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伊予の高嶺  作者: 白露
本編
13/40

第12話 家督相続(二)

弘治二年三月


 この年より通家は河野氏の家督を通直より相続し、第三十七代河野氏当主となり、それに伴い、湯築城に再び転居、空いた湊山城は姻戚の代官に任せることとした。湊山城から湯築城までは舟で石手川を漕いで向かう。代官に管理を任せるもの以外はことごとく引越しさせるため、湊山城下の河岸にはあまたの舟が停泊していた。その大部分は質素なつくりであったが、まんなかに、屋敷のような南蛮風の船がたたずんでいる。これが通家などが寝泊まりするところであった。

「あの船は、久しぶりに見たものだなあ」

ある町人が船の傍らでこのようなことをつぶやいていたように、この船は、琉球仕置以来、使われることはなかったものであった。そのためであろうか、破損している箇所もあった。これはもちろん出航前に修理されたが、修理痕が目に見えるようにのこった。別段、運航上の支障はないため、通家も、

「到着後、余裕があれば補修するように」

と怒るようすもなく求めるのみであった。


 この大船を中心とした十数艘の船団は、三月七日、船団は三津のまちを出て、湯築城に向けて出航した。


 出港した船団は湯築城下の河岸を目指してゆっくり進航している。小舟はお世辞にもいいものではなかったが、通家らがいる大船は権威づけのためか!内外総じて立派なつくりをしており、居住性は高かった。その大船も順調に進航、船外に通家と同伴している房実がたっていた。

「城をかえたら、いよいよ代がわり。重責だが、やりとげねば」

通家は相続したものの大きさを回顧しながら、そうつぶやいた。通家が隠居した通直から受け取ったものは当主の地位だけではない。資財もである。では、その資財とはなんであろうか。伊予一国、これが基本である。伊予国全体では十八万貫(石高換算で三十七万石)の貫高があるが、通家が直接、納める田畠からとれるのはせいぜい数万貫程度である。そして、兵も徴集する者も含めればこれまた数千程度である。もっとも、万単位の軍勢を用意できる勢力はあまりいないので、問題ないのかもしれない。

「左様でございますなあ。しかし、内はともかく、外は大変動乱が起きております。身振りは考える必要があると愚考する次第でありますぞ」

通家のつぶやきに、房実はそのように返した。通家は首肯して、

「当面は毛利と組んで、海賊衆の掌握を進めるぐらいであろう」

といった。通家の頭の中では、村上氏などの重臣を優遇して、瀬戸内海の海賊衆を河野氏に従属させつつ、これから伸びるであろう毛利氏にいわば恩を売ることに専念すべきだと考えていた。付言すれば、伊予国より東側、すなわち土佐国と阿波国、そして讃岐国は併呑することは今は難しいという判断であった。


 「外交といえば、突然、使者より大友左衛門督(義鎮)殿の手紙を受け取った。人質云々と話ではなく、少し驚いたぞ」

通家が話を変えて、そのようにいった。これまでも手紙は大量に送りつけられてはいたが、そのほとんどは義鎮に殺されかけ、今は河野氏の庇護下にある塩市丸と親誠の身柄の引き渡しを求めるものであった。それが、今回の手紙は、慇懃に関係修復を求めるものであった。これには通家も少々当惑した表情を見せた。房実は、

「左衛門督殿は父を弑逆たてまつり、弟をなくしなさり、当主となったはよいものの、反乱が相次いでおりますからなあ。ここは本家と組み、反乱を抑えたいのでしょう」

と返した。大友義鎮は天文十九年(一五五〇)に父の義鑑とその異母弟である塩市丸を殺すよう臣下に命じ、義鑑の弑逆に成功したのち、大友氏当主の座についたはよいものの、天文二十二年(一五五三)に一萬田鑑相、弘治二年(一五五六)には小原鑑元がそれぞれ謀反を起こすなど、頻発する反乱の鎮圧に苦労した。いい話といえば、大友氏の勢力を肥後国にまで拡張したぐらいであった。なぜここまで反乱が起こったかといえば、義鎮がキリスト教に関心を示して、イエズス会の宣教師に対して、大友領内でのキリスト教布教を許可したことによって、大友家臣団の宗教対立を惹起したためでもある。せっかくなので、この場でついでに述べておくと、この当時の河野氏はキリスト教の布教を認めてはいない。伊予国と豊後国が地理的に近接しており、伊予国独自の特産品がない関係上、布教を認めないと、ただでさえ西国の港とくらべて少ない、寄港する南蛮船の数が減るかもしれない、通家はそのような懸念を脳裏に浮かべていた。

「うむ。問題は毛利が周防二カ国を掌握したのち、筑紫に赴く場合であるが……」

通家は房実の分析に同意しつつ、そのような懸念を示した。毛利氏は厳島の戦いに勝利した勢いをもって、素早い速度で大内氏の領国を奪取している。このことを後の世では防長経略というのであるが、通家のいう問題は、毛利氏が南進して、大友氏と全面的に衝突する場合のことであった。だだでさえ厳島の戦いより海賊衆による後方支援などを通じて毛利軍を支援したことにより、大内氏を後援している大友氏との関係はますます悪化しているにもかかわらず、ここでさらに、そのようなことが起きればもはや干戈を交えるほかなかろう、通家はそのように考えていた。これをきいた房実は、無理だとわかりつつも、

