表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
べからずの薬と隠し神  作者: 絹乃
6 外へ
20/24

6-2

「あの、深町さん。面会の人が来ていますが」


 独房の扉についた小窓を開けて、看守の浦が覗きこんでくる。

 また早瀬が来たのだろうか。双樹はため息をこぼした。


「会わなくてはいけませんか」


「え、それは、その。断ることもできますが」


「背中が痛いので、歩くのがつらいんです」


 そっけなく言ってやると、浦は泣きそうに眉を下げた。


 昨日、鞭で打たれたせいで、背中に無数のミミズ腫れができてしまっている。

 皮膚が裂けて血がにじんでいる部分もある。

 呼吸をするたびに背中と、まだ治らない親指もじんじんと痛む。


「あの、僕でよければ手を貸しましょうか」


 浦が差しだした手を、双樹は払いのけた。


 罪人に優しくする看守が、いったいどこにいるっていうんだ。

 いいかげん仮面を外せばいいのに。

 こちらが気を許して自白するのを待っているんだろう。


「放っておけよぉ。そこの兄ちゃんは、会いたくないって言ってんだろ」


 向かいの部屋からヤジが飛ぶ。

 それに反応するかのように、浦を小馬鹿にしたり、双樹のことを贅沢だと文句を言いはじめる囚人もいた。


「えっと、静かにしてください」


 浦は、右や左に走り、後ろにも声をかける。

 だが、それは注意というよりも、お願いにしか聞こえなかった。


「こらっ。何を騒いでおる。浦、またお前か。静かにさせんかっ」


 中央の監視室にいた看守がとんできた。

 囚人達は一斉に静まりかえり、浦だけがぺこぺこと頭を下げて謝っている。

 双樹は、そんな浦の姿を冷めた目で眺めていた。


「深町さん。規則なので腰ひもをつけないといけませんが。その、僕が支えますから、やっぱり面会室に行きませんか」


「看守さんは拷問を受けたことがないから、分からないでしょうね。あなたが俺の立場なら、ぼろぼろになるまで痛めつけられた姿を、知り合いにさらしたいと思いますか。今の自分を知人に見られることが恥ずかしいとか、想像もつきませんか?」


 浦は言葉を失った。双樹は彼に背中を向け、中指の爪を噛む。


 看守なら看守らしく、ただ威張っていればいいんだ。


 浦には情けをかけられ、そのくせ拷問は続き、またこいつに手当をされ、いたわられる。


 もう自分が人なのか物なのか、わからなくなる。

 浦といると混乱する。いらいらするんだ。


「それでも」


 今にも消え入りそうな声で、浦は話しだす。


「それでも、深町さんのことを心配して来てらっしゃるんです。顔だけでも見せてあげて……あっ、えっと、その声だけでも聞かせてあげてください」


「誰が来ているって? 顔を見せるのではなく、声を聞かせろって言いましたよね」


 双樹は立ち上がった。

 浦の襟首に掴みかかるためだ。

 なのに体の痛みによろけた双樹を、浦は細い腕で支えてくる。


「僕は面会者の名簿は見ていないので、名前は分かりませんが。杖をついた娘さんです。どうやら目が見えない様子で」


 なんてことだ。

 師匠と一緒ではなく、たった一人でやってきたのか。


 歯を食いしばりながら、双樹は壁に手をついて歩きだす。


「待ってください。腰ひもを」


「さっさとつければいい。俺は行く」


 桜花のことは、ずっと考えないようにしていた。

 彼女だって、罪人とはもう会いたいとも思わないだろうと、自分の気持ちに蓋をして。


 琵琶の仕事に行くときだって、いつも師匠に付き添ってもらっているっていうのに。

 こんな遠いところまで、目の見えない彼女が一人で歩いてくるなんて、無茶だ。


(もしかして、どうしても俺に伝えなければならないことあるのか)


