戦争編2の4.作戦開始
後書きに以下略
「指揮官殿!演説をお願いします」
あ~はいはい。演説ね。なぜ演説か?理由は簡単。少佐演説のマネ。取り合えず移動する。移動した先には30cmほどの台がある。すると1人の男性が台に乗る。あの階級は中将だろう
「指揮官殿に敬礼!」
バッ!
全員一斉に敬礼する。ヨークの教育能力すげぇ。敬礼は手を横に伸ばして頭に構えるのを3秒、頭を前に倒すのを3秒でやってるが1人も狂いが無くて感心する
「なおれ!」
「は!」×約2900
流石に全員が返事をするのはうるさい。中将が司会を続ける
「始めに今回の作戦の内容確認をスラ海軍司令長官お願いします」
「はい」
軍で珍しい女性なのでかなり目立つ
「今回の作戦は敵国付近へ上陸し、敵国の不意を突く作戦です。この作戦はあくまでも『防衛目的』での戦いです。捕虜は指揮官と同じように扱う事が義務となります。以上です」
『捕虜は俺と同じように扱う』ってのは俺が考えた。理由は日露戦争の松山を思い出したから
「次に指揮官の言葉。タハタ指揮官殿お願いします」
出番か。俺にとっちゃここが重要な所。俺の言った事で士気に関わってくるからな
「ご紹介にお預かりました。指揮官です。手始めにネタバラシをさせて頂きます。上陸の合図である『Z旗』。こちらの意味な『皇国ノ興廃コノ一戦ニ在り各員一層奮励努力セヨ』と言う意味となります。簡単に言えば『しくじれば国が滅びる』と言う事になります。本来であれば決戦時に使用されますが今回、このZ旗が出てきたのには理由があります。それは世界に認めて貰う為の戦いだからです。世界に認めて貰えれば国が栄えます。国が栄えれば資金が貯まります。つまり列強になると言う事です。その為にはこの戦いを勝たねばなりません。この戦いを征しなければなりません。国の未来は兵士ら1人1人にあります。必ず勝って家族がいる者は家族を安心させ、いない者は好きなだけ自慢して下さい。何せここに立っただけでも英雄です。以上です」
綺麗事は疲れる。拍手や歓声がない理由は調子に乗らせないため
「これより侵攻を開始します。偵察部隊はタハタ指揮官、イム海軍司令長官、ラシア第1偵察隊長、ヨーク空軍司令長官、イエラス陸軍司令長官と共に出撃して下さい」
「「「は!」」」
「その他は…」
てな訳で前線を偵察中。敵影無し
「後方へ伝達。敵はいない。前進して来い。我々5人は突撃する」
『こちら隊長。了解。幸運を祈る』
「お前ら準備はいいか?」
「いいよ」
「はい」
「大丈夫です」
「上に同じく」
「激戦区と予想される地域へ突入だ」
~5時間後~
ジャングル。もう凄いジャングルジャングルしてる焼き尽くそうかな?ダメですよね。はい
『今日助さん。敵見つけました。距離30。数、丁度5』
30は30m
「おけ。全員20は離れてるよね」
『はい』
『勿論』
『うん』
『それはもう』
20は20mと言う意味
「ラシアには悪いが狙撃をする。ラシアは撃てる?」
『30ならギリギリ』
「よし。1人1殺だ。撃て」
ダァン!パァン!ドン!バン!バン!
左からMSG90、M94K、歩兵銃、S44C1、S44C2の銃声がなり響いた。歩兵銃にも名前をつけよう。えーと…。帝国歴1年だから…。1式歩兵銃…略してT1で。T=タイプ…つまり英語で式で1=帝国歴でいいよね。後で伝えよう。イエラスが使ってるのはセミオートモデルだからT1A1かな?実在してそうで怖い。実在してたら関係はありません
今回は護衛戦闘機
零式艦上戦闘機(読み方はレイシキカンジョウセントウキ)52型(解説では全型を解説してます)この機体のステータスは
全長 9.237m
全幅 11m
主翼面積 21.26m2
自重 1750kg
全備重量 2686kg
エンジン 栄21型
公称出力 1100馬力
最大速度 559km/h
巡航速度 370km/h
上昇力 6000mまで7分1秒
実用上昇限度 11740m
航続距離 1920km
武装 20mm機関砲2基
7.7mm機銃2基
乗員 1名
です。零戦と言えば現代でも知名度の高い名機ですがその以外な歴史を踏まえて解説して行きます。時は1937年の日中戦争。日本が中国本土を意のままに操ろうとして勃発した戦争です。この戦争で登場したのが『零式艦上戦闘機11型』でした。1938年に湖北省の漢口を占領すると重慶へと空襲する計画『101号作戦』を立案、同年5月に実施され日本軍を順調に勝利へと導きました。しかし、事態は起きます。1940年中国空軍がソ連機を使用する様になり爆撃機が追撃されました。実は今までの日本海軍の戦闘機では漢口から800km離れた重慶まで随伴する事が不可能だったのです。それを解決したのが『零式艦上戦闘機』でした。零戦の初陣は1940年9月13日の爆撃。毎度同じく追撃してくる機体を零戦13機でことごとく落としたのです。余談ですが中国空軍は零戦の存在を知っていたため脅威だと思い零戦を確認した日は追撃をやめる等して中々出会えない状況が続いたそうです。海軍なイメージの強い零戦ですが最初は陸軍機として開発されていました。その後、零戦は数々の戦場へと出向き敵機を落としていったのですが、ここである事が判明しました。零戦はスピードを重視したため装甲がペーパーどころかアルミホイルだったのです。どのくらい薄いかと言うと現代の拳銃でも貫通可能。つまり歩兵銃は余裕で貫通するため落とされる割合が急増したのです。それを解決しようと紫電や雷電、烈風等が開発されますが解決には至らず、その装甲の薄さのせいで死への一方通行なため、特攻にも使われました。結局、零戦は装甲がアルミホイルなだけにコストが安く、生産された機体は合計約10000機。しかし、現代に残っているのは4、5機。マトモに稼働するのは1、2機です。この機体達はどれほど戦争で乗員含め同胞を失われているのかを静かに教えているかも知れません。戦争とは資源や命を削る物なのです
(ゼロ戦がレイ戦と表記されていますが零戦は陸軍機で陸軍は英語を全面的に禁止していた為、正しい読み方はレイセンです。ただ、現代になるとレイセンだと冷戦になる場合が多い為、ゼロ戦でも問題ありません。正式名称はレイシキカンジョウセントウキです)




