第一章 『20億と異世界冒険』 その壱
今月の家賃の心配をしていた哲斗だが、何か胸の
辺りがモヤモヤとして、気分が悪く、嫌な予感がし
ていた。
その時、哲斗のスマホに電話がかかってくる。
ソファーに置いてあるスマホを覗き込んだマルコ
シアスが「おっ、勇気からの電話だ」と言った。
兄の勇気からの電話で世間話などありえず、無茶
で無報酬な仕事をやらされるのは確定していた。故
に、すぐに電話にでる事はせず、どうするか考える
が、サマエルが「居留守バレたらフルボッコだぞ」
と耳打ちし、結局は恐怖に打ち勝てず、哲斗はしぶ
しぶ電話にでた。
「もしもし……えっ⁉ 同じ市の……まあなんとな
くは知ってるけど。レアな魔法書? 交渉? 嘘だ
ろ、今から俺が行くの? アポはとってる? そん
な無茶な……」
勇気は哲斗の都合など聞かず、用件だけを言って
電話を切った。
「マジか……好きかって言ってくれるぜ」
哲斗は険しい表情で、既に通話が終了しているス
マホを見ながら呟いた。
「いつも通りじゃねぇか。で、我らが暴君は何しろ
って?」
マルコシアスは哲斗の後ろから肩に掴まり言う。
「この町に魔法書持ってる奴がいるから、絶対に手
に入れろってさ」
「俺様に任せとけ。バトルで手に入れてやるぜ」
やる気満々で楽しそうなマルコシアスだが、哲斗
は面倒そうな顔をしていた。
「とりあえず出かけるぞ。今すぐ行かないとボコら
れるからな。お前らはついてこなくていいぞ」
スマホと財布だけを持ち、哲斗はアパートの部屋
を出る。この時、面白そうな気配を感じ取り、悪魔
二人はくっついていく。
徒歩とバスで移動し、三十分後には目的地の家へ
と、哲斗は辿り着いた。
普通より少し大きい程度の一軒家で、表札には白
鳥と印されている。
アポがあるため、哲斗は家主の白鳥源一郎に簡単
に会えた。そしてソファーに対面して座ると、すぐ
に交渉に入る。
「なるほど。君は私が所有する魔法書を買いたいわ
けだね。で、幾ら出すのかね」
白鳥は還暦を過ぎた細身の男性で、厳格そうな顔
をしている。割れ顎が特徴的で眼鏡をかけ、服装は
白のワイシャツにグレイの綿パンだった。
哲斗は対面する白鳥の頭が気になっている。眉毛
や口ひげは既に真っ白だが、七三分けの髪は真っ黒
で、明らかに不自然に見える。まるで帽子でもかぶ
っているようだった。
「二千万でどうでしょう」
哲斗は堂々とした態度で金額を言った。しかし胸
中では「こいつズラだな。てかツッコミ待ちなのか
? バレバレすぎるだろ。やっぱ悪魔ども連れてこ
なくてよかったぜ。あいつら絶対イタズラするし」
と語っていた。
「ふんっ、話にならんな。確か相場は二十億だった
と思うが……私の勘違いかな」
「ハハハ……そ、それはお高いですねぇ」
哲斗は引き攣った顔で力なく呟き、胸中で「ちょ
っ兄貴ーーー、バレてますけど‼ 超恥ずかしいん
ですけど。てか全然足りないっす‼」とツッコんで
いた。
「あの……もう少しお安……」
「二十億だ‼ 一円も値は下げん‼」
白鳥は哲斗の言葉を遮り、意志が固い事を示すよ
うに強く発する。
「分かりました。二十億で買います」
これ以上の交渉は無駄だと悟った哲斗は、すっと
立ち上がり言った。
「ただ、今はないので少し時間をください」
哲斗は平然としていたが、胸中では「このクソじ
じい、たまたま手に入れただけのくせに調子乗りや
がって。てかなんて兄貴だよ。二千万の予算で二十
億のもの手に入れろって、無理ゲーだろが。コンテ
ィニューなしで魔界村クリアしろって言ってるよう
なもんだぜ」と愚痴りまくっていた。
「待つのはいいが、早くすることだ。他にも買いた
い人が出てくるかもしれないからね」
「分かってますよ。それよりも、盗まれないように
してくださいよ。俺は無茶なことしないけど、世の
中自分勝手な奴が多いから。それじゃあまた、近い
うちに」
そう言ってリビングを出ようとした哲斗を白鳥は
呼び止める。
「まあ待ちたまえ。色々と聞きたいことがある。君
は何者だ、人間なのか?」
白鳥が真面目な顔で訊いたので、哲斗は呆気にと
られる。
「えっ⁉ あの、普通に人間ですけど……」
「私は人に見えないものが見える程度の魔力しかな
いが、君の魔力の大きさは分かる。人ならざる者と
しか思えない強大さだ。はっきり言って、対面して
いるだけで恐ろしいよ」
