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べからずの薬と隠し神  作者: 絹乃
4 子肝取りと隠し神
15/24

4-4

『へぇ、そうだそうだ。あめちゃんをあげようなぁ。黒あめ、べっこうあめ、金太郎あめ。どれがええかなぁ、教えておくれよ』


『ぼく、べっこうあめ……むぐっ』


 このおバカさん。なんでそんな、ほいほいと罠にかかるんだ。

 双樹は笹生の口を手でふさいだ。


『早く出てきておくれよ。ほーら、全部あげてもええんだぞぉ』


『全部くれるって言ってるよ』


 ふさがれたままの口で、笹生がもごもごと話す。


 素直すぎるだろ。どうして簡単に人を信じるんだ。

 放っておけないじゃないか。

 そもそも笹生を子肝取りに売り飛ばしたのは、そのお兄さまだっていうのに。


(そうだ。この子がいらないんだったら、もらってもいいのかもしれない)


『ほう、そうか。かくれんぼの好きな子かもしれんな。へぇへぇ、子どもが隠れそうなとこといえば、この長椅子の下』


 猫背をさらに曲げて、子肝取りはさっきまで双樹たちが座っていた椅子の下をのぞく。

 地面に近い距離に頭を寄せたことで、子肝取りの顔がはっきりと見えた。


 目と目が合うんじゃないかと、双樹は寒気がした。


『へぇ、おらんなぁ。じゃあ、木の下かもな。どーれ、どれ?』


 土をふむ足音が近づいてくる。


 双樹は、笹生を強く抱きしめた。


 このままじゃ守りきれない。

 けれどこの子肝取りさえなんとかすれば、家族ができる。弟ができる。


 笹生の耳元で、絶対にしゃべらないことと動かないことをささやく。


『ゆびきりげんまんだ。兄ちゃんが戻るまで、待ってるんだぞ』


 双樹が小指を差しだすと、笹生は首をかしげた。

 誰でも知っているゆびきりを、どうやら知らないらしい。


 子肝取りがいるのと反対側から、双樹は這いだした。


『子どもだったら、ここにいるぞ』


『へぇへぇ、よかった。やっとこさ見つけたぞ』


 公園を後にすると、子肝取りも双樹の後を追った。

 走りには自信がある。

 小学校の学年でも、いつも一番か二番だ。


 石畳の道を、街灯の下を選んで走る。

 鬼さん、こっちだよと言うように何度もふり返りながら。


 少しでも笹生から離れて。

 子肝取りが、公園に戻ろうと思わないくらいに遠くまで。


 けれどここしばらく食べ物を口にしていない双樹は、よろけた。

 たいした距離を走ったわけじゃないのに、体がふらついて息が上がってしまう。


 だめだ、こんなところで倒れるわけにはいかない。

 まだ公園が近い。流れる汗が目にしみて、ひどく痛い。


 なんども膝がかくんとなりながらも、双樹は塀に手をついて足を動かす。


『ありゃりゃ、聞いてたよりずいぶんと図体がでかいわな。足か手が、袋からはみでてしまうかもしれんなぁ。もっと大きい袋を持ってくりゃよかったな。まぁ、いいか。刻んじまえば同じだぁ』


 緊張感のないのんびりした声だけに、その内容が恐ろしい。


 肩越しに見てみると、子肝取りは麦わら帽子をかぶり、手には袋と包丁を持っている。


 怖い。


 双樹の歯ががちがちと音を立てる。


 でも自分がこいつを引きつけておかないと。

 笹生みたいに小さい子は、きっと逃げ切ることができない。


(俺は今日、兄ちゃんになったんだから。泣きごとなんか言っちゃいけない)


