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失われた14年間

作者: うちかま[S]

 日々、世の中で起こった事故や凶悪事件などを我々に伝える新聞の社会面。 時に、警察ですら知らなかった真実を報じ、世間に衝撃を与えることもある。


 長年、大手新聞社の社会部記者として数々のスクープ記事をものにしてきた、井上安正さん。 そんな井上さんにとって、今も決して忘れる事ができない、ある事件があった。 大手新聞社の元敏腕記者が忘れることができない事件とは、一体どんな事件なのか?


 発端は今から43年前に遡る。 当時、某新聞社の東北支社で記者をしていた井上さんの元に、安田正(仮名)という見知らぬ男が訪ねてきたのだ。 安田はある事件について話をしに来たという。


 それは、さらに遡ること22年前の1949年、青森県弘前市。 地元の旧家・高山邸(仮名)の離れに間借りしていた、大学教授・三浦氏宅(仮名)で事件は起きた。 時刻は深夜11時過ぎ。 屋敷に何者かが侵入し、寝ていた三浦教授の妻・あき子の喉元を刺して逃走。


 事件当夜、弘前大学に勤める夫は出張のため外出中で、あき子の母が群馬から訪れていた。 娘と孫の3人で川の字になって寝ている所を襲われたのだ。 あき子は頸動脈を切られており、即死状態だった。


 閑静な田舎町で起きた凄惨な殺人事件。 住民達の不安を一刻も早く収めようと、弘前市警による懸命な捜査が開始された。


 事件から1週間後、23歳の学生が逮捕されたが・・その後、アリバイが成立して釈放となった。

犯行現場周辺には転々と血痕が残っていたのだが、結局、有力な手がかりはつかめず、新聞などのマスコミ各社も「迷宮入りか?」と書き立てた。


 そんな時、刑事たちの行き先々に現れ、捜査状況について聞き回っている男がいた。

男の名は那須隆(仮名・25歳)

事件現場の近所に住む無職の男だった。



 さらに、那須は自分が調べた結果を見て欲しいと、資料をまとめて捜査本部まで持って来たのだ。

その時、捜査課長が那須に事件当夜、何をしていたのかと質問した。 那須は「向かいの家で将棋を指していた」と証言した。

刑事たちは念のため、このアリバイを確認するとことにした。 だが・・・向かいの家の住民の証言では、その日、那須は家に来ていないというのだ!

 捜査本部はにわかに色めき立った。 警察は那須隆を事件の最重要人物としてマーク。 彼の友人・知人などから身辺を徹底的に洗い出すことにした。


 だがもちろん、アリバイ証言が偽りだったというだけでは逮捕はできない。 犯行の決め手となる物的証拠が必要だった。 すると・・・刑事は那須が友人宅に置いていったという白いズックシューズに赤黒いシミを発見。

鑑識の結果、それが人間の血痕であると分かったというのである!!

 こうして警察は那須隆の身柄を拘束。 すると・・・那須は証言を変え、事件当夜は家にいたと言い出したのだ。 しかし、家族の証言は信憑性に欠ける。

結局、那須の証言はその後も、映画に行っていた、公園にいたなど二転三転。 しかも、それらの言葉を証明する物は最後まで何も出てこなかった。


 そして、その後 行なわれた家宅捜索によって、ついに動かぬ証拠が発見されたのである。 それは、逮捕当日に那須が着ていた白いシャツ。

実は、逮捕のきっかけとなった白い靴から検出された血痕は微量で、その血液成分までは分からなかった。


だが、このシャツにはハッキリと血の様なシミが付着していたという。

 そして専門家の分析の結果・・・そのシミからは那須隆のものではなく、殺されたあき子さんと同じ血液の成分が検出されたというのだ。


それは紛れもなく、科学的に証明された物的証拠であった。 その後の裁判でも結局、この血痕鑑定が決め手となり、那須隆には懲役15年の判決がくだされた。 当初犯行を否認していた那須も、有罪判決を受けたあと、自ら犯行を認めた。


那須隆の逮捕によって、とうの昔に解決したはずの殺人事件。 その22年後・・・

新聞社に現れた謎の男によって、事件は再び大きく動き出すことになる。

 那須隆はずっと犯行を否認していたが、10年前に罪を認めてその2年後に出所しているという。

しかし、那須隆が犯人でないのなら、なぜ罪を認めたのだろうか?


