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裏街バケモノカルト  作者: 楢木野思案
四・胡蛾の夢
41/41

3 楽園へようこそ



 次の『白瀬』は昨日、この場に足を踏み入れたうちの誰か。

 つまりはユユたちを含めた旅行者こそが候補だと、『白瀬』は言った。


「このたびのこと、心からお慶び申し上げます」とうやうやしく口角を上げた郷民の一人。祭りに集った人々が密集地帯でぴたりとも動かなくなれば、集会所は丸ごと人でできた檻も同然だ。

 これから起きることを想像し、いやむしろ想像すらできなくてユユはただ手をぎゅっと握る。文字通り膠着した状況に、横から声を発する者がいた。


「私がご案内いたします。そこにいらっしゃる客人の方々、着いてきていただけますか」


 確認のていをとりつつ、そこにあったのは有無を言わせぬ圧。


「どうぞ? 案内してくれたまえ」そう先陣を切った君月(きみつき)の不遜な態度にも郷民の微笑みは崩れなかった。


 先導役の郷民が一歩動くと、向かう先の人々が一斉に左右に割れ、廊下までの一本道が現れる。

 それを皮切りにひと塊の群衆が動きだし、何重にも重なる衣擦れが羽音のようにさざめく。自分たち以外の旅行者も、きっと同じように動かされているのだろう。


 今は着いていくしかない。郷民の後を一列になって着いていく面々に、せめて最後尾は嫌だったユユは真ん中あたりに滑り込んだ。



「そういうわけで、皆さんには『理想探求の集い』を体験していただきます!」


 通されたのは、白を基調とした何の変哲もない和室だった。一同はカーペットの上で円になり、その比率は郷民と旅行者で七対三程度。

 そのうちの一人が朗らかにそう宣言すると、郷民側からまた拍手が巻き起こった。


 ──なんだろう、集いって。


 数少ない旅行者たちはユユを含め、互いの顔を見やるばかり。移動する過程で、わざわざ合計十人弱の少人数に分けられここに連れてこられたのだ。いくら置かれた環境が椅子だけが置かれた明るい部屋へ様変わりしたところで、状況への不安はぬぐえない。


 そして何よりの不安要素は、今この場にユユと(かなえ)の二人しかいないこと。

 参加名簿を見て振り分けられたのか。君月ら三人と別れると分かった瞬間、ユユは咄嗟に制服のポケットに手を突っ込んだのだが──「単純な抵抗は下策だよ」と声を殺した君月に止められた。

「まずは目立たないように出方を見よう。どうしても不味ければ」と、そこで忠告が一度途切れる。ユユがその目線の先を追うと鼎がいた。あっちに任せろ、と言うのだろう。


 ──けど、肝心なときにちゃんと動いてくれるかなんて。


 やっぱり信用しきれない。ユユは椅子に座ったがために出てきた膨らみをポケットの上から、誰にも悟られないよう押さえた。

 今はまだ、郷民たちは笑顔で『集い』の概要を説いているだけ。


「これは本来、私たちが月に一回行っている会なんです。真の理想とは何か、何をもって叶えたと言えるのか、真の理想の実現のためには何が必要なのか。私たち一人ひとりがするべきことは何か。はい」


「話し合うことで私たちははじめて成長できます。だってそうでしょう? ここに来るまで、私たちは誰一人として本当の意味で己の理想に向き合ってこなかったのですから。だから『理想郷(ここ)』がある。だから『理想郷(ここ)』に来た。はい」


「郷民──ここで出会えた真の家族同士、隠し事はなし。頭の中を全部空っぽにするまで出し尽くして、高みを目指す。喜びを得る。そんな素晴らしい集いなんですよ」


「……家族」


 台本でも読み上げているのかという交代制の語りに、ふっと差し込まれるものがあった。

 呟きの主は正面の席に座る大きなバックパックの男性。集会室でも見かけた彼は、焦点の合わない目でぼうっと床を見つめていた。ただならぬその様子にも、郷民は臆さず優しげな声で話しかける。


「何か、辛いことでもありましたか? ……まくしたててしまってすみません。この中のどなたかが次期『白瀬』様になるため必要なことではありますが、『白瀬』様にならずとも、もちろん適性があれば残ってもらえます。どうかまずは、あなたのお話を聞かせてください」


