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裏街バケモノカルト  作者: 楢木野思案
四・胡蛾の夢
40/41

2 あなたにとってのハレの日



 化け物から人の面影を感じられることが、これほど不気味だとは思ってもみなかった。どこまでが素の肉体で、どこからが『白瀬』。いっそのこと全て変貌させてしまえばいいのに、名残を残していることが余計におぞましい。

 だから、そんな化け物と(かなえ)が。


「え、どこで、まさか昔っから……? 知り合いってその、どういうタイプの」


「後にしろ。妙な目で見られる」


 そっけない拒否にユユは口をつぐむ。ただ、もういちいちしょぼくれたりはしない。鼎の言うそれは、要するに「後でなら答える」という意味だ。


 突然登場した異形に動揺してか、ざわめきが一向に収まらない一同。その様子を上段から眺めていた郷民が、パン、パンと二回手を叩く。

 求めた静けさがほどなくして得られると、彼は満足そうにお腹の前で手を組んだ。


「──改めまして皆様、本日はお集まりいただきまして誠にありがとうございます。ご覧ください。このように、我らが『白瀬』様もお喜びでいらっしゃいます」


 ──どのように?

 最初に歩み出てきたときから微動だにしない『白瀬』にユユは首を傾げた。


 表情にも変化はない。多分。瞳孔は白目を埋め尽くすくらい散大しきっているし、口から生えた触覚は口角の上下も見えなくしているが。


 いつの間にか、村の入口で見かけた郷民が会場の前方か後方かに集まっている。彼らがしみじみ頷き感じ入っているのを目にし、──これ口にしたらダメなやつだあ、とユユは悟った。


「このたび、この『理想郷』に外部の方をお招きしたのは、記念すべき初の『シラセ祭』を体感していただくこと。そして我々のことをもっとよく知っていただくためです。──昨年、わたくしどもはこの名仙(めいせん)村へと移住いたしました。それがこの一年、ここで実現された数々の奇跡の先駆けとなったことは間違いありません。しかし……」


 そこで言葉を切り、郷民はおどけてみせるように眉を下げた。「皆さまからの知名度は大きく下がってしまいました」

 周囲の郷民だけがどっと笑う。郷民がこほん、と咳払いを一つ挟んで取り直す。


「そんな中、わたくしどもの事業に興味を持ち、足を運んでいただいた皆様には感謝の念が強まるばかりです。たった三日ですが、全力で歓待させていただきますのでどうぞお楽しみください。なお、我々はいつでも入郷(にゅうきょう)を歓迎しておりますので、よければご検討もどうぞ」


 再び、どっと笑い声が沸き上がる。中心に集まっている訪問客側も、今度は一部が愛想笑いであわせていた。もちろんユユも空気を読んだ。


「──さて、『シラセ祭』について簡単にご紹介いたします。『白瀬』様は年に一回の引き継ぎを行われる神様です。その継承を祝して、これまでもこの祭りは行われてきました」


 熱の入った語り出しに、その片手はマイクスタンドをがっしりと掴んでいる。漂う長話の予感に、ユユは横座りにしていた足をさらに崩す。


「そして、今年からの『シラセ祭』はもう一つ役割を持ちます。それが『織代(おりしろ)』の更新。神様だけでなく、いわば村の生まれ変わりの祭りにもなるのです」


 聞き慣れない単語だ。郷民には慣れ親しんだものなのだろう、しかしこの場では当然初見の人もいることに気づいたのか、「織るに、代理の代と書いて織代です」と補足が入った。郷民は続けて、


「『理想郷』の誕生まで、ここはなんの変哲もない凡庸な村でした──それがこの『理想郷』となったのには『織代』があったから。三方に存在する()が村を守り、『白瀬』様のお力を支え、理想をこの地に顕現させ続けているのです!」


