戦争編2の5.トンでもないバケモノ
前回、次回予告がありませんでしたね。忘れてました。すいません。それと後書きに以下略
その後、偵察部隊は順調に敵陣へ侵入した。基地が近くなるとナイフで殺す事を心掛けた。そして敵基地の入り口前
~敵基地 入り口~
「わぁ~。凄い!」
「基地基地してますね」
うん。凄い基地だった。見た目が現代の基地…っと言うよりは駐屯地に近かったが後で捕虜にでも聞こう
「じゃあ俺とヨークとイエラスが先に突入するから2人は50m離れて進んできて」
50m離れる理由は挟み撃ちされて全滅を防ぐ為と爆発した場合の生き残りを作る為
「ポチさんイムさん。。ラシアを頼みました」
挨拶は終わった様だな。ちなみに後方部隊はジャングルの中に連絡があるまで待機させてる。理由は大勢で来たらばれるから
「よし。行くぞ」
扉を…扉を…扉…
「開かね!」
「「「「シーーー」」」」
「ご主人。押してダメなら引いてみろですよ」
あ!そっか…。引いて開け…開け…開…
「開かね!」
「「「「シーーー」」」」
ヤケクソ気味に左足で扉を蹴る。すると扉が開いた
「あ!これ横にスライドさせるのか」
「面倒なシステムですね」
気を取り直して突入
「そろりそろりそろりそろりそろりそろりそろりそろりそろりそろりそろりそろりそろりそろりそろりそろりそろりそろりそろりそろりそろりそろりそろりそろりそろりそろりそろりそろりそろりそろりそろりそろりそろりそろりそろりそろりそろりそろりそろ…」
「静かに出来ないですか?ばれますよ?」
「ア、ハイ」
イエラスに怒られた。柿山伏は通じないようだ
~5分後~
「ねぇ」
「はい」
「別れ道だよね」
「そうでございますね」
道は2つ。左と右
「取り合えず合流しよっか。イム。来ていいぞ」
『はい』
~2分後~
「あ!いました!」
案外、近かったな
「さて問題だ。これは別れ道。てな訳でグッパージャスで負けた方が右ね。2人と3人+1匹に別れる。異議は?ないね。じゃせーの!グッパージャス」
俺はグー。イムもグー。ラシアはパー。イエラスもパー。ヨークもパー。ポチもパー
「綺麗に別れたな。んじゃあまたいつか集合で。広場的な所があればそこ集合で。食料と治療セットは持ってる?」
「さっき衛生さんに貰いました」
そう言われれば1人2日分の食料と5回まで使用可能な治療セットをさっき支給されたな
「んじゃあ出発で」
「「「「はい!」」」」
(はい)
その後は特に何もなく広い部屋まで来た。すると突然、後ろから壁が現れて通路を塞いでしまうと言うイレギュラーな事態が起きたが俺とイムは至って冷静だった。この事を想定して手榴弾を用意してたからだ
「今日助さん」
「うん。わかってる。手榴弾を仕掛けるから待って…」
「違います。奥から大きな『何か』が来ます」
ん?ってガチじゃん!何あれ!
「イム!光属性の魔法を使えるか?」
「無理ですよ!私はジョーカーですよ?」
「それ初耳なんだけど!」
[次回]戦争編2の6.戦闘開始
今回は空1番艦
赤城
赤城の主要目・兵装は
基準排水量 36500トン
公試排水量 41300トン
水線長 250.36m
全長 260.67m
飛行甲板 249.2×30.5m
水線幅 31.32m
喫水 8.71m
機関出力 131200馬力
最大速力 31.2kn/h
航続力 8200海浬/16kn/h
備砲 50口径20cm単装砲6基6門
45口径12cm連装砲6基12門
25mm連装機銃14基28門
搭載機 常用66機
補用25機
合計91機
です。では性能もよく搭載機の量もトップクラスの空母を解説していきます。赤城の歴史は1920年にまで遡ります。赤城は元々空母ではなく長門の時にも出てきた『八八艦隊計画』の巡洋戦艦として建造されていましたが1922年に結ばれたワシントン軍縮条約により戦艦の建造が事実上禁止されました。赤城が完成していればそのまま運用出来たかもしれませんがワシントン軍縮条約では『建造中の戦艦及び巡洋艦を廃棄する』と言う名目があり、このままでは赤城が廃棄されてしまいます。そこで軍は赤城を空母へ改造する事にしたのです。巡洋戦艦として建造されていたため船体が長く機関は強力で高速を出すことが出来たため空母にするには適した艦だったのです。竣工は1927年。大型のドックがある呉で竣工しました。当初は三段飛行甲板と言うクルーズの艦首をしていました。山本五十六(当時大佐)が艦長になったのもこの時です。この飛行甲板は実際の運用で様々な不具合が判明し、1935年に長門同様、近代化工事が行われました。飛行甲板は当時の日本空母ではもっとも長くなり、格納庫も60機から91機にまで増え日本艦で最多となりました。改装完了後は日中戦争の海南島攻略作戦に参加しました。1941年4月に第1航空戦隊が新たに編成され赤城は旗艦になり、南雲忠一司令長官が乗りました。太平洋戦争では機動部隊の中心となり真珠湾攻撃からラバウル攻撃、オーストラリアのポートダーヴィン攻撃と転戦しました1942年4月には南雲機動部隊はインド洋へ進出し英海軍の軽空母『ハーミス』、重巡2隻を撃沈、乗員は”勝利の美酒„に酔いました。だが、この時には危険が潜んでいたのです。飛来した英空軍の爆撃機隊が高空から大型爆弾を投下、赤城のすぐ近くに大きな水柱が立つまで誰1人として敵機に気付きませんでした。実は赤城にはレーダーが無く『弱点』が露出したはずが他の問題点とともに見過ごされました。そして同年6月5日の惨敗のミッドウェー海戦で米空母の急降下爆撃隊の奇襲を受け赤城は500kg爆弾を2発の直撃で大破炎上、翌日6日に駆逐艦『嵐』と『野分』の魚雷で自沈処分され海へと沈んで行きました




