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べからずの薬と隠し神  作者: 絹乃
4 子肝取りと隠し神
14/24

4-3

 あれは六年前。

 両親が書き置きを残して命を絶ち、双樹が生まれ育った深町の家を追い出された後のことだ。


 行くあても住むところもなく、それでも慣れ親しんだ岡方町おかがたまちを離れることはできなかった。


 なぜなら海に近い浜潟町はまがたまちは、住人のガラが悪く品がなくて、スリや泥棒などの犯罪が多いと聞いていたから。

 それに建っているのは、人が住んでいるとも思えないおんぼろ長屋ばかりだ。


 でも浜潟町に住んでみて分かった。

 豪華な邸に住んでいる岡方町の人の方が、本当は怖いということに。


 岡方町には酔っ払いはいなかった。喧嘩をする大声も聞こえなかった。

 けれど他人をおとしいれて、平然と笑っている人の皮をかぶった化け物はたくさんいた。


 それでも子どもだった双樹は、浜の方へ行くことなど考えもしなかった。

 ただ学校の友達に見つかるのが怖くて、家や通学路から離れた公園を選んで、そこで暮らした。


 膝をぎゅっと抱えて公園の長椅子に座っていると、石でできた座面は硬く冷たくて。もうすぐ夏だというのに、おしりから背中にかけて寒さが這い上がってきた。


 クッションも座布団もなくて、じかに椅子に座るなんてありえない。

 それにもう何日も、お風呂にも入っていない。


 井戸の水で髪や体を洗えば、少しはかゆさやにおいも取れるだろうか。


 そう考えて、ぶんぶんと頭をふる。

 誰かに見つかったらどうするんだ。深町の子が、公園の井戸で行水しているなんてみっともない噂が立ったら大変だ。


『父さん、母さん。どうしたらいいの?』


 ぽつりとつぶやいた言葉は、暮れていく空に吸いこまれていった。


 坂の途中にある公園から見下ろす海や町は、すでに宵の暗さに包まれている。

 家々の窓からもれる明かりが、きゅっと肩を寄せあっているみたいだ。


『おなか、すいたな』


 浜に近い町におりたら、食べるものはあるだろうか。温かな寝台はあるだろうか。


 いや、下の町は恐ろしい場所だと聞いている。

 父さんが浜潟町に薬を買いに行くときだって、母さんは、使用人に任せればいいのにと心配そうにしていたし。


 ――五条蘭花の薬はよく効くからな。症状が快方に向かえば、薬の分量も変わる。

 毎回とは行かずとも、やっぱり自分で足を運ばないとな。


 父さんは、よくそう言って笑っていた。


 お薬屋さんは、父さんがもう死んじゃったことを知ってるのかな。

 もしも知らないで、今も父さんを待ち続けているのかな。


 二度と訪れることのない客のために、今も薬をそろえている五条蘭花という人のことを思うと、双樹は涙が出そうになった。


『あら、こんな時間まで出かけて。もう暗くなりますよ、一緒に帰りましょう』


 母さんっ?


