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裏街バケモノカルト  作者: 楢木野思案
三・丑三つ時のにせものたち
34/34

7 冷たい悪意悪意



『カナワ屋』の謳う丑の刻参り代行には、必須条件があった。手順は簡単、適当な鳥居のある神社に行って祈るだけ。

 ただしその呪いが聞き届けられるのはおよそ一か月に一度しか巡ってこない、新月の夜。──それが明日に迫っていると、暗幕に浮かぶ消えかけの繊月に気づかされた夜から少しして。


 ユユが急いでアキに連絡し、その翌日の日中に作戦会議が急遽開かれたのだった。


祥子(しょうこ)さんが焦ってるから早く解決しなきゃいけない、けど手がかりがない、だから君月(きみつき)さんたちの力を借りようと思って、『TRIAINA』のこと調べて……なのに、めっちゃめちゃ遠回りだったとかー」


「『丑の刻参り』は月イチなんだろ? まずはそこ、気づいたのがラッキーだったって思おうぜ」


「む。……フォローさんきゅーです」


 思いもよらず急に動いた事態に、ため息の混じるユユがテーブルの上で腕と上半身とを脱力させている。ソファに浅く腰掛けるユユと反対に、アキは深く座りこんで体を背もたれに預けていた。ユユの徒労発言を否定して、前向きな方向にもっていく感じのよさ。


 とにもかくにも、この機を利用しなければならないという結論はすぐに出た。

 今夜動くことを想定し、午前の内に諸々決めておこうと相談所に集まったのは寝不足のユユと鼎、そしてアキ──眠い目一つ擦らない彼にユユが不思議に思って聞いたところ、「夜勤(バイト)慣れ」とだけ返ってきた──なお、大人たちは不在だった。

 戸口に『調査中』と簡潔に過ぎる張り紙があったので、そういう理由だろう。にしたって早すぎる気もするが。


 今日は祝日であり、学業のない鼎も朝から招集をかけられた。そんな彼女は勝手ながらも堂々たる座りっぷりで主不在の所長椅子に納まり、おもむろに口を開く。


「で、その呪いが掛けられんのは誰で、行われるのはどこの神社か、だ」


 今夜アクションを起こすとして、手っ取り早いのは当事者(・・・)を捕まえること──どこかの神社に誰かを呪いに来た、誰かをだ。

 状況と障害は全員が認知済み。そんな中で、「とりあえず」とアキが肘から先だけをだらりと持ち上げ、


「これで調べる。見たところ、『カナワ屋』の噂は大分広まってるしな」


 その手に握られているスマートフォンに、ユユの視線が吸い寄せられる。

 無精にも腕を投げ出した格好のまま体を横に傾け──なぜなら眠いので──見せられたのがSNSのリアルタイム検索結果であることと、そしてその上にポコンと表示された『新着』の表示を見てとって、彼の言わんとすることを悟った。

 検索窓にあるのは『今日』、『神社』、『二時』の三つ。今この瞬間、それを投稿した人間がいたのだろう。


「……多い」


「んな」


 投稿は具体的な名称──対象──は避け、ぼかされているが分かる人には分かるような書き方のものばかりだった。今日に期待する旨を吐露するもの、単に興味本位らしい軽さのもの。辟易とする量だ。

 最新順にソートされ、二分前、十分前と小刻みに表示される書き込みは全て異なるアカウントから。そのタイムラインをユユが覗いている間にも、また一人誰かが『決行予定』を呟いていた。アキがざっと下方向にスクロールする画面の書き込みは、今のところ途切れる気配がない。