『白瀬』の継承は彼らにとっての最優先事項。

 それを置いておくとしても、まるで参加者が全員残りたがっているようなその口ぶりに、見当違いだと反論したくてもできない。


 ──なぜなら、この郷民が心の底からそう信じているから。自分の『理想郷』が誰にとってもそうであると、一点の曇りもなく信じ切っているから。

 その狂信に、ユユはぞっとした。


「……い、いいえ。ただ、私にも家族がいる……いたものですから。それは尊重してもらえないのかと、ほんの少し思っただけで」


「血の繋がりは希薄なものですよ。それよりもここで繋がった縁はよほど強固で離れがたい。真の理想を追い求める仲間、それが『家族』の最も重要な条件なのです」


 たどたどしく反論する男性に対し、郷民が静かに断言する。言っていることは訳が分からないのに、そのあまりにも堂々とした態度に誰も口を挟めない。

 男性が口ごもったところで、郷民は再度「まずは聞かせてください」と要求した。


「あなたの理想はなんでしたか? あなたが本当の意味でこの問いに答えられたとき、『家族』の意味が分かるでしょう。さあ、どうぞ」

「聞かせてください」

「みんなで話し合えば理解が深まりますよ!」


「……。親が、工場をやっていました」

 圧に押され、男性はとつとつと語り始めた。


「小さな町工場です。部品を作る仕事をしていて、尊敬もしていました。ですが、自分はそこを継ぎませんでした」


「はい」


「業績が悪くなっていて。継いだところで数年の延命にしかならない。だから家を出ると親父に言ってそれきり……先月、亡くなりました。すいません。ただの個人的な話で、家族って言われて軽くひっかかってしまっただけなんで、」


「あなたは、かつてあった理想を取り戻すためここに来たのですね」


「え? いや、ただどこか旅行に──」


「とても良い選択です!」


 何度目かも分からない拍手。話が通じない相手に対し、巻き込まれる男性の焦りが見える。

 ただし、それまでと違ったのは手を打ち鳴らしている人数。


 増えている。

 膨らんでいく音の重なりにごくんと唾を飲み込み、ユユはさっと周りの顔を盗み見る。郷民に加わっているのは半分ほど。

 自然体にしか見えない彼らには、場の同調圧力、だけでは説明しきれない何かがあった。


 満ちていく集会所と同じ香りに、椅子しかない白い部屋。見えるのは互いだけ。否応なく意識が引っ張られていく。

 悲しかったですねと慰める人、自分も近い経験をしたと告白する人。誰が郷民で、誰が外部からの参加者だったっけと、顔の輪郭と一緒に境界線がぼやけて揺らいでいく気がする。

 半ば強引に始まった『話し合い』は、気づけば相談者の男性を中心にした『集い』に変わっていたのだ。


「お辛い思いをされましたね。──ではなぜ、なぜ諦めたのですか」


「諦め……仕方なかったからです」


 空気が変わった。郷民が獲物を見定めた目をした。


「逃げたのでしょう」


「いっ、」

「逃げたのでしょう」


「いや! 継いでもどう、」

「逃げたんですよね」


「どうしようもなかったでしょう! 時期ってもんがあるんだよ、じゃああんた、」

「逃げましたか?」


「あんたどうすればよかったって言うんだよ!」

「逃げたことに後悔していますか」


「こう、後悔。簡単にっ、」

「逃げなければよかったと思いますか」


「おっ、思うよそりゃあ!!」

「どうして逃げたんですか!!」


 一転して責め立てにかかる郷民に、言葉を失い嗚咽を溢す男性。誰も、それを慰めようとしない。自業自得だと言わんばかりだ。なんで。さっきまで、あんなに皆んんなで話していたのに。


 目立たないようにと言われていなければ、ユユはとっくに立ち上がって「そんなことない!」と食って掛かっていた。

 ──だってこの人は十分、頑張ってたのに。どうしようもないことだってある、ユユはまだ階段一段目くらいだけど、それって大人ならみんな分かってることじゃないの。


 誰か、あなたは悪くないと言ってあげてほしい。膝の上で握りこんだ拳が震えたとき、俯くのをやめた男性が天を仰いだ。


「親父のもんを、俺の代で潰したくなかったんだよ……ッ」


「よく言えましたね」


 その慈愛を一言一句に詰め込んだねぎらいが、場の空気を一変させた。あたたかい。人はここまで、人を傷つけるのではない、命に必要なぬくもりを写し取った熱を持って接することができるのかと圧倒される。

