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『へぇ、そうだそうだ。あめちゃんをあげようなぁ。黒あめ、べっこうあめ、金太郎あめ。どれがええかなぁ、教えておくれよ』
『ぼく、べっこうあめ……むぐっ』
このおバカさん。なんでそんな、ほいほいと罠にかかるんだ。
双樹は笹生の口を手でふさいだ。
『早く出てきておくれよ。ほーら、全部あげてもええんだぞぉ』
『全部くれるって言ってるよ』
ふさがれたままの口で、笹生がもごもごと話す。
素直すぎるだろ。どうして簡単に人を信じるんだ。
放っておけないじゃないか。
そもそも笹生を子肝取りに売り飛ばしたのは、そのお兄さまだっていうのに。
(そうだ。この子がいらないんだったら、もらってもいいのかもしれない)
『ほう、そうか。かくれんぼの好きな子かもしれんな。へぇへぇ、子どもが隠れそうなとこといえば、この長椅子の下』
猫背をさらに曲げて、子肝取りはさっきまで双樹たちが座っていた椅子の下をのぞく。
地面に近い距離に頭を寄せたことで、子肝取りの顔がはっきりと見えた。
目と目が合うんじゃないかと、双樹は寒気がした。
『へぇ、おらんなぁ。じゃあ、木の下かもな。どーれ、どれ?』
土をふむ足音が近づいてくる。
双樹は、笹生を強く抱きしめた。
このままじゃ守りきれない。
けれどこの子肝取りさえなんとかすれば、家族ができる。弟ができる。
笹生の耳元で、絶対にしゃべらないことと動かないことをささやく。
『ゆびきりげんまんだ。兄ちゃんが戻るまで、待ってるんだぞ』
双樹が小指を差しだすと、笹生は首をかしげた。
誰でも知っているゆびきりを、どうやら知らないらしい。
子肝取りがいるのと反対側から、双樹は這いだした。
『子どもだったら、ここにいるぞ』
『へぇへぇ、よかった。やっとこさ見つけたぞ』
公園を後にすると、子肝取りも双樹の後を追った。
走りには自信がある。
小学校の学年でも、いつも一番か二番だ。
石畳の道を、街灯の下を選んで走る。
鬼さん、こっちだよと言うように何度もふり返りながら。
少しでも笹生から離れて。
子肝取りが、公園に戻ろうと思わないくらいに遠くまで。
けれどここしばらく食べ物を口にしていない双樹は、よろけた。
たいした距離を走ったわけじゃないのに、体がふらついて息が上がってしまう。
だめだ、こんなところで倒れるわけにはいかない。
まだ公園が近い。流れる汗が目にしみて、ひどく痛い。
なんども膝がかくんとなりながらも、双樹は塀に手をついて足を動かす。
『ありゃりゃ、聞いてたよりずいぶんと図体がでかいわな。足か手が、袋からはみでてしまうかもしれんなぁ。もっと大きい袋を持ってくりゃよかったな。まぁ、いいか。刻んじまえば同じだぁ』
緊張感のないのんびりした声だけに、その内容が恐ろしい。
肩越しに見てみると、子肝取りは麦わら帽子をかぶり、手には袋と包丁を持っている。
怖い。
双樹の歯ががちがちと音を立てる。
でも自分がこいつを引きつけておかないと。
笹生みたいに小さい子は、きっと逃げ切ることができない。
(俺は今日、兄ちゃんになったんだから。泣きごとなんか言っちゃいけない)
石畳の継ぎ目につまさきが引っかかり、顔から道に倒れる。
『いたたっ……』
ぶつけた膝を抱えると、激しい痛みが走った。
ズボンは破れて血がにじんでいる。
立ち上がろうとするが、自分の体重を支えられずに、また座りこんでしまう。
『ほーれ、追いついたーぁ』
うれしそうに子肝取りが袋を広げる。
うす汚れて、すり切れた大きな袋。
きっとこれまでに何人も詰められて、そして殺された。
いやだ。双樹は座ったままで後ずさった。
闇の中で、男の口がまるでスイカの切り口みたいに赤く見えた。
『来るなっ、来るな。だれか、たすけてっ』
必死で手を動かして、男を追い払おうとする。
