家に
エレインさんの家から離れ、真っ暗な道帰途に就く。
この時間は一切の篝火が消されてしまうため、頼れるのは月の光だけだ。
「…………」
しかし、その嘆息も一つの異変に気付居た事で頭から離れた。
俺の家は彼女の家からそう遠くはなく、殆どの木が伐採されて眺めがよいここでは、彼女の家から出てすぐに自宅は見える、ちんまりとした、一人暮らしに手ごろな大きさの家だ。
エレインさんのそれとは比べられないほど小さく、材料も安価で小汚いため、友人一人誘う事もできなければ、だれも寄り付いてくれない。いや、友人を呼べたとしてもいないから無理だったな。
ゆえに暗闇の中に俺の家は、いつも無人。その部屋に一切の明かりを灯すことなくひっそりとあるはずだった。
が、その時なぜか明かりがついていた。
……だれか、中に居るのか?
そのまま家には近づくが、即座にその場に身を屈ませて息を殺しての微速での前進。
近寄るような者がいないとなると、やって来るのは良からぬ考えの持ち主以外いないだろう。
しばらく足音を消して移動した後、飛び掛かるように入口のドアに張り付き、耳を立てて物音を探る。
「…………」
物音一つしない。
相手は俺がここに居ることに気が付いて、入ってくる瞬間を待ち構えているのだろうか。
ならば、と他の侵入経路を考えるが、そもそも俺の家は出入り口が一つ。だからと言って壁を壊して突入するのも気が引けた。やはり、ドアから入るしかないか。
と、大きく息を吸って深呼吸を一つ。直後に地面を蹴ってドアへと突っ込む。
バァァンッ!!
と、扉を蹴破らんばかりに中へ入る。すると、そこに居たのは、
「……なんだ、お前かよ。ビビらせやがって」
「居たら駄目だったの?」
すっかり不機嫌そうに頬を膨らませていたノアが、狭い家の暖炉前に置かれたボロい小さな椅子に腰かけていた。暖炉に火は付いていない。温まりに来た訳ではないようだ。そんなに寒くもないし。という事はどうやら、俺が帰って来るのをここで待っていたようだ。
「どうやって入ったんだ?」
「鍵空いてたよ」
「本当か?」
彼女は足をぶらぶらと振り回して、返事をしない。確かにここで嘘をつく必要なんてないか。俺が抜けていた。
とりあえず泥棒の類が家に居た訳ではなかった事に安堵した俺は、一通りの装備を外し、ベットに投げる。そのまま疲労の溜まった体を装備の上に放り出した。
「で、どこ行ってたの」
「ああ、エレインさんの家。どうして断ったのか訊きに行ってたんだ。なにせ依頼を受けてくれると踏んでたからな。どうしても気になった」
「ふぅーん」
まるで、「そんな事で……」と言うように目が語っているのだが、俺としてはかなり重要な情報が手に入ったので、無駄なことをした訳ではないと思う。
ノアは心底不本意だと、俺を見つめる目を逸らさない。
「いや、何というか悪かった。わざわざこんな所まで連れ出しといて、やっぱり何もできませんでした、なんて」
「別に、謝らなくてもいいけどさ……」
そう言った彼女は、吊り上がった目を元に戻した。膨らんでいた頬もふしゅっと元に戻る。
どうやら怒っていたのではなかったようだ。
「やっぱり、期待はしちゃってたから残念ではあるよ」
「そうか……」
俺にもし、もう少しだけでも人脈があれば、エレインさん以外の人に相談ができたかもしれない。でもそれは叶わない。今日の海樹内であの三人組が俺に対して剣呑であったのと同じく、俺には彼女以外の商会員と仲良くできない環境にあるからだ。
なんとも言えない痛々しい微笑を湛えるノアから、落胆の心情がひしひしと伝わる。
何か声を掛けるべきだと考えたが、誰かを励ますこと自体初めてである俺には、何一つ言葉が浮かばなかった。何となく歯がゆく、そして申し訳ない。
「……これから、どうするんだ?」
「……うん」
数秒の間を置いて、自分の言葉により強い意志を乗せるように、ノアは言った。
「やっぱり一人で行くよ」
誰一人の協力も得られないことが分かったのに、どうしてここまで諦め悪く無謀な事を言えるのか。
「本気か?」
「うん」
その短い返答からは固い決意が聞き取れた。中心に向かいたいという気持ちは本物なのだろう。そうなるとやはり「誰にも言えない理由」が大きな意味を持って彼女を動かしているのか?
