ミュディガ・ジークリンスの実力
薄暗いダンジョンの中。
先ほどまでこのダンジョンにいたスミギナたちが倒したのか、はたまたこの先にいるはずの侵入者が倒したのか、ゴブリンたちの死体を越え、ミュディガは走っていた。
自身の勘が正しければ、この先に侵入者がいるはずだ。入り口にある魔力障壁に記録を残さずに、どうやってダンジョン内に侵入したのかは分からないが、ミュディガの中でそんなことはどうでもいい。
今、己の中にあるのは、まだ見ぬ敵と戦えることについての興奮だけだ。
本当は、我慢するつもりだった。
しかし、日に日に昂っていく感情を抑え続け欲求不満が募った状態では、手練れの敵が手の届く場所に現れたことを知りながら、それを見逃すのは不可能だった。
この角を曲がった先に、敵はいる。
己の直感が、そう告げている。
「それじゃあ、戦闘開始といこっか~」
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それは、唐突にやってきた。
突然背後に現れた、膨大な魔力と濃密な殺気。
黒装束の二人は弾かれたように振り返ると、満面の笑みを浮かべた標的、ミュディガ・ジークリンスが目に映った。
二人はその事実に驚愕しながらも、咄嗟に戦闘態勢を取る。
それを見てミュディガは笑みを深めると共に、左手に魔力を込めた。
「ははっ。待ち望んだよ~」
「っ!」
私とグランに向かって、無詠唱の雷魔法が投げられる。
咄嗟に魔力で防御を固めるが、全てを防ぎきることはできず、私は膝をついてしまう。グランは体勢が変わることはなかったが、効かなかったというわけではないのだろう。苦い顔でミュディガを見つめた。
放たれた魔法はその威力からして、恐らく第四位階。
事前に分かっていたことではあるが、やはりこの標的は強い。二体一であったとしても、殺すことは疎か、逃走することすら難しいだろう。
「一応確認するが、お主がミュディガ・ジークリンスで間違いないな?」
「そうだよ~。本当は大人しくしてるつもりだったんだけど、待ちきれなくて来ちゃったんだ~」
「……どうしてこの場所が分かった? 魔力障壁には何も記録は残っていなかったはずじゃが」
その通りである。
このダンジョンには、ミュディガ側に気づかれないよう、自身の空間魔法を用いて入ったのだ。魔力障壁には干渉せず、隠密にダンジョンに入ったのに一体何故。
様々な可能性を考えている最中に、ミュディガが能天気な声で解を口にする。
「特に理由はないんだけど、君たちがここにいるような気がしたんだよね~。根拠とかはなかったんだけど~、まあ直感ってやつかな~。ほら、僕スキルのおかげで勘いいし~」
それを受け、思わず舌打ちする。
考えられるイレギュラーの一つ、ミュディガが所持するスペシャルスキル、超越者の勘による妨害。べラルド様が懸念していた物事の一つが、最悪の形で発揮されたのだ。
スペシャルスキルの多くは、そのスキルを持っている者事態が少ないので、情報の解明が進んでいない。ミュディガが持つ超越者の勘もそれに当たり、勘が良いとはいっても、具体的にどんな効力を及ぼすのかは未知であった。
しかしこれは、想像以上に厄介なスキルであると認識する。
何の前情報もないのにも関わらず、自分たちの暗殺の準備をピンポイントで阻害してくるのだ。標的の動向の予想がつかなくなることに加え、事前に仕掛けた罠なども無効化されてしまう恐れが高い。
暗殺の回避能力が非常に高く、尚且つ戦闘においてもかなりの強さを誇る。
なるほど。べラルド様があそこまで慎重に事を進める理由が分かる。この標的を殺すには、そこまでしなければならないのだ。
それを理解したところで、この状況について考える。
二体一であっても、戦って勝つのは絶望的。
逃走、という手段もあるが、この男が私たちをそんな簡単に逃がしてくれるはずがないだろう。空間魔法を使うことは、上位鑑定を持つミュディガにはばれてしまっている。それを使った逃走も難しい。
ならばこの状態での最善策は、援軍を待つこと。
万が一ミュディガにこの潜入がばれ、ミュディガ本人がダンジョンに突入してきたときには、べラルド様たちが来ることになっている。