白鳥が感じている哲斗の魔力は、戦う時に出す魔
力と比べれば、ホンの一部であったが、それでも他
者を圧倒してしまう程に、哲斗の潜在魔力は大きか
った。
「君が大金を出してまで、魔法書を買う目的は何か
ね。世界征服でもするつもりかな」
「そんな大げさなものじゃないですよ。俺は自分が
まともな人間だと思ってるし、魔力や魔法書で悪さ
をするつもりはないですから」
哲斗は呆れた口調で返すが、その続きは声には出
さず胸中で「まあ『俺は』の話だけどな。てか兄貴
って、魔法書集めて悪魔召喚したりしてるけど、普
段どこで何やってんだろ。マジで世界征服だったり
して……てか笑えねぇ」と語っていた。
「とりあえず、あなたに支払うお金だって、この世
界のルールを無視して作るものじゃないので、安心
してください。じゃあ、連れを待たせてるので、こ
れで失礼します」
哲斗は白鳥の家を出て、二人の悪魔を待たせてい
る、近くの公園へと向かう。
(カッコつけちまったけど、二十億なんてどうすん
だよ。悪魔の力を使えば、なんとかなるかもしれな
いけど、誰かが損をするわけだしなぁ……金で卑怯
な事をしないのが、俺のポリシーだからな。って、
そもそも俺は関係ないじゃん)
哲斗は歩きながらそんなことを考えていた。
程なくして、哲斗が公園に姿を現す。
「なんだ哲斗、ご機嫌斜めだな。交渉は決裂か?」
哲斗の不機嫌そうな顔を見て、サマエルが言う。
「いや、買うことになった。ただ値段が二十億なん
だよ。まあ金の方が奪い合いのバトルになるよりい
いんだけど……まったくやってらんねぇぜ」
「なんだよ、バトルなしかよ、つまんねぇな」
マルコシアスはしかめ面で唾を吐き捨てた。
「で、勇気の予算は幾らだよ」
サマエルがニヤニヤしながら訊いた。
「二千万だとさ」
「ふへへっ、足りてないなんてもんじゃねぇな。流
石勇気だな」
「兄貴に電話したら、二十億ぐらいお前が用意しろ
だってさ。それで、結界の森で人魚に頼んで異世界
に行ってこいって言われた。そしたら二十億稼げる
んだと」
「ふむ、その人魚が言っていたのは、確かスルーズ
ヘイムという世界だったな……なるほど、読めたぞ勇
気の考えが」
勇気が指定した異世界の情報を知っていたサマエ
ルは、すぐにピンと来て意図を理解した。
「サっちん、もったいぶらずに早く話せよ」
まったく理解できないマルコシアスは、少しイラ
イラしながら言う。
因みにマルコシアスはサマエルを『サっちん』と
呼び、サマエルはマルコシアスを『マー坊』と呼ん
でいる。
「あの世界のモンスターは、様々な宝石や鉱石と、
動植物や昆虫を混ぜ合わせ、魔王や上級の魔人族が
魔力を注ぎ込み造られている。そして倒せば、その
原料が手に入る。しかも強いモンスターを倒せばそ
れだけ、レアな原料をゲットできる。それをこの世
界に持ち帰って売る気だな。捌く裏ルートはどうと
でもなるしな」
「そういう事か……てか無茶苦茶だぜ。こっちは今
月の家賃さえ払えないのに。まあついでに稼いでく
るけど」
面倒そうな顔で呆れ口調だった哲斗だが、既に異
世界に行く前提で話していた。
哲斗にとって兄の命令は絶対であり、拒否するこ
となど思考になかった。子供の頃から続く無茶ブリ
に慣れてしまっている哲斗にとって、異世界に行く
ことさえ、驚くことではない。しかしこういった命
令をクリアするたびに、哲斗は自然と魔導師として
力をつけていた。
「異世界に行ってモンスター狩りするわけだし、V
RMMOみたいで面白そうだな。最近はやりの異世
界召喚とか転生系アニメで、予習は万全だ」
マルコシアスはノリノリで、楽しそうに笑顔で言
った。
「もしかして、お前らついてくる気かよ」
「あったり前だろ。俺様がそんな楽しそうなパーリ
ーに行かねぇわけねぇだろ」
「無論、俺も行く。別に暇だからではないぞ。俺は
お前たちの御守役だからだ」
サマエルがそう言うと、マルコシアスが言い返し
口喧嘩が始まるが、哲斗は無視して歩いて行く。
「てか魔王倒しても金にならないんだよな。それが
つまらないとこだな」
程なくして追い付いてきたマルコシアスが、後ろ
から哲斗の肩に掴まり言う。
「まあな。でも魔王とか面倒臭そうだし、関わらな
い方がいいだろ」
「それで、いつ行くんだ」
哲斗のすぐ後ろを飛んで移動しているサマエルが
言った。
「どうせ暇だし、今から行くとするか。いつでも兄
