9 延命手段を投げ捨ててでも
『真佐人がいるんなら、居場所は言わない。この『牛』をどうにかする方法だけ教えてよ! 金は出してんだからさあ!』
──醜い、と思った。
ユユの可愛い単語を詰め込んだ頭がすぐに弾き出せる単語ではなかったので、何周か遠回りを経たあとに。
母子の間に確執があることはマサトの証言の通りだった。それにしても、あまりにも身勝手で乱暴な主張。そこまで考えて、ユユはふと疑問に思う。
──縁を切られたからといって、この緊急事態であっても自分の場所を隠すものだろうか。
黙りこくるユユをよそに、「ちょっとお待ちを」と君月がおざなりに電話口へ声をかけ、スマートフォンをミュートにする。スピーカーからは堰を切ったように非難が吐き出されるが彼はすべて聞き流し、マサトの方に向き直った。
マサトはただずっと、苦虫を嚙み潰したような顔をして沈黙を続けている。
「まず確認させてくれ。君の名前は高嶺マサトさん、で合ってるかい?」
「真実に補佐の佐、人と書きます。苗字はその通りです」
「母君は昔からこういった激情家なのかな」
「悪い癖だったと思います」
「よく分かった。君にはすまないけど、母君のために尽力させてもらう。もちろん金がどうとかではなく──」
「待ってください! 祥子さんが居場所を言わないの、ユユは変だと思います。言いたくない以外にも何かあるんじゃないかって」
改めて座り直したユユの率直な思い付きに、君月が「ふむ」と端的に受け取った姿勢を示す。「確かに」と小さく頷いた真佐人の顔は、険しいしかめ面の中に疑問を一抹交えた表情に変わっていた。
先ほどから祥子の非難も尽きたようで、スマホからは外でしているのだろう音楽だけが流れている。君月はミュートを解除するため手を伸ばし、
「手がかりの一つになりそうだ。──お待たせしたね、高嶺祥子さん?」
『聞いてた!? あり得ないんだけど!』
「どうにかする方法とやらをご所望だったか。そのためにはまず貴方の現状を僕らも知る必要があってね、いくつか質問に答えてもらおう。自分が助かるためだ、異論はないだろ?」
『よく分かんないからさっさとしてよ!』
「いい返事をありがとう。まず、君は『人を呪わば穴二つの回避方法』を見て、それをメイドカフェで実行した。飲んだくれの大声を装ってね。ここまでは間違いないかな」
『……ごめんねぇ、しゅがたん。お客様は神様主様、でしょ?』
「っ、『当店では宗教勧誘、その他迷惑行為はご遠慮ください』って書いてます。──出禁だから、今後ずーっと!」
面と向かってまた悪意にさらされるのかとユユは身構えたが、祥子の謝罪は悪意未満の軽さだった。こんなの交通事故に遭ったようなものだ。
カチンときたユユは、両手で大きくばってんを作って舌を思いっきり出すくらいの気勢で言い切った。顔が見える状況であれば絶対にそうしていたので。べー、だ。
「当然の処分だね。それで、十人以上に広めたのに『牛』が消えないと?」
『だからそう言ってるっ、さっきまでは見えなくなってたのに! 成功したから、やっと落ち着けるって思ったのに……!』
「さっきまでは、か。いつから再び見えるように?」
『……一時間くらい前?』
何かに引っかかりを得たのか、君月がとんとんと指で机を叩いている。規則的ながらも不安を煽るその物音が、しかし祥子の返答を聞いた途端にぴたりと止んだ。
数拍置いて吐かれたこれ見よがしなため息には、珍しくはっきりとした感情が乗っている。
「嘘偽りなく答えろよ。──誰を呪った? 今に至るまでの経緯を全部吐くといい。君が生き残るため手段はそれだけだ」
憤懣やるかたない。
君月の押し殺した詰問口調から、ユユが感じ取ったものだった。
『……っ』
電話越しであってもそれに気圧されたのか。協力的ではないものの傲慢な態度はなりを潜め、祥子は気怠そうに語り始めた。
『……最初は役所の女。見下してくる目がうざかった。名札に苗字しか載ってなかったし、出勤もそりゃあ毎日確認できないから結局成功したかは分かんない。けど一応お礼参りに行って、そのときにはじめて『牛』を見た』
「今、最初ってユユには聞こえたんですけど。なんか、おかしくないですか」
それはまるで次があるような物言い。嫌な予感をそのまま問いにして投げかけたユユに、祥子は笑った。
