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べからずの薬と隠し神  作者: 絹乃
4 子肝取りと隠し神
13/24

4-2

 がらんとした蘭花の家で、双樹と桜花は座っていた。


 きちんと正座をしている桜花に対し、双樹はあぐらをかいて、時折床を拳で叩きつけている。

 月明かりだけの暗がりに響く、ごんっという音。


 普段の桜花なら、きっと「手を怪我するわ」と止めるはずだろう。

 けれどさすがに今夜は、唇を引き結んで眉間にしわをよせているだけだ。


「桜花さん。もしかして師匠が捕まることを知っていたのか?」


「いいえ。でも姉さんには考えがあると思ったの」


 窓から、ふわふわと小さな光の玉が入ってきた。

 まるで桜花を目指しているかのように、そっと彼女の手にとまる。


「何か、いるわ」


「蛍だ。迷い込んできたんだよ」


「蛍? 光っている?」


「ああ、仲間を呼んでいるんだな。こんな部屋の中、他の蛍はいないのに」


 そういえば蛍祭りでは一匹も蛍を見ないままだったことに、今になって気付いた。


「不思議、熱くないのね。緑の光だから、蛍は燃えないのかしら」


「蛍がどんな風に光るか、桜花さんは知ってるのか?」


 ええ、と桜花はうなずいた。


「私の目が見えなくなったのは、そうね、たぶん笹生くんと同じくらいの年だったわ。だから蛍も見たことがあるのよ。あの頃、姉さんは薬草のほかにも毒草を扱っていたの。今は、そんなことはないけど」


「毒草も、少量なら薬になるから」


 蘭花からもらった『薬草綱目』の後ろの方は、毒草について書かれていた。

 そのさらに後ろには『べからずの薬』がある。


 確か効能もあるかないか定かではない上に、体に悪いとか、問題があるとかで用いるべきではない薬だ。


 水銀と、木乃伊ミイラと。他にもあったような。


「姉さんがいない間に、私は毒草を見ていたの。もちろん、触っちゃいけないって言い聞かされていたわ。でも、禁止されるとよけいに触りたくなったのね。ほんと、ばかな子だった」


 真っ黒な瞳に、月の光が揺らいで映る。


「目がかゆくなったのかもしれないし、眠くなったのかもしれない。私は毒草を触っていた手で、両目をこすってしまったの」


 桜花の言葉に、双樹は息を飲んだ。

 ごくりというのどの音が、蛍の羽音さえも聞こえそうな静かな夜に響いたように思えた。


「だから笹生が薬の袋に触れようとした時に、あんなにもあせっていたのか」


 こくりと桜花はうなずいた。


「失明したのは、私のせいよ。けれど姉さんは自分をひどく責めていたわ。自分は親代わりなのにって。それ以来、必死でお金を貯めてこの長屋を買い取って、空いた部屋には薬草をしまっているの」


 蘭花は常に、薬草部屋の戸じまりを気にかけていた。

 桜花も、笹生が薬草部屋に近づかぬように気をつけていたと、笹生から聞いたことがある。


 おそらくは双樹が弟子に入ることを頼みこまなければ、誰もこの長屋に住まわせるつもりはなかったのだろう。


 妹のような子を、二度と出さぬために。


「姉さんには幸せになってほしい。でも、姉さんは私の幸せしか願わないの。お金もうけだって私のため。すごくいい着物を着せてくれているのは、絹の手触りで分かるわ。琵琶のお師匠さんにも習いに行かせてもらっている。弾き語りの仕事が途切れぬように、姉さんは力を尽くしてくれているの。でも私は、姉さんの重荷になりたくない」


 桜花の声が、か細くなっていく。


 ふわりと飛んだ蛍は窓から出ていった。

 どこへでも飛んでいける蛍の方が、桜花よりもよほど自由なのかもしれない。


「それでも師匠にとっては、桜花さんを守ることが一番の幸福なんだと思う。桜花さんがいるからこそ、がんばれるんだよ」


 床を叩いて赤くなった手を、双樹は見つめた。

 なぜか今ごろになって、笹生を庇って小刀で怪我をした傷がじんじんと痛みだした気がした。


 兄だから、弟を守るのは当たり前。

 でも、それは蘭花が桜花を守るのとは、必ずしも同じではない。


「俺……」


 双樹は顔を上げて口を開いた。

 けれど迷った末に、唇を閉ざしてしまう。


「俺は。俺と笹生は……」


 ばくんばくんと心臓が、太鼓みたいに速くて大きな音を立てる。

 うなじを、冷たい汗が伝う。

 いつのまにかあぐらではなく、双樹は正座をしていた。


 太ももの上で握りしめた左右のそれぞれのてのひらが、じっとりと汗ばんでいる。


「慌てなくていいの。大事なことなのね」


「とても大事なことだ。笹生は……その、あいつは、本当の弟じゃない」


 桜花はうなずいた。祭りでのやりとりから、深町笹生が、本当は鶴原讃央であると察していたのだろう。

 けれど聞いてほしいのは、そこじゃない。


 つばを飲み込もうとするが、双樹の口は緊張でからからに渇いてしまっていた。


 震える膝をなんとか手で押さえるが、その手すらも小刻みに震えてやまない。


「俺は笹生を誘拐したんだ。身代金とか……そういうのとは違う。ただ寂しくて。誰かに、そばにいてほしかった」


 ぽつぽつと途切れながらも、双樹は話しはじめた。



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