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序章
「ネトゲもすこし一段落したところだ。なので俺は今こうして自由に書きたいことを書いているわけだ」
決まった定義もないこの空間で、俺が一体なにをしようが勝手であり、それがこの『なまごみフォルダ』の良さなのだけれど、俺の想像上の人物である沖波千里がそれを許すまいといったような表情で睨みをきかせた。
「意味分からないんですけど……」
窓際に置かれたパイプ椅子に腰を掛けている、スマートフォンを弄る手を止めたボヤけている少女を凝視しながら、俺は脳内で彼女の細部に至る情報を丁寧に創りあげる。
「うん。髪型はショートのツインテール。ラビットではなくレギュラースタイルだ。そして焦げ茶髪であり、瞳の色は淡く輝くライトグレー。白い肌に貼り付くは鉄板とも言えるニーハイソックスで決まりだな。身長は平均よりやや低めの細身体型にしよう。萌え袖追加」
「はぁ……? な、なに言ってるんですか」
ばっと、自分を庇うように両手で身体を隠し、怪訝な視線を飛ばしてくる彼女の線ははっきりとし、形となった。しかし全く新規のキャラクターであり、慣れるのに時間がかかる。
設定としてはこの俺、柳瀬洋というキャラクターが設立した部活動の数少ない部員の一人ということになる。ベタなものになるけれど、単純であったほうがわかりやすく楽しさが先行するというものだ。
「何をじっと見ているんですか変態」
「変態じゃない。部長だ」
「どっちでもいいのでその目を閉じないと潰しますからね」
性格は見た目通りのツンデレが妥当だろう。テンプレートはある程度形というものが出来上がっていて非常に扱いやすい。あとは進むにつれ、オプションで設定を追加すればいいだけだ。
「俺がせっかく命を吹き込んでやったというのに、なんて言い草だ」
「何の話ですか。部長、もうそろそろ帰ったほうがいいんじゃないですか」
「帰そうとするな」
「いや、普通に時間」
「あ、そっか」
壁にかかった時計を確認すると十八時三十六分。完全下校時刻を六分オーバーしている。
季節としては今は冬であり、外では既に街灯の明かりが煌々と輝いていた。
……これらも全て、俺が創りだしたものであるけれど。
「部室の鍵、どこですか?」
ストーブの電源を落とし、元栓を閉め終えた千里が、ブレザーの袖に腕を通しながら鍵の所在を訊いてくる。
「たしか、そこの棚の上」
目線で場所を示しながら俺も身支度をし、椅子の背もたれに掛かっているマフラーを手に取った。
舞台は学園ということにし、青春ラブコメディなんてものが今の俺には一番魅力的であるだろう。完全に俺が楽しむだけの自慰行為ともいえる設定だけれど、だからこそ意味がある。
わざわざフィクションにリアリティを求めるほうがどうかしているのだ。
「ほら、早く行きましょうよ」
パチンと部室の電気を消し、扉を開けながら千里は俺を促す。
「そう焦るな。俺と一緒に帰りたいという気持ちもわかるが――おいドアを閉めようとするな謝るから」
慌てて引き戸に手を伸ばし制止する。少し開いている隙間から仏頂面が覗える。
表情の構築も、だいぶ出来上がってきているようだ。
「ふざけてないで帰りましょう」と、千里は不機嫌そう(というか不機嫌)に再度扉を開く。
素直に廊下へ出ると肢体が外気に晒され思わず身震いをした。
施錠の音が静まり返った通路へ響き、冷えきった寂寥感を一層駆り立てる。廊下の奥の方を見やると、俺の創造力が行き届いていないのか黒くボヤケて見えた。
「もう本格的に冬だな」
「ですね」
「寒いだろ。手繋ぐ?」
「やめてください。寄らないでください。歩幅合わせないでください」
音を立てるように地面を蹴り、俺から離れるように千里は歩き出した。
設定した性格に忠実な行動を取っているあたり、案外早く馴染めるかもしれない。そのうち俺が想像せずともひとりでに動き出すというが、果たして本当だろうか。
