猛暑
とりあえずノアを自らの商会の浮島の中まで案内し、そこ待っているように言っておいた。
俺はほっぽりだしていた仕事が海樹に残っており、彼女を置いてまたここへ戻ってきたのだった。
超高温に発熱する岩石の存在が、精神力を削り取る場所だった。
黒炭岩と呼ばれる岩が多数存在する上、密室に近い空間。そりゃあ暑い。
にしても発熱する岩だなんてな。海樹の中にある岩石にも、色々あるものだ。
そういや、どうして海樹のような樹木が岩石を生成するのか。
海樹がその膨大な重量の巨体を支える為に構成物質が岩石のように堅牢な岩石へと変化させた、ということを知らない人間は居まい。
俺は自分同様この場所に押し込められた人員とともに、止まらない汗の不快感を抑えこみながら、そんな中俺はツルハシを何度も振るい続けていた。
「…………暑い」
ボーっとする思考の中、俺は思う。
何故こんな所にいるのか。
何故、一つ仕事を抜け出しただけで、今更こんな場所へ放り出されなければならないのか、不可解極まりない。
頬から滴り落ちる汗を拭い、俺は歯を食いしばり手を動かした。
――ガキィイン。
不快感を噛み締めつつ、数回に渡り同じような作業を繰り返す内に、漆黒の黒炭岩の中から、黄土色のそれが現れる。これがこの海樹からのみ採掘することができる鉱物、いわゆる木鉱。これこそが自分たちの生計を支える重要な代物。そして今回の目的なのである。
木鉱には種類が幾つも存在し、確かこれは……黄木鉱と呼んだか。街中でもよく出回っている有り触れた木鉱だ。まぁ石ころの名前なんてどうでもいい。とにかく金に変わりさえすればそれで良いのである。俺たちは金を稼ぐためにこんな暗い所でツルハシを振るうのだから。
今度は睫毛から落ちてきた汗を指で取ってから、黄土色の木鉱を手に取った。
「お?」
ふと目に付く物がまだあった。黄木鉱以外に、何か見慣れない発光体が黒炭岩から顔を覗かせている。
それは青白く光る半透明の結晶。そこはかとなく悲しげな色合いの、これも木鉱である。
しかし珍しい。
「聖鉄アルカナム……」
余りお目に掛かれない物だったはず。何故今こんな場所でこの木鉱が採取されるのか。この場所でこの時期これが取れるのは、前例の無い出来事であることに間違いはないだろう。
自分は何かとてつもない確率の偶然を手にしているのではないか。やったー……暑い。
そう浮かれた直後。
「ハルカ」
突如、全く気配のない背後から、氷のナイフが如き切れ味を誇る声が降りかかった。
驚きで軽く飛んだ。間違いない。
「何です、エレインさん」
振り返りそこに居たのは、案の定見知った顔、エレインさんだった。
「何故溜息を吐く? 相変わらず不満そうな顔つきをしているじゃないか。きれいな場所だから良かれと思ってお前をここの担当に指名したんだがな……」
「こ、この状況はやっぱりエレインさんの所為でしたか」
隠すことなく辟易せざるを得ないような告白だった。
「また方向音痴の商会員が道に迷って仕事を放棄した。と聞いて、一度灼熱の環境を味わって欲しい衝動に駆られてな、つい指示をだしてしまった」
くくっと嗜虐的な笑み。
彼女は、俺の所属する採掘師の組合、アドウェナ商会の先輩だ。そして俺の対虫訓練個別教官である。こんな、人に嫌がらせをして楽しむ人が俺の上司だなんて運が悪すぎるとは何回考えたことだろうか。
一度でも会話を交わせば、ユーモアに溢れているのではなく単純にドSなだけだと分かってしまう彼女だが、それでも第一印象は恐ろしく良いので質が悪い。
凛とした切れ長の碧眼に、薄い唇、筋の通った鼻立ち。そして後ろで一つに纏められ、肩まで垂れる美しいブロンド。
顔が小さいので、俺と変わらない背丈であるのに俺よりも高く見える。
どこぞの令嬢だと思ってしまう麗らかな雰囲気さえ伺える。黙っていればどれも採掘師という荒くれ者の職業としては、珍しすぎる超一級品なのだ。
エレインさんが姿を表した途端からその目線を彼女に取られている同輩たちは、暑さがいくばくか和らいでいる事だろう。
まぁ彼等も、その分性格の悪さで釣り合いを取っているとは欠片にも思っていないのだろうが。
「まぁ、また道に迷ったのはそうなんですけど、そこから別の用事ができてしまって」
「別の用事? まぁ何にせよ言い訳だろう。とにかくここの採掘作業の仕事まで、サボるなよ」
彼女は最後だけ怒気を強めて言う。青い目には明らかな怒りが宿っている。
俺に飼い犬のような従順を求めているのではないかとつくづく伺わせる彼女の事だ。仕事を放棄したことがよほど気に食わなかったのだろう。
「逃げませんよ。一日に二回も居なくなれば、毛虫でも投げられそうですし……」
「ほう、ちゃんと分かっているようだな」
ふっふっふ、と紫の毛虫をどこからか取り出しながら浮かべる。誰であろうと、「うげぇ」と手から目を逸らさざるを得ないほど、ショッキングな色をした芋虫である。どうしてそんなものを常備しているのかと疑問に思う前に、そんなものを持っていると、せっかくの美人が台無しになってしまう、とかは考えないのか甚だ気になる。今に始まったことではないが。
彼女は磨きこまれた細身の白銀甲冑を身に纏っていて、その腰には二振りのハルカピアが差されていた。
その甲冑に付着した返り血から察するに、海樹特産の超巨大昆虫が出現する中心区域の木鉱採掘を担当していたようだ。昆虫が出現することを除けば、ここよりかは随分と快適な場所だと聞いている。
そういえば、どうしてこんなクソ暑い場所へ足を運んだのだろう。
「で、わざわざこんな暑いところにまで来て何か用事でも?」
問うと、彼女は一つ頷いた。
「そろそろハルカにさせたい事が有ってな」
「……させたいことですか?」
「そうだ」
特に検討が付かなかった俺は目を細め、軽く考える。
エレインさんが俺にさせたいこと……彼女が未だ握っているその芋虫を食べさせるとか?
