここから先の指示を今出す」


 景が頷いた。見ると、空いた両手で自分の口を塞いでいる。その真面目ぶりに君月は少し面白くなった。


 今、君月は正面から景の頭に手を回し、『夜警』は君月の背中側から這いずってきている。景からすれば君月が間に挟まっているとはいえ、『夜警』はあの長身だ。

 彼は真正面から木彫りの人面を見続けなければいけない。それでも声一つ漏らさないのだから、よくできたものだった。──ただ、そんな彼にしても表情の全てまでは抑えきれていない。


 だから、君月はいつもの自信満々な顔を貼り付けた。


「もちろん、僕がすることだ。最善策に決まってるだろ」


「──っ」


 景の頭が深く項垂れる。返事はなくとも、彼が了承以外を返すことなどありえないと君月は知っていた。


 ずり、ずり。廊下の衣擦れと、祭文が混ざり合って反響して、耳の中がうるさい。


「まずはその信者を連れて診療所に向かえ。上手くいってればアキくんたちがいる。そこでそいつから情報を聞き出すんだ。必要なら何をしてもいい。ただし情報を得られるまでは下手に動かないように」


 ──をて れー、


「もし僕が操られたらそれも利用してくれ。都合のいい実験台とでも思えばいい」


 ──せー、ゑ


「それとあの白い部屋、なんか……薬が使われてただろ。アキくんはここと相性が悪そうだし特に危険かもしれない。気にかけてやってくれ」


 ──ゐた、ら


「……力の維持には神域が不可欠のはず。織代を見つけて、全て潰せ」


 ──さ やー、


 自分の声が聞こえない。舌が綿でくるまれているようで、きちんと動いているか確かめようがない。

 ぐらりと視界が揺れる。首が据わらなくなっていた。手の中で温かく脈を打っていた感覚が消える。手が離れたのか、と体ごと傾いでいく中で自覚した。


 ──わ


 あと、よろしく。

 自分の口がそう紡いだかどうか、最後に笑えたかどうかも分からないまま、君月の意識は暗がりに落ちた。



 ◆



 それから出口に辿りつくまで、見張りなどは一度も見かけなかった。最初に訪れたときは朝方だったはずが、『集い』の間に時間の感覚がおかしくなっていたのかもしれない。集会所の外はもう夜になっていて、明かりの少ない夜道はそれだけで不安を煽る。しかしユユは外に出た瞬間、途方もない安堵を覚えたのだ。

 なんとなく、ここまでは追ってこない。そういう確信を得た。

 立ち止まりかけたユユを、前方からアキが呼ぶ。


「……止まってんなよ、後輩。行くぞ」


「分かってますっ」


 郷民の話では、神域に含まれる範囲はこの村全体になる。それなのに体感がこうも違うのは、あの『夜警』の放つ圧が桁違いだったのだろうか。


 ユユはバッグから地図を取り出し、「こっちです」と北東を指した。この暗さでは道も分からず、闇雲に歩き回るところだった。昨日のうちに見て回っておいてよかったと心底思う。

 最初は人目に注意を払おうとしたが、一向に誰も姿を見せないため途中から道のど真ん中を突っ切って進むことにする。

 そうして辿り着いた診療所だが、当たり前といえば当たり前に扉は固く閉ざされていた。


「窓からいくか。離れてろ」


 いつの間に拾ったのか、アキが拳大の石を大きく振りかぶって投げた。バリン! という衝撃音とともに窓が呆気なくひび割れる。自ら作った穴に腕を突っ込み、アキが中から施錠を解除。

「っし、開いたぞ」と振り返るその姿はプロのコソ泥の風格を漂わせていた。ユユは神妙な面持ちになる。


「……先輩、もしお金に困ってもやんないでくださいね」


「しねえわ!」


 先に入ったアキの手を借り、窓から侵入した診療所は、いかにも「旧」と付きそうな古さがある。ユユは硬い長方形の椅子に腰を下ろし、そこでようやく一息ついた。


 しかしたとえ一時的にでも、体を落ちつかせるとよくない方向に思考が向かいだすもの。

 鼎は行方不明。景、君月は──分からない。『夜警』が襲ってくる理由も、郷民が、『白瀬』が何をする気なのかも。白い部屋で一人考えていたときの、何倍もの「どうしよう」がユユの頭を埋め尽くす。


 一緒にいる相手は生憎、こういうときに励ますどころか、慰め合うような仲でもない。沈黙が痛かった。

 無意識にユユが膝を抱えこんだとき、窓の近くで外を見張っていたアキが声を上げた。


「ケイさん!? アンタ、っちょ大丈夫なんすか!?」


「……アキ。っ、すみません。これを持ってもらえ、ますか」


 整えられた髪を乱し、見ていて心配になるほど息を切らした景がそこにはいた。

 アキに続きユユも急いで窓際に駆け寄る。「これ」と示されたのは、景が背中に背負わった男性だった。真っ黒な髪色に君月ではないと即座に分かる。落胆が一瞬見え、しかしアキは唇を引き結んだ。


