5-2
子肝ではなく、熊胆を売っていたことがはっきりした蘭花は釈放された。
じっとりと暑い監房で、双樹は正座していた。
身につけているのは黄色い作務衣のような囚人服だ。
上は腰までの薄い着物、下は簡素なズボンで、普段はいている脚絆よりも薄くがさがさした肌触りだ。
木製の格子がはめられた窓が小さいせいで、床に敷かれた板は湿っぽい。
ところどころ黒ずんでいるのは、かびが生えているのだろう。
それにしてもなぜ熊の胆が、子どもの肝臓だなどと間違われたのか。
師匠が有名であることを妬んだ他の薬屋が、警察に偽の情報を流したとか。
いや、そんなことをしたって、結局は同業者や客からの信頼を失うだけだ。
それに師匠も、警察に抗うことなくあっさりと捕まっていた。
「おい、飯だぞ」
木の戸につけられた、小さな扉から盆が差しいれられる。
盆には茶色いご飯とみそ汁、そして魚がのせられていた。
「箸がありません。さじでもいいんですが、貸してくれませんか」
「そのまま、皿から食えるだろ」
くっくっくと肩を揺らして、看守は笑った。
まだ刑が確定したわけではないのに、すでに人として扱ってももらえない。
双樹は碗を手にとり、薄い味噌汁をすすった。
ご飯はにぎり飯のように、一口分ずつ片手で固めて口に入れた。
問題は魚だ。アジの開きで骨が多い。
双樹はまぶたを閉じて、長い息を吐いた。
笹生は、今頃うまい物を食べているだろうか。
――笹生くんは、鶴原の家で笑顔で暮らしているのかしら。
ふいに桜花の言葉が耳をかすめた。
その声をふり払うように、首をふる。
(俺は、笹生の六年間を奪ってしまった。本来なら笹生は、使用人にかしずかれて育つお坊ちゃんだったのに)
捨て犬や捨て猫の代わりに笹生を拾って、兄ぶっていただけだ。
(ごめんな、笹生。俺が寂しがりやだったせいで、お前を巻き込んじまった)
幼い頃に、深町の家で教えられた食事のマナーが、頭をよぎった。
手づかみで魚を食い散らかしている息子を、父さんや母さんはなんて思うだろう。
急にのどが詰まるのを感じた。
まるで首を絞められたかのように息が苦しく、魚の身を飲みこむこともできない。
双樹は高い位置にある小窓を眺めた。
いつの間にか梅雨が明けたのだろう。
雲の白さが増し、輪郭がはっきりしている。
どこからかセミの鳴き声が聞こえてきた。
ラムネの泡のはじける爽やかなにおい、ころんと最後に鳴るビー玉を思いだす。
ああ。今の季節なら、ラムネもきっと美味しいだろう。
「笹生にラムネを買ってやりたいなぁ」
双樹はぽつりと呟いた。
鶴原讃央の誘拐の件について、双樹は厳しく問われはしなかった。
「えっと、深町さん……じゃなくて、リの九番。出てください」
扉を開かれ、もしかして釈放かと双樹は表情を明るくした。
自分の犯した罪を申し出て、それを償うことができれば。
許されるのであれば、本当の兄ではなくとも、また笹生に顔向けできる。
蘭花の弟子として働ける。桜花ともちゃんと向き合える。
双樹は促されるままに独房から出た。
廊下の左右には監房が並んでいる。
放射状にのびる八本の廊下が全部集まる中央に、見張りのための監視室がある。
そこも通りすぎ、連れていかれたのは暗い部屋だった。
レンガが積み上げられた壁、床には板すら敷かれていない。
廊下からの風が流れ込み、壁に据えられたろうそくの炎が揺れた。
ここは? と双樹がたずねると、同行した若い看守は目をそらした。
他の看守と違い、体格は貧相で、まるで『薬草綱目』にのっていた、体のしびれやひざの痛みに効くもやしみたいだ。
薄暗い部屋の中に進むと、足下には水がたまっていた。
裸足のつまさきで、ぴしゃんと水が跳ねる。
軋んだ音を立てて扉が開き、現れたのは屈強な大男だった。
座れと命じられ、双樹は部屋の中央にある椅子に腰を下ろした。
椅子の前にある机に、男がランプを置いた。
その明かりが、机の上に置かれた物を照らしだす。
なんだろう、これ。
木の箱が二つ並んだ形で上部には、それぞれにねじがつけられている。
「さて、始めようか。犯行を自供するのなら、早い方がいいぞ」
黄ばんだ白眼を持つ大男が、間近で双樹をにらみつけた。
こいつ、もしかして拷問吏なのか。
「リの九番。お前は軽い罪を自ら認め、重罪を隠そうとしたそうだな」
「なんのことですか。分かりません」
「鶴原讃央のことは認めたが、鎌田三喜夫のことを認めぬのは計算の内だな」
鎌田三喜夫?