鈴を転がしながら、それはアタリを告げるような痛快さを伴っていた。
『そー。最っ悪だった。けどあたしはひらめいたぁ。また誰か呪って、カウント? リセットすればいいじゃんって』
──『黒い牛』がもたらす自身の死が呪い代行の対価だというのならば、彼女は徴収までの期間の延長を目論んだのだ。
『これが二週間前ね』と得意げに付け足す祥子の言を信じるならば、その目論見は成功したのだろう。
彼女はその間生き延びた。その悪魔的発想は、対価を取り立てにくるはずの化け物にも通用してしまったのだ。
『──真佐人、アンタさあ。『TRIAINA』に入るんだろ』
「……は?」
矛先を向けられた真佐人が表情を変える。身に覚えのない非難だろう。理解不能をありありと示す声色だったが、祥子は意に介さなかった。
被害妄想が燃料となり、身勝手な中傷はまるで雷雨。再びひび割れたスピーカーにユユは思わず耳を塞ぎ、
『アンタが入口に入ってくとこあたし見たから。また裏切るんだ? お母さんを一人にしただけじゃなくて? お母さんと心中しようとしたヤツのとこ行くんだ? 勝手すぎんだろ、なあ!!』
「そこまでにしてもらおう。君の動機にはこれっぽっちの興味も価値もない。──ただ、その自白自体には意味があったようだね」
「……待って。じゃあ、自分の子どもを呪ったの、祥子さん」
耳からそろそろと手を外しながら、ユユはその咀嚼しがたい怒声をなんとか噛み砕いて、言葉にした。
『TRIAINA』の勧誘を受け、断りに行ったという真佐人。その元信者だったという母・祥子。息子に自身の居場所を知られたくない理由。
『そうだけどお。子どもって言うけど、先に他人ヅラしたのはあっちだかんね?』
「もう黙れよ、喋んな。……このくそババア」
すべてが繋がった先にあったのは、勘違いで筋違いの逆恨み。
両膝に肘をつけてうなだれた真佐人がうめく。両手で顔を覆い隠した様は悄然としていて、ユユは喉が締め付けられる感覚がした。
電話越しに返ってきたのが気でも違ったかのような大笑だったから、尚更だ。
少女のようにキンと上ずり、酒焼けのかさつきが耳に濁った泡を生んでは破裂させる。聞いていて気分の悪くなる勝ち誇り方──それが、急速にしぼんでいって消えた。
君月が音声を消したのだと分かったのは、彼がスマートフォンを片手に持っていたから。我に返ったユユが口をはさむ前に、「こっちもミュートにした」と彼は最低限の通達を済ませると、
「景。聞いてるだろ、入ってきていいよ」
ここにいない人物を呼んだ。応えるように給湯スペースの奥からガチャリとノブの回る音がする。──そこにドアあったの? 勝手口ってその位置? とユユは二ヶ月目にして知る事実に驚きを隠せない。
「失礼します」と慇懃に断ったうえで姿を見せた景は、さらに几帳面にも──家主なのだしユユはいいと思うのだが──盗み聞きの謝罪から入った。
「聞き耳を立てていたこと、お詫びします。大きな音がしたので何かあったかと思いまして。誰かが、ソファでも跳ね飛ばしたかのような」
「あ、それユユ……」
「そのあたりで下りてくる音がしたと思ったけど、大体聞いてるね。じゃ説明は省こう」
はしたなさを改めて聞かされたユユをよそに、君月はこのやりとりの間も頭を抱えたままの真佐人を手のひらで示す。
「彼を。落ち着く時間が必要みたいだ。階段と必要なら上も使ってていいから、どうにか……なんかしといてくれ。知ってるだろ、僕は得意じゃない」
歯切れの悪い指示内容に微妙そうな表情。本当に不得意そうだった。
「承知しました」微笑で快諾したあと、景は真佐人の方に歩み寄ると、肩に手を添えて外に出るように促す。
何と声をかけるべきか──かけていいものかも分からないまま、ドアの向こうに二人が消えるのを見送っていると、
「君も、外したければ外していいけど」
「──っいます。電話、続けてください」
「承知」と軽口めかす君月に、ユユはだし抜けにスマホに手を伸ばす。
「はいっ。構わないでどーぞ!」
君月が下がるより先にユユの手がミュートの解除ボタンを押した。横を押して音量ももとに戻し、最後に指を揃えた手のひらで指し示す。
ユユの『お先にどうぞ』のジェスチャーに君月が軽く噴き出し、
