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合わせ鏡の姫

作者: kanatarou0110

広くて深い海の底に、貝殻とサンゴで囲まれたお城がありました。サンゴと貝殻の中には、海の王様と、王妃様、6人の人魚姫たちが魚たちと身を寄せ合って暮らしていました。人魚姫たちはみな、美しく優しい性格でしたが、中でも末っ子の姫はとりわけ美しくて魅力的でした。遠くからでも目立つピンク色の肌に、艶のあるブロンドは、人魚姫の中でも群を抜いていました。広い場所を移動して回る回遊魚たちは、様々な場所を見てきているので目も口も肥えていましたが、みな「末っ子の人魚姫様はどこへ行っても通用するほど美しい」と言うのでした。

人魚姫は15歳になると陸地へ上がり、未知なる世界を見ることが許されます。陸地で出会う生き物はみな、姫様の虜になってしまうに違いないと魚たちは経験則から語るのでした。

年のさほど離れていない姉姫たちは、妹姫の美しさは内心認めてはいましたが、美貌のいいとこ取りをされたことは面白くありません。表だって意地悪をすることはありませんでしたが、15歳を迎える前の姫に口々に「陸地よりも、ここが一番安全で快適だから行かない方がいいと思うわ」と忠告めいた仮説を言ったり、「1回行ってみて、陸地の厳しさを知ってみるのも勉強になると思うわ」と助言めいた冷淡さをぶつけたりしました。

末の人魚姫は、自分の美しさに気づいてはいましたが、そんなことよりももっと大切なことがあると思っていました。未知なるものへの出会いに期待する、好奇心の強い性格だったのです。 同時に、自分の状況を的確に判断し、行動するかを考えることができる聡明な性格でもありました。そのため、姉姫たちの言葉尻に棘があることも気づいていましたし、行かせまいとする意図があることにも気づいていました。正確な意図はわからなくても、姉姫たちの考えを懸命にくみ取り、「1度行ってみて、ちょっとだけ冒険してみるわ」と思いを告げるに留めておきました。ただ、未知なるものへの憧れは15歳の誕生日が近づけば近づくほど、どんどん膨らんでいったのです。

人魚姫が陸地への憧れを強く持つことには理由がありました。それは、小さなころ海の上から降って来た鏡だったのです。上から螺旋を巻いて降りてきた鏡には、繊細な花びらの彫刻が施され、鏡の周りには色とりどりの宝石が散りばめられていました。人魚姫も鏡は持っていましたが、装飾品と言えばサンゴに桜貝で、それも十分綺麗でしたが、サンゴや桜貝は身の回りにありふれていましたし、身ぎれいにするためには、特別感のあるちょっと洗練されたものを持ちたいと思っていました。身支度をしている人魚姫の姿を、小さな魚や蟹達は美しいと褒めてくれましたし、それに何より、人魚姫は舞い降りた鏡を使って自分の姿を映すと、自分がより美しくなって、より良い1日のスタートが切れるような気がするのでした。

太陽が海に綺麗な金色の筋を何度かつけると、美しい人魚姫の15歳の誕生日がやってきました。両親からもらった真珠の首飾りと、宝物にしている鏡で美しさはますます輝きを増していましたが、陸地に行けるという高揚感が人魚姫をますます輝かせていました。

5人の姉姫たちは、口々にお祝いの言葉をかけました。人魚姫もお礼を言いました。1番上の姉姫は人魚姫の前に立ち、若くて幼い姫を抱きしめました。

「陸は広いようで狭いから、探検が済んだら戻ってらっしゃいね。みんな待ってるわ」

 少し陸地に上がるだけ、と人魚姫は思っていたのですが、生まれた時からそばにいた姉姫の胸の温もりに少しだけ涙が出ました。

人魚姫は「はい」とだけ胸の中で答えました。

 人魚姫は期待に胸を膨らませ、地上へと旅立っていきます。先ほどの涙のことは忘れてしまっています。両親の心配そうな顔が不思議でなりません。尾びれを上下に揺らして海上へと昇っていきます。しばらく泳ぐとイルカたちが姫に祝いの言葉をかけるために近づいてきました。

