金
一瞬にして理解し、それを口にする。
「お金、ですか」
意地悪を言う風でもなく、エレインさんは頷いた。
「当たり前だ」
別におかしな事ではなく、事実であるので彼女の性格が歪んでいる故の発言とかの類ではないのだろう。だが、不覚にもエレインさんなら中心部への探索行に付いていくことくらい直ぐに了承してくれるものだと考えていた俺は、驚きに目を見開いた。海樹中心部の直ぐ手前の区画まで楽に進む彼女なら、慈善的に無償で受けても良いのではないか、とどこか甘えていたのだ。
「ど、どれくらい要るんですか?」
お金なんてびた一文持っていなさそうなノアが、おずおず尋ねた。
「そうだな、この場合。これくらいは必要になる」
そう言って示された数字は、立てられた四本の指から容易に理解が可能だった。とてもじゃないが、たった一人の世間知らずの少女では用意はできない額であることは火を見るより明らかである。
「……エレインさん、その値段は余りにも……」
「私は仮にもこの商会の幹部だ。ぼったくっているつもりはない」
「で、でも……」
さらに理由を追及しようとした俺の口を、エレインさんは憮然としてその手をかざして遮った。
そして、簡潔な説明を口にした。
中心部へ行くという高難度の挑戦に掛かる費用が主だった。最高級レベルの装備を、探索に行くメンバー全員に配布する旨や、医薬品や食事。それらしい調度品の名が連ねられ、合計の金額が示した額よりも膨れ上がる事を言っているのだ。
聞けば真っ当な値よりも安い事は分かる。だが、数々の説明がなされても、俺は簡単には引き下がれ得なかった。どうしても、エレインさんの提示する途方もない金額が納得できなかったのだ。彼女の訴えるそれは、おかしい。
困惑する表情から、俺の言いたい事を察したのだろう。エレインさんはかすかに頷いた。承知の上での発言らしい。
「エレインさん。その説明はおかしいでしょう。だっていつもなら――」
「ハルカがここまで反論するのは珍しいな。私が間違っていたことがあったか?」
「それでも今回の事は」
「やけにこの少女に肩入れするな。まさか、この少女に惚れでもしたのか?」
「違いますよ。俺がこうして交渉する事を勧めたから、その責任を果たしているだけです」
最後らへんの語気を強める彼女の剣幕に多少押されながらも、食らいつく。
「とにかく、いくらなんでもその額じゃあ子供には重いでしょう」
「だから、無理だと言っているだろう。危険な依頼だ。それに聞かされた理由も理解しがたい。我々の商会としてはこれ以上安くはできない」
俺はいつも彼女に反抗する事も無く、何かにつけて言われた事はしぶしぶながらやり遂げる。それがここまで楯突いた事が初めてであるため、少し驚いた表情のエレインさんだが、押されて引き受けてくれるようでもないようだ。
「……」
「……」
「ね、ねぇ。もういいよ……」
お互いが一歩も引かず、膠着していた時間をほぐしたのはノアだった。彼女は服の裾を軽く引き、気まずそうに俺を見上げる。この期に及んでどうしてそんなことを言うのか、分からなかった。
「どうしてだよ。中心に行きたいんだろ?」
ノアの顔に浮かんでいたのはなんとも痛々しい作り笑いだ。大きな目は、かすかに潤んでいる気さえし、小さく柔らかそうな手は、服をつかむ反対の手もぎゅっとスカートの裾を握っていた。
「え、エレインさんの言う通り、ハルカがそこまでする事はないよ……」
「その通りだ」
「エレインさん……!」
また食いつこうとしたが、瞬時にはっとしてうつむく。
依頼主が「もういい」と言っているのに俺がエレインさんに反抗しても、それはただの自己満足に他ならないのだ。
「そうか、分かった」
「……うん」
冷静になって、おとなしく引き下がる。
「すまないなノア、とやら」
