56 遠い過去の恋物語 国王編
「国王陛下にお伝え申し上げます。先ほどグレイソン公爵から謁見の申し出がございました。いかがなさいますか?」
「こちらへグレイソン公爵を通せ。…本日の公務は全てキャンセルし、代替としてセオドアを指名する。代行として働くように申し伝えよ」
「ハッ!直ちに…」そう言うと、侍従は出ていった。
…グレイソン公爵には内密の調査を頼んでいたが、ついに解かったということなのだろうか…?
「ルーカス・ヘヴェル・グレイソンにございます。本日はお目通り頂きありがとうございます。国王陛下に置かれましては…」
「型通りの挨拶などいらぬ。敬語も不要じゃ、既に人払いも済ませてあるからの」
ルーカスの挨拶を遮り、先を促すと、案の定調査結果が出ていたのかルーカスはニヤリと笑った。
「…せっかく苦労して調べ上げたんですから、もう少し勿体ぶりたかったのですけど」
そう言うと羊皮紙の束を出して見せる。
「やっと、ジュード様のお母様であり国王陛下の思い人であった女性の身元が判明いたしました」
…かつて、余が心から愛し、人生を共に生きたいと願った女性…遠い過去の苦い記憶。
「…その女性の名はハンナー。最初は家名も判らなかったのですが、彼女は異国からの人質として来た王族に付き従いオールヴァンズ王国へと入国した者の一人かと思われます」
「…そうだった。余にも『名前は祖国に捨てた』と彼女は言っていた…」
余の呟きに頷くと公爵は先を続けた。
「かなり周到な女性だったようで、市井でも彼女の素性を知るものはほとんどいませんでした。…10年以上昔の話でもありますし、捜査は難航していたのですが、たった一人だけ彼女を覚えていた者がおりました。彼女が働き、市井での頼りにしていたパン屋を営む老夫婦です」
…彼女は王宮から消えた後、そこで働いていたというのか…?
「老夫婦はハンナーが非常に働き者で、朗らかな性格だったと言っていました。さらに、初めて彼女が現れた時に既に彼女が身ごもっていたことも証言しています」
「…余の子供…ジュードか…」
「はい。彼女は最初隠していたようですが、生活に困窮していたうえ、出産も控え苦しんでいたところをその夫妻に同居を進められ救われたようです…ジュード様の出産にも立ち会ったようですね」
「彼女は…幸せだったのだろうか…」
「…生活は苦しそうでしたが、老夫婦が売れ残ったパンをハンナーに持たせたり、ジュード様が育つまでは一緒に暮らして子育てを手伝っていたそうなので、彼女が泣いているところを見たことはないと言っていました。…恩人の前で泣くわけにもいかなかったのかとは思いますが」
そうか、ハンナーは苦しみながらもジュードと共に幸せな生活を送っていたのだな…。
余のことも忘れて…かすかに胸の痛みはあるが、それももう終わったことか。
そんなことを考えていると公爵が顔を歪ませた。
「…ただ、一つだけ不思議な話がありまして…。老夫妻もこれは真実なのかは分からないけれど…と言葉を濁していたのですが…」
「不思議な話というのは?」
異国から来た娘が市井で暮らしていれば生活習慣が違うくらいでは驚くことでもない話だと思うが…。
「はい…。実はハンナーは先を見る力があったのではないか…と言うのです」
「先を見る…未来をあらかじめ知ることが出来る力?魔術でもそんなことは聞いたことがないが…」
未来を知るなど、そんなことが出来るのは神か精霊王のみではないのか…?
余の言葉に公爵も『魔術ではなく、神の力…に近いかと』と言葉を濁した。
「覚えているだけでも『もうすぐ雨が降るから洗濯物を仕舞った方が良い』とか『今夜は急に冷えるから温かいスープと一緒に食べられるパンを多く焼いた方が良い』等あって、非常に重宝したそうですが…」
「そのくらいであれば、空模様を見れば判るだろう。先見の力とは大げさでは無いか?」
しかしグレイソン公爵は首を振る。
「私も全く同じことを申しました。しかし、予測できない突発的な天候も当ててしまうそうです。更に…ジュード様が一度だけ店に幼い娘を背負って現れたことがある。その時もハンナ―は『そのお嬢さんは街はずれの教会の前に誰にも見られないようにおいていらっしゃい…』と言っていたそうで…」
それはもしや…
「はい、我が娘アメリアが市井の教会でいなくなった時の事かと…」
頷きながらも公爵は興奮気味に続けた。
「ハンナ―はその後、『そのお嬢さんが貴方にくれたお守りがきっとジュードを守ってくれる。だから今は名乗らないで帰ってきなさい』と幼いジュード様を諭していたそうです…」
「なんと…」
その時点でアメリア嬢がジュードに渡したイヤリングの事などハンナ―が知るはずは無い。
我々ですら10年以上が経って初めて知りえた事実だ…それに、これが作り話である可能性も低い。
王族とグレイソン公爵家など極僅かな関係者しか知りえない秘密…。
それをハンナ―が察していたとすれば…。
「今となっては確認する術はありません、ですが、もしも未来を見る力があったとすればハンナ―は自分が殺されることも、ジュード様が長い間苦しむことも知っていた…それでも我が娘がジュード様を救ってくれると願いながら亡くなられたのではないでしょうか?」
「…ハンナ―は余と会って不幸だったのだろうか…」
思わず零れた本音だった。自分と出会わなければ彼女は今も元気に王宮で働いていたのかもしれない…そう思うだけで己の愚かさが胸を締め付けた。
「…老婦人が最後に言っていた言葉があります『ハンナ―はいつも息子に【あなたのお父様はとても優しく偉大な人なのよ。一緒になることは出来なかったけれど私は心から愛しているわ。もちろんジュードのことも】と言っていた。』と…」
そこまで告げるとグレイソン公爵は『以上です。それでは失礼いたします』と退出してしまった。
余の止め処なく溢れる涙を見たのが気まずかったのか…しかし、余はハンナ―の想いを知ることができ、心から満たされるのを感じていた。
今はもう会えない遠い昔の恋物語…。
「やっとハンナ―…お前を忘れることが出来る。ありがとう…」
そう呟き玉座を下りる。
今、心から愛するオリバレス王妃の元へ向かうために…。