「それは、止めておいた方が良いと思うけどな」
「どうしてなの?」
「降臨祭の期間以外にここの海樹の中心に辿り着いた者は居ないとも聞いた」
言うと、俯きかけていた彼女が大きく震えた。小さくはない動揺が走ったようだった。
知らなかったのだろうか、地元の人間であるのに。
「それ、本当?」
呟くように、言う。
「ああ、だからやっぱり止めといた方が良い」
「……じゃあ、あたしも駄目だと思う?」
「多分、いや絶対そうだな」
迷いなくずばり言い下すと、二人の間に再び長い沈黙が訪れた。
音一つない中、ノアは徐々に身を縮こまらせてゆき、椅子の上で膝を抱えるように丸まったかと思うと、
「………うっ、ひぐッ………」
「お、おい」
彼女は静かに泣き始めた。
唐突に静謐の中響いた嗚咽に、俺はベットから体を跳ね上がらせ、慌てて彼女の元へ寄る。 だがどう対応したものか分からず、おろおろしながら戸惑った。
それと同時、彼女が泣いてしまった事に、心底驚いていた。彼女には覚悟があったのかもしれない。中心に行きたいという発言は戯言ではなかったのだ。本気だった。
そうでなければ、ここまで感情を爆発させるはずがない。
「お、落ち着け。大丈夫だから」
「………な、なにが、大丈夫なの?」
「う、それは……」
とりあえず声を掛けたが、あえなく言葉が詰まった。こういう時は落ち着かせてやればいいのか、それとも何か違うのか全くわからない。今まで目の前で泣き始めるほどに気を許してくれた女性は彼女が初めてなのだ。それでも必死で言葉を探した。
安心しろ? 頑張れ? 泣くな? どれも要領を得ない声かけで、中身など無い物ばかりが出る。違う。
じゃあ、中身が有る言葉は何なのか。って、人を励ますこと自体初めてな俺に思いつくはずがない。俺にそこまで人の心を左右させる発言は期待できない。
ひたすら息を殺し、目から流れる水滴を吹き続けるノアを見守る。今日であったばかりではあるが、正直泣いている姿は、非常に似合わなくて、見ている俺も悲痛な感情がせり上がってくるのだ。
どうしろって言うんだ。パウリノの事もある。
このまま何もしないままであれば、明日には彼女をここから追い出す破目になる。そしてパウリノ達が彼女を保護して、即時に親元へ返すのだろう。そうなればノアはこれほどまでに執着する中心へ行けなくなるのだ。
それでも、この状態を打開する手立てが俺には無い。慰めることができないばかりか、明日になればその願いが潰えてしまうのだ。
こんな事になるのならば、最初から彼女を連れ出さずに――
「……あ」
まて、ノアが中心に行くことができる方法はもう本当に無いのだろうか?いや、有る。有る事には有る。ただそれを言う勇気が無かっただけなのだ。恐らくエレインさんが言っていた「変な気」とはこの事であるのに間違いはない。それでも、こうなればもう躊躇などしてはいられない。彼女が泣いていることに対して、心に来るものが有るのだ。
「の、ノア」
「……な、なに」
泣きはらした赤い目が俺を見つめた。今更だが、正面から見つめてきた彼女はなんとも言えず美しく、儚さを感じさせられた。
「俺が、連れていく」
「…………へ?」
きょとん、とノアは目から零れる涙も拭かずに俺を見上げた。
「だから、俺が連れて行くから。それでいいだろ。こんな自宅でお前に泣かれていたことがエレインさんにばれてみろ、殺される」
言い切ってから、やっぱり自分一人では到底できないと弱音を吐きたくなったが、ノアの存在によって辛うじて言い留れた。
「で、でも。誰も中心には行けていないんでしょ?」
「所詮他人の情報。百聞は一見に如かず。行って見るまで信用できないだろ? それに怖気付いてる連中の手なんて、借り手も足を引っ張るだけだ。俺一人で十分」
「い、いいの?」
良いわけあるか。
しかし、みるみる内に元気を取り戻してゆく彼女の表情が、いつも通り猫のような愛くるしいものとなってゆくのを見て、必死に勇猛な男を装う。
「あ、ありがと」
「べ、別にいいから……その代わり、それが叶った暁には家に帰れよ」
一方的に善意めいたものを押し付けるのも照れくさいので、戒めとしてそう加えた。調子に乗りすぎて怒られるかとも思ったが、笑いながら「うん!」と返すので面食らう。
「ハルカ!」
「な、何だっ!」
「ありがとっ!!」
「え、あ、どういたし――うごあっ!!」
何を感極まっているのか、どうやら抱き着こうとでもしたらしきノアは椅子からダイビングし、その自重と勢いで俺に着実な大ダメージを与える。
「痛ってぇ!」
「あ、ごめん」
しかしまぁ、元気に成って貰えたのならそれはそれで安心だ……。
さて、こうなれば他力本願とはいかない。あくまで独力が頼みで海樹を踏破しなければならないのだ。それにエレインさんの目を盗む必要性もある。
う、うぅーん。明日からの過ごし方を何となく考えてみたが、密度が濃すぎて死にそうなくらい忙しくなることは避けられなさそうだ。