 確実に噂は拡大傾向にあり、そして。


「こん中にご近所さんがいることに賭けて、張り込むかしかないか」


 アキの発言は正しく、彼の言う賭けとは、この大勢の今夜呪いを掛けにいくつもりの人の中に、近隣住民がいないかどうか賭けるということ。

 張りこむとすれば神宿(しんじゅく)近辺の神社だが──と、そんなことを考えていたユユの肩にずしりと重みが乗る。


「ちょっと」


「──金髪、そこで一旦、下に流すのやめろ」


 前のめりになりかけ、抑止の声を上げたユユに気を向けることなく、ユユの肩に肘を乗せて寄りかかってきた鼎がアキに横柄な指示を飛ばす。

 その白い人指し指はスマートフォンを指していて、顔つきは普段通りに眠そうながらも、何か引っかかる点があったように一点を注視していた。


 その要求に「ほいよ、どこが気になった」とアキは素直に応じ、鼎が少し前の投稿を見れるよう指を下から上に滑らせる。

 再度鼎が呼びかけたのは、『ほぼ死にかけ鳥居でもいける?笑(近所) #カナワ様』という匂わせじみた、よくあるコメントが表示されたときだった。


「そいつだ。その、プロフィールのとこを見せろ」


「うい」


「ねえ重い、近い、あつい……!」


 ユユの肩どころか背中を、すっかり腕の置きどころにした鼎が身を乗り出して言う。小柄な体躯自体は大した重しにはならないが、土台にされたユユとしては鬱陶しいことこの上ない。重なる二人の様子にアキからの言及はなく、またかとでも思われたのかもしれないが、ユユとしては大変に不服。

 と、そんなユユの頭上で、画面の中に何かを見とめたらしい鼎が頷いて、


「やっぱ間違いねエ。『メリの(めぐみ)』に来るって言ってたヤツだ」


「えっ、メリのって」


 もはや懐かしく、忌まわしい響きにユユが驚嘆する。次いで隙間から腕を伸ばして鼎を押しのけ、乱れた頭頂部の髪を押さえながらその真偽を問うも、


「あァ、オレが食い損ねたニンゲンのうちの一人だな。実際には来ちゃいなかったと思うが」と、からっとした口ぶりで肯定された。


「食い損ねた……ああ、アンタが前に作ったっつう教団のことか? その『メリの惠』ってやつは」


 と、そこで思い至ったらしいアキが膝を打つ。事件のあらましは聞かされていると言っていたので、既に脳内にあった情報に固有名詞が合致したのだろう。

 訊ねる視線は鼎に向けられていたが、その横でユユもうんうんと頷いておく。


「確かニュースにもなってたよな、『宵宮(よいみや)の幽霊ゾンビ』が市内のレンタル教会を襲ったって。バ先にあるテレビで見たわ」


「大正解(せいかァい)。やるじゃねエか。その幽霊ゾンビはオレの信者──食人鬼に食われて捨てられて、死に返って見事その復讐を果たしたのさ。愛ォしいだろ」


「……よくこいつと普通に喋ってられるな、甘蔗」


「ユユがいっちばん思ってます。けどもう、慣れるしかないので」


「ひでェ言いぐさァ」


 自分のしでかしたことだというのに、鼎は我が意を得たりといった顔、次いで満ち足りたような笑みを一面に湛えた。ユユはそんなずれきった表情から目を逸らし、やり場のない虚しさを生ぬるい息と一緒に短く吐き出す。


 ──慣れるしかない。その通り、選んだのは自分だ。


 そんな感傷に付き合わせたいわけもなく、ユユは「ニュースにもなってたんですね。そういえば何のバイトしてるんです?」と表面的なものに話題をすり替えた。

「居酒屋。店の古いテレビ……つか、ほぼ毎日やってたぞ?」と、アキが片眉を上げる。認識のずれについて問いただされたユユは、「あー」とごまかすように、


「うち、テレビなくて。確かに神宿(こっち)の方にも取材来てたかも」


「そっちは知らなかった。俺がここに来てない時期か?」


「多分?」


「話を戻すぞ。オレはSNSで信者を募ってた。適当な人肉嗜食家(カニバリスト)のコミュニティにお邪魔して、初めはそこを丸ごと引っ張ってきてな。段々と芋づる式に興味本位だとか野次馬寄りのやつも釣れてきて、この()はっつゥと後者だった」


 上体を起こして座り直すユユの横に、先ほど頭の上から退()かされた鼎が腕組みして並ぶ。今度こそ自分の足で立ってくれたことにほっとするユユをよそに、「んで、つまりだ」と鼎はしたり顔で、


「『メリの惠』の勧誘対象は市内限定。なぜなら近くに居てくれねェと、オレが食いに行けないから」


「だから今夜、この近くの神社に『丑の刻参り代行』を願いにくるヤツがいるってことだな」


「書き込みがあったから、最低でも一人。トウテツ!」


「なンだ」


「やるっ……じゃん、みたいな」


 気持ちが高ぶって、なんだか叫びたくなって指をびしっと突きつけてみたところで。上手い続け方が分からなくなったユユの、勢いこんだ名残とばつの悪さが混ざった表情の難しさと不器用さたるや、顔が可愛くて本当に得した、といった感じだ。

