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伊予の高嶺  作者: 白露
本編
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第2話 湊山城主

 十五年中は通家は官位受領のため、京に赴いた。京から戻った後、傅役の平岡房実、そして近習小姓らとともに湯築城にて湊山城への転居準備を進めていた。通家個人の私物として、かさばるものといえばせいぜい書籍や蒲団程度だったが、その他の者どもの荷物がかなりのものとなったため、時間がかかってしまった。とはいうものの師走までには準備を終え、大山祇神社にて祈願した後、湊山城に向かった。


天文十六年正月


 湊山城は本拠の湯築城より凡そ六十里離れた沿岸部にある。この城は湯築城の外港として、海賊衆の拠点として、また和気郡(松山市)一帯の統治拠点という役割を果たしていた。和気郡の貫高自体は、さほど多くはなかったものの、湯築城の外港としてある程度開発が進んでいた。そこに通家ら一団が到着した。辰の刻であった。


 宿替えは概ね申の刻に終わった。通家は部屋を掃除しながら、書籍を整理していた。文武双方の芸を嗜んでいた通家にとって、雨の日などは本を読んだり、書をしたりするのが日課であった。通家は整理中にも関わらずついつい適当な本を取り、読み耽ってしまった。そこに、房実が訪れた。

「若殿、失礼致す」

房実はそう告げ、入室した。

「大和守殿、これはどうも。ではこちらの席に……」

通家は慌てて本を片付け、坐した。そして、房実を席に誘導した。

「これは失礼」

房実はそういって坐した。

「して如何なる用件か」

通家は率直に問うた。

「若殿の今後の方針を伺いにきたのです。殿よりそう下知がございました」

房実の返答に、通家はなるほどと了解した。

「当面はこれまでより港を拡げて商人の利便を向上させるとともに、自ら事業を興したいと思っている……この地には余りにも水が少なく、それ故に治水、利水が必要だが、それには金がかかる。これは将来的に行いたいと思っている」

伊予国は古くから水害や干魃に悩まされてきた。そして、それによる紛争も絶えなかった。紛争の調停は土着した武士の役割であった。歴代の当主も治水や利水に配慮した。水不足の抜本的な対策といえば大規模な開掘などの政策が必要であったが、それは余りにも金銭を要した。そこで工事の前に商工業の振興により原資を得ようというのが通家の考えであった。

「それは素晴らしいお考えでございます。して、具体的には何でしょうか」

通家の計画をきいた房実は概ね了解しつつも、少し疑問に思うてこのように尋ねた。

「唐突に述べたはよいが、こればかりは当の商人に聞かねばならぬ」

通家は、そうさらりといいのけた。

「若殿、奔放さは右往左往することに繋がります故お気をつけ下さいませ」

通家の返答を訝った房実はそう注意した。

「すまぬ、承知した」

通家は軽く頭を下げた後、房実にこう尋ねた。

「……ところで、この地には商人の代表はおるのかね」

「問屋の新兵衛と申す者が一応の代表となっております」

通家の質問に、房実はそうこたえた。

「では、その人に連絡してくれ。話したいことがあるとな」

通家はただ、そう言った。

「ともかく米だ、米。米無くして我々は生きるこそすら難しい。我々はそのためにいる」

通家はそう言い放って、房実を帰らせた。


  翌朝、新兵衛が城に参上した。

「本日畏れ多くも貴殿の御顔を拝見し、大変恐縮しております。して、何用でございましょうか」

過剰な修辞とともに新兵衛はそう通家に尋ねた。

「君が新兵衛か、期待しておる。うむ、我々は君たちの商売を支援したいと思っている。それ故商人の希望をきく必要があると思うてな」

「なるほど。下々の要望をきいて下さるとはありがたきことでございます」

通家がそうように言うと、新兵衛は頭を下げ、通家に献上品を差し出した。

「これは何か」

通家は差し出された黒く、硬く、太い物体を見て、ただそのように尋ねた。

「数年前に大隅国の種子島というところで南蛮の者もってきた鉄砲というものです。近江などでは早速生産が始まっているようでございます」

新兵衛はそうこたえ、鉄砲の利用法を説明した。

「では、早速撃ってみよう」

そういうと通家は火薬を銃身に詰め、弾丸を押し込み、火蓋を開け、口薬を注ぎ、再び火蓋を閉じ、火がついているか確認し、銃を構え、火蓋を開き、引き金を引き、発射。弾は壁を突き抜け、周りには弾痕のみ残った。

