その作品、私は楽しめると思うよ
「ほお……この喫茶店は一杯のコーヒーをネルドリップでいれるのか――」
――初デート。
ツレは、この喫茶店に興味を持ったようで、何かをぶつぶつと喋り出した。私は、喋り出した彼の、長い話を聞いてやることに……
「――あの布。
英語で柔らかな布を意味するフランネルをフィルターに使うネルドリップは、どうしても量が多くなるので、一杯だけのコーヒーをいれるのには向かなんだ。……ああ、なるほど。
最初に出る分は別容器に移しておいて、蒸らしの段階からカップに注ぐのか!
贅沢な煎れ方だけど、コーヒー自体をフィルターとして抽出することで、より純粋にその名柄本来の味を楽しめるというわけだね。
ネルドリップはペーパードリップよりも、コーヒーオイルが通過しやすく、よりコーヒー本来の甘味や旨味を楽しめるのだよ。なぜ、オイルが通過しやすいかというと……」
非常に長くなりそうなので、私はここで一言入れる。
「で? このお店にするの?」
「ああ、そうしよう!」
――彼は、笑顔で答えた。
この、カジュアルスーツをオシャレに着こなし、黒髪のくせに外国人のような雰囲気を醸し出す、ウンチク野郎。
これがデートの相手、博人である。
――こいつはウザい。
だが、ちゃんと、空気は読める……
いや……最初は……
出会った頃は、読めないやつだった。
――出会った頃。
この博人という男を、私は、喋り続けるウザい奴だなと思っていた。
友達の彼氏の、その友達。
友人カップルの横で、博人が私に気を使って話をしてくる。私は仕方なく、それを聞いてやる。――そんなことが度々あった。
すると段々、博人は私が、今している話に興味あるのか無いのかを、見極めてくるようになっていった……
――不思議だ。
そうやって互いに、段々と近づいて、ウザいと思うことが少なくなると、この話題に富んだ知性的な男を、私は好きになってしまったのだ。
今日は友達カップルの助けで、二人きりのデート。――たぶん、こいつだってその気のはず。
ちょっとした観光地を楽しんで、ちょっと休憩にと……喫茶店に寄ったのだ。
喫茶店のバルコニー。青空の下。丸テーブル。
コーヒーを飲みながら、彼と私は話をする。
ここで彼は、小説投稿サイトでの珍事を、私に語ってきた。
「この前ね、サイトで見つけたある小説に感想を送ったら変なことがあってねえ……
その作品はなんとも変わった作品でね。釣りにまつわるエピソードが描かれてはいるんだけど、いくつものエピソードがバラバラ、しかも、途中に小説とは呼べないような話も割り込んでくる。
――なんとなく、メルヴィルの……」
「それで?
感想を送って、どうなったの?」
「ああ、そうだった。
僕はそのエピソードの中の『ベラとオイカワ』という、淡い恋物語が好みだった。だから、その恋物語について感想を送ったんだ。
ただ、僕も釣りが好きだから、釣りの話題も少し書いておいたんだ。昨今のPEラインの進化について……」
「釣り好きだったんだね。
感想書きました。それで?」
「ん。そうしたら、僕の感想に対し、返信が来たのだけど、その作者は作品の内容には一切触れずに、釣りの話題を返してきたんだ。
『ダイコーのロッドを買いました』などと、返してきた。ダイコーというのはマイナーなロッド――つまり釣竿を作るメーカーでね……」
「うんうん。
小説の感想を書いたのに、釣りの話題しか返ってこなかったと。」
「そうなんだよ。
作者がそんな感じだから、作品もそんな感じでね。小説とは関係しているようで、関係ない話がポンと飛んでくる。
――こういうのは、良くないね。
読者というのは、こういう脱線を嫌うものなの……」
「はいはい。
でも博人は、その作品を読んで、面白いって思ったんでしょ?」
「うん、まあね。
僕が釣りを好きだと言うのもあるが、なんとなく、メルヴィルの白鯨を読んだ時のような感覚があってね。あの作品も、急に話が……」
「白鯨、聞いたことあるな。
有名な小説だよね。」
「ああ、世界の十大小説に数えられ、アメリカ文学を代表する作品さ。映画化されること……」
「うん、わかった。
じゃあ、博人が読んだ小説は、その名作に似てた。なら、名作じゃないの?」
「いやいや。あれは名作と呼べないし、そもそも白鯨だって、僕は駄作と思っている。」
「白鯨も?
世界うんちゃらなのに?」
「ああ、そうさ。
白鯨という作品は、欠点だらけさ。風景描写に最初の十ページ以上を費やして……今ほど世界観描写が嫌がられない時代であったとしても、現実にある風景を……」
「うん。白鯨はダメダメなんだね。
で、そのサイトで読んだ作品は、白鯨とどういうところが似ていたの?」
「うむ。白鯨という作品も、関係しているようで関係ない話に、急に飛ぶような作品なんだ。
鯨の生態なんかを語るのはわかるが、それがまた詳し過ぎる。必要な量を遥かに超えて、それまた十ページは費やすんだ。それに、作者の宗教思想や政治思想もバンバン語られる。
今、僕が投稿しているサイトでそれをやったら、読者はどんどん離れる……」
「話が急に飛ぶのが似てるんだね。
しかも、それは小説として悪いことなんだ。」
「そうだとも!
