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裏街バケモノカルト  作者: 楢木野思案
三・丑三つ時のにせものたち
38/40

11 目を伏せていた世界



 ユユは落ち込んでいた。それはもう、前方に両手を投げ出して、前髪が崩れないようにしつつ机に突っ伏すくらいには。


「もうやだ」


「おォ」


「なんで真佐人(まさと)さんが自分で行くって言ったときに止めなかったのかとか、なんでもっと早く(けい)さんたちに連絡しなかったのかとか、そもそも祥子(しょうこ)さんに騙されたのも、全部ぜーんぶ。はあ……」


「生きてンだからいいじゃねェか。あの男もオマエも」


 うつ伏せで嘆くユユを(かなえ)が適当にあしらう。心底うざったそうだ。人の真面目な反省を煙たがらないでほしい。

「大体が呪いの影響だッて言われたろ」というぶっきらぼうな言葉にはちょっと気が緩んだが、人の背中を肘置きにもしないでほしい。


「重いぃ……」


「じゃ、そんなバッド入ってる甘蔗(あまつら)君に朗報だ。今回僕らの調査対象だった二団体、どちらも解体に持っていけそうだよ」


「超朗報じゃないですか!」


 跳ねるようにユユが頭を上げる。「ぎッ」その勢いで、ユユの背中に頬杖をついていた鼎は自分の手で顎にアッパーを食らって悶絶していた。


「……ごめん?」

「るせェ……」噛みつきそうな目つきで見上げられる。


 朗報を告げた君月(きみつき)はといえば「あはははは」と正面で大笑し、気分よさそうにクッキーを一つ大皿から取っていた。

 ご迷惑おかけしたので、と真佐人から渡されたものだ。「彼女の実家のものなんです」と少し照れくさそうに言っていて、幸せになってほしいなあとユユは心から思った。


「はー、涙出た。で、事の顛末について聞くかい?」


「そんな笑う……じゃなくて、はいっ。それ聞くために今日寄ったので!」


 カナワ様が霧散してから一週間が経った。『カナワ屋』の後処理にはユユも関わったが、『TRIAINA』についてはついぞ関わらせてもらえなかったのだ。気にならないわけがない。


 一週間前、ユユは祥子の一件があったこともあり「ユユも『TRIAINA』の調査したいです」と直談判した。しかし思いもよらず渋い顔をされると、

「……未成年だろ。君もアキくんも」

 言いづらそうにする君月に断られた。今回、二手に分かれたのはそういう理由だったらしい。


 時間は現在の相談所に戻る。ユユの待ち込んだ回転椅子をやけに優雅に座りこなす美曙が微笑んだ。なお膝の上には抹茶味が三つ確保済み。


「私たち大人に任せてもらったものね。やっぱり気になってた?」


「そーですー。なんか職場の近くでしたし。あと、景さんが本当にホストのフリしたのかとか」


「そこかい。本人に代わって言わせてもらうと、『ご想像にお任せします』かな」


 ちょっと小耳に挟んだ話。結局潜入捜査とやらはやったのだろうか。してなかったらむしろもったいないなと、残り少ないイチゴ味を漁りながらユユは思った。本人がこの場にいないことが非常に惜しい。


 そういうわけで、ユユは「だから愚痴るために来たわけじゃないんですよ」とも断っておく。あれは久々に立ち寄ってみたところ数々の失敗が蘇り、気分が落ちただけだ。


「ふむ。内偵はどうだったのかと聞かれれば、確かにやらせたよ。──高嶺祥子(たかね しょうこ)にね」


「えっ、協力させ……してくれたんですか!?」


「あのクソババアがァ?」


 復帰した鼎が疑り深そうに口を挟む。表現はさておきユユも同意見だった。そんな殊勝さがどこにあったのか。君月が自慢げににんまりと笑い、


「彼女、金に困ってたみたいでね。依頼料に迷惑料その他込々でぜーんぶチャラにするけどって言ったら二つ返事。いい取り引きだったよ」

 