「大内がもてば、問題はないでしょうが」

と通家に対して尋ねた。

「残念ながら、陶尾張守のいない大内が長期間もつとはとても思えん」

通家はそのように返した。この時点で大内氏は周防国をとられており、家臣団の内部崩壊も進んでいた。これでは勝てるはずもなく、大内氏の当主義長とその重臣は長門国豊浦郡(現在の山口県下関市)にある且山城に逃げ込んだ。大内氏は風前の灯火となっていた。

「ともあれ、手紙は是とも否ともわからぬ具合に返そうと思うが、どうだ」

「それで、よろしいと愚考申し上げます」

通家の確認に、房実はそう返した。


 「それから……」

通家は房実の返答にうなずくと、なにかいいたげな表情でそのようなことをいい、また話を変えた。続いて、

「内治に関することであるが、立札のことがらのうち、まだ実施していないものがある」

といい、暗に房実に対してそれがなにかを尋ねた。これに対して房実は、

「近いうちに殿自ら貿易事業をご実施されるということで、出資を仰ぎたい云々でございますな」

と述べた。

「そう、なんだかんだいって、できなかった。とはいえ、それでも構わんと思う」

通家はそういい、弁明しはじめた。もともと官営事業のつもりが、南蛮船と琉球仕置の件により流されるがままにいつのまにか三津の商人連の寡占による私営事業になってしまったが、金銭は十分にはいるのでよいではないか云々といった具合である。これに対して房実は、

「それは同意いたしますが、殿はそれをなさりたかったのではないでしょうか」

と少し棘のあるいいかたをした。これに対して、通家は、棘のあるいいかたも諫言だとうけとめ、

「すまない。とはいえ、これは布石にすぎない。本番はこれからだ」

と返した。実際、通家はこうして問答を交わしている間にも、川を見ながら農商工の三分野にて殖産の政策を考えたり、その実現可能性を検討したりしていたのである。また、琉球仕置により琉球王国を従わせたため、定期的に那覇などから交易船が寄港するようになったため、これを活用しようとも考えていたのである。これに対して、房実は小さく咳をし、

「左様ですか」

とただそれだけいった。


 通家と房実がこのように話し合っているうちに、船団は湯築城の河岸に到着した。到着と同時に船団から家財道具などが城内に運ばれてゆく。城内は大掃除され、数刻後、引越しは終わり、通家は、入城し、廊下を小走りで駆け抜けた。そして、通家は先ず通直の私室に向かった。

「もう、父上は、本当に隠居なされたようだ」

空となった通直の自室を見て、通家は開口一番にそういい、大きく息をした。


弘治二年五月


 この月は例年通り、田植えの時期である。城下から少し離れた部落では、水田に早苗を植える百姓どもの姿がよく見える。当主となった通家も、今年で十歳になった虎松と千代丸を連れて河野氏当主として視察に向かった。城下こそ整備されているものの、城から少し離れると、未整備のあぜ道しか道はなかった。幸い、湯築城と湊山城間の街道だけはきちんと整備されているため、その中間にある部落を視察対象とした。道がよく整備されているのと、馬を走らせると、一刻もたたないうちに目的地に到着することができた。

「さあ、これを見よ」

通家は子供どもにそういいきかすと、子供たちは観察をはじめた。観察中、通家は田畠をみまわしながら、

「この広々とした田畠を見よ。昔はあの丘の手前しかなかったものが、今では一面見渡す限りである。あの用水路ができたのもつい最近のことだ」

といい、続いて、

「ここで植えられた苗は、夏には大きくなり、秋には収穫できるようになる。そのうちの半分ほどをわれわれと国人どもが徴収するわけだ」

と説明すると、子供どもは、納得したような納得していないような顔つきをした。通家はそれをわかっているのか、いないのかはともかく、

「無論、分際は必要だ。とはいえ、連中が働かねば、われわれの食い扶持がなくなる。いかに百姓どもを不満にせずに働かせるか、これこそ国を治める者の義務である」

と、まあ正論といえるだろうということとはいえ、生まれつきの大名とは思えない言葉を、言い放った。通家がこのような考えになったのは、いろいろな事情があるが、少なくとも毎日物事を考える癖をつけているせいであった。このような癖は、通家自身の自戒の賜物であった。とはいえ、通家自身もこのような話を童子か真剣にきくことはないと思っていた。適当に聞き流して、将来成長したときに少し思い出してもらえればいい、その程度であった。


 「父上」

千代丸はそう通家を呼んだ。そして、それをきいた通家は振り返り、

「なんだ」

と返した。田畠を見て、物思いにふけっていた通家にとって、千代丸のその声は少々唐突な感が否めなかった。

「父上のお話は、興味深く伺いまして、後学に生かしたいと考えております」

千代丸はそう、うやうやしく述べた。通家が見るに、少なくとも場の状況というものをわきまえていた。これは通家自身もそうで、周囲の信頼を勝ち取るために用いたことである。もっともこの戦乱の世では能力である程度裏づけられたものがないと、大惨事になる可能性がある。ともかく、千代丸はそのことを理解していた。通家はそのことをもちろん承知していたが、ついそっけなく、

「そうか」

というのみであった。とはいえ、これは将来に期待できるかもしれない、通家は少し安堵した面持ちであった。それをみた虎松は、

「殿のお言葉、誠にその通りでございましょう」

といった。千代丸と似たような言い草であったが、比較すると少しくだけているといってもよいいいかたであった。通家はこの二者を観察して、

(やはり、人としての指向というべきものが少しちがう)

と思った。


 みずみずしい青い苗が、一面に広がっていた。

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