「おめでとう、小さな人魚姫」

「おめでとうございます」

「ありがとう」

 海の中で目いっぱい愛されて育った人魚姫は、にっこりと笑顔を見せました。イルカたちはその笑顔が大好きなのです。

「イルカさんたち、やっと堂々と陸地を探検できる歳になったわ。泳ぐのが大変だから、海の上まで連れて行って」

「承知しました」

 2頭のイルカの背びれを捕まえて、人魚姫はぐんぐん上へ昇ってゆきます。上がれば上がるほど、太陽の光が近づいているのが感じられ、姫の目の前は宝物の鏡のように輝くのでした。水面の少し下まで来ると、イルカは背びれ越しの姫に話しかけました。

「ここから先が海の上です。尾びれを乾かすと、地上を歩くこともできます。人間と触れ合いを持つこともできます。ただ、時間が経つと呼吸が苦しくなってしまうのであまり長居はしませぬように。残念ながら、人魚は半分魚なので完全に陸地で生活することは難しいのです」

「わかったわ」

人魚姫はアドバイスを頭に叩き込みました。どこかで聞きかじってきた知識を、正確に伝えてくれるイルカは本当に賢くて頼りになります。人間の子どもと同じくらいの知能を持つといいます。半分人間で、子どもから脱却しようとしている15歳の私とどちらが賢いだろうか、と人魚姫は思いました。

 イルカたちと抱擁を交わし、地上へそっと顔を出しました。今まで浴びたことのない、強い光が顔に降り注いできました。真夏の太陽の日差しです。驚いた人魚姫は水面に顔をつけました。明るい、明るすぎる光が海に降り注いでいます。もう1度顔を出すと、ギラギラとした太陽が待っていました。直視しないように周りを見渡すと、人魚姫から少し離れた場所に、舟が浮かんでいました。舟の中では人魚姫より少し年上の少年と、同い年くらいの少女がいました。舟の中ではパーティが繰り広げられているようで、少年も少女も正装していました。燕尾服もドレスも人魚姫は見たことがなかったのですが、着飾るといえばサンゴの髪飾りぐらいだし、上半身を貝殻で包んだだけの質素な姿が恥ずかしくなりました。

 同世代の男の子に出会ったのは初めてで、人魚姫の胸は少し高鳴りましたが、隣にいる女の子を見て驚きました。女の子の顔が、人魚姫にそっくりだったのです。

 人魚姫そっくりの女の子は、男の子とずいぶん親しいようでした。気づかれないようにそっと近づいてみます。甘い、砂糖菓子のような声が聞こえてきます。口に入れるととろけるような、かわいらしい声です。

「夜が楽しみだね」

「予定では40人くらい集まるみたいだけど、何人ぐらい来てくれるんだろう」

 舟の手すりにもたれ掛かり、女の子は太陽の光を躊躇なく顔に浴びました。ネックレスが太陽の光と同じように、きらりと光るのが見えました。

「そのネックレス、似合ってるよ。あげてよかった」

「ありがとう。今日初めて付けたけど、チェーンが細くて切れそう」

「引っ張らないように大切にしてね」

2人は人魚姫に気づく様子などあるはずもなく、甘やかな雰囲気を漂わせながら、人魚姫から遠ざかっていくのでした。

 人間は年齢や、容姿など、自分と似ているものを比べて優越感や劣等感に浸ってしまう生き物ですが、そのときの人魚姫もそうでした。女の子の顔立ちは人魚姫と本当に瓜二つでした。ドレスは秋の空を映したような綺麗な水色で、太陽と同じような色をしたハート柄のネックレスが太陽に反射してキラキラと光っているのでした。サンゴや色付きの貝殻の美しさは十分知っていましたが、自分と同じような顔立ちをした女の子が身に着けているものはすべてが丁寧に作られ、手入れをされた装飾品ばかりでした。人魚姫はそっと、大切に持っていた鏡を見つめました。するとどうでしょう。綺麗だと信じていた鏡は、明るい太陽の光にかざして見ると海水に長く浸かっていたためさび付いていましたし、周りを飾っていた宝石もところどころ取れていました。

 不意に、人魚姫は自分がすごく惨めな気持ちになりました。それは、海の王の末娘として目いっぱい愛されている彼女にとって、初めて生まれ出た感情でした。自分と同じような年齢で、同じような顔立ちで、同じような身体つきをした女の子が、自分よりも遥かに輝いた贈り物を恋人のような男の子から貰っています。それに引き換え、人魚姫が持っているのは誰かから貰ったわけでもない、小さなさび付いた鏡だけです。人魚姫はなぜだか急に恥ずかしくなりました。