「全く君は──んん。さて、高笑いはもう終わったかな?」
『てめえ、どういうつもりだよ! こっちは余裕ないってのに──』
「自身の憂さ晴らしに時間を無駄にしたのはどっちだろうね? 気分がよさそうだったから黙っておいてあげたのさ」
舌打ちが聞こえてくる。しかし、それきり祥子の反論はなかった。
「ではご期待に応えて。今、君の身に起きている事象を説明しよう。君が生き延びたのはその醜悪な作戦が成ったからじゃない。呪いのダブルブッキングが発生したからだ」
『ダブルブッキングう?』
「……そっか。真佐人さんが轢き逃げ相手を呪ったのも二週間前!」
ユユが自分のひらめきにパシッと両手を打ち鳴らす。
全くの同タイミングで『呪いの対象者』と『代行の依頼者』のどちらにもなった人物がいたのだ。それが真佐人であり、そう考えるとつじつまが合う。
「そう、カナワ屋にバグが生じたんだ。そして両者はともに長期間生き延び、『牛』を見続けた。──一時的に見えなくなったというのにも、君が苦し紛れに縋った回避方法が功を奏したわけじゃない。その証拠に、真佐人さんを憑り殺せなくなった『牛』はすぐさま君に狙いを変更したようじゃないか」
『殺せなくなったあ? なんでさ。何したんだよ真佐人!』
既にこの場にはいない相手に怒鳴る祥子。
──神宿に来たから、『牛』が入ってこれなかった。ユユの中でも答えは明白だったが、口の前に人差し指を立てる君月の制止があった。
「それは教えられない。確証はあるとしか言えないね」
『──。じゃあいいでぇす』
「いいって……え?」
祥子の冷めた顔が思い浮かぶ。一瞬にして熱が引いたとばかりの素っ気なさ。
そのテンションの乱高下に、ユユはようやく──酔ってるんだ、と気づいた。
異常な言動に気を取られすぎていたけれど、ずっとろれつが回っていない。『Divine♡』で飲んでいたときでも企みを表に出さなかったのに、ここにきて急に口の滑りがよくなったのもそうだ。
血の気が引いていく。──この人、バカなことをしようとしている。
『かわりに、あたしもあたしを助ける手がかりは教えない。けど、あんたらはあたしを絶対に探して助けなきゃいけない。あたしが憎くてもぉ、真佐人を守ってるそのバグがいつまでもつか分かんないから。だから必死なんだぁ、うっける!』
「君月さん! この人すっごい酔ってる、止めないとっ」
「自ら死ににいく気かい? 素直に僕らに所在を伝えて救助を待つのが──ああ、そんなに息子へ復讐したいのか」
『正解ぃ。聞いてんだろ真佐人? ──あたしが死ねば次はあんただ。助けてよお母さんを!!』
絶叫のあとから、ッヒ、ヒィッとしゃくりあげる音がする。
それは過呼吸を起こしたのかと思うほど、ひきつけじみた嘲笑。ごぼごぼと痰が絡むような異音が不気味さを掻き立てる。
始まりと同じく、通話は唐突に途切れた。
君月がソファに深く身を沈め、背中を預けてあきれ返ったようにぼやく。
「厄介なことになったなあ。どうしようか」
「むっちゃくちゃじゃないですか! ……っけど、」
「言うことは正しいのが厄介だね。神宿にいる間は無事でいられるけど、ずっとというわけにもいかない。彼は社会人だそうだし。今日は祝日だっけ、甘蔗くん?」
「えっと、あいつが学校なかったんだから昨日が日曜で……もう月曜だ」
一時間前はアキと鼎と神社前でこおりを捕まえていたのだから、とにかく怒涛の週末だ。とユユは思った。
「そして時刻は三時半過ぎと、時間はあまり残ってないね。確かに現状じゃ、街を出た途端トラックに轢かれるなんてことがあるかもしれない。──ただ、これは千載一遇のチャンスでもある」
「あっ。もしかして『神宿は安全』って教えなかったの、それですか?」
「その通り、神出鬼没の化け物ならいい機会だと思ったんだけどね。まさか命の危機にあっても酔っぱらったままだったとは。通常のイカレ具合かと思ったよ」
「元々やば客ではあったんですけど。ユユもドン引きしすぎて全然気づかなかったです」
そういえば君月が祥子と話すのは初めてだった。もっと早く気づいておけばよかったとユユはちょっと落ち込む。──が、あれを先に見抜くのは不可能に近いと思うのだ。