 ──そんな風に内心で茶かしていないと、今にも顔が赤くなりそうだった。


「猫被れないとこだと褒めるのもヘタだなァ、オマエ」


「あー全部言った! ばか!」


「わちゃつくなってナイスナイス、はいグー」


 場を収めるためと分かる適当なグータッチ、軽く突き出されたアキの拳にこつんとユユは戸惑いつつ合わせる。「ほらよアンタも」と呼びかけられた鼎はというと、無言ながらも案外素直に応じていた。

 第二関節に当たったシルバーの感触に諫められた感覚がして、ユユは息を詰めた後、はーっと吐いた。


「じゃあ市内に絞って、今夜は待ち伏せ?」


 ソファに座るアキと、横に立つ鼎と順番に目を合わせる。念押しのような再確認に、鼎は両目を瞑り、アキが「っし」と企み顔で笑った。


「まずは地図持ってくっか」


「机! 空けます」


 作戦会議はアナログで。急造とはいえ滑らかに始まったお決まりの流れに、相談所に来た時期はズレていようとも、確かに同じ道筋を辿ったことがあるのだと互いに分かれば、息を合わせるのに必要なのはもう、時間だけだった。



 ◆




 昼夜問わずネオンと提灯に照らされている神宿(しんじゅく)。そこから二、三キロも離れれば、適度に間引かれた林の残る緑地帯が見えてくる。

 三軒坂(さんげんざか)の一角に位置するその区画には広々とした公園があり、その周辺にはまばらに点在するオフィスビルや、神宿寄りの方面には存在しないお洒落なカフェもある、そんな地域。


 昔ながらの雰囲気を纏ったそこにはかつて小規模な神社も多くあったが、今では軒並み荒れ放題。内部のスペースを活かしレンタル事業に手を出した教会や寺のようにはいかず、時代の流れに加えて後継者問題に経営不振と、宵宮市どころか全国各地の神社が似たような流れで衰退していった、というここ数十年の歴史がある。


 ちなみに全国的にならともかく、都内において機能している神社というのはもう一つしか残っていない、というのは別の話。


 閑話休題、そんな理由で神社というのは三軒坂においても絶滅寸前の場所。ましてや『鳥居がしっかり残っている』神社となると──その『少女』の望みに該当していたのは、たった一か所だった。



 草木も眠る丑三つ時。そんな古臭い言葉など知らない少女が一人、狭い道のど真ん中を突っ切って鳥居をくぐる。

 ボブカットの少女の服装は、ビッグシルエットのダウンジャケットを含めて全身黒。絶え間なく周囲に目を走らせるその表情は警戒心に満ち溢れている。

 鳥居は木造の簡素な造りに、高さは少女の身の丈の一・五倍ほどという小ささ。 倒れた石灯篭、本殿の観音開きの扉は片方が外れかけ。それでもここは公園に隣接した林の中という立地が功を奏した。適度に目立たず、それでいて適度に劣化に耐えうる規模という好条件のもと、生き残った元聖域だ。


 重々しく寥々しい雰囲気を漂わせる本殿を前に、ネットで調べたての初めての作法に戸惑いまごつきつつ、浅く頭を下げる程度の礼を二回。

 ついで、くぐもった破裂音が一回、二回。響きを抑えながら両手を打ち合わせ、最後にもう一度、一礼。顔を上げた少女は深く息を吸って、


「──カナワ様、カナワ様、カナワ様」


 静かに『神』の名を告げた、その目の奥には暗い憎悪が滾り、毒蛇のようにのたくっている。


「どうか、甘蔗(あまつら)


「なあ、アンタ」


 悪意でもって紡がれた言葉を、遮るものがあった。

 最後まで言い終えることなく、少女は息を呑んで振り向く。声の主を探し、鳥居の向こうに立っていた、ギターケースを背負う金髪を見つけ──「っ」その三白眼から感じる圧と気迫に悟る。


 たまたま通りがかった人に見られたのではない。自身の目論見を全て知られ──待ち伏せされていたのだと。

 そう判断してからの動きは素早かった。今にも踏み込んできそうな気配を醸しだした乱入者から視線を外し、駆ける。本殿の方に飛び出して、祈るように両手を組む。

 手順は全て踏んだ。あとは名前を言うだけ。それで、この呪いは成就する。


「っお願い、呪ってください──」


 ──甘蔗ユユを。


 そう口にする直前、背中に衝撃が走った。

「かはっ、」体内の空気が押し出され、言葉のかわりに吐き出される。何が起きたのか、理解するより先に体は崩れ落ちて、どさりと膝は地面についていた。


「ぶねえ! 逃げより呪うの優先とか、なんだよその根性」


 背中を押さえながら土の上に手をつき、へたり込む。そこに「そんだけ憎む理由でもあんのか、あいつに」と何事かぼやく男が、少女の目線の高さに合わせ、ヤンキー座りでしゃがみ込んできた。