 15歳の人魚姫の身体は勝手に浜辺へと動いていきます。2人の姿はもう見えませんでしたが、動かずにはいられませんでした。人魚姫は海から全身を出し、尾びれを乾かしました。しばらくすると尾びれからむくむくと脚が2本出、黄色いドレスと水色の靴が出てきました。

 普通の少女の風貌になった人魚姫は、こわごわと立ち上がります。生まれたての小鹿のようにおぼつかない足取りをしながらも、一歩一歩浜辺を歩いていきます。歩くと脚が重く、泳ぐよりも身体が重いと感じました。

 初めて歩く人魚姫が目指すのは、先ほど出会った男の子と女の子です。おぼつかない足取りで、2人を探しますが、浜辺を歩くばかりで、誰にも出会いません。砂漠を歩いているかのようでした。息も苦しくなり、脚は痛み、水色の靴から血が噴き出してきました。歩くことにも限界のようです。

 人魚姫は海に潜り、海の底へと還っていきました。大切なことを確かめるために、身体は止まらずに動いていきます。右手には大切にしていた鏡がいつもと同じように光っていました。

「お帰りなさい、早かったわね」

 王妃様がいつものように出迎えてくれます。すぐ上の姉姫と3番目の姉姫がしゃこ貝のベッドに身体を横たえているのが見えました。

「ただいま」

 人魚姫も挨拶を返します。可愛がっているイソギンチャクが姫にすり寄って来ました。いつものように5つの星を撫で、ゆっくりと指で引きはがします。イソギンチャクは幸せそうにふわふわと海に浮かぶのを、人魚姫は悲しい目で見つめてしまいます。

「お父様はまだ公務中よね?」

 人魚の王は、海を統治する役割を担っています。深い海の底が静謐で一定の秩序が保たれているのは王様のおかげなのでした。

「もちろん。どうしたの?いつもは目にもくれずにそこら辺を泳いでたのに」

 のんびりとした口調で、王妃様は人魚姫に言いました。7人の姫たちが多少女性特有のひがみっぽさを持ってはいても、基本的に明るくて善人なのはこの母親の人柄のおかげなのです。

「ちょっと聞きたいことがあって」

「そうなの?帰る早々慌ただしいのね」

「ねえ、母様にも聞いてみたいんだけど、私って双子とかじゃないよね?」

 冗談めいて軽く聞いたのですが、王妃様は少し固まったように見えました。

「どうしたの母様」

 いつも明るい王妃様ですが、神妙な顔つきで人魚姫を見つめました。

「それはお父様に聞いてみなさい」

「わかったわ」

 人魚姫は真面目な顔で頷きました。王妃様が悲しそうな顔をする理由が、人魚姫には理解できませんでした。


 海の底では太陽の光が注がないため、昼と夜の境目がありません。境目は、海の王が公務を終えて帰宅した時です。海の王が帰ってくると、7人の姫君と王妃はふよふよと海をたゆたい、心から王様のねぎらいをするのでした。

「お帰りなさいませ」

「お帰りなさい」

「お帰り」

 口々に姫君たちは、王様を出迎えます。王様は悠然と、しかし感謝を持ってお出迎えを受けます。この儀式が終わると、夜になったとみなが思うのでした。

「ただいま」

 明るくて自由な人魚の姫君たちですが、挨拶だけは敬意をもって行います。王様は密かに、そんな姫君たちを誇りに思っていました。

「ただいま、小さな姫様。初めての外はどうだったかね」

 王様は、人間の一般的な両親と同じように、末っ子の人魚姫を特に愛していました。その愛し方と言えば、15歳の誕生日に外へ出ていくのを唯一泣きながら見送ったくらいです。