「いや、下心とかではなくてだな。俺は単純に風邪とか引いたら困るし心配でだな」
早足で距離を詰める。変に間が開いているけれどそれは諦めることにする。
「私は心配されなくても大丈夫です。部長はバカなので風邪引きません」
「俺バカだけど風引いたことあるよ」
「うわ……」
他愛もない会話と言えるかどうかは疑問が残るとして、まずまずの滑り出しと言える。こうも潤滑に進行していけば、俺の存在自体がこの世界に染まるのも遠い話ではない。
もっとも、戻れないくらいにどっぷり浸かってしまうのは避けるよう肝に銘じておこう。
今一度、沖波千里なる人物を眺める。
マフラーで口元を覆い、白く透き通った肌色の頬は少し紅潮していた。
つい、綺麗な横顔ですねと口が滑りそうになるくらい、シンプルでありながら美しい顔立ちをしている。そう作ったのだから。
「なにじろじろみてるんですか」
「やっぱかわいいなーって思って」
「……そういうのセクハラっていうんですよ」
素直な感想を伝えた結果、そっぽを向かれてしまったので、こちらも捻くれてやろうかと逡巡するもすぐ取り止める。見間違いでなければ、紅潮していた頬が僅かに赤みを増したからだ。
性格に準ずる感情表現もよく機能していることを確認。具体的な言葉にしてしまうと、素っ気ないというか空しいというかそういう感情がから回った。
「そういえば今日******来なかったな」
名前がまだ決まっていない。
「バイトらしいですよ」
千里はそっぽを向いたまま答えた。
「あいつがバイト? 仕事になるの?」
「あの子要領いいんですよ。この前、店長に褒められたーとか言ってましたし」
「よし、お茶汲みさせよう」
「お茶汲みって……まぁでもやっぱりカウンターはダメみたいですよ。厨房で頑張ってるんだとか」
「メイド」
「一旦そこから離れろ」
ビシッと頭に軽く手刀を喰らう。人体への物理的接触の感度も問題なし。これは別にないならないでよかったものだ。想像力をフルに使うので正直疲れる。
まだ名前のない『あの子』についてはこれから検討していこう。少なくとも物静かな大人しい部員という設定であることは決定しているわけだ。
「名付けが一番厄介なんだよな……」
「……? 鍵返してくるので先帰ってていいですよ」
「いや待つよそれくらい」
「そうですか」と言い残し、少し離れた職員室へ向かっていく千里を眺めた。
きっとこれは気休めでしかない。こんな方法でしか自分を保てない。
ないものをあると思い込み、自作自演で自分を騙し慰めているのだから、相当頭がイカれてきているのかもしれない。
沖波千里は俺が即興で作り上げた架空の人物でしかなく、現実には存在しない『なまごみフォルダ』の登場人物だというだけだ。
馬鹿な話である。
整理するように今一度自分に言い聞かせていると、露顕していたアホくささが更に際立ったように思えた。
「何ぼうっとしてるんですか先輩。死んでるんですか?」
沖波千里が俺の顔を凝視していた。さらっと髪が揺れ、まばたきをし、ちゃんと息をしているのが伝わる。
鮮明に創りあげた沖波千里がそこにある。
「……死んでない。というか、なんでお前は呼び名が部長だったり先輩だったり定まらないんだ?」
「別に深い理由はないですよ。そういうのってあるじゃないですか」
「わからないでもない」
再び歩き出した千里に追随して、息を吐いた。
校舎から外へ出ると、寒風が吹き荒れていて、制服の隙間から身体へ侵食するように冬の乾いた冷たさが染み渡る。
横目で千里の方を見やると、短いスカートを抑えながら「うー、さむい……」と呻いていた。
「千里」
「はい?」
「じゃあな。多分、また明日」
「多分? 仮病ですか」
「いやそういうんじゃなくて。まぁバイバイ」
「はぁ。さよなら」
そこで千里は動きを止める。正確には動かなくなる。
最後まで訝しげな表情でいた彼女に、何かジョークでも聞かせ笑わせてやればよかった。性格がアレなだけに少し難しいところだけれど。
一息つく。