双樹は地面に落ちている石を拾って、男に向かって投げた。
石は男の顔に命中した。
やった。
双樹の表情がゆるんだが、それは一瞬のことだった。
子肝取りは、へへっと笑うばかりだ。
もうだめだ。双樹はきつくまぶたを閉じた。
『双樹さん』
誰かが呼ぶ声が聞こえたような気がした。
次の瞬間、双樹はずしりとした重さを感じた。
視界は真っ暗、だが何度も押しつぶされるような衝撃を感じる。
そのたびに血のにおいが濃厚になる。
何? どうなってるんだ。
『お前が取り引きしたのは、鶴原の子だろう。この方ではない。間違えるな』
厳しい口調が、双樹の間近で聞こえる。
そして子肝取りが、ずりずりと袋を引きずる音が遠くなっていく。
『大丈夫ですか?』
双樹に覆いかぶさっていたのは、十代半ばくらいの少年だった。
彼は手や腕から血を流している。眼鏡のレンズが割れているが、暗くて顔はよく分からない。
『もしかして守ってくれたの? 僕の代わりに切られたの?』
『気にしなくっていいです。これくらいの傷』
双樹はポケットに手をつっこんだ。
けれど入っていたハンカチは、すでに笹生に渡してしまっている。
助けてくれた少年の血を止めることもできない。
『ごめんなさい、ごめんなさい』
『いいんです。血止めなら、よく効く五条の薬がありますから』
『五条? 父さんがよく買いに行っていたお薬屋さん?』
知ってましたか? と少年が微笑んだように思えた。
すごく痛いはずなのに。
少年は五条蘭花を訪ねてくださいと、住所を教えてくれた。
双樹がしっかりと覚えるまで、何度も道順をくり返した。
なんとか公園に戻った時、くちなしの木の下に笹生がいた。
ちゃんといてくれた。
『えらいぞ、笹生。動かなかったんだな』
『だってゆびきりしたんだもん。ゆびきりって、ぜったいなんだよね』
抱きしめた笹生の体は、びっくりするくらい熱かった。
急がなくちゃ。
双樹はぐったりとした笹生をおぶって、教えられたばかりの長屋を探した。
住む場所と弟と仕事を得て、それからは幸せだった。
「弟といっても、ついこの間まで笹生がどこの子かなんて知らなかった。いや、知りたくなかったんだ。六年間、ずっと鉦と太鼓の音が聞こえるたびに、びくびくしていた。笹生の名前が呼ばれたらどうしよう、本当の家族が笹生を見つけ出したらどうしよう。そればかりが気になっていた」
ぽたりと、床に涙が落ちた。
小さな丸いしみが床にできる。
泣いていると自覚すると、もう涙は止まることがなかった。
あの日、襲ってくる子肝取りからかばってくれたのは、きっと早瀬だ。
彼の手の甲にも指にも、古い傷があった。
それはきっと自分を守って、包丁で切られた痕だ。
血を流しながらも、社長の息子だからと行く末を案じてくれたのに。
生まれ育った家を出ていくことを余儀なくされた双樹に「この家を守る」と言ってくれたのも、きっと彼なのに。
笹生が鶴原の子だと知っていたから、長屋の前に貼り紙をしたのかもしれないのに。
都合の悪いことは、知らぬままに過ごしていた。
情けない。優先されたのは、自分の寂しさが紛れることばかりだ。
「話してくれてありがとう」
静かな声で、桜花は告げる。
「双樹さんは、笹生くんにとっての隠し神なのね。危ないもの、危険なものから子どもの姿を隠してあげた。優しい神さま」
「優しいなんて……血のつながった家族が、笹生にはちゃんといるのに」
「笹生くんが殺されると分かっていて売り飛ばした兄が、笹生くんを笑顔で家に迎え入れるとは思えないわ」
今度はきっぱりとした口調だった。
双樹にまっすぐに向き合う桜花の姿を、冴え冴えとした月の光が照らしている。
「笹生くんは、鶴原の家で笑顔で暮らしているのかしら。もし笑うことすらできずにいるのなら。笹生くんも、今度は自分で居場所を選ぶべきなんじゃないかしら」