 パチパチと拍手が巻き起こる。慌ててユユも胸の前で手を叩いた。

 なんだかもはや譜面の見えないリズムゲームのような気持ちでいると、何事か君月(きみつき)が呟いた。──あっ聞いたことある、とユユの脳裏にひらめき。


 聞こえたのは「神域」。『織代』というのは、注連縄(しめなわ)か鳥居のような役目をはたしているのか。


「ところで、『白瀬』様のお力とは何を指すのか。疑問に思う方もいらっしゃるでしょう」


 知らなければ当然です、と郷民が穏やかに言う。一見して寛容そうな対応は意外なものだった。『神』を疑われること自体、大半の人間は好まない。

 心が広いのか、よほど自信があるのかの二択だ。


「一つはこの理想郷を生み出されたこと。そしてもう一つが、予言」


「予言?」鼎が囁く。何か疑問に思うことでもあったのかと、眉をひそめたその様子をユユは盗み見る。

 その間も、壇上では変わらず郷民が喋り続けている。


「継承が行われる前、今代『白瀬』様の最後のお仕事がこの予言です。これをまずはじめとし、『シラセ祭』は明日の朝から明後日の夜まで行われることになります。そして、予言は次代『白瀬』様をお決めになるものでもあるのですよ」


 シームレスに段取りが説明された。次の『白瀬』が誰になるかはまだ決まっていない、そんな不思議な口ぶりだ。


「よって継承の儀式までが明日の、そして我々郷民総出で『織代』の更新を行うのが明後日のメインイベントとなるわけですね。とはいえ、皆様にとっては明日が一番の見どころとなるでしょう。──選ばれた次の『白瀬』様が、先代『白瀬』様の織った反物で舞を踊る。神の織物を纏うことで、ひとりでに『白瀬』様の足が、御腕(みうで)が舞うのです。それはそれは、この世のものとは思えない絶景ですよ」


 ──確かにこの世のものとは思えなさそう。

 カサカサと音の立ちそうな舞を想像すると、別の意味で同意せざるを得なくなった。


「と、大体はこんなものでしょうか。何か質問や不明点があれば遠慮なくお尋ねください。まだ祭の前日ですから、本日いっぱいはどうぞ肩の力を抜いておくつろぎください」


 マイクスタンドから手を外し、語りを終えた郷民が深々とお辞儀をする。

 最後まで『白瀬』は一言も喋らなかった。


「で、どうするんすか」


 二()が壇上から奥に戻っていくのを目にしたところで、アキが口火を切る。

 余談だが、ギターケースを横に置き、不良じみた顔の大柄な男性が正座している光景は違和感がすごかった。膝を開きつつ、背筋を伸ばしてきっちりと座る姿勢は普段の彼からは想像もできない。そんな失礼な感想を秘めるユユをよそに、


「一旦村を見て回ろうと思う。彼の言う通り、今日はまだ本番じゃない。別行動でも支障はないだろうけど、来るかい?」


「俺は他にすることもないんで、もちっす」


「ユユは……」

「あァ。オレらもだ」


 先ほどの続きを今聞き出すべきか、ユユが迷っていると鼎が即答した。ユユに送られた流し目は「まだだ」と告げている。

 今は人が多すぎる。それが伝わったから、ユユもひとまず「はい。一緒にいきます」と表明。君月と(けい)が顔を見合わせて頷く。


「俺は夕食の時間だけ民泊の方に確認してきますね。少し待っていてください」


「それ、私も混ぜてくれませんか?」


 声がしたかと思うと、梶がユユの横に立っていた。ちょっと跳ねた心臓を人知れず抑えるユユ。

 君月が「結構だけど」と言いつつ片方の眉を挑発的に上げ、


「どうして僕らなんだい? 他にも十人……二十には届かないか。参加者への取材なら他にもそれなりに候補はいるだろう」


「そうですね……」


 言葉を切り、梶の視線が集会所を一周する。

『理想』に釣られてかあくまで祭りへの興味本位か。子供を連れた家族から夫婦か恋人らしき距離感の男女、大きなバックパックを背負った男性など、参加者は多様性に溢れていた。一応は若い男女のグループであるユユたちがいてもおかしくないくらい。