まだ書かれることのない空白に一つカーソルが一定間隔で点滅している。
ぐっと上体を反らすと、小気味よく骨の鳴る音が薄暗い部屋へ霧散した。
現在の時刻は午前二時を回ったところであるけれど、連日の深夜徘徊のせいか目蓋の重みは全くない。
僕の他に誰もいない部屋の四隅には、濁りたまった空気が蠢いているようで、外の空気でも吸いに行こうと立ち上がろうとし、やめた。
「一応保存しとこうかな……」
『なまごみフォルダ』と明記されたテキストに並ぶ文章を眺め、上書き保存をクリックする。
元々は愚痴が書き連ねてあったただのメモ帳だっただけに、大層なタイトルをつける気にもならず、テキスト名は流用することにした。単に面倒くさいというのが主な理由でもある。
いかにも頭の悪そうな文章が書き散らされた、妄想日記と差異のない(ともすれば、それよりたちの悪い)ものを見ていれば、視界の端からじわり、じわりと闇が侵食してくるので、早急にテキストを閉じ、座椅子から腰を上げた。
スマートフォンを片手に、狭いキッチンへ入り、冷蔵庫を開ける。
調味料と、きゅうりが一本鎮座しているのを確認して、散歩のついでにコンビニでも寄って行こうと考えながら上着を羽織っていると、どこか遠くで救急車のサイレンが鳴る音を聞いた。
もう数時間後には朝がきて学校が始まるというのに、全くと言っていいほど今の生活サイクルを改善する気が起こらない。
睡眠をとるため、高校へ通っているというのが正しいと言えるくらいで、授業始めから放課後まで昼食も摂らずぶっ通しで寝ていたこともあった。
まだ入学して間もないというのに。
本格的にダメになってきている。もしかしたらもう手遅れかもしれない。そんな考えだけが頭の中でぐるぐると廻ってはいるけれど、それを咎める人はどこにもいない。
家族との別居が決まったのは高校へ入学する少し前だった。
大した理由があるわけでもなく、お金は送るから出て行って、と両親に懇願されたのだから
二つ返事で了承したまでだった。
おそらく、二人にとっては不快だったのだろう。
養子として迎え入れた子供は、思ったよりもつまらなく、飽きてしまったのか。最初に与えていた期待の実る愛情も段々と育たなくなってきてしまったのか。
きっと両方が重なり合い、そして実子の誕生がそれに拍車を掛けたのは明白と言える。
蚊帳の外から眺める僕は、ただ幸せな家庭を傍観している気分に陥り、というか実際そうであったけれど、一応正常な判断はできるよう育っていたため自然とその家族との距離を高校へ入学するまでの間取り続けていた。
できるだけ邪魔をしないようにしよう。そう純粋に、いじけているわけでもなくそれが僕の役目であり、引き取りここまで育ててくれた両親への恩返しだと思うよう努めた。
そんな僕の行動がどう伝わったのかはわからないけれど、両親も僕に最低限以上の関わりはせずに、良く言えば一人の時間を尊重してくれていたように思える。
そしてそれに従い、かねてから励んでいた勉学に、よりいっそう打ち込んだ。
……受験に成功。晴れて一人の身が決定した僕は逃げ出すように引越し先へと転がり込んだ。
実家から電車で一時間ほどかかるアパートだった。
「……………………」
静かすぎる部屋は耳鳴りが目立ち、むしろ騒がしい。
振り払うように首をぐるっと一回まわし、ベッドに投げ出された財布を尻のポケットにねじ込んだ。
玄関の扉を開けると、小雨が降っているのが見える。戸棚に掛けてあるビニール傘を手にして、ひんやりと静まり返ったアパートの廊下へ出た。
「やっぱ現実には敵わないな……」
本物の冷風と、冷たい水滴が頬を濡らす。
当たり前だけど、自分の弱い想像力なんかではリアルの足元にも及ばない。
今この現実を、五感を通して理解し処理して文章に直し描写することすら、僕にはままならないほどだ。
あの家族から逃げたように、心の在り処を求め、今度は現実からも逃げようというのか。
今はまだわからないけれど。
どうせただの遊びだから、別にいい。