 その男がいつの間に近づいてきたのか。その手が握っている、見慣れない曲線状の細長い()が何なのか。──今、自分は何で叩かれたのか。

 遅まきながら理解した少女の喉が細く、鳥の締められたような音を発した。


「ひっ、なんで、か……刀なんか」


 それは黒色の鞘に包まれた、日本刀だった。


 男は日本刀を、杖のようにして支えに使っている。

 顔を引きつらせる少女に、気づかれたと分かった男は「ん」と一瞬たじろいで見えたものの、すぐさまいかにもな顰めっ面に切り替わった。そしてその顔を近くにぐっと寄せると、


「刀身は鞘ん中だよ、んなビビんなくていい。アンタが逃げたり、もっかい呪おうとするんなら何回でもやるけどな。──いいか?」


 凶器を携えたひどく人相の悪い男にすごまれ、少女は自分史上最高の速さで繰り返し頷いた。「別にぽんぽん斬ったりしねえよ、姉貴じゃないんだし」と男はぶつくさ呟いていたが、当たり前に何のことか分からない。

 ただ少なくとも、彼が本当に鞘で背中を強かに打ち据えただけで、それ以上の凶行に走る気はないのだろうということは、わずかに落ち着きを得た頭にもようやく染み込み始めていた。


「……あなた、あいつの……甘蔗の知り合いなの」


「大体そんなとこだな。アンタは逆に、どういう関係──」


 そこまで言いかけて、無精に長めの前髪の隙間から、眦の吊り上がった目がまじまじと少女を見つめる。訝し気に深く息を吸い込んだあと、疑念を多分に含んだ口調ながらも、男は少女にとって決定的な一言を口にした。


「アンタ、あのメイドカフェにいたか?」


 眉間の皴が深くなる。視線を逸らしたうえで歯噛みする、その姿はまさに,捕らえられ、正体を暴かれた犯人そのもの。そして、


「先輩、と──先輩(・・)、なにして」


 鳥居の向こうから極めつけのごとく、いかにも純真ぶったその声が聞こえてきたとき、少女は観念したように深く深く、ため息をついたのだ。



 ◆



 片手を挙げる先輩ことアキに、ユユは視線を送る。相変わらずやる気のなさそうな、ぼけっとした三白眼に──ではなく、その手に持っているものの方に。

 具体的に言えば、刀。

 うわ、という顔をした自覚はある。


「いいか。絶対に、姉貴と、一緒にするな。これはあくまで最悪んときの護身用……つか、なんだそれ? スタンガ、」


「護身用ですけど」


「──。ほら、要るだろ。なあ」


「そーですけど! ユユはか弱い女の子なので!」


 素手でどうにかできそうな見た目の人とは話が違います、とユユは反論しようとしたが、泥沼になりそうだったのでやめた。


 ユユが引っ込んだその隙に、これまた何か言いたげな感じを出しつつもそそくさとギターケースに刀をしまうアキ。それを見ながらユユは、強い既視感とその血縁の濃さに──今さっき強い口調で止められたところとはいえ──どうしても感じ入ってしまう。

 確かに堂々と白刃をむき出しにしたうえで、疑問を持たれようが「それが何か?」で押し通しそうな彼女(・・)と一緒にされたくない気持ちは分かるけれど。と、あらぬ疑いをかけられないようさっさとスタンガンをポケットにしまったユユは思う。


 なお、こうして武器の携帯が不要になったのは、犯人の監視が今しがた一番遅れてやってきた鼎の役目になったからである。

 犯人──ユユが先輩(・・)と呼んだ少女は、崩れかけの鳥居に背中を預け、すっかり気勢をそがれた様子でそっぽを向いている。ユユを一度も見ようとしない、黒髪ボブカットのひどく見覚えのある少女に視線を向ける。


「──」


 ユユより少し年上ながら若見えする童顔に、ボブカットの似合う切れ長の涼やかな目元。その源氏名は彼女の外見にぴったりだった。

 その様子を見ただけで、ユユにはその動機が大体分かってしまった。

 現行犯で捕らえたからには現場を目撃したはず、そんなアキが何も言わないのも、直接告げるにはやはり気を使うのだろうかと推測を立てられるほどには。


 露骨に話題を逸らしたアキのそっけない気づかいに、ユユは後でありがとうと言おうとひそかに決める。気づかいというのは、その対象の相手に看破されるのが一番恥ずかしいものだし。


