5-3
早瀬が面会に訪れたのは、翌週のことだった。
双樹が面会室に入ると、並んで座っていた早瀬と笹生が同時に立ちあがった。
(なに考えているんだよ。最悪だ。笹生まで連れて来なくていいじゃないか)
笹生は、むりやり着せられていたような洋服が、今では不思議となじんで見える。
いつの間にか立派なお坊ちゃんだ。
「元気そうでよかったな」
「元気だよ」
答える笹生の声は上ずっている。
笹生は何かを言いたそうに口を動かしたり、体をもぞもぞさせていたが、結局はうつむいてしまった。
その時、ひざにのせていたらしい手さげ袋が床に落ちた。
紙で巻かれた色とりどりのくれよんが散乱する。
早瀬は急いでそれらを拾った。
「双樹さま、これを。笹生さまが描かれました」
手さげから取りだした何枚かの紙を、早瀬は双樹に手渡そうとした。
けれど同席している看守が、一枚ずつ確認する。
「ふん、つまらん落書きだ」
双樹の前に、どさっと重い音を立てて紙が落とされる。
どうやらこれを渡すのが目的で面会に来たようだ。
「兄ちゃん、その手。どうしたの?」
椅子の背を引く双樹の指に、笹生が目をとめる。
拷問のことを察したのか、早瀬が息を飲むのが分かった。
「笹生さま。もう戻りましょう」
「でも、まだ時間はあるもん。三十分って言われたもん」
大きな目に涙を浮かべながら、笹生は首をふる。
「兄ちゃんといるんだもん。まだ、いていいもん。ねっ?」
「お前がいると、迷惑なんだ……」
光の中へと帰っていける笹生は、きっといつか自分のような兄を持ったことを恥と思うに違いない。それとも、いずれ忘れてしまうだろうか。
視線を感じて双樹が顔を上げると、早瀬がまっすぐに見つめていた。
心の奥までも見透かすような、強い瞳。
思わず双樹は視線をそらしてしまった。
「双樹さま。どうぞ誇りを失わないでください。なんのために自ら拘束されたのか、思い出してください」
「なんのためにって。別に、俺なんてもう」
「双樹さまは、ご自分も家族と家を失ってつらい中でしたのに。幼い笹生さまを、助けられたのですよ」
早瀬は、机の上に置かれたままになっていた絵を、双樹に手渡した。
双樹が受け取るまで、何度も何度も押しつけてくる。
「これまでよく頑張ってこられました。ですが、お忘れにならないでください。双樹さまも、また守られるべき子どもなのですよ。九歳の時に大人にならざるを得なかった、子どもなのです」
「子ども? 俺が?」
何かがはがれ落ちた気がした。ガラスのような硬いものが、砕け散っていく感覚だ。
早瀬が手を伸ばして、双樹の頭をなでる。
「……父さん」
懐かしい大きな手。
父じゃないと分かっているのに。
両親と家を失ったあの日から、誰かになでてもらうことなんて、一度もなかったから。
鼻の奥がつんとして、早瀬や笹生の姿がぼやけていく。
双樹は自分もかつて使用していたことのある、くれよんの油っぽいにおいを感じながら、紙を脇に抱えて足早に面会室を出ていった。
のうぜんかずらの鮮やかな橙色の花が、夏風に揺れている。
まるで小さな太陽が、壁のあちこちに咲いているみたいに。
独房に戻った双樹は、紙を一枚ずつ確認した。
「一生懸命、書いたんだな」
かろうじてひまわりと分かる黄色い花。
その次は一面の青を背景に、手をつなぐ二人。身長の高い方は背負子をかつぎ、低い方は瓶のようなものを持っている。
「これは、ラムネ?」
ころん、と瓶の中のビー玉が転がる音が聞こえた気がした。
三枚目は、二人で花火を見ている絵だ。
その次は四人描かれている。髪の形や着物から蘭花と桜花、それに双樹と笹生だろう。
皆で巨大な瓜を食べている。
「……笹生」
双樹は声を震わせ、両手で顔をおおった。
指の間を伝い、涙がぽたりと落ちる。
力いっぱい塗られた絵の上で、涙ははじかれてするりと流れた。
これまでいつも夜更けに笹生の寝顔を見つめていると、幸せな気持ちになると同時に、うしろめたい思いがこみあげていた。
浜辺の砂の上に積みあげたような幸せは、小さな波が寄せるだけできっと崩れてしまう。
家族でいたい、兄弟でいることを許してほしい。
誰に願えば、何を償えば、その望みは叶うのだろう。
鮮やかな絵を指でこすると、なにか硬いものに触れた。
双樹は慌てて紙を確認する。
妙に分厚く感じる紙は、糊で貼りあわされていた。
どの紙も同じ厚さにしてあるから気づかなかった。
よく見れば、一枚の紙の余白に鉛筆で丸がつけられている。
なんの印なんだ。双樹は慌てて紙をはがしはじめた。
その時、廊下を歩く靴音が響いた。看守の巡回だ。
頼む。そのまま行き過ぎてくれ。
紙の端はすでにめくられ、その間から、紙と同じ色で、ほぼ同じ大きさの封筒が現れている。
かつかつ、かつん。
足音が止まった。
平静でいなければと思うのに、びくりと肩が動いてしまう。
「リの九番。それはなんだ」
「お、弟が差しいれてくれた絵です。面会室で受け取りました。ほら、上手でしょう。この瓜を食べている、真ん中のが俺だそうです」
はがれていない絵を持ち上げて、双樹はわざと看守に見せた。
「これはひまわり。すごいでしょう、一目で分かりますよね。色づかいも大胆で、いいと思いませんか? ぜひ見てくださいよ」
「下手くそな絵だ。黄色くてでかい花なら、ひまわりしかないだろうが」
弟自慢かよ、と吐き捨てながら看守は歩きだした。
よかった。
双樹は全身の力が抜けて、床にへたり込んでしまった。
震える指で封筒を引きだして、中を確認する。
それは封筒の中に何枚も貼りつけられた、カミソリの刃だった。
「無茶だよ、早瀬さん。俺にできるわけないじゃないか」
てのひらにのせたカミソリは小さいのに、とてつもなく重く感じられた。