 石畳の継ぎ目につまさきが引っかかり、顔から道に倒れる。


『いたたっ……』


 ぶつけた膝を抱えると、激しい痛みが走った。

 ズボンは破れて血がにじんでいる。


 立ち上がろうとするが、自分の体重を支えられずに、また座りこんでしまう。


『ほーれ、追いついたーぁ』


 うれしそうに子肝取りが袋を広げる。


 うす汚れて、すり切れた大きな袋。

 きっとこれまでに何人も詰められて、そして殺された。


 いやだ。双樹は座ったままで後ずさった。

 闇の中で、男の口がまるでスイカの切り口みたいに赤く見えた。


『来るなっ、来るな。だれか、たすけてっ』


 必死で手を動かして、男を追い払おうとする。


 双樹は地面に落ちている石を拾って、男に向かって投げた。

 石は男の顔に命中した。


 やった。


 双樹の表情がゆるんだが、それは一瞬のことだった。


 子肝取りは、へへっと笑うばかりだ。


 もうだめだ。双樹はきつくまぶたを閉じた。


『双樹さん』


 誰かが呼ぶ声が聞こえたような気がした。


 次の瞬間、双樹はずしりとした重さを感じた。

 視界は真っ暗、だが何度も押しつぶされるような衝撃を感じる。

 そのたびに血のにおいが濃厚になる。


 何? どうなってるんだ。


『お前が取り引きしたのは、鶴原の子だろう。この方ではない。間違えるな』


 厳しい口調が、双樹の間近で聞こえる。

 そして子肝取りが、ずりずりと袋を引きずる音が遠くなっていく。


『大丈夫ですか?』


 双樹に覆いかぶさっていたのは、十代半ばくらいの少年だった。

 彼は手や腕から血を流している。眼鏡のレンズが割れているが、暗くて顔はよく分からない。


『もしかして守ってくれたの? 僕の代わりに切られたの?』


『気にしなくっていいです。これくらいの傷』


 双樹はポケットに手をつっこんだ。

 けれど入っていたハンカチは、すでに笹生に渡してしまっている。

 助けてくれた少年の血を止めることもできない。


『ごめんなさい、ごめんなさい』


『いいんです。血止めなら、よく効く五条の薬がありますから』


『五条? 父さんがよく買いに行っていたお薬屋さん?』


 知ってましたか? と少年が微笑んだように思えた。


 すごく痛いはずなのに。


 少年は五条蘭花を訪ねてくださいと、住所を教えてくれた。

 双樹がしっかりと覚えるまで、何度も道順をくり返した。


 なんとか公園に戻った時、くちなしの木の下に笹生がいた。

 ちゃんといてくれた。


『えらいぞ、笹生。動かなかったんだな』


『だってゆびきりしたんだもん。ゆびきりって、ぜったいなんだよね』


 抱きしめた笹生の体は、びっくりするくらい熱かった。

 急がなくちゃ。

 双樹はぐったりとした笹生をおぶって、教えられたばかりの長屋を探した。


 住む場所と弟と仕事を得て、それからは幸せだった。





「弟といっても、ついこの間まで笹生がどこの子かなんて知らなかった。いや、知りたくなかったんだ。六年間、ずっと鉦と太鼓の音が聞こえるたびに、びくびくしていた。笹生の名前が呼ばれたらどうしよう、本当の家族が笹生を見つけ出したらどうしよう。そればかりが気になっていた」


 ぽたりと、床に涙が落ちた。

 小さな丸いしみが床にできる。


 泣いていると自覚すると、もう涙は止まることがなかった。


 あの日、襲ってくる子肝取りからかばってくれたのは、きっと早瀬だ。

 彼の手の甲にも指にも、古い傷があった。

 それはきっと自分を守って、包丁で切られた痕だ。


 血を流しながらも、社長の息子だからと行く末を案じてくれたのに。


 生まれ育った家を出ていくことを余儀なくされた双樹に「この家を守る」と言ってくれたのも、きっと彼なのに。


 笹生が鶴原の子だと知っていたから、長屋の前に貼り紙をしたのかもしれないのに。


 都合の悪いことは、知らぬままに過ごしていた。


 情けない。優先されたのは、自分の寂しさが紛れることばかりだ。


「話してくれてありがとう」


 静かな声で、桜花は告げる。


「双樹さんは、笹生くんにとっての隠し神なのね。危ないもの、危険なものから子どもの姿を隠してあげた。優しい神さま」


「優しいなんて……血のつながった家族が、笹生にはちゃんといるのに」


「笹生くんが殺されると分かっていて売り飛ばした兄が、笹生くんを笑顔で家に迎え入れるとは思えないわ」


 今度はきっぱりとした口調だった。


 双樹にまっすぐに向き合う桜花の姿を、冴え冴えとした月の光が照らしている。


「笹生くんは、鶴原の家で笑顔で暮らしているのかしら。もし笑うことすらできずにいるのなら。笹生くんも、今度は自分で居場所を選ぶべきなんじゃないかしら」



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