合流すれば、戦力の面では間違いなく優位に立てる。
だが問題は、べラルド様たちはダンジョンから少し離れた所に拠点を構えている。万が一ミュディガたちに場所がばれたとしても、安全に脱出できるように。
しかしそのせいで、こうした異変があったときにも、駆け付けるまで時間がかかる。べラルド様たちが来るまで、私たちがこの化け物相手に持ちこたえることができるかどうか。
そうと決まれば、私はグランにサインを送る。
グランはそれに少しばかり笑みを浮かべ――この状況で笑みを浮かべることができるこの男の性格を少しばかり憎んだが――全身に魔力を巡らせ、ミュディガに金槌を向けた。
「まあ、ばれてしまったものは仕方ない。自己紹介といこうか。儂の名はグラン・オーズ。少しばかり腕に覚えがある」
「それじゃ僕も~。名前はミュディガ・ジークリンス~。一応、君の名前は知ってるよ~。何でも、昔盗賊団の首領をやってたんでしょ~」
「ほう。よく知っとるな。そこまで有名というわけでもあるまいに」
「僕だって~、戦うかもしれない相手のことぐらい調べるよ~。先月、君たちの仲間が挨拶に来てくれたしね~」
ジャクソンの話では、ケイトの隠密魔法を見破ったのもミュディガだという。今考えてみれば、奴の超越者の勘により、ケイトの隠密はばれたのかもしれない。
「情報によると~、君は今、かの高名な暗殺者『冷徹鬼』と一緒に仕事してるんだよね~。隣のメリースって子の名前は知らないけど~、たぶん彼の部下ってところかな~」
「ノーコメントとさせてもらおうかの」
「つれないな~」
こうして会話を続けている間にも、時間は刻々と過ぎている。
できればこの状況のまま、べラルド様たちの到着を待ちたいところであるが、そう上手くはいかないだろう。今の会話の中であっても、気を抜いた途端に襲ってくるという可能性もある。
「――まあ、君たちも見た感じさ~、かなりやれるんでしょ~?」
空気が、変わった。
ミュディガは剣を抜き、その狂気を浮かべた笑みをその剣に映す。やはり、戦闘は避けられない。
「それじゃ~、『冷徹鬼』と戦う前の前哨戦といこうか~。せいぜい、僕を愉しめせてね~」
「ほざけ。お主はここで、儂らに殺されるんじゃよ」
「あははははっ!」
ミュディガが嗤う。
床を踏み砕くような強烈な踏み込みと同時に、剣を構える。
元Aランク冒険者としてのAGIが遺憾なく発揮された速さの突進に、グランは恐れることなく前に出て迎え撃った。
「それっ!」
「ハッ!」
剣と金槌が激突し、空気が揺れる。
金属特有の音がダンジョンに響き、お互いの力が拮抗し、二人の身体は一瞬静止した。
しかしすぐにその均衡は崩れる。
グランの金槌が振りぬかれ、ミュディガの身体はノックバックした。
「《アクア・バレッドⅢ》」
「いいね~」
その隙を狙って魔法を放つが、ミュディガは空中にいながらも無詠唱で土魔法を放つ。地面から隆起した岩の盾は、私の水魔法を通さない。
だが、最初からミュディガに当てることが目的ではない。
ミュディガが魔法に意識を向けた隙に、グランが側面からミュディガに接近する。
再び振り下ろされた金属の塊を、ミュディガはその場から飛んで回避する。そしてその回避で生まれた隙を、私が魔法で追撃した。
それもミュディガに防がれてしまうが、一瞬の隙は作れる。その隙に、再びグランがミュディガに接近し、己の得物を振るった。
事前にべラルド様に伝えられたミュディガのステータスを見た限り、かなりの機動力を持つこの相手に後手に入ってしまえば、瞬く間に私たちは倒されてしまう。
勝機を見出せるとすれば、ミュディガに自慢の機動力を発揮させないこと。
こちらにグランがいることも大きい。単純なパワーのみであれば、グランはミュディガをも超える。剣と金槌では、発揮される威力も後者の方が大きいだろう。それも味方していた。
ミュディガもこのまま受け身になり続けるのは良くないと判断したのか、私の魔法を自身の魔力を纏って強引に受ける。少しはダメージを負ったが、ミュディガはそうすることによって得た時間で、素早く魔法を構築した。
「《サンダー・ボルトⅣ》~」
「ぬっ!」
剣身から迸った電撃は一直線にグラン元へと向かい、その身に襲い掛かる。