 穏やかそうな女性の声に、双樹は顔を上げた。

 だが母のはずはない。それに双樹に話しかけているのではなく、どうやら娘としゃべっているようだ。


『今日の晩ごはん、なぁに?』


『そうね。鳥の照り焼きを作ったのよ。それとナスときゅうりのお漬物』


『ねぇー、ラムネを買って帰ってもいい? しゅわーっとして、おいしいの』


『いいわよ。じゃあ、ご飯を残さないこと。ゆびきりね』


 仲良くゆびきりをする母と娘の姿が、街灯に照らしだされる。

 まるでそこだけ舞台で照明が当たっているみたいに。


 双樹は観客でしかない。

 家族という楽園に戻ることは、もうできないのだ。


 家には何度か戻ったことがあるけれど、買い手が決まっているらしく、門はかたく閉じられていた。


 塀の外にまで枝を張りだしている木があるから、それをつたって中に入ったこともある。


 二階に駆けあがって自分の部屋をのぞくと、柱には毎年どれだけ背が伸びたかを、母さんが刻んでくれたあとが残っていた。


 たったひと月ほど前、端午の節句につけられた印が最後。

 この先、どんなに身長が伸びても、印をつけてくれる人はいない。


『うっ、うっ。ひっく』


 無人の家に今も残る印は、まるで太古の遺跡だ。


 その時のことを思い出すと、こらえていた涙があふれだした。


 双樹も一人っ子じゃなくなるぞ、家族が増えるんだって父さんは言っていたのに。

 誰一人としていなくなっちゃったじゃないか。


 お兄さんが来るのよ。端午の節句には間に合わないけれど、柱に彼の身長も刻みましょう。楽しみねって母さんもうれしそうにしていたのに。


 ――ぼくは、そうじゅです。いっしょにあそべる日を楽しみにしています。


 手紙だって書いたんだ。

 何度も何度も書きなおして、一番きれいな文字の分を父さんに渡したのに。

 必ず届けておくよって、父さんは笑ってた。


『うそばっかりだ。父さんの大うそつきっ。兄さんどころか、父さんたちもいなくなったじゃないか』


 今からでも帰ってきてくれたら、怒らないでいてあげるのに。

 みんなでラムネを一緒に飲んで……絶対に、絶対にそうするのに。


 手をつないで去っていく親子の背中が、にじんで見える。


『うわぁ、うわあああーん』


 双樹は空を仰いで大声で泣いた。

 誰かが、お腹が空いているの? と尋ねてきた。

 ほどこしなんかいらない、どんなに空腹でも、お情けなんかいらない。


 のら猫に餌をやるみたいに、かわいそうなんて思ってほしくない。

 ずっと一緒にいてくれる人しか、いらないんだ。


 泣きつかれてふらふらになったので、涙を手でぬぐいながら寝床へと戻る。


 公園にたくさん植えられたくちなしの木の下に、双樹はもぐりこんだ。

 下草は柔らかく、葉の生い茂った枝でおおわれているので、犬に襲われることもない。


 咲きみだれる白い花は、甘い香りを放ち、何日も風呂に入ることのできずにいる体のにおいを隠してくれる。

 汚れた髪が、ぺたりと頬にはりつく。

 湿った夜風に、頭上の葉がざわざわと鳴った。


 いやだなぁ、雨が降るのかな。


 葉の茂りが雨を防いでくれるけれど、まったく濡れないわけじゃない。


 双樹は外の様子をうかがおうと、木の下から顔を出した。

 夜の暗さに包まれた公園には、もう誰もいないはずだった。

 なのに長椅子に誰かが座っている。


 まさか、お化け?


 ぎょっとして息が止まりそうになる。

 けれどお化けにしては妙に小さいし、なんだか足をぶらぶらさせている。

 迷子だろうか。


 外へ出てみると、座っていた子どもが、ぴょんと元気よく立ちあがる。

 年齢は、たぶん三歳になるかならないかくらい。

 体の細い男の子だ。


『お兄さまだぁ』


 男の子は、双樹にしがみついてくる。

 どうしよう、困ったな。人違いなのに。


 ふと錆びた鉄のようなにおいが鼻をかすめた。

 奇妙に思って見ると、男の子のまぶたとほっぺたは腫れあがり、唇は切れてしまっている。

 口からきゃしゃなあごにかけて、血が固まっている。


『ころんだのかい? 怪我してるよ』


『ころんでないよー。ぼく、もう家に帰ってもいいの?』


 舌ったらずな口調で、男の子は双樹を見上げてくる。

 その時、初めて脅えたような顔をした。


『ちがう。お兄さまじゃない。ぼく、まだここにいなくちゃいけないんだ』


 ひっくひっくと肩を上下させながら、男の子はしゃくりあげた。

 腫れた顔が痛いのか、しきりに頬を手でこすっては、またその痛みに泣いているようだ。


『ちょっと待ってな。水で傷を冷やそう』


 双樹はシャツのポケットからハンカチを出すと、井戸へと向かった。

 井戸のレバーを、力いっぱい押し下げる。

 体重をかけながら何度もレバーを下げると、冷たい水がほとばしった。


 ぽつぽつと雨が降りはじめ、双樹は男の子の手を引いて、くちなしの木の下へと移動した。


 のどが渇いたと告げるが早いか、男の子は白いハンカチに含まれた水を吸いはじめた。

 水が飲みたいのなら、井戸で飲めばいいのに。


 けれど、あまりにも必死な様子でハンカチを口にくわえるから、双樹は彼の思うようにさせた。


『甘いね』


『ただの水だぞ?』


『お花のにおいがするよ、このお水。とってもおいしいね』


 そういえば体のにおいをごまかそうと、ハンカチと一緒のポケットにクチナシの花を入れていたんだ。


 さっきまで泣いていたのに、男の子はまた笑顔を浮かべる。

 表情のくるくる変わる、愛らしい子だ。


 着ているものも上質のブラウスと短いズボンだし。

 きっといい家の子なんだろう。

 なのに、どうしてこんなひどい怪我を?


『俺は、深町双樹。君の名前は?』


『ささお』


『ささおだけじゃ、どこのささおか分からないよ』


 笹男? 笹夫? うーん笹生かな?

 なんとなく男や夫って漢字がつくほど、たくましそうな子でもないし。やっぱりやせているから、笹なんだろうな。


『笹生は、どうして家に帰っちゃだめなんだい?』


『あのね、公園で待っていたら、お迎えが来るんだって。お兄さまがそう言ってたよ。えっと、なんかね大きな袋をもった人だって』


 笹生は広げた両手を、くちなしの葉の中にずぼっとつっこんだ。


『大きな袋って、三太さんた九郎(くろう)のことかな。教会で見たことがあるんだ。くりすますっていったかな。その時にモミの木をかついで、ロバを連れたおじいさんが大きな袋に入った贈り物をくれるって』


 でも、くりすますって確か十二月じゃなかったっけ。今はまだ六月だ。


『ささおは、その大きな袋に入るんだよって、お兄さまに教えてもらったよ』


 無邪気な言葉に、双樹は顔をこわばらせた。

 ちがう。三太九郎じゃない。


『へぇへぇ、おかしなこともあったもんだ。ここって聞いていたのに、子どもの姿はありゃしねぇ』


 夜の公園に入ってくる猫背の男がいる。

 双樹は笹生を抱えるようにして、さらに木の奥深くに潜った。


『あー、きっとあの人が三太九郎だよ。おーい、ぼくだよー。ここだよー』


『しっ。静かに』


 抜けだそうとする笹生の腕を引っぱり、双樹は口の前で人さし指を立てる。


『へぇ、声が聞こえたぞ。やっぱりおるんかいな』


 よいしょ、と男は袋を取り出した。

 とても大きな、子ども一人くらいは楽に入りそうな布の袋。

 まさか、子肝取りなのか? 双樹のうなじを、冷や汗が流れる。


 子肝取りは、生きた子どもの腹をさばいて肝臓を取り出す。そんな鬼に、笹生は売られたのか。


『おーい、お子さんよぉ。返事をしておくれ。こう暗くっちゃ、あんたの居場所が分からんよぉ』


 妙に間延びした声が、闇の降りた公園に響く。


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