「い、いいんです。皆断ったので今回もそこまで期待はしていませんでしたから」
「そうか……」
ノアは「行こう」と言って俺の服の裾を引き、エレインさんの元から離れるように俺を促す。
黙ってそれに従った。
俺の計画は、始まる前から頓挫してしまったのだった。
「どうしてこんな簡単な事に金を取るのか、とでも考えているのだろう? ハルカ」
あの後、どうしてもエレインさんの返事に納得できなかった俺は、ノアを客人用の貸家に彼女を案内した後に再び彼女の元へやってきていた。
夕食の時間は終わっていたため、場所は彼女の家である。普段ならば「淑女の家に上がろうとは、常識のない奴だ」とどやされるので近づくこともままならない。
それでも今回は俺が来ることを予想していたらしく、すんなりと受け入れられた。
「だって中心探索が有るじゃあないですか、いつもならこの数日に。それについていくことだけでもできれば良かったんですよ。なのにどうして金なんか」
「まぁ、そうだな」
言いつつ、お茶を用意してくれた。香り立つ茶ばの香りが心地よい。
彼女はドレスのままではあったが、後ろで一つに纏めていた髪を降ろし、今は息を飲むような綺麗な髪を惜しみなくその鎖骨に垂らしていた。
ゆったりとした格好に合わせるかのように、部屋の内装も心休まる素朴な木材で簡素に仕立てられている。家具もそれに合わせてシンプルな物が多く、とても巨大商会の幹部とは思えない。なんというか、柔らかい雰囲気漂う部屋だ。
「それに、私はどの海樹にも中心へ到達する任務を行う。中心は希少な木鉱が多く採れる。人数も資金もそれなりに商会から支給される」
「それならどうして……」
彼女は俺に、テーブルに着くことを手で示したので促されるままになった。彼女はそのテーブルに着く俺の横に椅子を引っ張ってきて座った。躊躇うようにぼそり、と。
「はぁ、ここまで食いついてきたのははじめてだな……」
「え?」
声が小さすぎてよく聞こえず、もう一度言って欲しいところだったが、「何でもない」と遮られる。そのまま無理やり話を戻した。
「この島の海樹中心探索だが、今回その予定はない」
美しい模様の入ったティーカップで、その透き通る茶色の液体を飲んだエレインさんはお茶の波面に顔を向けた。しかし目だけは俺を見る。
「お前はこの島海樹をよく知らないようだが、あの樹の中心部に辿り着いたものは居ない。何故なら、中心直前まで我々が進むと、鉱虫以外の脅威が現れるからだ」
「鉱虫、以外?」
初めて知った情報に、呆けた声が出た。
「そうか、知らないのか。じゃあ調べてから出直せ――と、言いたいが、そんな時間も無いからな。仕方がない、教えよう」
「お、お願いします」
軽く頭を下げた。彼女は「うむ」と一言の後に口を開いた。
「他の海樹はそのような事は無い。簡単に辿り着ける。でも、この島の海樹は違うのだ。中心へ向かう者全てを屠る。この島の人間曰くこれは『アガレスの守り』だそうだ」
「アガレス? 鉱虫かなんかですか?」
「正体は調べられなかった。この島の人間はそう信じている、というだけだ。その原因というのも、あそこに近づいた者は皆、正体不明の敵が襲ってきたと言っている」
それは、何もない場所から攻撃されるということだろうか。
本当ならそれは確かに、近づき難いかもしれない。
「一定以上の距離を取ったら攻撃はやむことから、中心にだけは絶対にたどり着かせまいとしているようだ」
彼女は静かに付け加える。その語調からは、大袈裟に言っているといった調子は感じられない。
「そ、それは本当なんでしょうかね……」
「分からん。が、わざわざ商会員を危険な目に合わせるような価値が、この木に有るとも思えない。何せここの樹は降臨祭の時だけはその中心部の守りを解くのだから、焦って期間以外に中心を目指してはむしろ損をする可能性すらあるのだからな、降臨祭まで待てないという依頼なら受けることはできない」