 末っ子の人魚姫は、悠然と王様の歓迎を受けました。愛された自信に満ち溢れた微笑みは家族のもとでいっそう輝くのでした。

「船の上にいた、年齢が同じくらいの男の子と女の子を見たわ。今夜何かあるみたいよ」

「今夜はパーティなのかもしれないね。私たちと同じで」

 王様は目を細めて、言いました。気のせいか少し、涙ぐんでいるように見えました。

「パーティってみんなでやると楽しいのよね。でも私たちと同じ日にやるなんて、すごい偶然ね」

「そうだな」

「ねえ、お父様、そんなことよりもちょっと聞きたいことがあるんだけど」

 人魚姫はイソギンチャクの歓待を受けながら、王様の顔を見つめました。王様の目には、今まで見たどのような宝石よりも美しく見えます。

「なんだい」

「さっき話した船の上にいた、女の子なんだけどね、私に本当にそっくりだったの。年も同じぐらいだったし、見た目もそっくりで、まるで姉妹みたいだったの。私とは違って、足はあるから人間なんだけどね。でも、鏡を見ているみたいにそっくりだった。偶然ってあるのね」

 人魚姫の何気ない一言は、王様の顔を曇らせるのに十分でした。その表情は、公務中の厳しい表情よりも険しく、どことなく寂しそうに見えました。

「どうしたのお父様、どうして黙るの」

 いつになく悲しそうな表情の王様に、人魚姫は無邪気に質問を重ねました。

「自分だけ守らないなんておかしいわ。お父様いつも言ってるじゃない。むやみやたらに隠しごとだけはするな。そうしないと相手に悪いイメージしか与えないって」

 真っすぐな瞳で、人魚姫は父親を見つめます。王様は人魚姫の率直で真っすぐな性格が好きでしたが、今はその率直さが彼を苦しめていました。

 困ったような表情で、王様は人魚姫を見つめます。だけど、15歳の人魚姫には家族どうしでも言えないことはあると察する状態にはまだありません。父親が口を開くまで引く姿勢を見せない様子の人魚姫に根負けして、王様はかぶっていた王冠を外し、1枚の貝殻を取り出しました。

「これを見てごらん」

「貝殻?」

 王様の言いつけ通り、人魚姫は貝殻を見つめました。そこには、王様と王妃様、そして2人の赤ちゃんが映っています。今よりも若い王妃様は若い王様に頬を寄せ、幸せそうに微笑んでいます。王妃様に抱かれた赤ちゃんは、右側の赤ちゃんに手を伸ばし、何かをつかもうとしています。王様に抱かれた赤ちゃんは、左側の赤ちゃんに対して反応もせず、ぼんやりと正面を向いています。1枚の写真が焼き付けられた、不思議な貝殻を人魚姫は不思議な表情で見つめました。

「この赤ちゃんは私?」

 左側の赤ちゃんを人魚姫は指さして言いました。王様は静かに首を振ります。

「じゃあこっち?」

 右側の赤ちゃんを人魚姫は指さします。王様はゆっくりと頷きました。

「じゃあ、こっちの赤ちゃんは?」

 左側の赤ちゃんを指さして、人魚姫は再び質問しました。王様は慎重で丁寧な口ぶりで答えました。

「お前の妹だよ」


「お前には双子の妹がいて、お母様と私たちの一番小さな宝物として大切に育てていたんだ。だけど、私たちが目を離した隙にお前たちの一番上の姉様があの子を連れて行ってしまった。15歳の誕生日の時にね」

 王様は切なさを湛えた表情を崩さぬまま、話し続けます。

「お前が良く知っているように、人魚は15歳になるまでは外の世界に触れることができない。そこで起こったことに対してきちんと考えて行動する必要があるからね。なのに、姉様はあの子を連れて行ってしまったんだ」

「それで、その後は?」

「1番上の姉様がどんな性格かはわかっているね。とても面倒見がいい。ただ、悪気はないんだけど、かなり配慮の足りない性格だ」

 人魚姫は頷きます。

「もちろん、根は悪いやつではないんだ。悪いやつなんかこの一族にはいないからね。だけど、その悪いところが最悪の結果を及ぼしてしまったんだ。未だに私もそれが残念でならない」

 王様は言葉を区切り、人魚姫から視線を離しました。海の底はプランクトンが活動しており、緑色にキラキラと光っています。

「あの子は赤ん坊、君の妹を連れて外へ出てしまったんだ」

 王様はどこにも行き場のない悔いを抱えた表情で、海の上を見つめます。はるか遠くにある海の上からは、光も何も入って来ません。

「あの子の話によると、尾びれを乾かして着替えをしている時に目を離したらいなくなっていて、いくら探しても出てこなかった、とは言っていた。だけど、実際にその場を見たわけではないから正直真偽のほどはわからない。ただ、確実に言えることとしては、君の姉様はやってはいけないことをしたし、君の妹は永遠に私たちの元から消えてしまった」