 それは、安田が井上記者の元を訪れる数日前のことだった。 安田は那須隆さんの家を訪ねていた。

その家はなぜか表札がなく、まるで人目を避けているかのようにひっそりと建っていた。


 事件のことについて話したいという安田を、那須さんは「何も話すことはない」と、追い返そうした。

安田は那須さんに「あなたが何もやっていないことを知っているんです。」と言ったのだ。

そして、那須さん本人から事件の詳細を聞いた。


それは、あの事件が起きた翌日のこと。

警察が駆けつけた時、犯人はすでに逃走、まだその目星さえ全くついていないということだった。

この時、那須さんは自分が先に犯人を見つけようと、独自に捜査活動することを思いついた。

 彼のこの行動には理由があった。


平安時代、源氏と平氏の闘いにおいて、平氏の船上に立たされて揺れ動く扇を射抜いたことで有名な那須与一。 実は彼はこの那須与一 直系の子孫で、那須家36代目当主に当たる人物だった。

地元の名門中学を卒業後、警察が持つ電話回線の点検・保守を請け負う仕事をしていたが、4年前の敗戦でその組織自体が解体となり、職を失っていた。


 那須さんは、国のために奉仕できる公務員になりたいと考えていた。 しかし、当時はまだ戦後の混乱で募集などほとんどなかった。 そこで、手柄を立てれば採用してもらえるのでないかと考えたのだという。


 那須さんは、あの事件で自分は警察に嵌められたのではないかと考えていた。

那須さんがそう思うのも無理はない。

22年前、日本中を揺るがせた弘前事件、

それは不運の連鎖によって引き起こされた悪夢の様な冤罪事件だったのである!


 事件発生直後、警察は誤った人物を逮捕した一件で、世間からの批判にさらされ、メンツは丸つぶれ寸前だった。 ちょうどそんな時、偶然 彼らに近づいてしまったのが、那須さんだったのだ。


 事件当日のアリバイも、最初 本当に記憶違いで間違ってしまっただけだったのだ。

那須さんは、自分が疑われるなどとは夢にも思っていなかったため、動転してしまい、焦って別の日にしていた行動を口にしてしまったのだという。

その後、自宅にいたことを思い出すのだが・・・警察はその証言を全く相手にしなかった。

だがもちろん、那須さん逮捕の理由はそれだけではない。


 実は科学的に立証されたと思われた証拠にも、多くの疑問点が存在した。

まず 逮捕のきっかけとなった、

靴についていたという血痕。

不可解なことに、血痕があったという鑑定書は裁判に提出されなかった。


靴に本当にシミがついていたのか疑問が残る。

 そしてもうひとつ、那須さんが逮捕当日に着ていた、被害者の返り血がついていたというシャツ。

確かにシャツにはシミが残されていた。 だが、この鑑定結果にも疑問が残されている。


 まず、那須さんが逮捕されたのは、事件から16日後。 もし彼が犯人であるならば、

その間、血の付いたシャツを一度も洗うことなく、自宅にかけていることなどあり得るだろうか?


 実は シャツを鑑定した医師の中には、あのシミを血痕と断定できず、

判別不可能という結果を出した者も複数いた。

しかし、当時の警察や検察は、納得のいかない鑑定結果が出ると別の医師を雇い、「被害者の血痕反応あり」という結果が出るまで、再鑑定を繰り返していたのである。


 そもそもこの時代、科学捜査は始まったばかり。

鑑定技術も確立されていたわけではない。

だが裁判所は、鑑定結果を最新の技術によって裏付けられたものと位置づけ、那須さんの証言より重要な証拠として採用した。 そして、控訴上告するも事件から4年後、最高裁で懲役15年の有罪判決が確定した。


 逮捕以降、一家は殺人犯の家族という目で見られ、兄弟の中には8回も職を変えざるをえなかった者もいた。

だが・・・息子の無実を証明するには、裁判のやり直しを求めるしかない。 多額の弁護士費用を捻出するため、家族は平安時代から伝わる家宝まで売りに出した。

どんなに蔑まされても、貧しくても、家族は那須隆さんの無実を信じていた。 あの事件と闘っていたのは那須さん本人だけではなかった。


 しかし、事件から12年後のこと。

まだ18歳だった弟が突然 心臓マヒに襲われ、そのまま帰らぬ人になったのだ。 高齢の両親を支え、一家の大黒柱として働いてくれていた弟の死は、隆さんの心を大きく揺さぶった。