読者はストーリーを楽しんでいるんだ。作者の知識や趣味思考になんて興味が無い。それを数ページに渡って書くなど、悪手も悪手。
そういったものは、もう少しストーリーに混ぜてだね……」
「うん、わかった。
――でも、わかんない。
博人は、その白鯨も、サイトで見つけた作品も、面白かったんでしょ? なんで?」
「なんでって、それは……」
――おお、珍しい!
博人が言葉に詰まった!
GWにみんなで遊びに行って、三時間の渋滞に巻き込まれた時に、楽しそうに延々と、一人喋っていたこの男が!
この男が言葉に詰まるのを、初めて見た。
――私は、助け船を出してやる。
「ねえ、白鯨ってどんな話しなの?」
「ああ、ええと、白鯨というのはね、主人公含む船員たちが、捕鯨船で世界を旅する話でね。
船長のエイハブは白鯨に足を持っていかれた過去があって、復讐に燃えているんだ。
それで、最初船員たちは、船長ほど白鯨に固執はしてないんだけど、旅をするうちに段々と、船長に影響を受けて、ええと……」
――本当に珍しい。
博人は上手く、言葉を繋げないらしい。
きっと彼が、白鯨という作品に感じた面白さを、読んでいない私の方が、把握しているんじゃないだろうか?
私は、一言入れてやる。
「船長の情熱に打たれて?」
――ガタ!
博人は、私の一言を聞いて立ち上がった!
そして、手振りを交えて、大きなジェスチャーで話し出す。――お前は、イタリア人かよ!
「そう! 情熱に打たれて!
船員たちは、船長エイハブの――白鯨を追い求める、その狂気のような情熱に打たれ、白鯨を追い、そして破滅へと向かっていく!
あの作品の面白さはそこにあるね。僕はきっと、そこに引き込まれたんだ。」
どこかの政治家のように、熱く語る博人。
周りの目が気になった私は、彼を抑えるために、にこりと笑って次の質問をする。
「そうなんだね。じゃあ、サイトで見つけた作品は、どこが面白かったの?」
「いや、あちらは一つのエピソードが良かったというだけで、ほかは……」
――私からの次なる質問。
その答えに詰まった彼は、しょんぼりと、再び椅子に腰掛けた。
きっと博人には、わからないのだろう……
読んだことの無い小説の面白さを、読んだ人間よりわかってしまうなんて、不思議な気分だ。
私は、答えを教えてあげた。
「ねえ、博人はその作品の、好きなこと書いている楽しさを、面白いって感じたんじゃないのかな?」
「好きなことを書いている楽しさ?」
――あれ?
私の答えに納得しない様子で、博人は手をアゴに当てて考えながら、ぶつぶつと喋り出す。
「僕はたまたま、釣りが好きだったけれど……
感想でダイコーのロッドの話を振られたが、そんな話、誰がわかるのだろうか? 作品の内容だってそうだ。ダイコーは釣竿を作るマイナーなメーカーでね、僕も好きだった。」
完全に話は逸れ始めたが、私はとりあえず、聞いてあげる。
「釣竿にはね、魚を掛ける仕事と、魚を釣り上げる仕事がある。
掛けるには柔らかな素材を、釣り上げるには硬い素材を使う必要があって、釣竿の先は柔らかく、根元には硬い素材を使うんだ。
でもね、極端だとその境目に負荷がかかって釣竿が折れてしまうんだ。
――完全に、話が逸れている。
「ダイコーは素材を生かした丈夫な釣竿を作るメーカーで、そういった極端さは嫌っていたんだ。
だから、どうしても全体としては硬く、魚を掛ける仕事は下手な釣竿が多かった。
――だけどね、釣り上げる仕事は逸品なんだ。
ダイコーの釣竿はね、一度魚を掛けたなら、先から根元まで、全てが繋がっている美しい曲がりを見せる。どの方向に魚が逃げようとしても、それに追従して逃しはしない。グイグイと寄せて離さない……そんな釣竿なのさ。」
話し終えて、彼は我に帰る。
そして、明後日の方向に話が逸れてしまったことに、謝るのだ。
「すまない。関係ない話をしてしまったね。
でも、こんな風に急に関係ない、興味の無い話を聞かされても、面白くはないだろう?
私が見つけて感想を送った作品は、そんな感じだったのさ。」
「ふうん。
ねえ、その作品って何て名前?
無料だし、読んでみよう♪」
「『百夜釣友』だったかな。
でも、君は釣りなんて興味無いだろう?
読んでも面白くないと思うよ。」
「そうかな。
きっとその作品、私は楽しめると思うよ。」
私の答えに、博人は不思議な顔。
この男には、理解できないのかも?
なら今度は、私が「自分の好きなこと」を話してみよう……そうしたら、私の『好き』を、彼が、理解してくれるかもしれない。
――そんな風に、私は思うのだった。