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べからずの薬と隠し神  作者: 絹乃
3 懐かしくも苦しい我が家
8/24

3-1

 ここはどこ? 確かかどわかされたんじゃなかったっけ?


 笹生は大きな椅子に、ちんまりと座っていた。

 いつものすりきれた着物ではなく、身につけているのは洋服だ。


 それも襟と袖にひらひらのフリルがついた白いブラウスに、ひざより少し長い細身のズボン。


「よく戻って来てくれたな。(ささ)()


 ぽっちゃりとしたおじさんに言われても、なんて答えていいのか分からない。


 それにしたって、なんて広いんだろう。

 この部屋だけで、長屋が入ってしまいそうなくらいだ。

 笹生は居心地が悪くて、もぞもぞと膝をこすりあわせた。


「なんだ、寒いのかね。早瀬、ひざかけを持ってきてくれんか」


 金色の取っ手のついた扉の前で、背広姿の青年が頭を下げる。


「あー、あんた。ぼくを連れてきた人だ。早く兄ちゃんのところに帰してよ」


 笹生は立ち上がって、早瀬を指さした。


 早瀬は動じることもなく、暖炉の近くにある西洋のたんすから、水色のひざかけを取りだして笹生に手渡した。


 いらないとはねつけようとしたのに、あまりの触り心地のよさに驚いてしまう。


「お兄さまにはすぐに会えますよ」


 笹生の耳元で、早瀬はこっそりとささやいた。


 どういうこと? 兄ちゃんもここに招かれるってこと?


 でも、いくら早瀬さんの背が高くたって、兄ちゃんを袋につっこんで抱えてくるのは無理だと思うけど。


(兄ちゃん、もう家に帰ってるかな。ぼくがいないのを知ったら心配するだろうな)


 ひざかけを抱きしめて、笹生は椅子に力なく腰を下ろす。


「そうだ。讃央、腹が減ってはおらぬか?」


「減ってないよ。おじさん」


「笹生さま。鶴原さまのことは、お父さまとお呼びくださいませ」


 早瀬さんは変なことを言う。

 こんな初めて出会ったおじさんが父ちゃんのはずがない。


「好きなものがあれば、持ってこさせるぞ。何がいい? フランスから取り寄せたビスケットやチョコレート、長崎のカステラなんかどうだね?」


「……ラムネ」


「ん? なんといったかな?」


「ううん、なんでもない」


 後ずさった笹生は、体を椅子の背にぴったりとつけた。


「おじさ……えっと、鶴原さん」


「笹生さま。お父さま、と」


「構わぬ、早瀬。讃央とは三歳の時から会っておらぬのだ。数え年でもう十歳。すぐに父と呼べぬのも仕方なかろう。それにしてもよう見つけてくれた。さっそく家庭教師の手配をせねばな」


「その件に関しましては、お任せください」


 うやうやしく礼をする早瀬に連れられて、笹生は居間を出た。




 案内された子ども部屋の窓辺には、机や本棚が置かれている。

 家具は全部、木製の淡い色で統一されていた。

 ベッドに置かれた布団も枕も、雲みたいにふわふわして見える。


 誰が彫ったものか、柱には短い線が何本も刻まれている。

 一番上の線の高さは、ちょうど笹生の頭くらいだ。


 早瀬はその柱を眺めて、目を細めた。


「ぼく、帰る」


 扉へと小走りに向かう笹生を追い越して、早瀬が取っ手に手をかけた。


「大丈夫。自分で開けられるよ」


 けれど早瀬は取っ手を動かそうとはしない。

 笹生はようやく扉を開けてくれるためではなく、開けさせないために早瀬が動いたのだと気づいた。


「こちらでお待ちいただければ、お兄さまに会えますよ」


「でも鶴原さんは、そんなことを一言も言ってなかったよ」


「笹生さまは、なにも案ずることはないのです。深町家の方々は、このような邸でお暮らしになることが、正しいありようなのですから」


 早瀬の言葉は耳に優しい。

 シショーがくれた童話の中に出てくる、よい魔法使いみたいだ。


 でもよい魔法使いは、子どもを布袋に詰め込んで運んだりしたっけ?



 笹生の頭の中で、カンカンカンと火事の時に聞こえるような警鐘が鳴った。


 本当にこの人を信じていいの?


 ◇◇◇



 双樹は、石畳の道を駆け回った。


 ずっと走っているので、膝ががくがくする。

 草履がすり減り、鼻緒が指の間に食いこんで痛む。

 それでもすぐに足を踏みだした。


「笹生ーっ。兄ちゃんだぞ。返事をしてくれっ」


 汗のしずくが落ちた道に、たった一つの影が長く伸びている。

 いつもは隣に小さな影が寄り添っていた。


 一人がこんなにも寂しいなんて、ずっと忘れていた。


(どうしよう。笹生が命の危険にさらされていたら)


 ーー子肝取こきもとり。


 その言葉が脳裏をよぎり、双樹はごくりと唾を飲みこんだ。


「ああ、もう。陰気な顔をおしでないよ。あたしゃ、今から鶴原ん家に行くけど、あんたもついて来な」


 乱れた髪を直しながら、蘭花が声をかけてくる。


「鶴原。そんなお客さんいましたっけ」


「……いないね。でも鶴原つるはら讃央ささお。その名を覚えちゃいないかい」


 ささおという名に、一瞬、心臓をわしづかみにされたような気がした。


 胸を突き破りそうなほどに動悸が激しい。


 行くよ、と声をかけて蘭花が歩きだす。

 前を進む、金糸で獅子の刺繍がほどこされた帯がかすんで見える。


 双樹が一歩を踏みだすごとに、石造りの洋館が並んだ街並みが、黒に沈んだり白に染まったりする。


(笹生。兄ちゃんが今、行くからな)


 俺は、兄ちゃんでいいんだよな。


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