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べからずの薬と隠し神  作者: 絹乃
2 かどわかし
4/24

2-1

 空気をふるわせる琵琶の音が響いている。

 あの世から切ない思いが届くような、心がゆさぶられる音色だ。


『平家物語』の弾き語りをしていた桜花おうかは、顔を上げた。


「姉さん、鼻がすうすうするわ」


 蘭花らんかとその妹、桜花が暮らす棟は、双樹そうじゅの住む部屋とは向かいにある。


 桜花は双樹と同じ十五歳だが、外に出る時には必ず蘭花が付き添っているせいか、どこかあどけない。

 今も子どもみたいに鼻をくんくんと動かしている。

 桜花が顔を横に向けたので、肩や背中に垂らした黒髪が琵琶に引っかかった。


「きゃっ。いたっ」


「おやまぁ、桜花。動くんじゃないよ。髪が切れちまうよ」


 蘭花は、双樹に任せるとばかりに顎をひょいとしゃくった。


「失礼します」


 そう声をかけてから、桜花の長い髪に触れる。


「この声は双樹さんね。ふふ、ありがとう」


「いえ、師匠は軟膏の調合で手が汚れているので」


「こら、双樹。客の前では絶対に、軟膏なんていうんじゃないよ。そんな古くさい名前じゃ売れやしないだろ。これはね、メンタム。分かったかい。これまでの軟膏にちょいとハッカ油を足してだね、それでしゃれた名前をつけりゃ、今度の祭りでは、がっぽりもうかるってもんさね」


 はいはい、と蘭花の文句を受け流して、双樹は桜花の髪を琵琶から外していく。

 椿油で手入れしているのか、毛はとてもつややかだ。


「ごめんなさい。姉さんったら、お金もうけにしか興味がなくて」


「まったくです……いたっ」


 双樹の頭に、メンタムのふたが命中する。ふり返ると、蘭花が真っ赤な唇をへの字に引き結んでいた。



「兄ちゃん、兄ちゃん。おやつだよー。瓜をむいたんだ」


 足でがらりと木戸を開けて、笹生ささおが飛び込んでくる。

 手にした盆には、形も大きさも、ばらばらに切られた薄緑の果実がのせられている。


「……修行もいいが、ちったぁ弟のしつけもすべきだねぇ。笹生の足は手よりも便利だ。ねぇ双樹兄さんや?」


 蘭花が、にぃっと嫌味ったらしく笑う。


「笹生くんは、急いでいただけよね? もしかして両手がふさがっているのかしら」


「でも地面に盆を置いて、戸を開けて、瓜が土で汚れるのはやだなぁ」


「じゃあ、そうね。開けてって、声をかけるといいわ。ね?」


 桜花の提案に、笹生は「うんっ」と元気よくうなずいた。

 けれども彼女の澄んだ茶色の瞳は、誰も見てはいない。


 桜花は幼少の頃に失明したという。


「じゃあ、お言葉に甘えて瓜をいただこうかねぇ。ちょいと双樹。休憩する前に、虫下しと腹下しの薬を入れたか確認しておくんだよ。蛍祭りは稼ぎ時なんだからね。普段よりも余分に入れて、ちょうどいいくらいだ」


「瓜がぬるくなっちゃうよ。井戸水で冷やしてたんだから、早く食べてよ」


 笹生が頬をふくらませて、双樹の前にみずみずしい瓜をのせた盆を差しだした。


「分厚く皮をむいたもんだねぇ。元はもっと大きな瓜だったんじゃないのかい?」


「いいんですよ。瓜は大名にむかせろっていうくらいですからね。中の方が甘いから、思い切って厚くむくのが正解です」


 瓜を一切れつまんで、双樹は口に放り込む。

 じんわりとした優しい甘さと、心地よい冷たさが口の中に広がっていく。


(笹生も包丁を使えるようになったんだな)


 瓜を桜花に勧めている弟を見る双樹は、目を細めた。


「シショーは手を洗ってこないとダメだよ。ハッカ味の瓜なんて、おいしくないよ」


 手を伸ばしてくる蘭花から、笹生は盆を救出するように移動させる。


「はいはい。坊やもおちびさんも口うるさいねぇ」


「おちびさんじゃないもん。笹生だもん。兄ちゃんがつけてくれた名前なんだぞ」


 あら、そうなの? と桜花が笹生の声のする方に顔を向ける。


「あ、いえ。俺は『笹生』という漢字を考えただけです」


「いいお兄さんね」


 桜花の見えるはずのない目で見つめられて、双樹は瓜をのどに詰まらせた。


 ぽけん。


 またメンタムのふたが飛んでくる。


「何するんですか、師匠」


「お前ねー、桜花にほめられて顔を赤くするなんざ、十年早いんだよ」


「し、してませんよ」


「えー、兄ちゃんって桜花ねえちゃんのことが好きなの?」



 額に青筋を浮かべた蘭花のメンタム攻撃が止まらない。

 とうとう中身の入った缶が投げられ、双樹の顔に命中した。

 白くてべったりとした軟膏が顔にへばりつく。


(なんで、こうなるんだよ。俺、なんか悪いことしたか?)





 暦が七月に変わり、来週には蛍祭りが始まるという頃。

 双樹の部屋には、平たい円柱形の缶が積み上げられていた。


 笹生は床に置いたそろばんを、ぱちぱちと弾いている。


「えーと、メンタムが二百缶かける十五銭、頭痛バレバレが五十袋かける十銭」


「バレバレじゃなくて、ハレバレだろ。薬を飲んで頭痛がばればれになって『きさま、頭痛だろう』って指摘されてどうするんだよ」


「しーっ。静かにして。計算の途中だから。シショーに頼まれたんだ」


 あとしばらくは、鼻がすっきりしすぎる匂いの中で寝たり、食事をしないといけないのかと思うと気が重くなる。


 ハッカ味の豆腐、ハッカ味の納豆。思い出すと、うっぷと何かが込みあげてくる。


 計算を終えた笹生が身を乗りだして、あぐらをかいている双樹の膝に手をかける。

 そろばんを太ももの上に置くから、珠がごろごろとあたって不気味な感じだ。


「こらっ。わざとか」


 そろばんを取り上げて、今度は笹生の背中で珠をごろごろしてやる。

 きゃあ、と悲鳴を上げながら、笹生は部屋の中を走り回った。


「ああ、もう。メンタムの塔が崩れたらどうするんだ」


「兄ちゃんが追いかけるからだよー。だけどさ、なんでシショーはお金があるのに、大きくて新しい家に住まないのかな。この間なんて、寝てたら雨もりの水が鼻の穴に入ったって、大騒ぎしてたのにね」


 確かに。


 二棟ある長屋の家主は蘭花だが。ふつう家主が、こんなぼろぼろの長屋に住むなんて変だ。

 しかも住人は蘭花姉妹と双樹兄弟だけで、他の部屋は全部、薬の材料をおく納屋代わりになっている。


 もっと人を住まわせれば、もうかるのに。



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