祥子は自身の命が危ないと知ってもなお復讐を優先した。連絡を絶っていたユユにも、最初は命惜しさで電話をかけてきたはずなのに。
「ほんっと、なんであんな!」
「何にせよ、行くしかないのは確かだ。ヒントがあるとすれば後ろの方で聞こえていた音。一回だけ音楽が流れていた時間があったろ、あれが何なのか分かれば……」
「音楽……たーたーたーたー、たーたたたーみたいな、あれが?」
ユユも覚えている。真佐人に親子関係を確認する際、放っておかれた祥子がほぼ唯一沈黙していた時だ。
丑三つ時をとうに超えた電話越しの街は静まり返っていた覚えがあり、その音楽以外に糸口はありそうにない。それが分かるから、ユユが頭を捻らせていると、
「──母を探しにいくんですか」
「真佐人さん、と景さん。……もう大丈夫、になったんですか」
奥から二人が出てきた。真佐人に尋ねられたが、その浮かない表情が気にかかってユユは質問を質問で返してしまう。
「おかげさまで。ご心配をおかけしてすみません」いかにも正しい大人といったふうの対応に、ユユは言葉を詰まらせる。なぜなら、
「そうだね。君にはすまないけど、と先ほど言った通りだ。命は助けるよ」
読めない表情で君月が肯定する。真佐人はすっと目を瞑ると息を大きく吸って、頭を下げた。違う、それどころではない。
「真佐人さん、」景が柔らかい手つきながらもしっかりと腕を支えて止めなければ、彼が土下座していたであろうことは想像に難くなかった。
「本当に、っ本当にご迷惑をおかけして申し訳ありません。勝手に一人で死ぬならともかく、あなた方まで巻き込んで。本音を言えば母を思う気持ちなど全くありませんが、見捨ててくれと頼む方がずっと迷惑だと分かっています。だから恥を忍んでお願いします──どうか」
助けてください。指を交互に組み、額にぴたりと付けて真佐人はこいねがった。
「祈りなら、自分の信じる『神』にでも乞うんだね。僕らは人間だ。命以外は助けられない」
似たような台詞をここに来た日に聞いたのが、もはや遠い昔のような気さえする。
言い捨てに近い冷ややかな口ぶり。ユユはそれに、首を傾げた。ふと目の合った景は微笑に加えて困ったように眉を下げていて、
「……つまり任せてってこと?」
「我々がなんとかするから安心してほしい。そう言っているとお思いください」
「は、はぁ」
「解釈は勝手だよ。いいから考える! 景!」
「はい、なんでしょう」
「たーたーたーたー、たーたたたー、ってメロディーに聞き覚えないか?」
話を本筋に戻すべく、君月が口早にワンフレーズ分を再現する。
かなり無理くりな軌道修正だったが、微笑んだままの景が異を唱えることはなかった。ユユは茶々を入れたくなる衝動を頑張って抑えたというのに。これが差なのだろうか。
「メロディー、ですか? ……そうですね」
ついでにユユも目を瞑って、あの半音階のむずむずする感じに考えを巡らせる。
ワンフレーズ、フレーズだ。なんとなく歌いだしたくなるような──そう、確かあれには歌詞があった。
「──『通りゃんせ』では?」
「──『とおりゃんせ』!」
声を上げたのは同時。すごい偶然だ。ユユが「あーすっきりしたぁ」と一人達成感を噛みしめていると、並行して答えに辿り着いていた景が訊ねる。
「童謡ですね、誰かが歌っていたんですか? そう頻繁に聞くものではないと思うんですが」
「廊下じゃそこまでは聞こえてなかったか。や、メロディーだけの打ち込みっぽい音でさ。外からしてたね」
「外……もしや、信号機の音だったりしませんか?」
「それだ!」と君月が膝を打つ。一直線につながった流れに「おぉ」と真佐人が小さく感嘆の声をこぼしていた。ユユも同じ顔をしている。
にしても何で分かったんだろう、という疑問の目に気付いたのか、景は、
「車を持っているのが俺だけでして。確か市内のどちらかに出向いた際、耳にしたかと。詳しい場所は……申し訳ありません」
「うん、メロディ式信号機なら設置数は極端に少ないはずだ。あっても一つか二つ。この近辺のうちで、ある程度調べがついたら向かってくれ。あとアキくんにも連絡よろしく。美曙もこの際動かそうか、本郷くんを向かわせよう」
「了解しました」