「ニンゲンって汚ェなア」


「使えるものはなんでも使う主義」


 いつもの小競り合いはともかく、その裏取引によってユユの取ってきた初仕事は無給扱いになったようだった。いや元々罠だったわけだし、やっぱりユユがよくなくて、と一人で心が湿っぽくなるユユをよそに、


「彼女は以前、心中もとい人身御供を持ち掛けられていた。当時の幹部と繋がったあとは誘いに乗っかるフリをしてもらうだけさ。おかげで、ずっと不明だった『御神体』の所在を発見できた」


「九年前に芽を摘みきれなかった理由ね。神宿の本拠地とは別にあったから」


「それを今回、美曙さんが……」


「ばっさりいったわ」


「そう。信者を生きたまま食べたがる高尚なご趣味のおかげでね」


「ご愁傷ゥ」


 策略と刀の露となって消えた化け物に鼎がおざなりな弔意を表する。そうすると、囮にされた彼女は食べられる寸前までいったのだろうか。──もしや、

「見捨ててないわよ」美曙が有無を言わさず微笑む。あっはい、とユユは頷いた。


 けれどそうなると、彼女はかつて縋った『神』の正体を見て、その終わりを見届けることになったのだ。目の前で。


「どんな気持ちだったんだろう」


「何がかい?」


「……『どうせ破滅するなら、あそこを選ぶ』。祥子さんがいる場所を考えたとき、真佐人さんが言ってたんです。そのときはちょっとおかしくなってて意識してなかったんですけど」


 今考えれば、本当に究極の選択だ。

 それは彼女にとって道連れに破滅をもたらしたい因縁の場所だったのか、はたまた無意識のうちに縋りたくなったのか。──最後に抱いたのは呪いか、祈りか。

 つたない言葉でユユがそう伝えると美曙は、


「案外近いんじゃない? それか、自分でも分からなくなったのかも。そういう顔してたわ」


「そういう顔……」


「どっちにしても、人は最後に必ずどこかに行きつくのよ。──信じたことから逃げられない。それだけ。深く考えちゃう人って大変ね」


 深く考えない人の代表格が淡泊にそう締めくくる。

 考えすぎ。そんなものだろうかとユユが納得しかけたところに、「そういえば僕は意外だったんだけど、美曙」と君月が別口から切り出した。


「聞いたよ。現場で説教したらしいじゃないか、君にしちゃ珍しい」


「なんとなく言いたくなっただけよ。理由があると思う?」


「や、全くなさそう」


「ひどい。もらっていくわね、これ」


「今のは自分から言いだしただろ!」


 つまみ上げたばかりのマーブルクッキーを美曙に颯爽と持っていかれ、君月が釈然としない声をあげた。とはいえ渋々大皿から別のを取っていく様子に、奪い返す選択肢はないんだなあと同情するユユだった。


「うまいなこれ……『TRIAINA』の件はそんな感じ。『神』に集めるはずの信仰が、信者を釣る側との間で分散したりと構造の問題もあったしね。しばらくしたら残党も消えるだろう」


 次は取られないようにするためか片手でガードしつつ、今度こそ君月が話を締める。続けて語られるのはもう一つの顛末──ユユも知っている方だ、と気構えを解いた。


「『カナワ屋』の方はあれから新しい動きもない。完全に『神』一体で運営をまかなっていたんだろうね、呪い代行に意味がないと周知されれば次第にブームも去るはずさ」


「なら、うちのカフェであれ効かないよーって流すのはもう終わりです?」 


「そっちの判断でいいよ。完全に鎮静化してないようだったらまだ続けてくれ」


「りょいです。あとちょっと続けときます」


「ミツキ、それってアキにも伝えた?」


「まだかな」


「あ、じゃあユユが」


 どうせならついでだ。ユユは手を挙げて伝達役を預かりにいく。


 ──事後処理の一環として、『Divine♡』内で祥子の流したカナワ様の噂はユユが処理することになった。といっても「効かないし自分が呪われるっぽいよ」という旨の噂を対抗で流しただけだが。なぜか(・・・)タイミングよく辞めていったメイドもいたことで信ぴょう性はそれなり。