「ふむ。結構面倒だな。撃つ前に槍で刺され、剣で斬られそうだ。火力があるのは分かるが」

「慣れれば、そのうち簡単に撃てるようにようになります」

通家は、鉄砲の実力を了解しつつも、撃つのを億劫だと感じた。新兵衛の説得も分からなくもないが、順当に兵を増やしたほうがよいと考えたのである。鉄砲は、威嚇ぐらいにしかならないとこの時の通家は認識していたのである。

「新兵衛、これは本来いくらするのだ」

そう思索している内に費用面も気になり、新兵衛に対してそう尋ねた。

「一丁五貫ほどでございます。一発撃つごとにそれとは別に十五文を要します」

「それは随分な価格だな」

新兵衛が、誠実にも火薬の値段まで話すと、余りの高さに通家は二の足を踏んだ。

「特殊の工法を要しますので」

新兵衛は、通家の様子を察してか、そう説明した。

「ともかく、献上品はありがたくいただこう。それで、本題に入るが、現状の港の広さで堺や博多に対抗できるか。新兵衛君の考えを聞きたい。萎縮はしないでおくれ」

通家は新兵衛の心情を慮って、安心させるように述べた。

「では、畏れ多くもご意見申し上げます。堺は畿内の要港、博多は高麗との交易拠点でございます。これまで、本港は商船の中継港として補給などを主に担っておりました。港の大規模なる改修の普請や国に特有の交易品なき限りこれらの港に対抗するのは、失礼ながら、難しいでしょう」

当然の返答であった。堺も博多も古来より栄えた本邦随一の港湾である。一城主たる通家が少し施政すればたちまち到達できる話という訳ではなかった。新兵衛はあたかも港さえ拡張すれば交易量は増えるような言い振りをしたが、箱物だけでは商人はやってこないのである。何か特徴を出さねばこれまで通り三津の地位は精々湯築城の外港程度にとどまるだろう。現状のままでは通家の望む治水・利水普請と田畠拡張のための莫大な資金の確保するどころか、波止場普請の原資確保さえおぼつかないのである。

「もっと広げねばならぬ。これでは堺や博多に負けてしまう……ということかね」

通家はそう述べた。

「ええ、実にその通りにてございます」

新兵衛はそう返した。

「……そうだ、君に調達して貰いたいものがある」

通家は、突然そう述べた。

「御用受けたまわります」

そういうと、新兵衛はどこからか算盤を出して弾き始めた。商人たるもの商機あらばすぐさま馳せ参じるのは、武士が戦場あらばすぐ馳せ参じるのと、似たようなものである。

「鉄砲のような南蛮の珍品があったら売ってくれ。余り金はないが、できるだけ用意はしておく」「御意。見つけ次第、報告申し上げます」

新兵衛はこれは御用商人になる好機と捉え、そう返答した。河野氏はこれまで特定の御用商人を持たなかった。それは海賊衆を抱えているという事情もあり、またその他諸々の事情があった。ここで次期当主たる通家に恩を売れば……という打算が新兵衛にはあった。新兵衛は元々百姓である。それがこの港の代表者までになったのは良くも悪くも河野氏が御用商人を指定しなかったからである。そう考えると、新兵衛もすこし逡巡したが、結局は私益を優先した。そもそも打算以前に新兵衛自身が通家の方針に共感したということもあるのだが。

「それではよろしい。……ところで明日、港を見て回りたいと思う。準備せよ」

「承知致しました」

最後に通家がそう言うと、新兵衛は了解し、城を後にした。


  翌日、通家は近習などを引き連れて新兵衛とともに三津の港を訪れた。入り組んだ入江をしていたこの港は天然の港として優れており、河野氏にとって重要な港であった。港には東屋様式の待合所と小規模な船着き場を中心に商店、倉庫が集積していた。

