戦争編2の3.作戦前
後書きに兵器紹介があります。よかったら読んでみてください
~強上1番艦 戦闘指揮所~
「ウエ…吐きそう…」
まさか軍艦がこんなに揺れるとは…
「船の中心に行けばマシになりますよ」
「重心は逆に酔うわ!」
まだ作戦は開始してない。ちなみに作戦は上陸が目的。敵に遭遇したら出来るだけ潰してる
「戦2番艦より伝達!左舵に敵艦隊を補足。距離3000!数50!」
50って多いのかな?
「了解。乗員戦闘配備!副砲を使用する!左舵副砲射撃用意!原速へ切り替え!舵そのまま」
「ヨーソロー」
海軍海軍してるねぇ~。必死に格好つけてるけど吐きそう…
「準備完了しました」
「射撃開始!」
すると遠くからバァン!バァン!っと音がする。外にいなくてよかった…この上陸艦は空母型になっているから側面についてる砲しか撃てない。しかも弾もかなり少ない。なので基本的に撃たない
「報告!敵艦隊消滅!全滅と思われます!」
「空1番艦に伝達!偵察開始!」
「了解!」
その後は特に何もなく大陸まで2000海浬
「ヨーク」
「はい」
「暴れてこい。爆弾は50発ある」
「了解」
空母から発艦は出来る限りやめて欲しいけど陸爆だからねしょうがない
『位置につきました』
「スロットル全開。発艦が出来たらランディングギアをしまえ」
『はい』
「ヨークさん。本当に本当にやるのですか?」
『祖国の為に』
お前の祖国はロシアだろ
俺たち要らなくない?説明しよう!ヨークの陸爆が国1つを降伏させた。ヨーク曰く『適当に落としたら降伏した』だそうだ。大戦中の兵器だぞ?降伏早すぎね?まぁいい(全然よくない)上陸だ
「陸と艦が繋がりました」
この艦は艦首が開いて足場が出てくるタイプの船だ
「じゃあ2週目お願いね」
「は!」
てな訳で3000人上陸。全員歩兵銃持ち。今回の俺の装備は
・M94K
・手榴弾
・変なリモコン
・妖刀さん
・ナイフ
・トランシーバー
ちなみに妖刀には戦う時に起こすと言ってあるから静か。英気を溜めるらしい。イムは
・MSG90
・手榴弾
・ナイフ
・S44
・トランシーバー
MSG90は今度カスタムと言う名の改造をする。ヨークは
・歩兵銃
・手榴弾
・ナイフ
・S44C1
・トランシーバー
S44C1はS44のコピーねC=コピーで1=数。ラシアは
・S44C2
・S44C3
・手榴弾
・ナイフ
・トランシーバー
S44で二丁拳銃が殺りたいらしい。ちなみにポチのオマケ付き。イエラスは
・歩兵銃
・歩兵銃
・手榴弾
・ナイフ
・トランシーバー
歩兵銃そんなにいる?って聞いたら二丁歩兵銃が殺りたいって言ってた。だからセミオートモデルにしてやったよ。これで全員
[次回]戦争編2の4.作戦開始
今回は戦1番艦と戦2番艦
この艦は戦艦『長門』をモデルにしています。長門の現実での主要目及び兵装は
基準排水量 39130英トン
公試排水量 43580トン
満載排水量 45816トン
全長 224.94m
水線長 221.07m
水線幅 32.46
最大幅 34.6m
喫水 9.96m(公試状態)
主機械 艦本式高低圧ギアード・タービン2基
ボイラー 空気余熱器付ロ号艦本式
重油専熱缶大型4基
上に同じく小型6基
軸馬力 2軸合計82.000馬力
燃料搭載量 5788トン
速力 25.0kn/h
航続距離8650海浬
主砲 45口径41cm連装砲4基8門
副砲 45口径14cm単装砲18基18門
高角砲 40口径12.7cm連装高角砲4基8門
機銃 25mm連装機銃10基20門
航空兵装 射出機1基
水上偵察機3機
乗員 士官68名、下士官兵1300名、合計1368名
です。1英トンは1.016トンです。修理時に増えた兵装は
機銃 25mm三連装機銃14基42門
同じく連装機銃10基20門
同じく単装機銃30基30門
電波発信機 2号1型1基
2号2型2基
1号1型2基
です。流石戦艦。多かったです。このデータはコピペではなく打ち込みなのでこれだけで疲れました。さて長門の解説ですが長門は戦艦では珍しく戦後まで生き延びています。それも踏まえて長門の歴史に迫って行きましょう。戦艦長門は大正年間に発案された計画『八八艦隊計画案』の第1号艦として建造された戦艦であり長門型ネームシップでもあります。長門は世界で初めて16インチ砲…41cm砲を搭載した戦艦です。建造当初の速力は26.5kn/hと当時は平均25kn/hなので速い部類に属す速度でしたが日本は軍機密とし、23kn/hと偽っていました。日本海軍はこの艦を『シンボル的存在』として称え長門が竣工すると新聞に軍機密など気にせず盛大に報道しました。軍艦では珍しく乗艦見学を実施したほど信頼がありました。その背景には関東大震災で物資を意地でも運んだ乗員の苦労と奮闘があったのです。1934年長門と2番艦『陸奥』は近代化工事を受け2本の煙突を1つに、船体も増強され、その結果排水量4万トンを超える大戦艦になったのです。太平洋戦争開戦時には連合艦隊旗艦を勤め、あの有名な司令長官『山本五十六』司令長官を乗せて瀬戸内海の柱島泊地へ停泊していました。そして1942年2月12日に連合艦隊旗艦を完成して間もない『大和』へと譲ったのです。長門の初陣は惨敗のミッドウェー海戦でしたが形ばかりの出撃で終わりその後はトラック島へと進出、ソロモン方面の作戦支援に当たった。1944年のマリアナ沖海戦、同年10月の比島沖海戦には大和型2隻と共に出撃。比島沖海戦では米空母群に遭遇し砲撃を行いました。最初で最後の砲撃でした。横須賀に帰投後空襲により中破し終戦。そして1946年7月1日、ビキニ岩礁でクロスロード作戦の実験艦となり25日の2回目の実験で浸水。5日後の30日に誰にも見守られる事なく武勇艦は沈みました