 段差につまずき、双樹は転んだ。

 まだ骨折の治らない両手を廊下につくのを、無意識に避けてしまい、顔面から床に激突しそうになる。


 けれど顔にあたったのは硬い床ではなく、布だった。

 確認すると双樹の体の下に、浦が体を滑り込ませていた。

 どうやら浦の背中の上に倒れたらしい。


「あいててて。深町さん。大丈夫ですか」


「あんた、どこまでお人よしなんですか」


「そうだ。腰ひもをつけなくちゃ」


 慌ててひもを取り出す浦を見て、双樹は吹きだした。

 一度笑いだすと、後から後から笑いが込みあげてくる。


 背中が引きつって痛むが、双樹は肩を揺らして笑い続けた。


「あの、深町さん? えっと、よかったらこれを。洗っているのできれいですよ」


 左手にひもを持ったまま、浦は右手で白い手ぬぐいを差しだしてきた。

 少しごわついた布を目元にあてられて、初めて双樹は自分が涙を流しているのだと分かった。


 心の奥の、泥水を凍らせたような氷が、溶けていく気がした。




 双樹が面会室に入ると、桜花が立ち上がった。

 長い髪は乱れ、汗をかいた顔に張りついている。

 見れば足袋もぞうりも、土で汚れてしまっている。


「無理しちゃだめだ、桜花さん」


「それはこっちの科白だわ。怪我をしているのね。血と、消毒薬のにおいがするわ」


「ちょっと転んだだけだ。どうってことない」


 桜花の顔に不安げな表情が浮かぶ。

 双樹の隣で会話を書きとめている浦が、申し訳なさそうに眉を下げた。

 彼が双樹を拷問しているわけでもないのに。


「姉さんと一緒に鶴原家に行ったの。お薬を買いにいらっしゃる早瀬さんが、全然お見えにならないから。もうお薬は切れているはずなのにって」


「快方に向かって、薬が不要になったのかもしれないじゃないか」


「ええ。それならいいんだけど。私も、姉さんにそう言ったの。でも、姉さんは気になるから行ってみるって」


「笹生には会ったのか?」


 桜花は首をふると、胸の前で左右の手をきゅっと握りしめている。


「寝込んでいるって、聞いたわ。夏風邪なのか、それともはしかや風疹なのかって姉さんがたずねても、早瀬さんは違うっておっしゃって。でも早瀬さん、今の双樹さんと同じにおいがしたの」


 血と消毒薬。

 双樹は息を飲んだ。


「姉さんが見た感じでは、早瀬さんはどこも怪我もしていないし、いつもどおり背筋を伸ばして動きもきびきびしていたらしいわ。でも、私には分かるの。双樹さんと同じで、口にしたくない怪我だって」


 言いにくそうに、桜花はゆっくりとしゃべった。


「見えるわけではないのに、皆が隠しておきたいことが私には分かってしまう。なのに、どうすることもできないの。鶴原滋の悪い噂と早瀬さんの怪我のことを考えると、きっと早瀬さんは、鶴原滋に暴力をふるわれているんだわ」


 きっと早瀬は、笹生を守って傷を負ったのだろう。


 初めて会った時の幼い笹生も、傷だらけだった。

 そして「お兄さま」が迎えにきてくれないと言っていた。


 ああ、そうだったのか。

 双樹は納得した。


 笹生を子肝取りに売ったのも滋なら、虐待していたのも彼だ。

 笹生が無事に成長して戻ってきた今、滋が何もせずにいるはずがない。


「ごめんなさい、双樹さん。こんなことを伝えに来て。姉さんには止められたわ。双樹さんに心配をかけるだけだから、面会に行くなって。でも、でも私」


 唇を震わせる桜花に、思わず双樹は手を伸ばした。

 彼女の肩にふれようとして、親指の包帯の白さに目がとまる。

 この包帯のにおいも、桜花は気づいてしまう。


 けれど隠してどうなる。

 心配してくれている人に、大丈夫だと嘘をついて。

 優しさで騙したとしても、勘の鋭い彼女が納得するはずないのに。


 双樹は一度止めた手を、桜花の肩に置く。そしていたわるように、何度もきゃしゃな肩をなでた。


「いや、知らないでいるよりも知らせてくれた方が助かる。桜花さん、もし今度、笹生と早瀬さんに会うことがあったら、伝えておいてくれないか? 絵をありがとう。大事にしているからって」


 今こそ、託されたカミソリを使う時だ。


 早瀬は分かっていたに違いない。いずれ笹生を守りきれなくなると。


 双樹の父の会社を潰し、両親を死に追い込んだ奴に対し、復讐すると早瀬は言っていた。

 それと同じくらい残された双樹と、兄弟として生きてきた笹生のことを大事に思ってくれている。


 早瀬は、双樹が暮らしていた家を取り戻そうとしたのだろう。

 鶴原の手に渡った、深町の邸を。


(鶴原が……笹生の父親こそが、俺の両親を追いつめた本人なんだ)


 ふと、暗い影が心をよぎった気がした。

 笹生を親の元へ戻し、双樹を笹生の家庭教師として鶴原の家に迎える。

 それが早瀬の真に望むこととは思えない。


「これを、姉さんから預かってきたの。差し入れですって」


 ようやく落ち着いたらしい桜花が、巾着のひもをほどく。

 中から蘭花手製の薬を取り出して、机の上に並べていくのを、浦が一つ一つ確認する。


「えっと、すみませんが、これはなんです?」


 一番端の容器を、桜花は手にして鼻に近づけた。


「たぶん、傷を治す軟膏ね。これは目洗めあらいぐすりだわ、入れ物がハマグリの貝殻だもの」


 ふんふんと納得しながら、浦が中をあらためる。


「なんで師匠は救命丸まで入れてるんだ? これって、夜泣きの薬だぞ」


「あら。姉さんにとっては、双樹さんは今でも子どもなのね」


 ふふっと、桜花が楽しげに笑う。

 ひさしぶりに見た彼女の笑顔は、空気のよどんだ監獄にすらも、柔らかな風をさそう。


 そりゃあ確かに、弟子入りしたての頃はよく泣いていたけど。

 いつの話なんだか。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