 アキも大学で同じように話を広げて回ったらしい。

 風説はさらに強い風で吹き飛ばしちゃうに限るのだ。


 ただ、とユユは浮かない顔になる。『神』が消えたのだから、あとはそれを周知すればいいとばかり思っていたのに。


「……まだ『呪い代行』ってSNSで検索すると、似たようなのが出てきてて」


「そりゃァそうだろ。使えるものはなんでも使う、ニンゲンだもんな」


 一向に皿へ手を付けない鼎が皮肉を交えて言う。ユユは少しむっとした。

 ──やれあいつを呪ってほしいだとか、次はこの業者試そうだとか。サイトの削除自体は難しく、世間的な風化を待つしかないと言われたが、それにしたって『カナワ屋』を頼る人は一向に減らない。

 大元を絶ったところで、顔も知らない大勢は変わらずユユの気が滅入るような世界を作り続けている。


 とはいえ鼎に反論する気が湧いたわけでもない。ユユだって心の底では分かっている。それを補強するように君月が頷いた。


「ま、究極その通りだよ。他人の不幸っていうのはよくある餌だ。あくまで市場の一つだし、あの化け物が独占していたわけじゃない。酷なようだが根絶は不可能だよ」


「分かってます。……けどこの人たちみんな、捕まりもしない。人を傷つけるのに、その自覚もいらないなんて」


 呪術は不能犯だと言われたことが思い返される。


「真佐人さんが『カナワ屋』を知ったほんとの理由だって、そうじゃないですか」


 あの後、アカウントの設定を見せてもらってやっと分かったこと。

 彼はSNSを本名でやるくらいの性格で──電話番号の連携がオンになっていた。祥子の投稿を知らずに見て、呪い代行に興味を持ってしまったのだ。


 いずれにせよ祥子は身勝手な逆恨みを起こしていただろうし、彼が呪い代行を考えたきっかけの轢き逃げ事案は半年前に発生していたが。

 あるいはそれもまた、誰かの。


『人を呪わば穴二つというけど、あの場合の墓穴は一つで済みかけたというわけだ』


 その事実を明かしたどこかの誰かは冗談めかして言った挙句、着物の袖を翻す麗人にグーで殴られていた。

 ──『神』が中心の世の中でも、悪意が広まるきっかけはいつだって人だとユユは思う。


 俯いてぎゅっと眉根を寄せるユユの前に、クッキーが差し出された。

 イチゴ味だ。「最後の一個だよ」と正面から声がかかる。こだわりはなさそうなのに、わざわざ言うということは。


「これ狙ってました?」


「黙秘する。ともかく、これからも続けるんだったら君が覚えておくべきことは一つだ」


 脚を投げ出して座り直す君月。やんわりと諭す微笑と裏腹に、その目付きはひどく冷めている。


「──人の(ごう)は僕らの仕事の範疇外。化け物退治にただの欲や悪意は関係ない。線引きはしっかりしておくことをお勧めするよ」


「深く考えない方がいいわよ。いつかぽきっと折れちゃうから」


「……割り切れって、そういう──」


「ただ、安心しなよ。当の彼女はしっぺ返しを食らったようだからさ」


 口ごもるユユに、君月が打って変わって明るく言った。にんまりといたずらっぽく笑う顔からは不自然さもどこへやらで、何のことだろうとユユが疑問符を浮かべていると、


「風の噂でね。彼女、捕まったらしい」


「ええ!? なんっ、なんの証拠があって!?」


 動転して明後日の返しになるユユを鼎が「はッ」とせせら笑う。