 ぐるりと見終えたあと、梶はぱちりと片目を瞑った。


「記者の勘です。貴方がたといれば、一等面白いものが書けそうだと思いまして」


「ふうん? いい勘してるよ、君」


「恐縮です」


 どうやら君月の琴線に触れることに成功したらしい梶が会釈をする。

 それはつまり、『理想郷』の観光メンバーが一人増えたということだ。


「では、改めて行ってきます」方針が固まったのを感じ取り、梶の出現で行きそびれていた景が再度席を外すと宣言した。



 ◆



「夕食は十八時だそうですので、あと三時間……二時間半程度に見積もっておきましょうか」


「はーい」

「うす」


 歩きながら腕時計を確認する景の横で、ふはっ、と君月が一人噴き出している。何を言いたいのかも分かりきっていたが、今度は全員がスルーした。


 無視を決め込んだあとのユユは目の前にバサッと地図を広げる。時間管理は彼に任せたところで、ユユの担当は道案内になったのだ。

 今はひとまず、北に向かって歩いている途中。なお、村の入り口は最南に位置していた。


 ポップな字体に丸い曲線の道。大きい公園にあるような手描きの地図を眺めていると、先頭を歩くユユの隣で梶がくるりとヒールを軸に踵を返した。

 器用に後ろ歩きをしつつ彼女が全体に問いかける。


「ところで皆さん。『理想郷』、もとい名仙村の歴史についてはご存じですか?」


「そうですね。ある程度調べてはきましたが──君月さん」


「ああ、君の講釈も聞きたいね。用意があるのなら、ぜひお願いしたいところだ」


「では僭越ながら」


 んん、と喉の調子を整える梶。ゆったりと横を流れていくのは平たい一、二階建ての住居が並んでいる風景ばかり。

 長屋のような一直線の団地が続く光景から気を紛らわせるにはちょうどいいと、耳を傾けた。


「まず、ここ『理想郷』の名産は織物です。地域の交流もあってか農作物の直売所も設置されていますが、この村を代表するのはやはり古くから続く養蚕業でしょう」


「あー、台地だからすか」


「ええ。今体感しているままですね」


 最後尾を歩くアキからコメントが飛ぶ。先ほどから一行はゆるやかとはいえ長い傾斜を登っていた。持ち運びの荷物を少なくしておけばよかったと少し後悔。


「しかし地方の常と言いますか。過疎化が進み、どうしても人手が足りなくなったのだそうです。そこで」


「東京にいた頃の『理想郷』から集団移住の打診があったというわけか。と、差し込んでしまってすまない」


「構いません。仰る通り、そうして現在の『理想郷』は成立したのですよ」


 ご清聴ありがとうございました。

 そう小さく礼をすると、梶は体の向きを反対にし、通常の前歩きに戻る。

 図ったかのようなタイミングで、ユユたちの正面には赤い瓦屋根の平屋がそびえ立っていた。


「あ、とーちゃくです」と立ち止まった後ろの面子にユユも一応告げる。地図の上では、この柵の向こうの建物が『製糸場』と書かれた場所のはずだが。


 木造の壁の汚れは年単位──少なくとも一年どころではなさそうな期間を放置された黒さ。雑草も生い茂り放題。極めつけには、柵に立てつけられている看板が。


「進入禁止。どうやら閉鎖されてるようだね」


「おや」


 列の真ん中から進み出た君月が看板を読み上げたあと、「人不足がよほど深刻だったのかな」と茶化して言った。

 地図とにらめっこ中のユユがぐぐぐっと首を捻る。──地図の通り奥には防風林のてっぺんも見えるし、位置は間違っていないはず。


「この向こうに乾燥小屋? とか、桑畑もあるみたいなんですけど……」


「行けないね、全部」


「んなら引き返すか?」


 左右から鼎とアキが覗き込んでくる。仕方ないから見やすいようにユユが腕を伸ばし、地図を広げてあげる傍らで「どうしますか」と景が君月に聞いている。君月が話を振るのは梶だ。


「どうしようか、記者さん」


「郷民の方にインタビューしてみるのはいかがでしょう?」


「いいね。僕も賛成だ」


 意見の一致により、一度引き返したうえで工場閉鎖の事情について誰かに聞くこととなった。



「──あーっ、古い地図渡しちゃってたあ!? ごめんなさいねえ、そう、あの製糸場には入れないの。そこから先も同じね、もう使わないから。ああ、後で皆さんにもお詫びしないと」


