島
太陽が地平線に落ちゆき、空が紺色に染まりつつある中、この島の最東端である岬に辿り着いた。
普段なら変哲のないはずの島の岬の向こうに、巨大な島の姿を捉える。
山が一つ海に浮かんでいる奇怪な景観だ。島ではバラバ島のあちらこちらで見ることができるヤシ科の木々は無く、代わりに青々とした陽樹が覆うように生えている、ここらの海域では見る事のできない植生なのだ。
それはこの島が、この海域の気候から外れた土地から流れてきた事を示す。
一見ただの小さな島に見える巨大なこの土塊こそ浮島。浮島はその名の通り、漂流しつづける島だ。その面積は人が千人快適に住むことができる程に大きく、質量は船と呼べる大きさをはるかに超えて、もはや島の領域に足を踏み入れている。
しかし底は海底にくっついておらず、超巨大な錨を沈めなければ潮か風で流れる上に、意のままに扱うには技術を要する。
そんな扱い辛い浮島だが、大洋の波風に削られても沈まないそれは大洋の唯一の移動手段だ。これなくして人は荒ぶる沖には出られない。これに乗って、商会員の採掘師達は世界中の海樹を巡り、貿易と採掘を行うのだ。
アドウェナ商会規模の大商会となれば、この規模の浮島を世界に数十個保有していて、この浮島もアドウェナ商会のそれの一つなのである。
駆け足で浮島とバラバ島をつなぐ簡易の渡し橋を渡り、浮島に入る。
急ぐには理由が有った。この時間は夕食の時間帯後半なのだ。。
植林されている木ででき上がったちょっとした森を抜けると、商会員全員で食事をする広場に出る。
俺は生まれが特殊で気さくに話せる友人も居ないので。いつも通り木の下で立ち食いだ。
「さて、どうするか」
一通りの料理を片し、落ち着くことができてからそう呟いた。
勿論ノアをどうするかで、正直今直ぐに野でも山でも放ってやりたかったが、海樹内部で威勢よく中心へ行くことに協力する、と言ってしまった。
さすがにそうそう冷たい扱いはできない。男が廃るというものだ。
「やれることは一つ。あいつを一刻も早く中心に向かわせてやる、だな」
それしかない。彼女に協力することを明言してしまった以上、無慈悲に放っておくことはできない。
彼女との約束を果たし、パウリノの提示した条件も果たさなければならない。
方法自体は明快だ。まずエレインさんに、海樹の中心へ向かう協力を取り付けて、明日は準備を名目に浮島を出る。俺がパウリノに言われたのは、明日中に浮島から彼女を出す事。神殿へ突き出すような事はしなくてもよいので、それから中心探索の部隊が浮島から出発するまでは島でノアを匿いながら寝泊りすればいい。そうすれば彼女との約束は果たせる上、パウリノの条件もクリアできる。
かなり雑な作戦だがこれ以外貧相な頭の俺は思いつかない。ひとまず、エレインさんの支援を仰がないと。
俺達アドウェナ商会は今まで様々な海樹都市を訪れたが、その際例外なく海樹中心探索がすぐに実施されている。今回も同じだろう。バラバ島にやって来てから数日経っているから、近いうちに行うはず。それに漬け込む。
その中心探索の同行許可さえ得れれば及第点だろう。「うん」と頷いて、必ずこの作戦を成功させようと気合を入れる。
その矢先、なにやら相当に不機嫌そうに頬を膨らしている奴がこちらへやって来るのが見えた。
ノアだ。そういえば、一度この浮島に送ってから、放ったらかしにしていたので不機嫌で当たり前だがそれよりも、いいタイミングで来てくれた!