「犯人が追い詰められたみたいな台詞ね」美曙が物珍しそうに言った。極めつけに君月が、


「証拠なら君の──ふざけるのはこれくらいにしとくか。残念ながら呪い関連じゃないよ。生活保護の不正受給でだ」


「こういうときの連携なんなんですか! じゃなくて……あ、そういえば祥子さん、『最初に呪ったのは役所の人』って言ってた」


 あれは生活保護という事情があってのことだったのか。社会の仕組みはよく知らないユユだけれど、本当は違うのに必要だと申告していただとかそんな感じだろう。

 つまりそんな予測がすっと立てられるくらいには、想像がつく結末で。


「偏見はよくないという前提で話すけど、あれは悪質だと判断されるだろうねえ。詐欺罪になるかもしれない。──ほら、朗報だろ?」


「そういう意味だったんですか、最初の」


 ──まあちょっと? スッとしなかったわけでもない。

 誰も痛い思いはしなかったことだし。四捨五入すれば、ハッピーエンドと言っていいはず。祥子にはこれを機に反省してほしいものだ。


 目の前でふんぞり返る上司の意地悪な笑みから目を逸らし、ユユは頭の中だけで一人ごちた。ただしユユの誤算は目を逸らした先に鼎がいたこと。


「コイツ、いい気味だァって顔してるぜ」

「してないもん」

 ふくれっつらのユユに鼎がくつくつ笑う。一通り話題がなくなり静かになったところで、美曙が上品に伸びをして言った。


「ああ、喉乾いた。紅茶が欲しいわね」


「オレも」


「景がいないんだから水道水で我慢してくれ。しろ」


「……あの」


 料理下手か横着かに該当する三人が押し付けあう中、ユユは小さく手を挙げた。視線が集まる。ついさっきもらったイチゴ味に手を付けつつ、ユユはつとめて何でもない風に言う。

 ──ただ、もらった分のお返しに、これくらいはしてみよっかなと思っただけだ。


「ユユが淹れましょっか。景さんくらい上手くはないですけど、カフェでキッチン入ることもあるので。おいしくない、は受け付けてませんけど」 



 ◆



「──人の胴体に牛の頭。頭の角は嫉妬や陰険狡猾の性。何者をも突き倒して己ひとり進もうとするのだとされている」


 君月がそらんじるような調子で呟く。


 文字通り人の手で作られた影法師の牛の化け物は、人の頭に棲みつき、死へと導く生態を持っていた。そのターゲット、すなわち信者は呪い代行を依頼した側であり、徴収は『お礼参り』を通して行われていたのだろう。

 呪われた人々は、いわば他者の信仰の犠牲。そんな悪辣な性質を持つ『神』がなぜ牛を形どっていたのかと考えたとき、頭の片隅にあった文言を思い出した。


 姦しかった相談所は君月一人を残して三人が去ったことで閑散としている。そのひとりごとに、景が立ち止まって聞いてきた。


「何かの引用ですか?」


「そ。当たってるかは知らないけど。あ、景これいる?」


 君月が指さしたテーブルの上には紅茶が二つと、クッキーがそこそこたんまり。ユユが食べて最後になったはずのイチゴ味もある。


 ──余談だが、景は帰って早々、「どなたが淹れたんでしょう」とティーポットに残った紅茶に首を傾げていた。それは妥当な反応で、彼にとっては初めて見る光景だろう。君月がにんまり笑ってその人物を教えてあげると、目を見開いていた。それもまた貴重な光景だ。

