人食い鬼
しぶきの上がらない水路の上にまたがって踏ん張っている最中に、妙なものを見つけてしまい、男は少々おののいた。向こうが先にこちらを見つけていたようでもある。
それは生まれて間もない赤子のように見えた。普通の赤子がこんな穴倉の中で元気よく這っているのも不気味なのだが、その風貌が何よりも畏怖を掻き立てた。全貌はただの赤ん坊だが後頭部が奇妙に後ろへと膨らみ、わずかに湾曲している。さらに血管に似た筋で覆われており、全体としては熟れきってひび割れそうな果実を思わせた。さらに異様に思ったのが闇に浮かんでいる両目であり、白目がなく、全体が黄金色に染まり、爛々と輝かせていた。
どこに潜んでいたのか分からないが、寝床に行くためには赤子の脇を通らねばならない。脅威とは感じないが、まさか毒牙など持っていないだろうな、と男はくよくよと思いを巡らした。黄金色の眼で見つめられているのが不気味であったが、脇を通っても妙な動きは見せず、後を追ってもこないので男はほっと胸をなでおろした。
「あなたにややこがいるとは思わなかった。」と、小男に冗談を含めて話した。
すると小男は神妙な面持ちになって語りだした。
「あんたも見たんだね。最近は奴を見なかったが、水路の先の、分かれ道の先までも散歩してたのかねぇ。」
「あれも外から来たのですか。」
「そうだなぁ・・・あんたが来た日の少し前から居ついていたようだ。世話などしていないんだが、そこらの虫けらを食ったり、地下から湧いて溜まった泥水をすすっているようで、中々たくましいね。」
小男は話好きらしく、しゃべりだすとけっこう饒舌だ。こちらから積極的に話しかけるのは、暇をつぶせるし、居候させてもらっている礼でもあった。しかし、聞いた赤子の態様はたくましいどころではない。
「鬼の子ではないでしょうかね。害はなかったのですか。」
「今のところは凶暴さも狡猾さも感じないな。寝たふりしながら何をしてくるか見たこともあったが、面白がってほら耳や鼻をつまんでくるくらいだ。」
納得したので、男は赤子について懸念しないことにした。そのうち、小男が別の話を切り出してきた。
「俺は人を食ったことがある。あんたも人を食ってたね。」
「ええ。好んでるわけではないですが。」
いつかの非常食を食うのを見たのだろうか。小男は自身のどくろのような顔を示して続けた。
「こんな成りの俺が食うというなら納得されるだろうが、容貌の良いあんたがねぇ。なんだって食うようになったんだい。」
男は答えようとして悩んだ。食えるものがあったから食う、という気持であったのだ。いつからそのような心情を抱いていたのか、思い出せないのが不思議だった。
「死体を見て、食って良さそうなら食う、という性分ですね。食うために人を殺したことはありませんが。」
小男は満足している様子であった。どうやらこちらの心情をとやかく言いたいのではなく、単なる好喜心として聞いたかっただけのようだ。
「俺は野垂れた死体なら食うことがあるよ。丈夫な腹で助かってるね。」
丈夫な腹ならこちらも自信がある、と口を挟むと小男はくつくつと笑った。
「食えるものなら食ってかないと生きられなかった。思えば、そこらにあるものを食うだけで生きてきたよ。随分長いこと生きてきて、言葉を覚えたのがいつかも忘れた。自分が何者なのかも考えなくなった。」
寂しい言葉だが、小男は不思議と満足そうであった。色々な場所へ移り住む中で時々、ここを間借りしてきた男の様に、物好きな人間と出会って話す機会があるらしい。それが人生の数少ない楽しみでもあるようだった。
「あんたは俺が鬼だと思うかい。」少しして小男が聞いてきた。
「鬼といっても実に色々なのがいます。私が殺すのは周囲に害を成していて、始末した時には報酬を出す、というほど厄介がられている奴だけですよ。」
「物騒な生き方だねぇ。」
「旅をして歩くのが性分ですが、銭金を稼ぐのに身一つしかありませんから。」
とりとめのない話を時々交わし、日々が過ぎていく。虹雨はまだ降り続いているが、藤色雲の様子を見るに、遠くないうちに旅立てそうだ。そう考えると、こんな陰湿な場所で、手持ちのだいぶ減った食い物とそこらの虫けらを食いながら過ごすことに、妙な名残惜しさを覚えるのを、男は不思議に思った。