 中央の居住地域に戻る途中、集会所で見かけた女性がいたので声をかけるとすぐに平謝りが始まった。

 それなら次は南側の探索になるだろうから、先んじてユユが広げた地図の下部に目を通していると。


「一つ聞いても? 名仙──『理想郷』の特産には絹織物が含まれているだろ。とうに工場が使われなくなったというなら、あれはどこで作られたものなんだい」


「全て、『白瀬』様のお力ですよ」


 女性が微笑み、手を胸の前で組んだ。

「『白瀬』様が糸を生み、織りなす。それが『理想郷』の原動力になるんです」


「作った上で運営をも。なるほど。責任のある神様なんですね」


「その通り! 外から来た人に分かっていただけるの、嬉しいわねえ」


 経営もまかなう『神』という事実をオブラートに包んだ対応力を見せる景に、女性がころころと鈴を転がす。


 上機嫌の女性に、横からユユは「ちなみに本来は立ち入り禁止の場所って、他にあったりしますか?」と聞いた。今のユユには地図係という大きな責任がある。


「ええっとねえ……ああ、ここの道曲がった先のね? 診療所にだけ、祭りの間は入れないから気をつけてくださいな。近くに行っちゃダメってことはないけど、空いてないから」


「診療所。それは何故でしょうか、ご婦人」


「普段は自由に使っていいのよ。お医者さんしたい人がして、色々器具もあるもんで。けど祭りの間はほら、穢れ(・・)が禁止でしょう。そもそもケガがあっちゃいけないから診療所も開かないのよ」


 梶の突っ込んだ質問に対し、女性の答えはすぐには飲み込めないものだった。ユユはたまたま近くにいたアキと顔を一瞬だけ見合わせたあと、


「お医者さんしたい人が、する……?」


「そう。──だってそれが『理想郷』ですから。何にだって、何よりも自分の夢を優先していいの。やりたいこと、したいこと。ここには誰も、それを邪魔する人はいません」


「……へえ。二日間ずっとケガしちゃいけないっつーのは、できるんすかそれ」


 妙な間があった気がしたが、アキの問いには「無理ねえ」と思いがけない朗らかな苦笑が返ってきた。


「そりゃあ何かあっちゃった時は、頑張って自宅でみんな隠すの。秘密ですよ?」


「公然の秘密というやつだね。もちろん守るさ。記者さんは、」


「ええ、オフレコですね? 理解しました。ご安心ください」


「よかったわあ」安心したようにころころと鈴が鳴る。

 聞きたいことが聞けたところで、ちょうど夕飯の支度があるという女性には礼を言って別れることとなった。

 一息ついたあとは、今後の話し合いだ。


「それで、君はこれからどうする?」


「そうですね、そちら少し見せてもらっても?」


「あ、どぞ」


「ありがとうございます。……南側に農場や家畜舎がありますので、そちらで郷民のどなたかに話を伺おうかなと」


 気づけば地図を持つユユが中心の配置になっており、慣れない感覚。半分借りたそれを眺めた末に梶が方針を決めると、君月が乗った。


「それじゃ、ここからは僕らが君の取材に付いていっても? 邪魔はしないさ、横で見てるだけにするよ」


「もちろん構いませんよ。こちら、お返ししますね」


 二つ返事だった。ユユは返された地図を四つ折りに畳み──と、その前に顔を上げる。

 ここの人たちなら、こういうかなあと思ったのだ。


「入れないって言われましたけど。診療所、見とかなくていいんですか?」


「一応見ておこうか。一応ね」


 案の定の満足が一つ。そして、次の移動先が決まった。



 ◆



 滞在中、泊まることになったのは『理想郷』移住前からあったという民泊施設。

 夕食の準備や浴衣の用意にと細かく世話を焼いてくれた女性は、今回期間限定で女将になったと言い、「これも夢だったんです。『白瀬』様のお導きですね」とふくよかに笑っていた。


「──女子組上がりましたー。お待たせです」


「はいおかえり」


「こちらも先ほど上がったばかりですよ」


 共用スペースのふすまをスパンと開け放ち、湯上りつやつやお肌にすっぴん風メイクをきめたユユと、白髪状態を晒した鼎が続いて入る。先に入浴を済ませていた男性陣は座卓に集まっていた、のだが。