 そう話す王様の表情は、苦悶に満ち溢れており、どんな公務上がりの夜よりも辛そうに見えました。

「その後、君たち姫君を15歳の誕生日に外に行かせることを止めようかと正直悩んだ。私たちの大切なものを永遠に失ってしまうのは正直辛すぎて耐えられない」

 1組の親子の間に、静寂が流れました。まるで親子以外が寝静まっているかのような、沈黙の世界でした。

「そう思いはするけれど、私は親であると同時に、この世界の統治者でもある。だから、私の姫として生まれたものには一度は外の世界を体現して、新たな学びをしてほしい。だから、15歳になると旅立たせる慣習は辞めたくなかったんだ」

 人魚姫は話が終わるまで黙っていました。話の途中、涙ぐんでしまいましたが、最後まで何も言わずに王様の話を拝聴していました。

 王様が話す言葉をなくし、沈黙すると人魚姫は深い瞳で王様を見つめます。海よりも深い、切なさを湛えた瞳でした。


「それで、その後どうなったの?」

「君の双子の妹に関しては、あれから15年の間に、君の2番目からすぐ上の姉様たちが外の世界を見るために出ていった。だけど、今まで誰も見かけたことはなかった。だから、今まで私とお母様以外の意識にはなかったと思うよ」

 古いコーヒーを何重にもこぼしたような、苦々しい表情をして、王様は過去の事実を語っていきます。

「だけど、15年経って、無事に生きてることがわかったし、双子の姉に見つけられるなんて偶然ってあるものなんだと実感したよ。私は今それがすごく嬉しいよ」

「そうね」

 喜びを湛えた表情の王様を見ながら、一度として一緒に思い出を共有したことのない双子の妹のことを思いながら、人魚姫は答えました。

「でも、もう戻っては来ないんでしょう?」

 人魚姫の質問に、王様は少し困ったような表情をしましたが、先ほどよりは自信に満ちた声で、こう答えました。

「遠く離れていても、元気に生きていてくれればそれでいい」

「それって寂しくないの?」

「寂しいよ」

 当然、といった表情で、王様は人魚姫を見つめます。

「だけど、居場所がわかっただけでも今までと比べれば格段に嬉しいね。あの子を見つけてくれたお前にも感謝しているよ」

「2人いればもちろん幸せだけど、お前一人がいれば十分だよ」

 人魚姫の目の前は突然、王様の身体に覆われて真っ暗になりました。力強い腕に抱きすくめられ、人魚姫は無償の愛と王様の中で大きくなっている妹への思いでむせ返りそうでした。

 目の前の人魚姫を超え、双子の妹を思う親心に、人魚姫は思わず顔を背けてしまいました。

「パーティの準備、できたかな。お父様、私ちょっと様子を見てくるね」

 踵を返すように、王様から背を向けて、人魚姫はぐんぐん泳いでいきます。イルカの力も借りずに、上へ上へと昇っていきます。1度経験したことのある場所だからなのか、なんの躊躇いもなくぐんぐん昇ってゆくのでした。

 やがて、人魚姫は水上へと頭を出しました。夜の地上は海の中よりも暗く、何を道しるべに進んだらいいのだろう、と人魚姫は思いました。

 人魚姫のそばには、先ほどと同じように船があり、船の上ではパーティが繰り広げられているようでした。楽しげな歓声と、陽気な音楽が流れています。人魚姫は自分の世界で開かれるパーティと、今目の当たりにしているパーティを引き比べ、驚くのでした。

 人魚姫は尾びれを乾かすために浜辺へと移動しようとしました。浜辺にたどり着いて尾びれを乾かしていると、急に目の前が暗くなっていきました。誰の助けも借りることなく、水上まで泳ぎ切ったので、人魚姫の体力は限界を超えていたのです。人魚姫は誰にも気が付かれることもなく、気を失ってしまいました。

 どれほどの時が経ったのでしょう。人魚姫は真っ白なシーツにくるまれて眠っていました。尾びれが乾き、小さなピンク色の足が生えています。貝殻の胸当てしか身に着けていなかった人魚の時と違い、シンプルな黄色いドレスを身にまとっていました。