あっ、と双樹は目を見開いた。
思いだした。
くちなしが満開の頃に、必死で三喜夫という名を呼びかけながら探し求める声を聞いた。
違うんです、と双樹が勢いよく立ち上がったせいで、椅子が倒れた。
拷問吏は、ただ眉を動かしただけだ。
看守が、慌てて椅子を直す。
「おとなしくしていてください。暴れられると、椅子に縛りつけないといけません」
「浦っ」
拷問吏に短く一喝され、看守は「ひへっ」と悲鳴のような返事をした。
椅子に座りなおした双樹は、真正面から拷問吏をにらみつける。
「鎌田三喜夫は名前しか知りません。その子が神隠しにあった時に、身内が捜している音を聞いただけです」
「自分でさらっておいて、その親が子を捜し求めるのを、楽しげに聞いていたのか。ふん、趣味が悪いことだ」
胸の奥にもやもやとした黒い雲がわき上がる。話が通じない。
「さぁ、手を出しなさい」
拷問吏は、ゆったりと微笑む。
双樹は虫が背中を這いあがるような寒気を感じた。
「い、嫌だ。俺じゃない」
だが強い力で両手を掴まれ、左右の親指を箱の側面に空いた穴に入れさせられた。
「鎌田三喜夫をどこで誘拐した」
「していないって、言ってるじゃないか」
ねじが締められ、指の圧迫感が増した。
質問は続き、双樹の否定もくり返される。
そのたびに少しずつねじは動かされる。
「お前は鶴原讃央を誘拐した。六年の開きがあるとはいえ、同じ町、同じ年齢の子ども。リの九番、お前の犯行だな」
「やっていない」
「認めれば、すぐに楽にしてやる。このままでは骨が砕けるぞ」
さらにねじが締められ、ぎりぎりと指の骨が軋む。
鈍い音と共に激痛に襲われた。
双樹は絶叫し、意識を失った。
元の独房に戻された双樹は、床に倒れたままでまぶたを閉じていた。
左の親指が骨折してしまっている。誰が手当てしてくれたのだろう。
親指には木をそえて包帯が巻いてあるが、その白い布はすでに赤く血で染まっている。
呼吸をするたびに、指がひどく痛む。
けれど、三喜夫という少年が感じた痛みや恐怖は、こんなものではなかったはずだ。
流れる涙が床にしみを作り、染みこんでいった。
(罪を償えば許されるなんて、考えが甘すぎたんだ。ぼろ雑巾のように打ち捨てられるのが、きっと似合いなんだ)
窓から見える四角く切り取られた空は、あまりにもきれいで。
暗がりに沈みこむ双樹には、遠すぎる世界だ。
きっともう手を伸ばしても、届きやしない。
「気がつきましたか」
扉の鍵が開く音がして、中に看守が入ってきた。
「あんたは」
「浦といいます。包帯を交換しましょう。そのままにしておくと膿んでしまいます」
浦は、恐る恐る双樹の左右の親指の包帯を外しはじめた。
添え木を外すと、どちらの指も骨が折れているのか妙な曲がり方をしていた。
皮膚も裂けてしまっている。
「うっ。うっぷっ。おえぇ」
突然、浦が口を手で押さえた。
廊下からの明かりで、浦が真っ青な顔をしているのが分かる。
「す、すみません。僕、血とか怪我に弱くて」
「弱いにもほどがあるでしょう」
双樹は呆気にとられて、自分が泣いていることさえ忘れた。
親指をかばいながら、浦の背をさすってやる。
この人、本当に看守なんだろうか。あまりにももやしに似すぎている。
「ありがとうございます。もう平気です」
引きつった顔で言われても、信じられない。
「深町さん、よく我慢しましたね。ん? どうかしましたか?」
「番号じゃないんですね」
「あ、ああ。またやってしまいました。僕、番号で呼ぶのに抵抗があって。よく先輩方に怒られているんです」
浦は肩をすくめた。
頼りなくておどおどしているが、包帯を巻く手際はよい。
「看守さんは、誰にでも優しいんですか? 利用されたり、なめられたりしますよ」
あれ、なんで憎まれ口をきいてるんだ。双樹は苦い味が喉に広がるのを感じた。
本当なら「ありがとう」と伝えるべきなのに。
「ははっ。実際、よく囚人たちに馬鹿にされていますよ。憂さ晴らしにちょうどいいみたいです。でも誰にでもわけへだてなくっていうのは、ないです。やっぱり怖いですし、僕は臆病だから」
「なぜ俺のことを?」
「だって、無茶じゃないですか。誰も深町さんの言い分なんて、聞いていないし。はなから鎌田三喜夫の事件の犯人と決めつけてしまっている。それに鶴原讃央の件は、誘拐といっていいのかどうか……身代金を要求したわけでもなく、深町さんが彼を育てていたのでしょう」
「それは、そうだけど」
いや、打ち解けるな。
どんなに優しく装っても共感してくれても、こいつは看守なんだ。
拷問でも鎌田三喜夫のことを認めなかったから、別の方法で自白させようとしているのかもしれないじゃないか。
親切で気弱な仮面をかぶって、こちらが気を許すのを待っているに違いない。
だまされるもんか。
双樹は指に巻いた白い包帯を、にらみつけた。




