戦争編2の6.戦闘開始
後書き以下略。あと前書きに『誰得かわからない豆知識』を設けたいと思います。早速、今回の豆知識
『大和型の砲塔天板の270mmは非常に厚く500kg爆弾が直撃しても無傷だった』
「お前がジョーカーって聞いてねぇよ!」
「私が嫌われる事を避けて言いませんでしたから」
「俺もジョーカーだから気にすんなよ!」
「え?そうなんですか?ちなみに能力は?」
「不幸にあった数だけランダムで奇跡を引き起こせる。100倍で」
「凄いじゃないですか!」
コイツもジョーカーだったってのは初耳だったけど案外、近くに仲間がいたとい思うとホッとする
「ヴォーーーーー!!!」
「「!?」」
そうだ。コイツの存在を忘れてた。
「取り合えず隠れるぞ!」
幸いこの部屋には闘技場みたいに障害物がたくさんある
「ところで今日助さんはジョーカーなのになんでスキルを取れたのです?」
「知らん!俺も最近になってラミウリに教えらるたし。あとあそこの穴みたいなのに入るぞ」
「はい」
全速力で走ってからのスライディングで床に空いてた穴に入る
「今、光属性のスキルを取れません?」
「無理だろ。属性を覚えるにはその属性の魔物を倒す必要があるって本で読んだぞ」
これは最近やることがないから暇潰しで読んでた本に載ってた。あ!
「けど属性を組んで発射する事なら出来るぞ」
「どういうことですか?」
確かポケットに…あった!
「テッテレー変なリモコン」
「そのリモコンで何かを呼ぶのですか」
「違うよ?このリモコンのボタンを押すと…あらビックリ。中からシリンダーが出てきたではありませんか」
シリンダーと言うのはリボルバーの中心くらいにあるグルグル回るやつ
「MSGを借してくれ」
「どうぞ」
「MSGのトリガーの上にスライド出来る板がある事は知ってた?」
「いえ。初耳です」
「そうか。この板を左にスライドさせるとヨークが出てくる」
……………
よし!ヨークは出てこなかった
「このヨークにシリンダーを填めると…ほら出来たぞ」
「実際にはあるんですか?」
「ない。あとそれは最初っから俺が付けてたからね?」
MSGのトリガーの上にシリンダーが謎に付いてるから戸惑うのも無理はない。そうなるとこのMSGの名前はMSG90A1と言うことになるな。少し長い
「んでこのシリンダーにはカートリッチが入っていてそのカートリッチの場所を変える事で属性が決まる。右回りに赤、青、黄、銀、金、黒で構成されてるだろ?」
「はい。それで光属性の製作方法は?」
「知らん!」
「えぇ…」
「それ作ったのヨークだし。俺の銃じゃないから聞かなくても言いかなって思った」
「聞いてくださいよ!」
テヘペロ☆
「ところでアイツ来ないな」
「ですね」
「ちょっと試しに適当に組んでみるか」
えーと…右回りに赤、青、黄、銀、金、黒になってるから適当に金、黒、銀、赤、黄、青にする
「よし!撃ってみろ。但し保証はせん」
「えぇ…。まぁ撃ちますよ。はぁ…」
ダァン!パ!
「お!光属性だ」
「凄いですね。あとどういう法則何でしょう?」
「まぁいい。ほら一斉に登るぞ。せーの!っと」
登った先には…
「ヴルルル…」
大きな大きな
「ヴォーーーーー!!!」
犬がいました
[次回]戦争編2の7.意外と可愛い
今回は護衛駆逐艦
雪風
雪風の主要目・兵装は
基準排水量 2000トン
全長 118.5m
幅 10.8m
喫水 3.8m
出力 52000馬力
速力 35.0kn/h
兵装 12.7cm連装砲3基6門
25mm連装機銃2基4門
61cm4連装魚雷発射管2基
です。駆逐艦だからかかなり少なく感じて楽でした。雪風は終戦まで生き延び『幸運艦』や『死神』なども呼び名があります。その幸運艦の歴史について解説して行きます。雪風は1938年に建造が開始された陽炎型駆逐艦19隻の8番艦です。竣工は1940年、完成後は主力艦隊と行動を共にする航洋駆逐艦として非常に完成度が高いと評価されました。そんな雪風の初陣は1941年のフィリピン・ルソン島のレガスピー上陸作戦でした。が、この作戦は支援だけであり結局、雪風は1発も撃たずに帰投しました。その後はインドネシア方面の作戦に従事しました。1942年2月のスリバヤ沖海戦で初めて敵艦に砲雷撃を行いました。同年5~6月のミッドウェー作戦では攻略部隊の護衛隊として参加し、その後はソロモン海域に派遣されました。10月の南太平洋海戦で『翔鶴』と『瑞鶴』の直衛に当たりました。11月には第3次ソロモン海戦では近距離の乱戦の中、味方艦と共に照射砲撃を行い米巡洋艦1隻と駆逐艦1隻の撃沈を記録しました。1943年2月、ガダルカナル島の陸兵撤退作戦では『神通』と駆逐艦4隻と共に魚雷を放ち米駆逐艦1隻撃沈と軽巡3隻の大破等の戦果を挙げました。次の戦いは1944年のマリファナ…ではなくマリアナ沖海戦でした。この3日間の戦闘で米空母機に狙われましたがとっさに探照灯を照射し目を眩ませ機銃で2機撃墜をしたと言います。同年10月の比島沖海戦では栗田艦隊に配属され米護衛空母機動部隊と遭遇、『矢矧』らと突進しブルネイ泊地まで生還しました。1945年の菊水1号作戦『大和水上特攻作戦』に参加し、奇跡的に佐世保へ帰投しました。そして7月末に空襲にあい小破、それが最後の防空戦闘になりました。戦後は中国に賠償艦として引き渡され日本に帰ってくることなく解体されました