 どのくらい私はこの足で歩くことができるのだろう。

 気絶していた人魚姫は、慣れない足で第一歩を踏み出しました。まだ息は苦しくありません。裸足のまま人魚姫は殺風景なベッドを抜け出し、廊下を歩きます。すれ違う人々はみな、人魚姫に挨拶をしてくれます。

「お誕生日おめでとう」

「今日は格別に可愛いですね」

「おめでとうございます」

 知らない人からの歓待を受けるのは海の中でも慣れているため、人魚姫は艶然と微笑みます。

「ありがとう」

 感謝とお礼を言われれば言われるほど、人魚姫の足取りは軽くなります。

 廊下をすっかりいい気持ちで歩いていると、後ろから肩を叩かれました。思わず後ろを見返して驚きました。

「気が付いたのね、よかった」

 そう言って微笑む美しい顔は、人魚姫と瓜二つでした。

「ちょっと海を歩きたくて、パーティを抜け出したら女の子が倒れてるんだもん。ホントにびっくりした」

 色の白い肌が、キラキラと光っています。目の前の女の子は人魚姫と同じ顔はしていても、どことなく育ちがよさそうな雰囲気を身にまとっていました。

「助けてくれてありがとう」

「どういたしました。もう気分はいいの?」

「大丈夫よ」

 人魚姫と、人魚姫にそっくりな女の子が向き合っていると、女の子のそばに男の子がやって来ました。

「あ、さっきの女の子か。気分はどう?」

 そう言いながら、男の子は遠慮しつつ、しかしはっきりと人魚姫の顔を見つめました。

「目を閉じている時から思ってたんだけど、本当にそっくりだね。他人じゃないみたいだ」

 男の子は女の子を見ながら微笑みます。女の子は男の子の微笑みを受けて、自分も微笑みます。その一連の流れは二人の中で日常になっているのでしょう。人魚姫の入り込む余地はありません。

「今日は私の誕生日パーティなのよ。よかったら楽しんで行ってね」

 自分が愛されていることに、なんの疑いも抱いていないような微笑みで、女の子は人魚姫を見つめます。容貌は人魚姫とそっくりですが、置かれている環境は今ではまるで違っています。私にはない同い年のボーイフレンドがいて、私にはないきらびやかな装飾品をつけて、優雅に笑っています。それはまるで、自分よりも輝いている合わせ鏡を見ているようでした。

「でも、私も誕生日のパーティはしてもらえるから、今日は帰るわ。本日はお誘いありがとう」

 同じ顔をした女の子に負けないように、人魚姫は最大限の微笑みを2人に向けます。2人が不思議な顔をして顔を見合わせるのを見届けずに、人魚姫は出口を探しました。

 月の光だけが、船と人魚姫をゆっくりと照らしています。船から降りた人魚姫は、海へと歩いていきます。足と心が痛みますが、なぜ心が痛いのか人魚姫にはわかりませんでした。

 海に全身を浸すと、人魚姫の足は尾びれへと変化しました。尾びれを目いっぱい動かして、月の光の届かない、だけど地上よりも明るい世界へと戻っていきました。

 長い遊泳が終わると、懐かしい光景が目に入って来ました。パーティ真っ只中の、王様や姉姫たちです。人魚姫の姿を見つけると、イソギンチャクが真っ先にすり寄ってきました。

「どこまで行ってたの?」

 主役不在のパーティを続けていた王妃様が、のんびりと話しかけてきます。姉姫たちは食事も終わり、魚たちと海を泳ぎ回っています。イソギンチャクは人魚姫のそばを離れません。

「ごめんなさい、遅くなって」

「いないからパーティ、始めちゃったわよ。余韻しかないかもしれないけど、主役としてご挨拶していらっしゃい」

「そうね」

 返事をする人魚姫に、いつもの元気はありませんが、王妃様は気づく様子もありません。人魚姫のそばから離れない、イソギンチャクだけが人魚姫の様子に気づきました。

「なんでもないわ」

 人魚姫はイソギンチャクをそっと指で撫でます。

「勝手に他の人と私を比べて悲しくなってるだけだから」

はっきりした口調で、人魚姫は言い切ります。そしてプランクトンの輝く、自分の居場所に戻っていくのでした。


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