「結構、舟が停泊しているな」

「ええ。概ねここで補給をし、西に向かう舟でございます」

「直接取引はやはり少ないのか」

「はい。取引するものが少ないので……いえいえ、無論殿のご統治を否定している訳ではございませんが」

通家と新兵衛は街を巡り歩きながらこのような問答を繰り返した。そうこうしている内に、通家の目に唐船が見えた。

「あれは唐船か」

通家は、明らかに唐船だと思ったが、念のために新兵衛に対してそう質問した。

「はい、まさにその通りです。流石殿でございますなあ」

新兵衛は、うそぶいた。いやいや様相が明らかに異なるのだから誰にでも分かることだ、とでも言いたげな心を抑え、通家は新兵衛に尋ねた。

「ところで、我が国と唐国との貿易はいかほどだろうか」

「直接取引する場合もございましょうか、概ね遣明船の寄港地ですな」

「昔は細川氏の船などよく停泊したものですが、今では稀に泊まるぐらいでございましょうか」

「ふむ……大内の場合はそのまま行ったほうが自然故、ごくごく順当であろう」

通家は話をきき、大内氏の文武対立を利用し、河野氏による遣明船事業を行う……というのを先ず思い浮かんだが、すぐさま放棄した。むやみやたら敵を増やすのは得策ではないという考えからであった。通家は、ではどうすればよいかと考えた。気づけば半刻を過ぎていた。そして最後にこう言ったのである。

「新兵衛、今回はよい奉公であった。近いうちにまた相談する故、頼んだぞ」

そういうと通家は、城に戻った。それは、何か閃いた男であった。


天正十六年三月


 この月、通家は湊山城主の名で郡内に高札をたてられた。その内容は概ね次のようなものであったすなわち(イ)既存の港湾設備は貧弱であるため、拡張すること、(ロ)交易促進のため、公設の市場を設けること、(ハ)押買・狼藉・喧嘩口論はこれを禁じ、厳罰に処すこと、(二)近いうちに城主自ら貿易事業を行うので、出資を仰ぎたいということ、であった。新たに二つ波止場を建設、取引無税の市場を設けることにより交易の拡大を図るとともに、市場外の開発による収入源確保をすることを目的とした。なお(ハ)については既存の刑罰を明確化するとともに、公設市場への外来商人の増加による紛争を抑制するために出されたものである。余所者が増えると摩擦も増えるのは当然で、仕方ないことではあるが、通家は、抑制策程度はとろうと思ったのである。


 城内では通家が城内の武士たちに対して高札の(イ)と(ロ)について速やかに実施するよう指示し、また(ハ)については城内の小姓を取り立て、警備兵して治安維持を図ること、そして(二)については近日中に行うと宣言した。市場に関しては新兵衛らと協議し、適当な規模とした。

「では早速、小者のいくつかを足軽として取り立てましょう」

「ああ、爺、それで頼む。それからまだ大きな普請はできないが、数町程度ならば開墾できる空き地があったはずだ。登用した足軽に開墾するよう指示を出してくれ」

房実がそう提案すると、通家はそう返した。

「御意。して、そろそろ文官を登用する必要が出てきますな。失礼ながら爺一人では無理がありますぞ」

「ごもっとも。近いうちに採用する必要があるな。できれば京より高名な学者を雇い、学問所を……」

通家が話を続けようとしたその時、小姓が通家のもとにまで走ってきた。湯築城からきたからだろうか、大分疲れているおり、ただでさえ貧相な服はくたびれていた。

「若殿! 殿よりご下知でございます」

「よく走ってきた。して、何用か」

通家が小姓に水を飲ませると、小姓は大きな声で言った。

「主殿、南予の西園寺への侵攻固くお決めになられた模様。若殿にも戦のご準備をとの下知でございます。また、殿、出雲守殿も速やかに湯築城に来るよう仰せのことでございます」

小姓はそういうと、そそくさと湯築城に戻っていった。小姓の声をきいた通家はただ頷き、こう言ったのである。

「爺、すまないが、兵の用意を頼む。兵糧の調達もせねば……」


 元服後、通家にとってはじめての大戦が迫りつつあった。

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