 ──これは自分の問題だ。ユユは膝を自分の方に寄せて座り込む少女を見下ろして、言った。


「『こおり(・・・)』さん。ユユのこと、そんなに嫌だったんですか。呪っちゃいたいくらいに」


「……思いだした。昨日見たなあ、金髪のお兄さん。『しゅがぁ』の卓にいたっけか、今思いだした。『繋がり』にボディーガードしてもらうんだ、甘蔗ちゃん」


 ユユを見もせず、そのくせ悪態を飛ばすその態度はどこまでもふてぶてしい。こんな人だったんだ、とユユは頭と心から冷えた何かが抜けていくのを感じる。

 ──やっぱり、人なんか信用するものじゃないなあ、と。


「繋がりじゃないし。……『明日大事なイベントがある』っていうの、これだったんですね。バイト代わってってわざわざ頼んで、念のためユユがここに来れないようにしたんでしょ」


「うん。もしかして今日飛んだ? 当欠かあ、いけないんだ」


「飛びましたー。急だったし、代わってくれる人いないんですもん。ユユ嫌われてるのでー」


 そもそも、誰とも仲良しではなかった。

 (おと)を筆頭に『推し』狂いの子もいるし、理由は様々でもユユみたく普通のバイトができなかった子もいる。全員がユユのいじめに加担していたわけではなくても、結局は必要以上に関わらないのがあそこで生きていくコツなのだと、ユユも二年間で学んだこと。


「安心して? 甘蔗ちゃん」


 そんな中でも、ユユと対等に接してくれた、ユユにとって数少ない同僚以上の相手が、ようやく顔を合わせる気になったらしい彼女が、嘲笑気味に息を抜きながらはっきりと言った。


「殺そうとした私以上に嫌われてるってこと、さすがにないと思うから」


「……えへ。安心」


「ユユ。コイツに聞きてエことがあんならオレに言え」


 唐突に鼎が間に割って入り、視界を遮られたユユは「え」と困惑の声。意味の分からない仲介の提案に、なぜ邪魔するのか、鼎を見上げて戸惑い口調で投げかける。


「いらな……いけど、大丈夫だけど。今ユユが聞きたいから聞いてて、」


「んや、俺も賛成。こおりさんだったか、話は俺らで聞かせてもらう」


 さらに思ってもみなかった方から援護射撃が入る。腕を組み、こおりの背後に立ちはだかるアキには妙な威圧感があり、ユユは再度目を瞬かせた。

 物理的に引きはがされ、気圧されたユユが口をつぐむと、こおりまでもが話し相手が交代したことを受け入れたように「どっちでもいいけど」と小さくため息をつく。鼎に向かって首を傾げると、


「あなた、うちの常連の子に似てる。ブリーチした? 全頭ホワイトって、うちのキャストみたい」


「おォしたした。ついでにキャラ変もな。前とは別人だと思えよ、慈悲は願われたらちびッとだけくれてやる。──で、なんでやった?」


 見た目ごと猫を破り捨てた鼎が、ドスの効いた声で凄む。背中を向けられているユユからは鼎の顔も何も見えないが、瞬間、こおりがわずかに息を詰めたことは空気の震えで分かった。


「嫌いだった」


「しょうもねェ」


 単語一つの、至極あっさりとした自白だった。しかし、


「みんなと同じって思ってる? 違うよ。いいね、イジメられて」


「──ぇ」


「かわいさの証明。おめでとう。傷つき方もかわいいね。すごく不器用だし、わざとらしい」


 淡々と冷め切って語るようでいて、音に混ざる、粘つくような情念のこもり具合。

 あざけ笑うその真っ黒い顔に、理解がおよばない。


「弄らなくていい顔がある、助けてくれる相手がいる。それっぽっちでホンモノぶるの、やめて」


 邪魔者に遮られないよう、ユユを一心に見つめてくる真っ黒な瞳には、たとえ塞がれようが止まれないほどの呪いが煮詰まっている。

 心臓が、鼓動が揺れる。どくどくと、血が指の先から中心部に集まってきて熱を帯びる。──今すぐにその熱を発散することが、その冷たさに対抗するには必至だと、理性のふりをした本能が叫んでいた。


「かわいいだけとか、贅沢言えるだけ──」

「おいアンタ!」


「っ私! こおりさんになんもしてなっ……え?」


 ユユが絞り出した、その声をかき消すようにアキがこおりの肩を掴んで中断させる。はっとしてユユはとどまって、そして当の本人、こおりは止められて黙りこくる──のではなく。