 罪を認め、反省の意を示せば、仮出所までの期間がわずかでも短縮される。

これ以上家族に迷惑をかけたくない。

その想いは、那須さんに苦渋の選択をさせた。


 1963年1月、自ら罪を認めたことで刑期が1年短縮された那須さんは、この日、14年ぶりに外の空気を吸った。

25歳の時に逮捕された彼は、39歳になっていた。

これが・・・

那須隆さんの身の上に起こった弘前事件の真実だった。



 安田は弘前事件の真犯人を知っているという。

安田は真犯人・須藤勲の友人で、彼に代わって那須さんを訪ねて来たというのだ。


 実は半年前、安田正は宮城刑務所に収監されていた。

安田は地元仙台で名の知れた不良ではあったのだが、曲がったことが嫌いで、何より大変世話好き。

実はこの時も、友人をかばって自分が刑務所に入っていたという変わり者だった。



 そしてこの頃、塀の外で日本中を騒然とさせたある事件が起こる。

当時 人気作家だった三島由紀夫が、陸上自衛隊の総監室に立てこもり「自衛隊を否定する憲法の改正に決起せよ」と、自衛隊員たちに訴えたのだ。 だが結局、三島は目的を果たせず、割腹自殺をした。


 当然その行為には、多くの批判があったのだが・・

この時、安田の入っていた刑務所の中に罪の意識に苛まれていた男がいた。

命をかけて自らの正義を貫いた三島に比べ、欲望に負け、身勝手な犯罪を犯し、自らをごまかし続ける自分。 この男こそ、22年前のあの日、隆さんの近所に住んでいた須藤勲(仮名)だった!!



 事件が起こった当時、須藤は父親が営むミシン工場の修理工として働いていた。

得意先に地元の名士・高山家があり、殺された三浦教授一家はその離れを間借りしていた。

須藤は、高山家の娘に惹かれていた。 そして・・・あの夜、想いが押さえられなくなった須藤は、彼女の屋敷に忍び込んだ。


 だが暗闇のため、彼女の部屋がどこか分からない。

しかたなく帰ろうとした時、

偶然目に入ったのが離れで寝ていた三浦教授の妻・あき子だった。


 その日、あき子は母親と子供の3人で川の字になって寝ていたのだが、

この時、須藤の位置からはあき子1人しか見えなかった。 少し触るだけ・・・軽い気持ちだった。

だが、あき子が気配を感じて目を覚ましてしまった!! 気づいた時には、護身用に持っていたナイフを喉元に突き刺していた!


 隣で寝ていた母親も、暗がりのため慌てて逃げる須藤の顔を見ていなかった。

そして後日、須藤は知人に頼み込み、事件当日のアリバイを証言してもらい、早々に警察の容疑者リストから外れることにも成功した。

だが、自ら狂わせた人生の歯車は元には戻らず、その後も犯罪を繰り返し、結局 人生の大半を刑務所で過ごすような人生を送っていたのだ。


 須藤は刑務所で安田に自らの罪を告白し、安田に相談した。

安田は「過去は消せないが、罪を被った人の未来なら救えるかもしれない」と、協力を申し出たのだ。


そのため、まだ刑務所内にいる須藤に代わり、那須隆さんを訪ねて来たのだ。


 その後 2人は、知人の弁護士に須藤を紹介し、さっそく再審を請求する準備に取りかかった。

さらに、再審請求実現のためには、世論の後押しが必要と判断し、この数日後、安田は井上記者の元を訪ねたのだった。


 事件から22年後、その事実は井上記者によって独占スクープとして発表され、世間を騒然とさせた。

そして・・・

6年後の1977年2月16日。 謂れのない罪で捉えられ、14年間の服役生活を送った那須隆さんに、再審無罪の判決がくだった。


 そして無罪確定のこの日。

人目を避けるため事件から28年間、ずっと外されていた

「那須」の表札が再び玄関にかけられたのである。


新聞記者として今回の件を世間に報じた、井上安正さん。


井上さんは、その一連のスクープ記事に関して、1977年、新聞記事における最高の名誉である菊池寛賞を受賞。

現在は作家として活動し、3年前には弘前事件を扱った著書も出版した。



那須さんの冤罪を晴らすきっかけを作った、安田正さん。 安田さんはその後、群馬県に研究所を構え、環境・省エネ関係の特許を200以上も取得。

華々しい活躍をしたのち、5年前、惜しまれつつ亡くなった


 そして・・・

事件の当事者である那須隆さんも、その前年である2008年1月、家族に看取られながらこの世を去った。

那須さんは 息をひきとる際、「自分の死を誰にも知らせてはならない」と、家族に語っていたという。


それは、家族があの忌まわしい事件のことで、再び世間の目にさらされることを心配してのことだった。

その意志を守るため、今回、ご家族に取材することは叶わなかったが、同じ様な悲劇が起こらない教訓として取り上げてくれるならと、特別に放送を了承していただいた。


 現代の捜査においても、科学的物証は犯人特定の重要な決め手とされている。


だが、そこに全ての真実があるとは限らないのである。



この作品は、二次制作です。

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