 彼は皿の上に乗った菓子に目をやると、


「ああ、高嶺真佐人さんの持ってこられた。随分少なくなった……というより、まだ残っていたんですね」


「先に取って隠しておいたんだ。食い漁られるのが目に見えてたからね」


「慧眼ですね。では、先にアキの分も包んでおきましょう」


 微笑んで言う景はさすがの気遣いだった。もちろん異論はない。「次に来れるのはいつだって?」と聞くと、景が「期末試験が終わってからだそうです」と返してくる。


「アキくんは相変わらず忙しいね。で、どうだった? 座って食べながらでいいよ」


「はい、……まず、『神』の遺骸の受け渡しは滞りなく終わりました」


 正面に座るよう促された景が報告する。美曙らが来ていた時間、彼が出払っていた理由だ。

 問題なしと聞いて、君月はひとまず安心だと瞑目した。


稗田(ひえだ)村のときのように今回もなくなりました、じゃどやされるところだったよ。塵になった方は別としてね。──証拠はなくとも、あいつには目を光らせておく必要がありすぎるくらいだ」


「どうでしたか。今日の来訪時に妙な動きは?」


「特に。茶々を入れたり甘蔗くんをいじめていたくらいだね」


 尋ねる景に肩をすくめて返す。

 先日起きた『シン』の死体消失の原因は未だつかめていない。

 ──しかし念には念を入れ、鼎を関わらせないためにも『TRIAINA』の調査から甘蔗ユユを外した。未成年だからという理由も本当ではあるが。


 さきほど美曙に取られたマーブルクッキーを今度こそ味わいながら、そういえばヤツはこれを一つも食べていなかったなと君月は思いだした。食い意地が張っているという選択肢は消せそうだ。

 一方で同じく勧められたのに手を付けず、何やら考え込んでいた景が姿勢を正して口を開いた。


「それと、頼まれていた件でご報告があります」


「ん、聞こう」


 ──『カナワ屋』の言う丑の刻参りの手順。ただ丑三つ時というのではなく、『新月の夜』と限定されていることに君月は引っ掛かりを覚えた。だから、その経路を辿るよう指示した。


「SNSでの拡散経路を辿ってみました。投稿されたのが古い順、反応の早かった順に」


 君月が傾けていたカップを置く。ざわつく心臓を抑えるように「結果は」と急かすと、景は声をひそめて言った。


「いくつかの投稿で『シンゲツ』のワードが確認できました。──『無明木犀(むみょうもくせい)』の分派が拡散に協力していたかと」


「──ッち。今はどうなってる。彼らに動きは?」


「いえ。『呪い代行は本当だった』という口コミをすることで噂を広げたようですが、それ以外は。全て同様に、あくまで初期の協力者といった関係に見えました」


 カップをテーブルに戻し、君月は目を瞑って慎重に息を吐く。残念ながらゆっくりと嗜んでいる時間はなくなりそうだ。もともと誰が淹れようが熱かろうが冷めていようが味の違いも大して分からない舌だが。


 ──ましてや、その名前を聞いた今は。

 整理をつけるために感慨を吐き出しきったあと、君月は額に手を当てた。


「あのウェブサイト、誰がパソコンを操作して作ったのか疑問だったんだ。──手に入れる手段だけならいくらでもある。大体の物品は一人殺せばまかなえるし、『捜させない』ことも化け物ならやりようはあるだろう。そのうえで、サイトの作成も行ったとなれば」