 待ち望まれた一言が放たれた、その高揚が伝搬する。

 噛みしめるように深く、力強く讃える郷民の言葉に、男性の呆気にとられた瞳が揺れた。


「あなたは確かに逃げた。自身の夢に背き、理想を捨てるという罪を犯した。それを自分で認めたんですから、立派です。偉い。……ここでならもう、逃げずに済むんですよ」


「俺は。あんた、……許してくれるんですか」


「いいえ、あなたが自分を許せたんです。よく、辿り着きましたね」


「辿り、着いた」


「この場所こそが『家族』のいるところ。おめでとうございます」

 そう告げた郷民は、新たな郷民に向けて微笑んだ。それが皮切りになる。


 ぐす、ひっく、と泣き声が聞こえはじめた。

 郷民に混ざって最初に手を叩いたあの人はもう顔を全て覆っていて、さっきまで警戒の目を向けていたあの人も、何が起きているのか分からないという顔をしていた子供まで。


「……あれ、え、なんで」


 ユユの頬にもいつしか、温かいものが伝っていた。理不尽な否定が続いて胸が苦しかった。優しい言葉に胸が熱くなった。

 なんだか分からないから、怖い。ぼうっとする頭と、十七年間で染みついた冷たい不信の根が共存して、不自然な動悸がする。顔を見られないよう、泣き崩れる周りに紛れて背中を曲げる。


 そんなすすり泣きに溢れる光景を眺め、微笑んだ郷民が誇らしげに強調した。


「──ここでは、全ての夢が肯定されます! やりたかったけれどできなかったこと、諦めてしまったこと、反対され叶わなかったこと。期待されていたことも期待されなかったことも。誰にも望まれなかったこと。全てに望まれたはずだったこと」


 誰にでもあるでしょう、と取ってつけたような自嘲が寄り添う。


「どんなに下手の横好きでもどんなに才能がなくてもどんなに醜くてもいいんです。だって誰の理想も否定されるべきものでないから! 好きなことだけをしましょう。ここにやるべきことは存在しません! ただ、真の理想を家族とともに考え続ければいいだけ」


 郷民は声のトーンを落ち着けた。「さあ、次は誰が理想を聞かせて──え、あ」


 ひどく動揺した声に、何かあったのかとユユは涙の筋が一本引かれた顔を上げる。泣いている人たちに変化はなかった。一斉に同じ反応を見せたのは、郷民だけ。


 全員が全員、目を見開いた状態で固まったままユユの方を見ている。もっと言うなら、ユユの隣を。

 おそるおそる、ユユも首を回して鼎を見る。猫を被っていたはずが、大人しい顔立ちを取り払った仏頂面になっていることはこの際どうでもいい。


 力を使って擬態していると語っていた髪色が、白に戻っている。真っ白けだ。


 つまり鼎は、なぜか突然白髪になった女子高生に見られているわけで。それは、こんなにも大勢が目を丸くして凝視するわけで。──どうして!?


「わ、若白髪! 違う、ブリーチ、」


 頭が妙に重たいのも目の端が冷たい気がするのも全部吹っ飛んだ。

 慌てふためくユユが片っ端から作る言い訳を聞こうともせず、郷民が叫ぶ。


「しっ、『白瀬』様!! ここに居られたのですね!? ああ、今すぐ今代『白瀬』様のところまでお連れします。……どうか我々のため、新しい『白瀬』様に成ってください」


 ユユをちらりとも見ず。鼎は「そうしてくれると手間が省けます」と『鼎』の口調を真似たまま、トウテツの好戦的な表情を垣間見せて応じた。



 ◆



 郷民だとか名乗る信者に連れられ、それが「これから少人数に分かれてもらう」などと横柄にのたまうのを鼎は黙って聞いていた。

「好きに暴れろ」と言われたところで、制限をかけているのは君月(そっち)なのだから無茶な要求をするなというのが鼎の主張だ。そもそも従う義理もない。


 ただ、その前提が変わるとなると──そう考えていると、黒髪をピンで留めた男がこっそり近づいてきた。(けい)だ。

 

「……ここから先、人が減るようですよ」


 目線を揃えずにそれだけ言うと、怪しまれないうちに景は離れていった。意外な伝達役にアイツはどこかと鼎が視線を巡らすと、ユユの隣にいた。何か話しているようで、当のユユはポケットを押さえている。

 ──あッぶねェ。


 正直少しひやりとした。馬鹿をやる前に押さえたのは悪くない判断だと鼎は思う。

 そんな主に代わり、景は「制限が減るぞ」とでも伝えにきたのだろう。ちらりと二人が鼎を見てきたのもその証左。


 ──どうしたもんかねエ。

 無精な化け物はひとまず視線を逸らすことにした。



「郷民──ここで出会えた真の家族同士、隠し事はなし。頭の中を全部空っぽにするまで出し尽くして、高みを目指す。喜びを得る。そんな素晴らしい集いなんですよ」

 