「──、──!」


 その様子は、まさに異常の一言。肩を揺さぶられ、上を向いたこおりの表情は驚きと苦痛に満ちている。

 つい先ほどまで呪詛を吐いていた口は、ぱくぱくと忙しなく開いては閉じるだけで何も音を発しない。ユユは何が起きたか分からず、「えっえっ」と混乱を口にするだけで、


「聞こえてるかおい。つか、何がどうした!」


 ぎょっとした様子でアキが屈みこむ。急変したこおりの様子は、まるで突然呼吸困難を引き起こしたようで──まさかと思い、ユユは鼎を見る。

 その薄い唇はぱくり、ぱくりと何かを咀嚼するかのごとく蠢いていた。


「っばか、トウテツ!」


 思わずユユは声を上げる。ちろりとこちらを見た鼎は、バレたと言わんばかりに、こおりの周りの空気(・・)を食らっていた口を歪めて哂うと──パッ、と口をぽっかり開けてみせた。

 その瞬間、盛大に息を吸い込んだこおりの、むせ返る声が聞こえてきて、


「はっ、は、」

「おい、大丈夫かアンタ? つかなんだ本郷、その顔……あー」


 食らう(・・・)のをやめたあと、いつの間にかユユの隣でちろりと舌を出していた鼎に、遅れて気づいたアキが渋い顔をする。彼は声をひそめて、


「……甘蔗、こいつか」


「絶対あとでちゃんと怒ります、ユユが」


「いや、その必要はねえんじゃないかなって」


「うそ、まじです?」


 瞬間的な窒息感から解放された本人は、しかし混乱しながらもとにかく息を整えることだけに腐心しているようで、頭上の小声での会話すら聞こえていない様子だった。

 今もくつくつと音を立てずに笑っている、『人に害をなさない』ルールのぎりぎりをついた化け物への、アキの意外な同調。それでいいのかと思わなくはないユユの驚嘆に、彼は頭を搔くと取ってつけたように、


「まあ、ほらさ。さっきまで肩に力、入ってただろ」


「……あ、ほんとだ」


 言われてみれば、不思議なことにユユの肩からは力が抜けてすとんと落ちていた。

 トウテツ(かみさま)の気まぐれか何かで殺されかけた人に対し、それがひどい話だとしても。けれどユユには、ぺたりと地面に座り込む彼女がどうしようもなくちっぽけに見えた。


 熱もうるさい頭の中もまとめて凪いでくれた。今だから、言える。ユユはしゃがんで、焦点のふわふわしたままのこおりにまっすぐ視線を合わせる。


「ユユ、こおりさんに何もしてない。イジメられてよかったねなんて酷いこと、言われる理由はちょっともない」


「……何、言いたいの?」


「ユユの言いたいこと。──ユユは好きでかわいくいるの。自虐……自分に好きじゃない部分があるのも、人間だから。そういうことを人前で言うのは確かにうざかったかもで、それはごめんなさい」


「……」


「けど、そんなのしかなくても武器は武器って割り切った。それに今、増やしたくて頑張ってる途中」


「……ねえ、今の、なんかしたでしょ」


 こおりは疲労を隠さずに憮然として詰問してくる。下手人に思いっきり心当たりはあるが、「ちょっとユユも分かんないです」としらを切った。多少悪いことをした気になるけれど。

 これでとんとんだろうとユユは正直なところ思う。なんならアキも素知らぬ顔だし。天災みたいなものだ。人間は無力、しょうがない。


「それで、誰かに『助けて』って頼んだわけじゃない。あくまで偶然で対等……そう、対等で、ユユは自分の足で走ってここに来た。必要なら、これでバチバチさせる気満々でした」


 スタンガンを掲げる。護身用、と誰かが呟いた気がするが、気のせいで間違いない。

 呆気にとられる彼女に、ユユはただ強く、毅然として言い切った。


「かわいいだけはもうやめたいから。──『ホンモノ』の称号なんか、言われなくってもこおりさんにあげます」


「……。……変わったんだ、甘蔗ちゃん。とか、言われたい感じか」


「ずっと頑張ってられたらいいけどね」と皮肉げに吐きだして、こおりは力なさげに天を仰いだ。雲の有無すら分からない、どこまでも真っ暗闇の天蓋をぼんやり瞳のスクリーンに流すだけ。その様子はまるでユユから──呪いたかった対象から一切の興味をなくしたようだった。