俺の目の前まで来た彼女は、大きな目をたいそう怒らしているものの、ようやく再開できたことに一安心と言った様子だった。
「あのねー、何時まで待たせるつもりだったのかなあ?」
「いや、すまん。用事が有って」
「ふーん。エレインさんを紹介してくれるんじゃなかったの?」
「面倒なことがあったんだ。ごめんって」
面倒とかぶっ飛ばして、俺がこの商会を退会する可能性すらできたんすよ。
謝るが、ノアはふんっと鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまった。
ふと彼女を見ると両手に何も持っておらず、手ぶらであることが分かった。そういえば、もう夕食は取ったのだろうか。
その視線を察した彼女は「ハルカが来るまでに散々薦められたの!」と更に頬をふくらませて言うので、更に申し訳なく思い、苦笑した。
「それでだ。ノ……リベラーニ。早速エレインさんに会ってお前を紹介したい。今から大丈夫か」
「リベラーニ? ノアで良いから」
「今日出会って呼び捨てはキツいだろ……お前、じゃあ駄目か?」
「悪化してる気がするんだけど……」
「とにかく、都合は良いか?」
「都合も何も、やる事なんてないから暇だったんでしょ」
唇を尖らせながら彼女は、俺の持っていた平皿から、青魚の塩焼きに付いていた謎の酸っぱい果実を素早く無断で奪い、むしゃぶりついた。その果実の酸味が強いことを知らなかったのか、顔はを一瞬にしてすっぱそうに歪ます。何故か俺を恨みがましそうに上目遣いながら睨んでもそれは理不尽だろう。
「で、肝心のエレインさんは……居た、あの中央の大テーブルの所に居るだろ?」
数あるテーブルの中でも一際大きいテーブル、商会の幹部メンバー専用のテーブルで食事を取っているエレインさんを指差す。
「あー、あの綺麗な女の人? 何か大人っぽくて、強そう。ハルカの十倍くらいは」
間違ってはいないが、訂正するのならば俺の百倍は強い。
エレインさんの座るテーブルの中心には、俺のような下っ端は口にする機会が、今後十年は与えられないような高級料理や果実が並べられている。その場所だけが厳かな雰囲気と上品さを発していて、アドウェナ商会内の下っ端と幹部達の厳格な上下関係を体現している。
ちなみに俺とエレインさんの年齢差は二年しかない。それでいてあの場に着く彼女が、本来どれほどの異才を備えているのか改めて考えさせられる。
エレインさんを暫く見続けていると、あちらが俺たちの目線に気が付いたようだ。小さく手招きをしてこちらに来るように伝えてきた。その顔には微かな憔悴が在り、おおよそ共に食事を取る男性幹部達との業務的な会話に疲れているであろう事が伺えた。
「ほら、行くぞ」
「う、うん」
そのまま俺は平皿を手にしたまま、ノアは果汁でベタベタな手を俺の服で拭きながらエレインさんの元へと向かった。やめろ。
テーブルに着いて静かに食事を取りながら俺を見るエレインさんは、俺より先にここへ返って来た時に着替えたのか、近くで見ると食事用の紺色ドレスを見に纏っているのが分かる。
ゆったりとしてはいるものの、鎧よりはボディラインを強調するその格好が彼女の体格にひどく似合っていた。やはりこの人の外見に秘められた魅力は計り知れない。
俺の登場と同時に沸く、周りの幹部男性陣から、どうしてお前のような人間ががここに居るのだ、の異物を見る視線。
精悍な男たちに睨まれ、当然足が竦んだが逃げ出しはしない。
エレインさんは俺を見た後、今度はノアをジッと見つめた。手に持っていたナイフとフォークを皿上に置いて食事の手を止め、口を開いた。
「この少女は?」
「海樹で丸腰で居た所を保護したんです」
遅すぎる紹介となってしまった。
俺の教官ということで、本来ならば一番最初に紹介するべき相手だったが、すっかり忘れていた。パウリノと会話を交わした今となっては後悔している。
「それで、何ですけど、もしかしてエレインさん既に正体を知っているなんて事は……ないですよ、ね?」
「いや、知らないが?」
「そ、そっすか」
パウリノが言うにはノアはかなり重要な人間らしいのだ。ならばエレインさんならば彼女の事を耳に入れているかと思っていたが、決してそういう訳でもないようだ。彼女と一緒に食事をしている他の幹部達からも反応は無い。
どうやら、重要人物だとは言っても知名度は低いのかもしれない。もしかすると、裏でパウリノ達を動かしているのは裏世界の有名人だったり?