 一般名詞の再定義による内外の分断と意味のラベリング。固有名詞の繰り返しによる思考のショートカットと囲い込み。

 常套手段だと、無理やり座らされた円の中で鼎は一人分析する。


「みんなで話し合えば理解が深まりますよ!」


 嘘だ。結論は最初から一つに定められている。それ以外の考えを潰すためだけの時間。


「あなたは、かつてあった理想を取り戻すためここに来たのですね」

「とても良い選択です!」


 例えその意味が分からなくとも、褒めてきた相手の言うことは即座に切って捨てられなくなる。


「逃げたのでしょう」

「逃げたことに後悔していますか」

「どうして逃げたんですか!!」


 人の脳は流されやすい。たった十数回、数十回だけの刷り込みで考えることを放棄できる。

 恐怖を与えて自己否定へ誘導。あとは、削られた自己肯定感を埋めてやるだけ。


「親父のもんを、俺の代で潰したくなかったんだよ……ッ」

「よく言えましたね」


 追い込まれれば、敵の作った安全地帯であっても自ら入っていく。

 用意していた選択肢に相手が辿りついた後は、それを自分で選んだのだと強調してひたすらに誉めそやす。そうして一人、安易な術中にはまったのを見届けた。


 どれもこれも、鼎に言わせれば「くだらねエ」の一言。否、何も自分の精神を神格化しているわけではない。

 ──今のは洒落だが、にしても。


 鼎は冷め切った目ですすり泣く周囲を見渡した。

 この人数がここまで急速に引きずられることなど、普通は有りえない。洗脳というものは、まず関係を深めなければ大きな影響は及ぼさないのだから。


 極めつけには、隣のすっかり垂れ下がったツインテール。結び目が見下ろせるくらい下にある。こう見えて、不信が可愛げという名の服を着て歩いているような女だ。いくら共感性が高くてももらい泣きするほどではない、はずだろう。

 こんな小細工が仕掛けられていなければ、と気に入らなさに唇が曲がりそうになる。


 辺りに漂う不快な臭いは、脳の活動を低下させる何らかの薬物。それがこの惨状を引き起こしている。外見は人間のままを自認する鼎とて、その影響からは逃れられない。

 ただ、鼎という存在の意識が少し特殊な状態にあっただけ。だからこそ客観的な目を失わずにいられたわけだが。


 ──あァもう。しょうがねエな。


 鼎はふっと力の維持を緩める。

 あの見知った蛾の化け物と揃いの白髪になった姿に、いち早く気づいた信者が騒ぎだした。ついでに横のツインテも。



 うやうやしく扱われるのは嫌いではない。『白瀬』の後継を選んだ気でいる信者は鼎を丁重に案内した。

『白瀬』の座している()にだ。


 座敷に上がった鼎の後ろでふすまが閉まる。人払いを命じるまでもなく、恐れをなした信者は足早に『神』の御前から去っていった。

 そうなれば、この場に立っているのは女の死体に魂を移し、異形で飾り立てた旧友と己のみ。これからの話にはうってつけだが、相も変わらず読めない黒目に『鼎』の自分はどう映るのやら──。


「人を食らうのではなく、皮を被るとは。随分と趣向を変えたな、羊の」


 まずは証明からかと鼎が口を開くよりも先に、『白瀬』が親しげに語り出した。鼎の眉がぴくりと上がる。


「よく気づいたな? てっきりテメエはどこの馬の骨かと警戒されると踏んでたんだが」


「何を、昨日からいただろう。見てくれを変えようが、ぬしら肉食と違い、魂食は色に敏感でな。──千年ぶりか?」


「バカ言え。(いたち)のがいた頃だぞ。せいぜいその半分くれェだ」


 予言とやらでは妙な喋り方をしていたが、顔を突き合わせてみれば以前と同じでなんてことはない。ただの格好つけかと鼎は一人笑った。

『白瀬』がぬるりと暗がりから歩み出てくる。吐息がかかるほどの距離。頭一つ分ほど上の位置で、カサカサと口蓋を突き破って生えた触覚が震えているのは歓喜か。


「そうか、長く待ちわびたものだ。では、また食い合おうか」


「急かすなァ。そんなにオレが恋しかったか?」


「ああ。お前を食らってみたくて仕様がない。その便利な『食う』力が手元にないことをこの数百年で何度口惜しく思ったことか。手元にあるべきものがない餓えの苦しみが、羊のよ。常に蓄えを欲していたお前にも分かるだろう?」