 そんなこんなで勝手に一人で決着をつけてしまったユユに、気づかせるようにアキが咳払いして、


「俺からもいいすか、こおりさん。こういうことは二度としないでくださいよ、甘蔗はウチのバイトなんで。じゃねえと」


「しっ、しない! ……バイト? なんの?」


「この先ずゥっと見られてると思え。次はねェぞ」


「しないって! なんなの、変な繋がりにも程があるでしょ!」


 三白眼でやたら堂に入った脅しをかけるアキ、そして間延びした口調で宣告する鼎に、ボブカットを振り乱してこおりはいちいちびくついている。

 さっきの下手人が鼎だということはこおりに分かるはずがないと思うのだが、もしや本能で悟っているのかとユユは疑問に思った。

 なお、前者への怯えっぷりに関しては。


「だからなんもしてないって、信じてくれよ! そりゃ止めてえって思ったらちょっとは力入るだろ!」


「別に疑ってないですけど。むしろありがとーございます。色々と」


「……あ、マジで? おう」


 完全に弁解体勢になっていたアキだったが、ユユが素直にぺこりと頭を下げると拍子抜けしたような顔になって、ユユは不思議だった。

 と、鼎が「なァ、変な繋がりだとよ」とユユの肩に手を回してきた。面白がっているにやけ顔に、ユユはその言わんとすることが分かって悩ましい顔。そうして生まれた沈黙に、おずおずと「怒らないでよ?」とこおりがやけに神妙な声で、


「武器は持ってるし、なんでか急に息できなくなるし、よっぽど変な神様信じてるんだなって……あれ、甘蔗ちゃんそういうの嫌がってなかったっけ」


「あー……先輩、」


 年齢は近いとはいえ外見も特徴もバラバラの集団、さらにこおりの挙げた個性には異論の余地なし、そうなれば真っ先に浮かぶ答えは確かに『神』繋がりだろう──とはいえ。

 顔を見合わせたアキに、ユユは呼びかけて促した。「どうぞ」という意味、もしくは「やっちゃってください」だ。

 アキは了承の意味でか、両目を瞑ると、


「どこの宗教団体でもない。俺らは『神宿相談所』。おたくが利用しようとしたカナワ屋について。お話聞かせてもらいますんで、どーぞよろしく」



 ◆

 


 深夜二時の事情聴取、聴取相手はまんまと捕まえられた犯人もとい、重要参考人。横一列に並んだユユたちに見下ろされる中、彼女は鳥居の台石に座り直したあと開口一番、


「ねえ、そのカナワ屋って何、カナワ様の間違い?」


 だった。思わぬその反応にユユは目をぱちくりさせ、アキが呆れたようにガリガリと首を搔きながら、


「そのカナワ様の大元だよ。呪いのやり方は分かってんだろ、知りませんでしたじゃ言い訳には」


「本当に知らない。私は店で聞いただけ──ていうかほら、甘蔗ちゃんのお客さんが騒いでたでしょ」


「あァ、あの飲んだくれ」


「あれだけ何回も来て大声で言ってれば嫌でも聞こえるよ。三角折り(・・・・)の客だったから、みんな結構気にして見てただろうし」


「ユユのお客さん……三角折りって?」


 こおりが言っているのが高嶺祥子(たかね しょうこ)のことだとユユはすぐに分かったが、続く言葉には首を傾げた。聞いたことのない用語だ。「ああ、甘蔗ちゃんコンカフェ経験しかなかったっけ」とこおりが一人で納得したように頷く。


「おしぼりの折り方。キャバ嬢はね、ああやるの。現役っぽくはないけど、プラべの店でやるのってわざとでもわざとじゃなくても要注意の人が多いから」


「へえー。……確かに見たことないやり方してた、かも?」


 指を顎に当ててうーんと記憶を掘り起こすユユをよそに、眉間にしわを寄せるアキがトントンと頭を叩きつつこおりに詰め寄っている。その仕草には疑念がありありと浮かんでいた。


「本当に、その高嶺さんの話を盗み聞きしただけか? 手順にも大分詳しかったみたいだが」


「嘘じゃないって、全部聞こえてきてたの! あの人、卓に甘蔗ちゃんが着いてないときでもぺらっぺら。どうしても話したくてしょうがないっていうか、」


「話さなきゃいけねェ、か」


「そう、変に熱心って感じ。よく分かったね?」


 不思議そうにこおりが小首を捻るのも当然で、会話に割り入ってきた鼎の口調はやたらと確信めいていた。

 何を勘づいたのかは不明だが、またも説明を怠る鼎。その横着さにユユが痺れを切らす、その前に アキが頭を押さえて、一切合切を放り投げるようにうめいた。


「やられた。俺らは使われたんだ」


「え?」


 手の隙間から見える目は瞑られているように見える。八重歯の覗く口は何かをためらうかのごとく開くべきか閉ざされるべきか、その瀬戸際にいるように思えて、ユユも少しの間引きずられてしまう。