 そのうちの一人に、目が吸い寄せられるのを止められなかった。見慣れないその光景に、ユユは抑えようとしたもののつい噴き出してしまう。


「先輩、髪ぺったんこ……っ、んふ、」

「悪いかよ」


 髪から普段のくせが取れて真っすぐになっている。不貞腐れた表情に変わるアキに、「ふ、なんでもないです」とまだ続けられそうだったところを急遽飲み込んだユユだった。


 ──寝室は二つに風呂も二か所。急遽決まったにしては至れり尽くせりの環境だ。

 夕飯時、施設の数の都合で……と申し訳なさそうに二組(・・)での施設の共用を打診されたのだが、むしろ願ってもないこと。

「いえいえそんなお気になさらず」と寛大な良き来訪者を装い、全員で即座に移動したのは言うまでもない。


 長方形の座卓の空いていた長辺にユユたちがお邪魔したところ、頬杖をつく君月が、


「それを言うなら本郷くんの変わりようもすごいけどね。なんか、乾いた濡れネズミを思い出した」


「癖毛の宿命なんだよ、舐めンな直毛が。そこの金髪男は分かるよなァ」


「まじすっげえ分かる」


 深みを感じさせるアキの同意。なお鼎の髪のボリュームは普段の半分ほどになっており、君月の例えは悪意の分を差し引いても、「ああ」となる程度には適切だった。

「納得すんな」と脇からこづかれたが。

 いっこうに話が進まないのを見てか、景が咳払いを一つした。


「それで、あの方の取材をお邪魔した結果分かったことですが」


「ああ、いくつか見えてきたね。まずは先住民の行方だ」


 君月が立て膝座りで重心を後ろにずらし、思い起こすように低い天井を仰ぎ見る。

「いつでも入郷(・・)は大歓迎。教義に同意すれば名仙村の住民でも『理想郷』の郷民になれるという話だったが」


 わざわざ梶についていくというかたちをとり、「記者」という身分の影響で普段よりも断然取材ははかどった。サンプルの数は得られたはずだ。

 ──しかし、話を聞いた中に元からこの村の住民だという人はほぼいなかった。


 ユユはいちにい、と指を折り、


「三人、いるっちゃいましたけど」


「十人以上聞いてそれじゃあな」


「比率があっていませんね。住民票を移していない入植者がいるのでもなければ、元の村民が消えているんでしょう」


 四対六という、事前に聞いていた新旧村民の割合との大きなズレ。まず一つ、夢が叶うといった聞こえのいいことばかりな『理想郷』の裏を匂わせるものだ。

 次にあぐらをかいたアキが膝に肘を預けたまま、ひょいと手を挙げる。


「診療所がガチでやってなかったこともっすよ。ケガしちゃいけねえって、何のための禁止なんだか」


「一応既存の理屈を当てはめることもできなくはない。『ハレとケ』──祭りという特別なハレの日に、ケという日常の産物である穢れを持ち込んではいけないという。……ただ、その穢れを浄化するのが本来ハレの役割なんじゃないのか」


 顎を上げ、天井を睨んだまま君月は考え込んでいる。何か腑に落ちない点でもあるのかと思う一方、ユユの頭にも伝えなくてはいけないことが浮かんでいた。

 鼎の爆弾発言についてだ。


「それとあの、『白瀬』……さん? についてなんですけど」


「たとえ元が人間だとしても、化け物に敬称は付けない方がいい。信仰や畏れは形から入り込んでくるもの──」


「オレぁ、あいつを知ってるぜ」


 君月を遮っての爆弾発言、再び。ぴたりと固まる空気にユユは嘆息した。アキが呆れた顔をする。


「本郷、そういうのは普通もっと早く言わねえ?」


「誰かに聞かれでもしたらオレが不味い立場になるだろォが」


「ユユも一応そう思ったので、言うなら今かなあって言いました。これ以上のことは何にも知りません!」


「とにかく聞きましょうか。そう言うからには何か、分かることもあるんでしょう」


「そうだなァ、教えてやってもいいが」


 隣の鼎は腕を組み、のんべんだらりとした対応。そのときになって、はたとユユは気づいた。

 ──すっかり抜けていたけれど、『白瀬』と旧知の間柄の鼎がこちらに情報を提供してくれるとは限らない。どころか、それを理由にユユたちの前に立ちはだかる可能性もあるのだ。