矢継ぎ早に出される指令にうやうやしく一礼して、彼はハンガーラックから上着を二着抜き取った。君月に慣れた様子で外套を手渡すと自身もコートを着込む。二人が同時に身支度を始めると、途端に事務所の雰囲気は慌ただしくなる。
大捜索だ。
当然、そこから生まれてユユを駆り立てるのは自分も何かしなければ、という焦燥感。そこに、
「ユユも!」
「君はここにいて、彼を一人にしないようにしてほしい」
待ったをかけられるとは思ってもいなかったのだ。
肘掛けに両手をついて乗り出した上半身が空振る。行き場をなくしたやる気はすぐに引っ込みがつくようなものでもない。
目に見えてしゅんとするユユに景が、
「それも大事な役回りですよ、甘蔗さん。留守をお願いします」
「はぁい。……りょーかいです」
ユユは折れた。ごねたりして迷惑をかけたくないなと思う言い方をされたから。
「──それと君月さん。今日は、」
「分かってるよ、僕は神宿内で聞き込みして回る。今後こっちに流れてくることもあるかもしれないしさ」
何事か耳打ちでやり取りしたあと、彼らは相談所の扉を開けて出ていった。
「何かあったら景に連絡してくれ」最後にこう言い残して。
◆
喧騒が去り、神宿相談所には二人だけ。
要するにていのいいお留守番役となったユユだが、残念ながら喜んでじっとしていられるような我慢強さは持ち合わせていない。むしろ堪え性がない方。
ユユはちらりと、奥の扉の前で立ちっぱなしの人物を見やる。気まずさから逃げるべく、すぅっと息を大きく吸い込み、
「あ、全然座ってても、っていうか座ってください! 立ったままってしんどくないですか」
「あっ、すみませ……いえ、このままで大丈夫です」
席を勧められたのを固辞する真佐人に目をぱちくりさせる。立ったままが好きなのだろうかとユユは不思議に思う。
その視線の先を辿ってみると、玄関に向けられたままほんの少しも動いていないようだった。
「あの、何かあるんですか? ずっと外見てますけど」
「……すみません。さっきからずっとあの人がいる場所を考えていたんですが」
あの人──高嶺祥子。真佐人は目を伏せ、しばらく考え込んでから慎重に口にした。
「もしかしたら心当たりがあるかもしれません」
「ほんとです!?」
「もしかしたら、です。どうせ破滅するとなれば、あそこを選ぶだろうという場所が」
「わっ、かりました。とりあえず、景さんに連絡します」
「それは………」
特大ニュースを告げたあと、彼はまた言い淀んだ。立ち位置が変わっていないために相変わらず距離は遠い。連絡帳アプリを起動したスマホを片手に構えたまま、ユユは二の句を待ちわびる。
ここに来てからもう何度目だろうか。彼はまたしても深々と頭を下げた。
「もしも間違っていたらご迷惑になりますし……できたらあの人と直接話がしたいんです。お願いします」
──見えなくなる寸前のその表情にひどく覚えがある。
ユユの場合は裏切られて、それがいつからのことで、どういう意図があるのか分からなかったからで。なのにその上あんな顔をされたから、と理由は違うけれど。
あれは自分の手で一発くれてやる、という顔だ。
「じゃあさっさと見つけて、頬ぺちってしちゃいますか!」
「ぺち?」
「あれ?」
違ったかもしれない。けどユユがバイオレンスとかいうんじゃないから、とユユは心の中で何度も頷いた。
言い方のすれ違いはともかくとして、ユユが口にしたのは肯定だった。その事実に遅れて気づいたらしい真佐人がハッとした顔をしている。すぐに受け入れられるとは考えていなかったのだろう。ユユも驚きだ。
──今ユユを動かしているのは、ユユがやらないで誰がするのだという底知れぬ勤労意欲。どこから湧き出たかも分からないそれがユユをせっついて止まらない。
「だけど、神宿は出ちゃいけないから……外出るまでの道だけ教えてくれたら! ユユが説得して連れてきます」
「それでも構いません。というかいいんですか、」
「もちです。一人にしないでって頼まれてますんで」
ユユは勇んで立ち上がる。あおりを受けたツインテールがぶんと振れる。
どうにもそわそわして落ち着かない。今にも動き出したくてしょうがない。
「じゃあ……きっと『TRIAINA』の前です。行きましょう」
覚悟を決めた真佐人と目を合わせて、ユユは「はいっ!」と力強く首を縦に振った。