「心当たりあんだな、金髪」


「ああ、最初にカナワ屋について調べたときに見た噂の一個だ。くっそミスったな、関係ないかと思って一回スルーしちまった」


「ユユ、ついてけてないです! けど!」


「おう、……ほら」


 自然と分かりあった風な二人に対し、体裁などないユユが必死に挙手してのアピール。応えてくれたアキの見せるスマートフォンには、『これやばい しらなかった』という数日前に見た個人の呟きが映っている。ユユはいぶかしげに訊ねる。


「これ、前に見たやつですよね?」


「途中まではな。依頼人が見たのかもしれないのは、その先だ」


 紐づけられているのは『注意! カナワ屋のウワサ』という都市伝説のまとめサイト。アキがタップで開いたのは、そのコメント欄だった。


「『人を呪わば穴二つの回避方法』──『牛に憑り殺される前に、最低でも10人以上に広めれば助かる可能性がある』、『かもね』?」


 読み上げたその内容と、アキと鼎の会話を照らし合わせる。

 そうして思いついたのは最悪の発想。彼女が実行したのはこれだった。


 眉唾でしかなく曖昧で他人事、どこの誰とも分からない誰かのコメントだ。顔も名前も分からなければ、信ぴょう性を見出す方が難しい。きっとおふざけだと、ユユならそう断定する──が、しかし。

 仮に今まさに追い詰められていて、何にでも縋りたい境地の人がいたとしたら。その人が何かに対し、無責任に縋ることへ慣れきっていたとしたら。


「やられたって、じゃあ、ユユが」


 差し出されたそれがたとえ悪意の藁で編まれていたとしても、甘美な救いの手に見えるのだろう。

 そう理解しても、事実を拒もうとする両手が震えるのを止められない。おぼつかなく口元にやった手に震える吐息がかかり、束の間じんと熱くなる。

 ──だって、じゃあ、一番間違えたのは。


「ユユが祥子さんのやりたかったことに、乗っちゃった?」


「……だとしたら、どうする」


 肯定も否定もしないアキの問いにユユは息を詰まらせる。

 

 ──護衛はいらない、また別の店にいるから。そう言って夜道に消えていった彼女の姿を思い出す。

 全部ぜんぶわざとだった。否、ユユの方から彼女に都合良く話を転がり込ませてしまったのかもしれない。どちらにしても、彼女は一方的に『助けられる』気などさらさらなかったのだ。

 騙された。その事実に湧いてくるべきはきっと、後悔や怒りではなく──やる気であるべきだと、ユユはかつて教わった。


「……ユユが、取り返す」


「うっし」


「もっと言えば、失敗にする前に食い止めるんだよ。俺らで」と唇の端を捻り上げ、八重歯を見せつける笑みはともすれば険しく見えるが、さすがにその意図はユユにだって分かる。

 それは、ユユの頭になかった発想だった。今まで出来たことのないこと。根拠はこうして一人(こおり)の凶行を止められたことで、まだ取り返しのつく範囲だと言うのだろう。


 ユユはアキに歯を見せて笑い返してやる。確かに、それが出来たら、きっと。


「さいっこうですね、それ。やります、騙されるのも初めてじゃないので!」


「誰が一回目だ。──金髪、酔いどれ女には通じたか」


「駄目だな、電源切ってら」


 先程からアキが耳に当てていた、祥子に向けて電話を発信していたスマホは無機質なアナウンスしか返さなかったらしい。

 喉を鳴らして深々とため息をつき、諦めたアキがポケットに突っ込もうとした、そのスマホがふいに振動し始めたのだ。


「あ?」

「っきた!」


「いや、これは──もしもし、ケイさん?」


 かけてきたのは当の本人から、ではなく。「スピーカーにしたんで、どーぞ」とアキが耳から外し、いそいそと寄り集まったユユ含む三人の中心に置いてみせたスマホから聞こえてきたのは、椿原景(つばはら けい)の声だった。


『ありがとうございます、アキ。では手短に──『TRIAINA』の調査中、お話を伺った方のうちに『黒い牛を見た』という人がいました。今、事務所にいらっしゃいます』



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