 そう思うと、にわかに漂い始めた物騒な空気にユユは冷や汗。君月なんかは特に、明らかにどう絞ろうかと目を細めている。


「吐いたら楽になるとは言わないさ。ただ、君が吐くまでどんな思いをするかは保証できないと言ってるんだ。ねえ、アキくん」


「え俺すか」


 突然指名されたアキがすっとぼけた返事をした。

 鼎は「はッ」と笑ったかと思うと手のひらを机に乗せ、威勢よく身を乗り出す。束ねられていない白髪がばさりと翻った。


「勘違いするなよ? オレら化け物に仲間意識なんてのはハナからねエ。殺し合ったこともあらァ。だが、契約があるってだけのオマエらに肩入れしてやる理屈もねェんだ」


「長い。つまり?」


「情報だけはやるからあとは好きにすりゃァいい」


「あ、意外とあっさり……」


 ここまでのやり取りは何だったのかと、拍子抜けする結論。啖呵を切るだけ切って戻ってきた鼎にしらっとしたユユが目を向ける中、横を向いて座った鼎はさっさと『白瀬』について語り出していた。


「あいつの名前は知らねェ。今が『白瀬』っつーならそうなんだろう。知ってることと言やァ、肉を食わないこと。オマエらの言葉で言うなら魂食だな。乗っ取られたニンゲンはとうに食われて死んでるはずだ」


「やっぱり人間の死体に巣食う化け物か。本体は? 実体があるのか、ないならどうすれば殺せる」


「実体はねェはずだが、さてな。だから停戦したんだよ、オレんときゃ。あのニンゲンか、そうでなきゃどこかには本命の依り代があるとオレは見てる」


 知り合いと聞いて想像するものとは少し毛色が違うような、と思ったがユユたちにとっては幸運に違いない。

 次々と問いと答えが座卓の上を往復する。


「やつが『理想郷』を作り上げた力については? まさか、布を織るだけの『神』じゃないだろう」


「そりゃァそうだ。あいつは何でもかんでも織り込ん(・・・・)じまう。糸を入れて肉体に通しちまえばあとはぜェんぶあいつのもんだ。ヒトも化け物も操り、その力を我が物にする。予言っつゥのも、いつか食ったヤツの十八番だろォよ」


「『織代』っていうのはなんだ。三方に存在する()が村を守る。神域の類かい?」


「織り込みに必要なモンだな。前の領域の要にはそこいらの道祖神(どうそじん)を使ってたと思うが、わざわざ名づけてんだったら今は違うかもしんねエ」


 畳み掛けるような応酬はそこでようやく途切れた。「もうしめェか」と薄ら笑いを浮かべた口からちろりと赤い舌が見える。


「無論まだある。ああそうだ、ご趣味は?」


「無類の賭け好き。──乗っ取られてその肉を腐らせたくなかったら、糸は避けろ。万一のときは引っこ抜け。忠告はしたぜ。ニンゲンよ」



 ◆



 翌朝、ユユの一日は同室の鼎に叩き起こされるところから始まった。

 ユユの名誉のために詳細は割愛するが、


「そっちがしゃっきり起きてることある!? 逆でしょなんかぁ」

「言っとくがあの事件以外は皆勤賞だかんなオレ」

「あ~そういえば小中そうだった!」

「オマエはいい加減一回で起きれるようにしろよ。何のためにアラーム五分おきにセットしてんだ」

「え、親? やばい頭おかしくなりそう」


 と、化け物からまともに説教されている事実に頭を抱えたりしたとだけ。遅刻癖は直そうとは思っている。嘘じゃない。


 誇るべきは、今日のユユが遅刻しなかったことだ。起こしてくれた誰かのおかげとか言うのではないけれど。


 そうして向かったのは昨日と同じ集会所。「室内か、やぐらとかないんだな」と簡素さに呟いたアキに対し、「予算足りなかったんじゃないかい」と言い放った君月が「聞こえますから」と景にたしなめられていた。