貴の無茶ブリに対応できるように、食料に着替え、
キャンプとかの荷物は、魔法書の中に入れてあるか
らな」
哲斗や勇気が持っている魔法書は上級のレア物で
あり、悪魔や伝説的な武器や魔道具を召喚できるだ
けでなく、魔法書内の異空間に物を収納することも
できた。
「流石無職、フットワーク軽いぜ。こういう時は便
利だな、無職って。てかバトルなんて久々で、腕が
鳴るぜ、なぁ無職」
マルコシアスはわざと無職という言葉を使って哲
斗をからかう。
「お前らはいいよな、結局は遊んでればいいんだか
ら。てかなんで俺、就職の面接全部落ちたんだろ。
な、謎だ……」
哲斗は本気で落ち込みうな垂れる。
因みに哲斗は就職活動を真面目にやっていた。哲
斗が髪を金髪にしたのは最近で、就職活動の時は普
通の黒髪だった。
それから三人は寄り道せずに、アパートの近くま
で帰ってきていた。
哲斗の住むアパートの側には森があり、その森の
中に、強い魔力を持つ者しか入れない、特別な場所
があった。
哲斗たちは森の中へと入り、適当に奥へと進んで
いく。
「確かこの辺りから、結界の中だよな」
哲斗がそう言った瞬間が、結界を通り抜ける時で
あり、周りの空間が歪んでいた。
「てかこの森とここに居る奴らって、なんなんだろ
な」
哲斗は森を見渡しながら徐に言う。
「いわゆる訳ありなんだろ」
興味なさげにサマエルが返した。
「つまり、クソヤローってことだな」
マルコシアスがそう言うと、哲斗とサマエルは同
時に「お前がな」と返す。
「んだとコノヤロー‼ かかってこいや、ミンチに
してやんよ‼」
マルコシアスが怒り狂っていたその時、哲斗は何
者かの気配を感じ立ち止まる。
三人の前に現れたのは、上半身が筋肉隆々の人間
で、下半身が馬の、ジャックという名のケンタウロ
スだった。
「皆さん、お久しぶりですね」
天然パーマの金髪で、顔は北欧系のイケメンのケ
ンタウロスのジャックは、とても穏やかな感じで話
しかけた。
「ようジャック、元気してっか」
気さくに声をかけたのは、先程までの怒りをすっ
かり忘れたマルコシアスである。
「はい、元気です。ただ、個人的な事ですが、悩み
がありまして」
「よし、俺様たちが聞いてやる、言ってみろ」
マルコシアスはジャックの下半身である馬の背に
乗り言った。
「見ての通り、私の上半身は筋肉ムキムキの男性で
すが……下半身の馬の部分はメスなんです」
ジャックはまだ話の途中だったが、三人は同時に
爆笑し、笑い転げる。
「酷いですよ、笑うなんて」
「ご、ごめん、マジごめん。突然だったから」
哲斗は笑いを堪えながら言う。
「私は真剣に悩んでいるんですよ。私はいったい男
性なのか女性なのか、どちらなのでしょうか」
「知るかっ、そんなこと、どっちでもいいだろ。誰
がお前の性別に興味があるんだ」
サマエルは身も蓋もないツッコミを入れる。
「コノヤロー、突き抜けた一発ギャグ持ってんじゃ
ねぇか。もう少しで俺様の腹筋が壊れるとこだった
ぜ」
マルコシアスはジャックの肩をバンバンと軽く叩
きながら言った。
「ギャグじゃなくて悩みなんですよぉ」
「じゃあ行くか」
哲斗は相談に乗らず、そのままジャックを放置し
て歩き出す。それに悪魔二人も続き、哲斗の後ろを
フワフワと飛んで移動する。
「ちょっ、ちょっと皆さーーーーーん‼」
ジャックの叫びは静かな森に、虚しく響き渡る。
そして相談する相手を間違えたと、今更気付くジャ
ックであった。
十分ほど歩いたところで、先行していたマルコシ
アスが、止まって振り返る。
「こっちだこっち、湖あったぞ」
三人の眼前に広がる湖は、向こう岸が見えないほ
ど広大であり、透明度の高い綺麗な水をしていた。
しかし岸の近くでも、底が見えない深さである。
「おおぉぉぉぉぉいっ‼ ニーーーナーーー‼ 出
てきてくれぇぇぇぇぇっ‼」
哲斗はこの湖にいる人魚のニーナを呼ぶために、
大声で叫ぶ。
「こんなデカい湖に叫んでも、聞こえないかもな。
前に会った時は、たまたま見つけただけだし、こり
ゃ探すの大変かも」
そう言って哲斗が湖を見詰めていると、程なくし
て、水面に巨大な影が浮かび、岸の方へと向かって
くる。
その影が岸の近くまでくると、水面が大きく盛り
上がり、次の瞬間、十メートル以上ある巨大な人魚
が水上へとジャンプし、姿を現す。
「デカいのキターーーーー‼」
テンション高くマルコシアスが叫ぶ。