グランは咄嗟に魔力を纏い防御を試みるが、流石は第四位階とでもいおうか。グランから少しの間自由を奪った。
その間にミュディガはグランから距離を取り、少し離れた場所で剣を構えなおす。
「ははは~、中々、スリリングな戦いだね~。でも、距離が空けばこちらが有利なのかな~?」
「……そうとも限らんぞ?」
次の瞬間、グランはミュディガに襲い掛かる。
それを見たミュディガは、冷静に後ろに下がりながら魔法を構築する。グランとミュディガでは、その魔法能力に大きく差があることは明らかだ。また、機動力で大きく負けるグランには、ミュディガに追いつく術はない。傍から見れば、無謀な突進であった。
しかし、魔法を構築しながら後退を続けていたミュディガは、何があったのか一瞬目を見開くと、思い切り地面を蹴って横に跳ぶ。
そしてその次の瞬間、いきなりミュディガの後ろに現れたグランが、先ほどまでミュディガがいた場所に金槌を振り下ろした。
「ちっ」
完全なる不意打ち。
決まると思っていた一撃を間一髪で避けられたグランは、思わず舌打ちを打つ。私も同じ気分だった。
「逃がすか」
「《アース・スパーダⅣ》~」
追撃をかけようとする私たちに、ミュディガが先ほどまで構築していた魔法が放たれる。
地面から襲い掛かる数多の刃を何とか回避するが、それが終わる頃にはミュディガは完全に体勢を戻していた。先ほどの奇襲は、もうミュディガに通じることはないだろう。不意打ちとは、不意をうてるから強いのだ。
やはり、通じないか。
先ほどの攻撃は、私の空間魔法《ショート・テレポートⅣ》を用いたものだ。
対象を任意の場所に瞬間移動させることができる、私のとっておきである。長年積み重ねた修練の甲斐もあってか、転移先に出現する魔力も、転移とほぼ同時に発生するため、知らなければまず対応することができない。
しかし、上位鑑定を持つミュディガには、私が空間魔法を習得してしまっていることがばれている。だがそれを踏まえても《ショート・テレポートⅣ》による奇襲は強力だと自負していた。知識として知っていても、実物を見るとイメージと差異があるというのはよくあるものだ。
だがミュディガには、超越者の勘という、馬鹿げたスキルがあった。
先ほどの攻撃の際も、背後に魔力が発生するよりも早く、ミュディガは反応を示していた。恐らく、その勘によって警告が働いたとかだろう。全くふざけた能力である。
「今のは流石にびっくりしたよ~。空間魔法は警戒してたけどさ~、ここまで予兆がなく発動できるものなんだね~。並の相手なら、たぶん決まってたと思うよ~」
初見できっちり回避したくせに、いけしゃあしゃあとどの口で。
状況は、非常に悪い。
元々の戦力差に加え、こちらは既に手札をほとんど見せてしまっている。
更にこの人一人を瞬間移動させる魔法は、魔力の消費が激しく、私のステータスでは無詠唱で唱えることはできないので、若干の隙ができる。初見で凌がれたのに、もう一度うっても決まるとは思えない。
またミュディガには、まだまだ余裕がある。
戦闘開始時はミュディガが力比べを仕掛けてくれたおかげで、何とか立ち回ることができたが、距離を取られて魔法を撃ち続けられてしまえば、こちらにはなす術はない。空間魔法も既に見切られていて、そう何回も撃つことはできないときた。
倒すことができないことは分かってはいたが、ここまで通じないとむしろ笑えてしまう。これが『笑顔殺人鬼』と呼ばれる一流の冒険者の実力ということか。
私は無言で幾本もの投げナイフを手に取る。
格上相手には、戦い方は常に変化させるべきだ。後手に回れば、地力の差がもろに出る。そうなってしまえば、あっという間に勝負がついてしまうだろう。それは、避けなければいけない。
「グラン、正念場です。きっちり、働いてくださいよ?」
「言われずとも、じゃ」
「まだ、戦意はあるみたいだね~。とっても嬉しいよ~」
そんな私たちの様子を見て、ミュディガは狂気を孕んだ笑みを浮かべる。この底の見えぬ化け物相手に、果たしてどれだけ時間を稼ぐことができるのか。
そんな不安を抱きながらも、私は手に握ったナイフをミュディガに投擲した。




