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べからずの薬と隠し神  作者: 絹乃
5 リの九番
17/24

5-2

 子肝ではなく、熊胆を売っていたことがはっきりした蘭花は釈放された。


 じっとりと暑い監房で、双樹は正座していた。

 身につけているのは黄色い作務衣のような囚人服だ。

 上は腰までの薄い着物、下は簡素なズボンで、普段はいている脚絆よりも薄くがさがさした肌触りだ。


 木製の格子がはめられた窓が小さいせいで、床に敷かれた板は湿っぽい。

 ところどころ黒ずんでいるのは、かびが生えているのだろう。



 それにしてもなぜ熊の胆が、子どもの肝臓だなどと間違われたのか。


 師匠が有名であることを妬んだ他の薬屋が、警察に偽の情報を流したとか。

 いや、そんなことをしたって、結局は同業者や客からの信頼を失うだけだ。


 それに師匠も、警察に抗うことなくあっさりと捕まっていた。


「おい、飯だぞ」


 木の戸につけられた、小さな扉から盆が差しいれられる。

 盆には茶色いご飯とみそ汁、そして魚がのせられていた。


「箸がありません。さじでもいいんですが、貸してくれませんか」


「そのまま、皿から食えるだろ」


 くっくっくと肩を揺らして、看守は笑った。

 まだ刑が確定したわけではないのに、すでに人として扱ってももらえない。


 双樹は碗を手にとり、薄い味噌汁をすすった。

 ご飯はにぎり飯のように、一口分ずつ片手で固めて口に入れた。


 問題は魚だ。アジの開きで骨が多い。


 双樹はまぶたを閉じて、長い息を吐いた。

 笹生は、今頃うまい物を食べているだろうか。


 ――笹生くんは、鶴原の家で笑顔で暮らしているのかしら。


 ふいに桜花の言葉が耳をかすめた。

 その声をふり払うように、首をふる。


(俺は、笹生の六年間を奪ってしまった。本来なら笹生は、使用人にかしずかれて育つお坊ちゃんだったのに)


 捨て犬や捨て猫の代わりに笹生を拾って、兄ぶっていただけだ。


(ごめんな、笹生。俺が寂しがりやだったせいで、お前を巻き込んじまった)


 幼い頃に、深町の家で教えられた食事のマナーが、頭をよぎった。

 手づかみで魚を食い散らかしている息子を、父さんや母さんはなんて思うだろう。


 急にのどが詰まるのを感じた。

 まるで首を絞められたかのように息が苦しく、魚の身を飲みこむこともできない。



 双樹は高い位置にある小窓を眺めた。


 いつの間にか梅雨が明けたのだろう。

 雲の白さが増し、輪郭がはっきりしている。

 どこからかセミの鳴き声が聞こえてきた。


 ラムネの泡のはじける爽やかなにおい、ころんと最後に鳴るビー玉を思いだす。


 ああ。今の季節なら、ラムネもきっと美味しいだろう。


「笹生にラムネを買ってやりたいなぁ」


 双樹はぽつりと呟いた。





 鶴原讃央の誘拐の件について、双樹は厳しく問われはしなかった。



「えっと、深町さん……じゃなくて、リの九番。出てください」


 扉を開かれ、もしかして釈放かと双樹は表情を明るくした。


 自分の犯した罪を申し出て、それを償うことができれば。

 許されるのであれば、本当の兄ではなくとも、また笹生に顔向けできる。

 蘭花の弟子として働ける。桜花ともちゃんと向き合える。


 双樹は促されるままに独房から出た。


 廊下の左右には監房が並んでいる。

 放射状にのびる八本の廊下が全部集まる中央に、見張りのための監視室がある。

 そこも通りすぎ、連れていかれたのは暗い部屋だった。


 レンガが積み上げられた壁、床には板すら敷かれていない。

 廊下からの風が流れ込み、壁に据えられたろうそくの炎が揺れた。


 ここは? と双樹がたずねると、同行した若い看守は目をそらした。

 他の看守と違い、体格は貧相で、まるで『薬草綱目』にのっていた、体のしびれやひざの痛みに効くもやしみたいだ。


 薄暗い部屋の中に進むと、足下には水がたまっていた。

 裸足のつまさきで、ぴしゃんと水が跳ねる。



 軋んだ音を立てて扉が開き、現れたのは屈強な大男だった。


 座れと命じられ、双樹は部屋の中央にある椅子に腰を下ろした。

 椅子の前にある机に、男がランプを置いた。

 その明かりが、机の上に置かれた物を照らしだす。


 なんだろう、これ。

 木の箱が二つ並んだ形で上部には、それぞれにねじがつけられている。


「さて、始めようか。犯行を自供するのなら、早い方がいいぞ」


 黄ばんだ白眼を持つ大男が、間近で双樹をにらみつけた。

 こいつ、もしかして拷問吏なのか。


「リの九番。お前は軽い罪を自ら認め、重罪を隠そうとしたそうだな」


「なんのことですか。分かりません」


「鶴原讃央のことは認めたが、鎌田かまた三喜夫みきおのことを認めぬのは計算の内だな」


 鎌田三喜夫?