「降臨祭……?」
そういえば、エレインさんと神殿へ向かう時にその話をされた気がする。
確か、その祭りの期間のみ出現する木鉱があるとかなんとか、だったような。
「そうだ。その期間はその『アガレスの守り』は解かれる。そしてその希少な木鉱が、その中心部付近、守られていた地域に大量発生するのだ」
「それは、またどうして?」
「正体不明の相手がなぜ居なくなるなど、分かるはずないだろう。しかし、ある程度の予想は付くというものだ。今ここで口に出せる程確信が有る者ではないが」
ティーカップを口元に運んだ彼女に、その予想を口にする気はない様だ。
俺も習ってその黄金色に透き通る液体を口に含んだ。
さわやかな茶葉の薫りが心地よく、俺は風味よりもこのお茶一杯の値段の方が心配になった。
下っ端採掘師の給料は少なく、ここまで嗜好品に費やす金は持ち合わせていないからだ。
エレインさんは「とにかく」と前置く。
「祭りの期間外の時期に中心部へ到達した記録は無い、それは期間外の中心にその木鉱が存在しているかどうかが分からない事でもある。となると、わざわざ『海樹の意志』とやらを突破して中心部に辿り着いてももぬけの殻という事態さえ起こりかねないということだ」
「……はい」
彼女が言いたいのは、つまり、祭りの期間になれば戦うべき敵と戦わずに済み、その上確実に希少な木鉱が手に入るので、わざわざ危険を冒すつもりはない。ということだ。
「それに、だ」
一転してシリアスな表情から、困ったような顔つきになってから、エレインさんは首ごと俺を見た。
「あのノアとかいう少女。理由が離せないと言っていたな」
それはそうだが、予想できることくらいは有る。
「実はあいつ、今現在家出中らしくて。もしかしたらただ親御さんに自分の家出に対する覚悟でも示したいんですかね」
これには参ったという調子で、エレインさんは大きな息を吐いた。
「…………それは、到底賛同できない。それではこの依頼も家出した少女の気の迷いしか聞こえないな」
確かに、信じがたいことではあるが、アームドアントの件がある。それに中心部の情報は不確かだ。絶対に信用できないということもない。だから俺はノアをここまで連れてきたのだ。
しかしエレインさんは俺からそれを聞いた途端から、呆れたといった様子でティーカップに口をつけている。
恐らく、そんな出鱈目を信用する俺の神経を疑っているのだろう。これでは、もはや彼女に助力を乞うことは叶わない。おとなしく、俺は引き下がることにした。
「そう、ですよね。やっぱり駄目ですか」
「ああ、ノアには大人しく本当の家に帰ってもらった方が、彼女のためだろう」
どうという返事はせず、注がれていたお茶だけはグイッと飲み干しておいた。エレインさんの用意する茶は例に洩れず一級品なので少々もったいない気がしたが、エレインさんの判断に真っ当な理由が有った事を知ることができた。
「それじゃああまり遅くまでここに居てもあれなんで、もう帰りますね」
「なに? もう帰るのか?」
「はい」
「そうか、ハルカが私の家に来るのは久しぶりったことだし、もう少し茶をごちそうしようかとも考えたのだが……、まぁいい」
珍しく気落ちした表情を見せる。
俺が出口まで移動した所で、彼女は俺を呼び止めた。
「それと、ハルカ」
「?」
「変な気は、起こすなよ?」
「……どういう意味ですか?」
瞬時に出てきたのは、俺がノアに何か粗相を働く事だが、そのような意味ではないことは低い声音から察する事ができる。
「ハルカの事だから、今言わずとも必ず気付くことだ。そのときに思い出してくれればいい」
「……はあ」
要領を得ない忠告ではあるが、彼女の言葉に間違いがあったことはない。
一応頷いておいて、、俺はそのままドアをくぐった。




