雨上がりの旅立ち
藤色にそまった雲がついに消え、虹雨が止んだ。生臭い異臭が平野から洞窟の方にもやってきている。どういうわけか、迷い込んできた多数の獣が雨に打たれ、どろりとした骸となっているらしかった。雨上がりの立ち枯れ平野は油断ならず、雨がやんだ後も、穴籠りを少し続けた。ある日、平野の様子を見にいった。黄緑色の苔はいつにも増して生き生きとしていたが、地面は随分と乾いてきているらしかった。
旅立ちの時が近づいたが、小男と別れを惜しむ気持ちは、お互いにあまり無かった。根無し草同士というのもあり、また、どこかで会うような気がしていたのだ。
「頃合いなので、もう行きます。」
洞窟の奥にいる小男を呼んで告げた。
「そうかい。」
小男はそう言い、さらに言葉を探している様子だったが、男がさらに続けようとしているのを察し、黙っているようであった。
「大変世話になりました。持つものも特にありませんが、お礼になるようなことがありますか。」
「鬼狩りを続けるようなら、俺を見つけたときには見逃してほしい。人殺しはしないんだが、何かの間違いで、目の敵にされるということがありうる。」
男としては、小男は相貌に見合わず理性的で、人付き合いを好んでいる様子からも、害を成す者とは思っていなかった。
「もう一つ、お願いがある。」
小男はそう言って洞窟の奥へ引っ込み、あの頭の膨れた奇妙な赤子を持って戻ってきた。足を引っ掴まれてぶらぶらしていたが、赤子はなかなか豪胆なようで、ダハダハと笑っていた。
「こいつを遠くへ連れ出してほしいんだ。大きくなってなんでも齧られるようになるんじゃたまらんからな。外に放り出しても戻ってきそうで面倒だ。」
殺してしまえばいいと思ったが、小男は存外、赤子への情がほんの少しばかりあるらしかった。
「始末してもらってもいいし、なんなら行きがけの弁当にでもすればいい。あんたも案外、悪食だからね。」
小男の頼みを快く引き受け、赤子を受け取った。使っていなかった風呂敷を広げ、赤子を包んでぶら下げる。礼としてだけでなく、しばらくの穴籠りで元々少なかった荷物はさらにすっきりとしており、貴重な食料として必要となるやもしれなかった。
出発の時となり、小男が見送りに来る。
「では、またどこかで。」
自然と出た言葉だった。小男が頷いて返す。
「達者で。ありがとうよ。」
赤子のことか、これまでのことか。洞窟を出て少し行ったところで振り返ると、小男はちょうど洞窟へ戻るところであった。
立ち枯れ平野へと入り、しばらく歩いた。地面は大体が乾いた苔に覆われているものの、虹色の雨水が溜まっている場所もちらほらとあり、歩みに気を配った。生き物を骨まで崩す恐ろしい水だ。それに黄緑の苔に覆われた地面と死んでもなお立ち続けている真っ黒な樹木が景色に合わさる。壮観ではあったが、長くここで過ごしていた身としては、さっさと離れてしまいたいところだった。昼は快晴が続く中を、夜は月明りを頼りに歩き続け、洞窟から出発して二日ほどして、立ち枯れ平野を抜けられた。
常人離れした体力を誇ってはいたが、流石に疲れと空腹と、喉の渇きに悩まされた。天気は快晴、周囲は何事もない原っぱだ。腰かけるのにちょうどいい倒木を見つけ、青味の強い空の下で一休みに入った。ふと、風呂敷を広げ、赤子の様子を見てみた。気にせずブラブラと振って歩いていたのだが、ゆりかごのようで気分が良かったらしく、すっかり眠り込んでいたようだ。もぞもぞと目覚め始めたそれを、どう食うかと思案した。
「さて、頭落として食おうか、腹を割いて食おうか。」
そう独りごちると返答するように、ぐあ、とうめいてみせる。男はすっかり赤子を食う気が失せていることに気づいた。再び赤子を風呂敷へ包んで立ち上がる。人里が近いはずなので、そこへ行くのを目的とした。どうなるか分からないが、こいつを共にして旅をするのも普段と違って面白いかもしれない、と男は考えた。快晴の下、歩みを進めていった。
この先で話を広げられるかはわかりません。最後までお目通ししてくださった方に謝意を表します。