 あっ、と双樹は目を見開いた。

 思いだした。

 くちなしが満開の頃に、必死で三喜夫という名を呼びかけながら探し求める声を聞いた。


 違うんです、と双樹が勢いよく立ち上がったせいで、椅子が倒れた。

 拷問吏は、ただ眉を動かしただけだ。

 看守が、慌てて椅子を直す。


「おとなしくしていてください。暴れられると、椅子に縛りつけないといけません」


(うら)っ」


 拷問吏に短く一喝され、看守は「ひへっ」と悲鳴のような返事をした。

 椅子に座りなおした双樹は、真正面から拷問吏をにらみつける。


「鎌田三喜夫は名前しか知りません。その子が神隠しにあった時に、身内が捜している音を聞いただけです」


「自分でさらっておいて、その親が子を捜し求めるのを、楽しげに聞いていたのか。ふん、趣味が悪いことだ」


 胸の奥にもやもやとした黒い雲がわき上がる。話が通じない。


「さぁ、手を出しなさい」


 拷問吏は、ゆったりと微笑む。

 双樹は虫が背中を這いあがるような寒気を感じた。


「い、嫌だ。俺じゃない」


 だが強い力で両手を掴まれ、左右の親指を箱の側面に空いた穴に入れさせられた。


「鎌田三喜夫をどこで誘拐した」


「していないって、言ってるじゃないか」


 ねじが締められ、指の圧迫感が増した。


 質問は続き、双樹の否定もくり返される。

 そのたびに少しずつねじは動かされる。


「お前は鶴原讃央を誘拐した。六年の開きがあるとはいえ、同じ町、同じ年齢の子ども。リの九番、お前の犯行だな」


「やっていない」


「認めれば、すぐに楽にしてやる。このままでは骨が砕けるぞ」


 さらにねじが締められ、ぎりぎりと指の骨が軋む。


 鈍い音と共に激痛に襲われた。


 双樹は絶叫し、意識を失った。




 元の独房に戻された双樹は、床に倒れたままでまぶたを閉じていた。

 左の親指が骨折してしまっている。誰が手当てしてくれたのだろう。

 親指には木をそえて包帯が巻いてあるが、その白い布はすでに赤く血で染まっている。


 呼吸をするたびに、指がひどく痛む。

 けれど、三喜夫という少年が感じた痛みや恐怖は、こんなものではなかったはずだ。


 流れる涙が床にしみを作り、染みこんでいった。


(罪を償えば許されるなんて、考えが甘すぎたんだ。ぼろ雑巾のように打ち捨てられるのが、きっと似合いなんだ)


 窓から見える四角く切り取られた空は、あまりにもきれいで。

 暗がりに沈みこむ双樹には、遠すぎる世界だ。

 きっともう手を伸ばしても、届きやしない。


「気がつきましたか」


 扉の鍵が開く音がして、中に看守が入ってきた。


「あんたは」


「浦といいます。包帯を交換しましょう。そのままにしておくと膿んでしまいます」


 浦は、恐る恐る双樹の左右の親指の包帯を外しはじめた。

 添え木を外すと、どちらの指も骨が折れているのか妙な曲がり方をしていた。

 皮膚も裂けてしまっている。


「うっ。うっぷっ。おえぇ」


 突然、浦が口を手で押さえた。

 廊下からの明かりで、浦が真っ青な顔をしているのが分かる。


「す、すみません。僕、血とか怪我に弱くて」


「弱いにもほどがあるでしょう」


 双樹は呆気にとられて、自分が泣いていることさえ忘れた。


 親指をかばいながら、浦の背をさすってやる。

 この人、本当に看守なんだろうか。あまりにももやしに似すぎている。


「ありがとうございます。もう平気です」


 引きつった顔で言われても、信じられない。


「深町さん、よく我慢しましたね。ん? どうかしましたか?」


「番号じゃないんですね」


「あ、ああ。またやってしまいました。僕、番号で呼ぶのに抵抗があって。よく先輩方に怒られているんです」


 浦は肩をすくめた。

 頼りなくておどおどしているが、包帯を巻く手際はよい。


「看守さんは、誰にでも優しいんですか? 利用されたり、なめられたりしますよ」


 あれ、なんで憎まれ口をきいてるんだ。双樹は苦い味が喉に広がるのを感じた。

 本当なら「ありがとう」と伝えるべきなのに。


「ははっ。実際、よく囚人たちに馬鹿にされていますよ。憂さ晴らしにちょうどいいみたいです。でも誰にでもわけへだてなくっていうのは、ないです。やっぱり怖いですし、僕は臆病だから」


「なぜ俺のことを?」


「だって、無茶じゃないですか。誰も深町さんの言い分なんて、聞いていないし。はなから鎌田三喜夫の事件の犯人と決めつけてしまっている。それに鶴原讃央の件は、誘拐といっていいのかどうか……身代金を要求したわけでもなく、深町さんが彼を育てていたのでしょう」


「それは、そうだけど」


 いや、打ち解けるな。

 どんなに優しく装っても共感してくれても、こいつは看守なんだ。

 拷問でも鎌田三喜夫のことを認めなかったから、別の方法で自白させようとしているのかもしれないじゃないか。


 親切で気弱な仮面をかぶって、こちらが気を許すのを待っているに違いない。

 だまされるもんか。

 双樹は指に巻いた白い包帯を、にらみつけた。



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