「分かった、こっちにください。甘蔗、そっちの腕持てるか」


「持ちます!」


 ギターケースを脇に置いたアキがまずは意識を失ったその人物を窓越しに引き継ぎ、えっちらおっちらと二人がかりで床に下ろす。

 それに続いて景が窓枠に足を掛けたところで、上体にふらつきが見えた。「あっぶねっ」とアキが咄嗟に支え、腕を引いてゆっくりと室内に引き入れる。


「ありがとうございます。少し……休ませてください」


 ガラス片が飛び散るのも気にせず、景はそのまま床に座り込んだ。ぜー、ぜーと上下する肩は明らかに尋常でなく、ユユの中で不安がこみあげてきて、


「大丈夫ですか、あの。お水とかいります」


「いただけますか、すみません」


 水筒の水をコップに移し、ユユは急いで手渡した。景はそれを受け取ると一気に飲み干す。

 数分ほど経って呼吸が安定してきたようで、彼はゆっくりと膝を着いて立ち上がった。視線を泳がせて、言いにくいことを白状するように、


「……長時間、走れないんです。肺の片方がなくて。昔とある『神』に捧げるためと取り出されまして、それ以来」


 ユユは絶句した。酷い話なんてものじゃない。それに加えて、アキからのリアクションはなかった。とうに知っていたことだったよう。

 言葉を選びながら、ユユはまごついて言う。


「平気なんですか……? もっと休んでても、あっ座っててください」


「ご心配おかけしました。もう大丈夫ですよ。取られたのは日常生活に支障のないものばかりだったので」


 手を振って固辞する、その言い方に何か引っかかりを覚えたが。「アンタが申し訳なく思う必要ないでしょ。前から言ってっけど」

 目線は窓の外にやったまま、ぶっきらぼうにアキが口を挟むことによって流れた。しかし景は頑なに首を横に振る。


「いえ。少なくとも、今回は間違いなく俺が不甲斐なかったせいです。……『夜警』に君月さんが連れていかれました」


 彼は淡々と、自分があの謎の言葉に影響を受け、あわや正気を失いかけたときのこと。君月がそれを防ぎ、代わりにその影響下に自ら入っていったこと。

 景の目の前で意識を失ったように見えた直後、彼がすっと立ち上がり、『夜警』とともに離れていったことなどを述べた。

 アキが八重歯ののぞく口をあんぐりと開け、


「あの人が……!? 姉貴と同じで殺しても死なないタイプじゃないんすか!?」


「いやまだ死んでないですって! えっ、そうですよね景さん」


「それはあり得ませんから。あくまで一時的に離脱せざるを得なくなった。そう思いましょう。それで、」


 状況は完璧に最悪。ユユらがそう理解したあとも、一息入れて景は話し続ける。

 それは錯乱しかけて変なことを口走っていたアキと、よく分からないツッコミを入れて現実から離れようとしていたユユが、二人そろって自然と静かになるくらいの、


「最後に出された指示が、この男を連れて診療所に向かえというものでした。まずは情報を絞り取り、織代つまり結界の要を壊し、『夜警』そして『白瀬』の弱点は──」


「ケイさんちょっと、一旦ストップ」


 非常に意欲的、というより熱に浮かされたような。

 景を制止したアキも、ユユと近いものを感じたのか。「はい?」と肩に置かれた手に向けられた景の怪訝な顔は、いつも通りの冷静沈着で完璧なままに見えるのだが。


「景さん、なんか」


「甘蔗さんまで、どうしました?」


「……えっと、血がついてます」


 耳の周りと頬に。黒に紛れて分かりづらいが、髪も何房か褐色に染まった部分が束になっている。

「ああ」

 ユユに言われて気づいたのか、景は冷えて固まったそれに手を添えると、手袋ごしに爪を引っかけてぱりぱりと崩した。


「……う、うーん」


 なんとなく声をかけづらい雰囲気の中、うめき声が聞こえてきた。床からだ。

 景の背負ってきた男性、郷民の瞼が動きそうな気配。まだ意識は戻っていないようだが。


「いつ目が覚めてもおかしくなさそうですね。その前に少し準備しましょうか」


 それを見下ろし、景が目を細めて微笑む。ユユたちが先んじて逃げたあとに何があったのか分からないが、それを聞くのは不思議とためらわれた。

 彼の言った段取りに従うなら、まずは尋問ということになる。



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