目覚め
心が頭にあるのか心臓にあるのかわからない。
でも体の中で心が悲鳴を上げているのだけははっきりとわかっていた。
辛くて悲しくて惨めで…。
あらゆる負の感情に支配された心はまるでぐちゃぐちゃにされた紙屑のようにボロボロに傷ついて引き裂かれる痛みに涙が止まらなかった。
目が覚めた時自分がどこにいるのか分からなかった。
全く見覚えがない天井をしばらく見つめて普段見慣れた自分の部屋の天井じゃないと思いながら起き上がった。
天蓋とはこういうことをいうのだと刺繍が見事なレースをめくり周囲を確認すれば、豪華な調度品が品よく置かれたとても広い部屋だった。
やはり見覚えがない。
床に足をつければふかふかな絨毯が引かれていて、思わず見下ろせば自分はワンピースのようなネグリジェを着ていた。
ここは一体どこなのだろう。
そして自分はなぜパジャマではなくネグリジェを着ているのか。
バクバクと動く心臓を整えようと深く深く、深呼吸を繰り返しても変な動悸は収まらない。
おそるおそる化粧台に近づいてみればそこに映っていたのは猫のような瞳を持つ幼げな少女だった。
これはどういう事だろう。
自分ではない自分の身体を動かしている不思議な感覚にまじまじと鏡を見る。
自分の頬を触れば確かに感覚があるし、心臓が鋼を打つように早く動いていることも胸に手を当てて確かめる。
これはなんだ、何が起きているんだとめまいがして思わずよろけた拍子に手が何かにあたって鏡台の上に置いてあったものが落ちた。
落ちたものに目を向ければそれは鍵だった。
思わず鍵を拾いこれはなんの鍵なのだろうと意識が持っていかれる。
小さな鍵だ。アンティークなのか細かい装飾が施されている。
鍵のかかった何かがあるのかと思い周りを見回してもそれらしきものは見当たらない。
小さな棚や寝台や化粧台の引き出しを探ると鏡台の引き出しの中から鍵のかかった大きな本のようなものを見つけた。
鍵穴に小さな鍵を入れればぴったりとはまり、本が見れるようになった。
文字を書くのは苦手だけど、自分の心を整理するのには役立つとおばあさまがいうから書くことにする。
これから毎日書くことができるか今から心配だけど、おばあさまはあったことを思うがままに書けばいいのよとおっしゃるの。
そうすれば自分の心と向かい合うことができて心が落ち着くのですって。
本当かしら?
わたくしにはまだ難しくてわからないわ。
先日ル・ジーイ様と初めてお会いした。
とてもきれいな男性。
薄い水色の髪は雪が降った朝のようにキラキラしていた。
あの海の底のような深い青の瞳が濃い血の象徴よとお母さまがおっしゃっていたわ。
たしかにあの瞳に見つめられると緊張する。
それが血の濃さ、力の強さという事なのだろうか?
この本は日記だった。
日記を書いた人物はとある高貴な血に連なる一族に生まれたので幼くして婚約者ができたこと。
その婚約者がとても美しいグラキエスドラゴンで仲良くなりたいこと。
自分はサキュバスの血を引く一族でありながら祖母の能力を受け継いでいること。
その周りの心を読み取る力のことを誰にも言ってはいけないと祖母と約束したこと。
そして婚約者に恋をした過程と婚約者の態度に心を痛め、次第に心が死んでいった胸の内が書かれていた。
最後まで読み頭を掻きむしる。
なんだこれはなんなんだこれは。
目を血走らせながら鬼の形相で寝台に戻りサイドテーブルを確認すればそこには水が入ったグラスと空の小瓶が置いてあった。
枕に顔をうずめ、心の底から叫びたい衝動を必死で抑えどれくらい時間がたっただろう。
荒く短くなった呼吸のまま顔を起こし、鏡台にもどる。
鏡に映った少女は濁った瞳と憎悪に顔をゆがませていた。
日記を元に戻し、化粧台にあった宝石箱からレックレスのチェーンだけを取り出して鍵を肌身離さずもてるようにした。
「死ぬべきなのは私じゃない」