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べからずの薬と隠し神  作者: 絹乃
1  薬師の弟子兄弟
1/24

1-1

  ああ、嫌な音だ。


  深町(ふかまち)双樹(そうじゅ)は眉をしかめ、耳を手でふさいだ。


 カンカンカン、と甲高い音を響かせて、初夏の夕暮れにかねが鳴る。鉦に重なるのは太鼓の音。

 また一人、子どもが消えた。


 背負子しょいこを石橋に置き、十五歳の双樹は大騒ぎする大人達を見すえた。


(お願いです。どうか……どうか。笹生(ささお)の名が呼ばれませんように。俺からあの子を奪わないで)


 鉦と太鼓の音は、いなくなった子を呼び戻すための手段だ。かつて子どもが行方不明になれば、神隠しにあったとされた。


 お江戸の時代は遠くなり、明治も二十年以上経った今では、行方知れずは人間による子さらいだと明らかになっている。


 それでも神に呼びかける風習は今も残っている。


「神さま、どうぞ三喜夫(みきお)をお返しください。後生ですから」

「三喜夫坊ちゃまー。」


 ちがう。笹生じゃない。


 ほっと息をついたとたん、双樹は地面に座りこんだ。切れ長の一重まぶたの目を閉じて、鉦の音が遠ざかるのを待つ。


 西の空にはまだ明るさが残っているのに、石造りの洋館やビルが並ぶ街は闇に沈んでいる。

 ガス灯の明かりがともされ、ぼんやりとした光が、暗い川面にゆらゆらと映っている。水のにおいのする湿った風が、双樹の短い髪をなでた。


「そうだ。笹生が待ってるんだ」


 朝より軽くなった背負子をかついで双樹は立ち上がった。

着物の裾をはしょって帯にはさみ、足には膝までの脚絆をはいている。すらりとした足を速め、家へと向かう。


 今日は薬が売れたんだ。夕飯は何にしよう。



 坂を下りると石畳の道は終わり、双樹が暮らす浜潟町(はまがたまち)の手前でぬかるんだ土の道へと変わる。

海に近い浜潟町は、吹く風に海藻のにおいが混じっている。


 屋台で買ったこんにゃくの田楽と、塩焼きの魚が包まれた経木を抱え、双樹の足はますます速くなる。

 ふくらんだ着物の袂を体に近づけぬよう、気をつけながら。



「あー、兄ちゃんだ。おかえりー」


 笹生が竹馬から降り、着物の袖を揺らしながら大きく手をふる。

 洋館が立ち並ぶ街とは違い、この辺りは木造の長屋が連なっている。


「こら、笹生。また神隠しがあったんだぞ。暗くなってから、外に出ちゃだめだろ」


「えー、心配しすぎだよー。ぼくだってもう九歳になったんだよ。兄ちゃんみたいに薬を売りに行きたいよぉ」


「まだ九歳だ」


 ふん、と双樹は胸を張る。自分自身が九歳の頃には、簡単な薬草の本を読んで勉強していたことは内緒だ。


「あー、魚のにおいがする」


「当たり。それから田楽と、あとはおまけでこれ」


 双樹は袂から冷たい瓶をとりだした。それを笹生の頬にぴたりとくっつける。


「うわぁ、ラムネだ。これ、ぼくの? 飲んでもいいの?」


「もちろんだ。いい子で留守番していたからな」


「やったぁ、ありがとう」


 黒目がちの大きな瞳を輝かせ、笹生は何度も跳びはねる。


 ああ、もう。今にも草履が脱げそうじゃないか。


「こら、待てって。しばらく置いておかないと、泡がふきだすぞ」


「う、うん。中身がへったら、もったいないよね」


 笹生はもぞもぞしながら待っているが、もし尻尾があるなら盛大にふっていることだろう。


(なんか、餌を前にした子犬みたいだよな)


 くっくっと、双樹は肩を揺らした。


「あれ? なんだか懐かしい匂いがするね」


 笹生は香りの出どころを見つけようと、顔をめぐらせる。

双樹は鼻をくんと動かした。どこかの家から漂ってくる味噌汁のにおいに、どぶ川のすえたような臭さ。あとは背負子の中の薬くらいしか分からない。


「あ、見つけた。あそこだ」


 反対側の道のわきに生えている、濃い緑の茂みに笹生は突進する。


「こら、走ったら危ないぞ。馬車にはねられたら、どうするんだ」


「へいき、へいきー。どうせ通らないもん」


 そりゃそうだけど。

 こんな貧乏長屋を上流の人々の乗り物が訪れるはずもない。


 丈の低い木は、仄白い花をつけていた。暗がりで、まるで明かりを点したかのようにぼうっと見える。

鼻にまとわりつく甘ったるさに、双樹の足が凍りつく。


「兄ちゃん。いい匂いだね」


 しまった。今年はつぼみを落とすのを忘れていた。


「これ、何て花かなぁ」


「名前は知らないな」


 うそだ。くちなしの実は熱を下げ、炎症をおさえる薬だ。薬師の弟子が、その花を知らないはずがない。


 けれど薬の知識のない笹生は、ふぅんと言うだけで白い花びらに鼻を寄せている。


「ほら、飯が冷めるぞ。早く家に入ろう」


「えー、もうちょっと」


「ラムネがぬるくなってもいいのか?」


 切り札の名を出すと、笹生はくちなしの木に背を向けた。

双樹がほっとしたのもつかの間、笹生はふりむいて白い花を一輪つむ。


「だめだ。花を持って帰っちゃ」


 思わず大きな声で叫んでしまった。笹生がびくっと肩をすくませる。


「えーと、その花は家に飾ったら火事になるんだ」


「……そうなの?」


 火事を招くのは別の花だが。そんな事実は、どうでもいい。



「長屋で火が回ったら大変だろ」


「えー、でも他の長屋は人がいっぱい住んでるけど。うちの長屋は空き家ばっかりじゃないか」


「それでも住む所がなくなったら困るし。近所の長屋に火が燃え移ったらどうするんだ。さぁ戻るぞ」


 双樹は弟の細い手首をつかんで、足早に道を渡った。草履の下で、ぬかるんだ土がべしゃっと音を立てる。


「でも。ぼく、この花の匂いがする飲み物を飲んだことがあるよ。兄ちゃんが買ってくれたのかなぁ」


「俺は覚えていない。笹生、男のくせして、花にこだわるなんておかしいぞ」


「兄ちゃん、どうしちゃったの。いたっ」


 双樹が指に力を加えたせいで、笹生が手を離そうとする。


「一人で歩けるから、いいよ」


「無理だ。転んで着物を泥で汚したら、どうするんだ」


 頭の奥がかっとする。


 ずんずんと道を渡る双樹は、後ろで笹生が口を尖らせていることには気づかなかった。


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