 しかし、内装は打って変わって本番仕様。シーリングライトの照明は落とされ、壁際に吊るされた提灯と床に置かれた行灯が、部屋の四隅と天井をぼんやりと橙色に染めている。

 目を凝らすと、糸でできた飾りが一面を覆っていた。房飾りや注連縄(しめなわ)風の装飾や、壁に掛けられている糸は蜘蛛の巣のよう。全て白色の綿密に織られたそれはタペストリーにも近い。


「避けるのは無理そうだ」


 糸を避けろという昨日の鼎の言を挙げて君月が苦笑した。

 室内には線香のような独特の香も焚きしめられており、昨日の集合時とは違う異様な雰囲気にあてられた旅行者の口数は少ない。しかし昨日よりも大勢の郷民が詰めかけており、ぎゅうぎゅう詰めの周囲の熱気は膨れ上がる一方だった。

 今か今かと待ちわびる空気に、一陣の風が吹きこんだ。


 ──奥の一段上がったところの壇上。大衆とを区切る薄布がそよぎ、揺れる。

「……来たな」鼎が囁いた。


「──」


 ぱちぱち、ぱちぱち。降り始めた小雨はやがて雷鳴へと変わる。

 押しかけた郷民全員が打ち鳴らす拍手が、集会所を揺るがしていく。

 堪えきれず耳を押さえたユユに気づかないほどの無言の熱狂は、始まったときと同じく突如鳴りやんだ。


 知らない間に壇上に上っていた『白瀬』が、手を掲げたのだ。


「──親愛なる我が『理想郷』の郷民へ。より良き明日に夢を抱くため、また予言を託そう」


 今度は痛いくらいの静寂。触覚の生えた口からは、想像よりはっきりとした人の声がした。


「──ひと月のち。宙より星が落ちてくるであろう。夜に狗が駆け、天に火柱を吹き上げん」


 ざわ、ざわ。動揺する人々の間を縫って、ゆっくりと下ろされた『白瀬』の指が一点を示した。

 勘違いでなければ。ユユを、だ。


「──そこの。凶兆がある。気を付けるがよい」


 今誰を指した、『白瀬』様は誰に向かって言ったのかと、堰を切ったように周りが声を上げだすのをどこか遠くに感じる。

 心臓が早鐘を打っている。──見られていた。言われていた。


 あの巨大な黒眼に映っていたのが自分だと、ユユは何故かはっきりと確信を持って言えた。


「──これで最後だ。よく聞けい。次の『白瀬』は昨日、この場に足を踏み入れた者の中にいる」


 一人混乱の最中にいるユユを置いて、予言は次へと移っていく。郷民の言っていた次代の『白瀬』を決めるもの──昨日?


 ざわ、ざわ。意図を解した者から徐々にざわめきが広がっていく。

「マズくねえか」アキのくぐもった声がする。動揺中のユユはまだ完全には追いついていない。

 ただ、ものすごく嫌な予感はした。


「継承を、正しく行うように」


 布がばさりと下り、『白瀬』を隠す。その途端、焦りを含んだ声で矢継ぎ早に君月が囁く。


「本郷くん。好きに暴れろ。アキくん、」


「ヒトが密集しすぎだ。オマエに掛けられてる制限で動けねエよ」


「すんませんケース開けらんないっす。刀が出せない」


「逃げ道を塞がれました。……不味いかもしれません」


 限界まで詰めかけた室内で、ユユたちの四方は郷民に固められている。景が警戒を促す声に、チッという君月の舌打ち。

 ──あ、そういうこと?


 人の檻に閉じ込められた。

 そう理解したのは『白瀬』の去った壇上で、郷民が声高らかに祝福を謳いあげたときだった。


「来訪者の方々、おめでとうございます! 皆様は次の『白瀬』になる資格を得られました。 よってこの先、我々の許可なく外に出ることはお控えください。……このたびのこと、心からお慶び申し上げます」



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