とりあえず、彼女がここまで来た経緯を簡潔に説明する。
海樹で彼女に出会ったこと。彼女は海樹の中心を目指していたが、独力では厳しいために助けを必要としている事。で、俺がエレインさんに相談することを提案したこと。
話を聞くと、説明の途中ずっと黙っていた彼女が「ふむ」と頷いた。
「なるほど、ハルカも女を連れ込むようになったか……後で半殺しだな」
おい。
「なんでそういう事になるんですか……」
何故か俺に殺気を放ちながら、拳に力を込めだす彼女に、俺は冷汗を背に感じた。エレインさんは俺が初めて女性を連れてきたので、ただ動揺しているだけだと思いたい。
「ふぅ。それで、君の名前は」
「あ、はいっ。ノア・リベラーニです!」
「中心に行きたいと?」
「そ、そうです」
「どうして」
「どうせ信じてもらえないので、言えません」
「言ってみろ。追々考える」
「い、言えません」
このやり取り、確か樹の中でもしたな。と思っているとエレインさんが「どういう事だ」と目で尋ねてきた。俺かて訳が分からない。何か理由が有るのは確かなんだが、理由を教えてくれないのはなぜなのか。
「ま、こんな女の子が冒険する理由なんて訊かなくても分かるでしょう」
家出だって訊いて否定しなかったし、動機が親への反抗心から来ることは確かだ。そうなると、「信じてもらえないから」というよりか「分かってもらえないから」の方が正しいのか。年頃の若い娘は分からんの。
「そうだな理由なんていい。そうだ、この依頼は降臨祭の期間内では駄目なのか?」
「コウリンサイ? 良く分かりませんが、できるだけ早く」
「降臨祭は一週間後だ」
「お、遅いです!」
そう、遅い。一週間も待たれてはパウリノが怒り心頭でこの島に殴り込んできてしまう。これは俺の都合か。彼女には彼女なりの理由が有るのだろうか。
その疑問を解消するようにエレインさんが尋ねた。
「それはどうして」
「あ、えっと、それは……」
「ただ早く中心に行きたいのだったら、一週間待ってくれれば良いのだが……」
困ったように目を瞑る。
そういえば降臨祭についての事はエレインさんから今日聞いたばかりだ。たしか、期間限定での希少木鉱が手に入るのだったか。それと何が関係あるのかは想像もつかないが、彼女は降臨祭の日に合わせたいようだ。
しかし、ぶんぶんと首を横に振るノアがそれを受け付けない。
無表情のまま、エレインさんは俺の方を向く。
「それで、このノアという少女を持ち込んだハルカは、この依頼をどう考える?」
「え? 別に良いんじゃないですかね。寧ろ是非とも受けて欲しいというか」
多少、理由が不透明な部分が有ることには有る。
しかしそれ以上にパウリノの事が重い。
「はあ……。そうか」
俺のたいしてよく考えず答えた返答に、エレインさんは「芋虫の刑だな」と首を横に振った。
「ノア、ハルカはこの男他に依頼をした人は居ないのか?」
「いました……けど、皆無理だと言って聞いてくれなかったので……」
「その理由は訊いたのか?」
また軽いため息を吐いた。それが何を意図するのか分からないのであろうノアはぽかんと魚のような間抜けな面になった。
「……訊いてません、けど」
「だろうな」
ノアから俺に顔を向けた彼女の眼は、なぜか少し非難がましい。
何かを考えるように黙り込んだ後、今度は非常に残念そうな面持ちでノアを見た。
「まあ、ノア……だったか、ハルカが中心に向かう理由はともかく、その依頼は残念だが受けられない」
「えっ」
「どうしても何も、私達は商人だからな」
その目は俺を向いていて、言葉の意味することを解読させようと問を投げかけているらしい。