 人の形をとれる化け物かと考えていた。しかし実態はあれ(・・)だ。

 ──いくら指が大量にあろうと、あれではかえって操作が不便なだけだろう。


「ま、それは冗談として。これでその作成者も分かった。問題は、」


異教(・・)に協力した目的でしょうか」


「それだ」


 びしりと指を突き付ける。その目は真剣だった。

 声を押さえ、内密の話をするために乗り出した上半身がテーブル上の境界線をまたぐ。誰に聞かれてもいないと分かっていても。

 この話だけは美曙やアキにもできない。新入りや化け物はもちろんとしてだ。


「あくまで分派だとしても、だ。そいつらの動向をしばらく追ってくれ」


「了解です」


「……あと、調査の報酬。謝礼。食べなよ」


 君月は体を前に傾けたまま、再度テーブルの上、もとい自分の顔の下を指さした。頼みごとには即座に応じた景が戸惑うのが分かる。

 一呼吸おいて彼はマーブルクッキーを一つ取ると、


「いただきます」

 ホストにでもなれば数多の女性を不幸に叩き落とすであろう──実際に今回の調査においてその威力を発揮した微笑みを、和やかに浮かべたのだった。



 ◆



 少し怪しげな色調のピンク色、適度にポップさを足したゴシック様式風の店内。

 そこと明らかにそぐわない筋肉質な男がいた。本人もそわそわと居心地悪そうに何度も椅子に座り直している。

 遠目で視認できるその人物にユユは元気よく、かわいく声をかけた。


「おまちどおさまですっ! 特製コーヒー、お砂糖半分です」


「おー。さんきゅ」


 机に置かれるのも待たずにソーサーを手に取り、アキはコーヒーを差し出したユユを見上げた。

 相談所に立ち寄った足で、そのままユユは『Divine♡』へバイトに来ていた。

 今日アキを呼んだのもユユだ。「ちょっと話がしたいので来てくれませんか。おごるので」と連絡して。すぐ了解の返事がきたあと、奢りの件は半分でいいと言われたが突っぱねた。

 とはいえ要件は伝えていない。アキは不思議そうに、


「つか、なんでここなんだ? ファミレスでもよくないか」


「あー、二人でご飯とか、ちょっと。そういうんじゃないかなって」


「俺は普通に傷つくよ? 姉貴と違って」


 神妙に自己申告するアキには、ガタイのよさや顔つきからはおおよそ窺えなかった不憫さがある。「すいません。てへぺろ」罪悪感の湧いたユユは古めかしく謝った。アキはため息をつくと、


(あま)つ、」

「しゅがぁです」


「……後輩。ここ辞めねえの? あんだけ色々あったのに」


 外聞を気にしてかわざわざ手を顔の横に立てるアキに、ユユは半目でにこっと微笑んだ。顔を近くに寄せ、ひそひそ話をするときの声量にする。


「限界一人暮らし女の子のお財布事情です。嫌われてるからって、ユ──私がやめなきゃいけない理由もわっかんないし」


「おう。なんか、うん。頑張れ」


「はーい。あと、おかげさまでいびりがなくなったので! 今はただのハッピーぼっちです」


「よかっ、よかったのかそれ?」


「おかげさまでって言ってるじゃないですか。……それにスマホもバッキバキに割れちゃって。その、トラックから助けられたときに」


 笑顔で啖呵を切ったユユをアキが引き気味に励ます。ユユはついでに金欠の理由を付けくわえた。鼎に抱えられて転がるときに落ちたらしく、もう本当、見事なまでに破壊されていた。マイナス一万八千円。