「ハルカが失礼なことを考えているときは大体顔に出るな。多分それとは大きくかけ離れていると思うぞ」
じろりと俺を見つめる目がもはや凶器。
「…………じゃあ何でしょう。疲れたから椅子になってほしいとか?」
「違う。そろそろ木鉱の取引の練習をしてもらおうと思ったんだ。一応私はハルカの採掘師としての教官を受け持っているからな」
エレインさんは眉間をビキビキと言わせんとばかりの雰囲気を醸し出しつつ、それはもう恐ろしく笑った。
だがそれよりも「取引」という言葉に気を取られた。
「取引ですか」
「そうだ。商談を兼ねて成立させる、あの取引だ。ハルカにもさせて良しとの指示が出た」
「それって、採掘師に必要なんですかね」
「当たり前だろう。木鉱を掘っても売って金にしなければ意味が無い。取引は必須だ」
そう「取引」。これを無くして俺たち採掘師は生計を立てる事ができない。
俺達採掘師は今日のように海樹の中で木鉱を掘っては、外に持ちだして売る事を生業としている。
掘らなければ木鉱は出てこないし、売らなければ金は入らない。そのどちらの両立も大切なのだが、採掘師に成りたてだった俺は、この二年間ひたすら採掘の技術だけ磨いてきたのだ。
それが今日、ようやく掘ったものを自らに力で売ることを許可された。ということになる。
「あー、木鉱を商品として扱ったことは一度も無いんですけど」
しかし、人付き合いに引け目を感じる俺は恐れていた瞬間でもあった。
「当たり前だろう、だからまずは個人個人での小規模取引で経験を積むんだ。いきなりだが今日から」
「それはまた随分とせっかちな」
普段なら、何かとしっかりしているエレインさんならば用事があれば予め予定は知らせてくれるものなのだが。
「私の指示じゃない。だが考えてもみろ、私達が今回この島に来た理由は一週間後の降臨祭で稼ぐことに他ならない。それが終われば直ぐにこの島から出航してしまう。次商人を相手できる機会が未定である以上これは余裕を持って終わらせておきたいだろう」
「あれ、てっきりもう少し留まるものだと……」
「アホか、ここはびっくりするほど市場規模が零細な上、馬鹿高い関税が掛かる。長居は無用だ。それぐらい理解しておけ」
「まさに、そうですね」
美しい碧眼から極寒の眼光を放つエレインさん。持っていた芋虫を、ほっそりとした白い手からそっと地面に這わせる。
しかし、その取引たるもの。面倒だ。それに、
「今日はまだ、黄木鉱の採掘ノルマが達成できそうにないんで、間に合うかどうか」
「馬鹿め。何故弟子に従って動かなければならない。私今日の分の仕事は終わっているんだ。私に合わせろ、普段通り時間内に終わらせろ。異論は認めない」
そ、それは。おぉふ。
「理不尽な……。まだまだ今日の作業は残ってるんですよ?」
「だから、あと二時間で終わらせろ。今日この採掘が終わったら東街の灯台に行って私を待っているんだ。分かったな」
有無を言わさない毅然とした態度だが、言っている事はかなり無茶だ。特に、俺が先に待ち合わせの場所へ赴かなければならないところが。
「……はい」
「良い返事だ」
ぽんっと、悲壮な顔つきだった俺の肩に手を乗せ、エレインさんは言う。
俺は彼女の手が自分の肩に乗り、少しながら動揺する。勿論、この優しい手つきが「約束を破ったらどうなるか分かってんだろうな」の意を含んでいると解釈したからである。多分間違って無い。
「それと、いい加減さん付けは止めてくれ、年も近いんだ」
そこまで言ってから、エレインさんが突然話題を変えた。俺はぽかんとして言い返す。
「いや、エレインさんは上官じゃないですか」
すると小さくため息を吐かれる。
「…………はぁ。とにかく、言う事は言った。じゃあまた後でな」
エレインさんは、言いたいことだけ言うと直ぐに踵を返し、甲冑をガシャガシャ言わせながらこの暑苦しい場所から立ち去って行った。
それを見届けてから、俺は再び不承不承ツルハシを取る。