「生憎と小食が今のブームでな。BMIっつゥんだが」


「御託は十分」


『白瀬』がばさりと頭上の翅を広げた。臨戦態勢だ。「チッ」鼎は即座に耳を手で押さえる。しかし、『白瀬』はにやりと口角のかわりに触覚を上げる。


「もう入れた」


 ──あー、かー、は まー、な


 内側(・・)から耳を震わせ始めた祭文に、鼎は再度舌打ちした。そして、耳を塞いだまま声を張り上げる。

 無精な化け物、一世一代の大博打だ。


「『白瀬』! ──賭けをしようじゃねエか」


「ほう? 話せ」


「ほゥら、乗りやがった」と鼎は目を細める。

 昔から『白瀬』は無類の賭け好きだった。それを裏付けるように、耳の内の声はぱたりと止んでいる。


「このままやり合おうってのも悪かねェ。しかし、オレもオマエをむざむざ殺しちまうのは忍びなくてな」


「その言葉はそのまま返そう。すなわち悪くない提案だ。賭けの内容は?」


「また互いのコオロギを戦わせるってのはどうだ。どうせそっちにゃァ木偶の坊がいるだろう。こっちはニンゲンが四匹、オレが負けたらぜェんぶ食っちまっていいぜ」


 勝手に交渉の場に引き出された面々に対し、鼎は内心で舌を出す。もちろん謝罪の意図はひとかけらもない。むしろ、謝られるのならばこちらの方だ。


 ──ああ神様、お手を煩わせて申し訳ありません。全て貴方様の計らいのおかげです、と。


 誇大妄想にくつくつと喉を震わす鼎を全くもって気にせず、翅まで収めてすっかり賭けに乗り気になった『白瀬』が首を傾げた。


「勝利条件は互いの全滅か。こちらの要求は好きに決めさせてもらうが、それでお前は何を求める?」


「あァ、そうだな。──またどこぞのバケモンでも食って得た力か、でっち上げかは知らねェが。予言の場でオマエが言った、あの凶兆てのはなんだ。それを教えろ」


 拍子抜けしたように『白瀬』は口を閉ざしている。そんなものでいいのか、とでも言いたげだ。厄介な疑念が相手に芽生える前に、鼎は分かりやすい理屈を示してやる。

「もちろん、負けたオマエの肉も魂も好きにさせてもらうが」


 最初の要求はついでだと見たのだろう。化け物らしさに溢れた意図を見せれば、合点がいったのか『白瀬』は「あい分かった」と承知した。


「だがでっち上げというのはいただけない。あれは真よ。よって羊の、お前が勝ったら真実を教えよう。しかし我が勝ったらその魂はもちろん、妙ななり(・・)をしているわけと、お前の力が衰えた理由を教えるように」


「……気づいたか」


 言い当てられた内容に鼎が警戒の目を光らせる。反対に、勘か根拠あってのものかは知らないが的中に喜ぶ『白瀬』は触覚を震わせて上機嫌。

 二つは釣り合っていないだろうと鼎は言いかけて、そもそもこの賭けを持ちかけた理由を思い起こしてやめにした。

 数少ない光源から漏れる光も吸い込む巨大な黒目が、心なしかきらめいて迫る。


「だからこそ、確かにただの食い合いではつまらない。賭け事であれば十二分に興じられる」


「低いなァ? オマエなら十五はいくかと思ったが」


「うん、そうだった、そうだった」


 旧交を温めるやり取りだ。その傍らで、祭文の続きが紡がれ始めていなければだが。

 鼎が鬱陶しそうに声のしはじめた耳に指を突っ込み、何かを引き抜こうとするのを『白瀬』が止めた。感触は人の指で人の手のひらに違いはないが、体温もなければゴム手袋のような質感に包み込まれる。

 鼎の手を強く押さえたまま、『白瀬』は薄っすら微笑んだ。


 ──をて れー、せ ゑ


「コオロギが競う間、飼い主が自由に動いては台無しだろう? 無論、我自身も手出しはしないと約束しよう」


「……ああ、いいぜ?」


「──なあ、羊の。相手の手法を理解していると思い込んでいるモノこそ、望む方に誘導しやすいものだ」


 ──ゐた、ら さ やー、わ


 祭文が視界を狭めていく。織り込まれる感覚は、昔一度だけユユに連れていかれたウォータースライダーに似ていた。両手を広げたら壁に着くほどの広さしかない、閉鎖的なトンネル。真っ暗闇の急転直下。落ちる先は底知れない闇。


「そういう文句は勝ってからのお楽しみにしとけ」


 嘲笑とともに吐き捨てる、それが最後だった。



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