 そんな大いなる犠牲にユユが思いを馳せていると、思いだしたことがあった。


「そういえば、噂は流さなくてよさそうならもう止めていいって君月さんに言われましたよ」


「ミツキさんが? おっけ。大学、期末期間に入るとこだったしちょうどいいわ」


 アキは首を縦に振って頷いている。伝言を無事に伝えたところで、そろそろ時間かなとユユは感じ始めた。

 一般的に、コンカフェで提供時に話しこむのはよくないこととされている。法律で。

 だから話をしたいのであれば、ここでやることは一つ。ユユは顔の前でカメラのジェスチャーをして笑いかけた。


「チェキ撮りませんか。あとでお金は返すので」


「千円だったっけ? いいよそんくらい」


「いーやです。別のときでいいですー」


 ──本当この人、見た目で損してるでしょ。あっさり言うアキに、過去の自分を棚に上げてユユは思った。絶対に本人には言わないけれど。


 アキに一声かけてからスタッフさんを呼びにいく。撮影自体はあっさり終了し、本題のお絵描きタイムに入った。

 パフスリーブを雰囲気だけで腕まくりしてマーカーを構えるユユに対し、アキが切り出す。


「で、話したいことってのは」


「……どっちかって言うとお詫びです。相談所はいつも誰かいるから。ほんと、迷惑めちゃめちゃかけたし。祥子さんが怪しいって、結局先輩の言う通りだったし」


「いや、分かってて言ってたわけじゃないけどな? ──俺は気に食わねえって思ってたヤツが本当にクズで、うわ合ってたラッキーって思ったくらいの性格だよ」


「あ、よかった。安心しました」


 ユユのあけすけな物言いにアキは一瞬目を丸くしたかと思うと、くつくつ笑いながら「それでいいわ」と言った。よく分からない結論だ。

 ピンクのマーカーを使ってもくもくの線で写真を縁取りながら、ユユはあの親子に思いを馳せ、ぽつりと呟いた。


「……離れて、今度こそ本当の家族が作れたら。なれたら、きっといいですよね」


「本当、な」


 それが含みのある言い方だった気がして、ユユは顔を上げる。頬杖をつくアキが遠い目をしていたのは一瞬で、目が合ったユユに「それで完成か?」とチェキを指して聞いてきた。せっかちだ。


「今ハートいっぱい描いてます。あとちょっと」


「後輩が真面目なのは分かったよ。あと思い切りがやべえ」


「それにとびっきりかわいい」


「へえへえ」


 ユユ渾身のおちゃめが受け流され──もちろん本気ではあるけれど──ひたすら余白をハートを埋める作業に戻る。

 思い返すのは、ここに来るときに偶然見かけた光景。


 ──杖を片手に足を引きずって歩く女性が、どこか見覚えのあるロゴの洋菓子店へ入っていく姿。「ただいまー」と店内に向かって声をかける、それにユユは目を奪われた。


 その女性の手元にはお守り。もう少し進んだところにある交差点では、そこに花を供えている人。

 その足元に捧げられた、大小様々で色相もバラバラな道具──『祈り』を形にしたものたち。


 ──人は信じたことから逃げられない。

 ついさっき言われたことがよぎった。


 ユユは最後に角砂糖のアイコンをスプーンつきで描き添える。

 やれ何かのポスターやら声掛けやらが溢れる世界で。少しだけ、道を歩くときに目を伏せたくなる気持ちが減った。そんな気がしたのだ。


「──はいっ、完成です」


「おお、すげえピンク」


「スマホケースに挟んでくださいね」


「さすがにきついわ」


 ユユが描き終えたチェキを渡す。アキは即答したものの「いや入れる場所ないな……」と悩んだ挙句、財布に突っ込むことにしたらしい。

 チェキがそこにしまわれる直前、ユユはふと疑問に思っていたことを聞いた。


「そういえば、このポーズなんですか」


「え? 後輩と本郷が前やってたやつ」


「……がおーポーズ?」


 これが? とユユは写真をまじまじと見る。適度に指を開くべきなところを、アキはどう見ても拳を振り上げていた。──写真を撮り慣れていないであろう面相も相まって、普通に怖い。

 アキは解せない顔で「そっちこそ」とチェキを指す。ユユの描いた、先の方だけくるんと回転した二つのツノだ。


「これって何描いてんだ?」


「牛さんです」


「……根性あるわ、ガチで」


 なぜかアキに呆れられたが、ユユだってあれ(・・)が可愛いだとかは微塵も思っていない。

 ──印象に残った共通のモチーフ? みたいなものだ、あくまで。

 口を尖らせたユユが尋ねる。


「嫌ならもう一枚撮りますー?」


「いいよこれで。ある意味、魔除けになるか……?」


「かわいいユユが映ってるのに……あっ」


「自分で名前言ってんじゃねえか!」


 ミスを聞き逃さなかったアキがここぞとばかりに指を突きつけてくる。「気のせいですしゅがぁです〜」と早口で言いながらユユはそっぽを向いて、固く心に誓った。


 ──今日、実はこおり先輩のことがあってから初出勤の日だったんですなんて。


 絶対に言ってやらない、と。



三章『丑三つ時のにせものたち』完結です。

次週から四章『胡蛾の夢』開始になります。

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