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絶海のノア  作者: komono
21/27

さよなら、ありがとう

 入口に入る時も「お母さん」と言っていたので、まさかとは思ったが。やはり声はノアの母親、海樹の声だったのだ。

 今度はエレインにまでも声は届いたらしく、彼女は突如響いた声に肩を震わした。

「ど、どういう事だ! 誰かいるのか!?」

「居る……んじゃなくて、元から在るんだよ。お母さんは」

「あ、在る?」

「エレインちゃん。樹だよ。海樹が話してるの」

『そう、私は人の子が海樹と呼ぶ、れっきとした知性を持った生命』

 また声が響く。

 音の発生源は辿れず、この空間に俺達三人以外の人間が居ない事は誰が見ても分かる。人間ではない何かが意志を伝えている事を疑うことは出来ない。

 エレインはしばし放心し、時間を空けてから落ち着きを取り戻した。

「まさか『樹の意志』たる声だと?」

『私達がこのように語り掛けた人間は、そう呼称しているようです』

「…………という事は、ハルカに道を教えたのは貴女なのか」

『はい』

「そうだったか……」

 それだけではない、俺がアームドアントと戦う事になってしまった時も、彼女は手助けをしてくれた。今思えば、あれは娘であるノアを助けようとしてくれたのかもしれない。

 エレインが黙り、海樹は話を戻す。

『とにかくこの空間は安全です。彼らは今までにこの場所へ訪れる事は幾度とあれど、この場所に近づいた事は有りません』

「じゃあ、しばらくここに居れば逃げ切れる。って事でいいのか?」

『一夜過ごすまでなく、彼らは逃げられたと判断して他の場所を当たるでしょう』

「……なら安心だな」

 何度も思うが、彼女の声には特別安心感がある。それは間接的に信頼さえも植え付ける。パウリノがこの場所に来ない確証は無くとも、安全と信じ込んでしまうから不思議だ。

 エレインも同様の心境であるようで、さっそく帯剣していたレイピアを取り外している。

 俺ももういいか、と重い太刀を取り外し、ついでに鎧も外しておく。それでようやく適温、というようにこの場所は暖かい。

 そうしている内に、いつの間にかコップの中の水が注ぎ足されていた。

 ノアが入れてくれたようなので、遠慮なく飲み干す。

「ハルカ、それにエレインちゃん」

「何だよ?」

「どうした?」

 椅子に座りなおすと、正面でにっこりと笑みを浮かべたノアが居た。

「ありがとうね、ここまで護ってくれて」

「……………………あ」

 その一言で、そういえば俺が見栄を張って受けた依頼も、中心に入った瞬間に成し遂げられていたことに、初めて気が付いた。

 さんざん無謀だ、危険だとエレインに言われてきた依頼も無事に終わっていたのだ。必死過ぎて、終わった時の達成感さえ味わう暇もなかった。

 今初めて気付かされたが、余りに自然な流れで終わっていた。お礼を言われてようやく感慨深さに襲われた。

「……何、これも全てエレインのお陰だ」

「何を言う。そもそもハルカが頑として手を貸そうとしなければ、そもそも私は動かなかった。私を動かしたことも含めて自分自身の力だろう」

「え、そうなのか?」

「そうだよ、そもそもハルカが居なかったらあたし、依頼を出す事すらできなかったんだよ? だからハルカの得点は少しだけボーナス付きかな」

「ボーナス?」

「うん、報酬出すとしたらね」

「何だそれ、あんなの、ボーナスなんて付かないだろ」 

 ただの偶然だったし。

 毅然として構えてみるが、ノアが心から嬉しそうに、正面から見つめてくるので照れる照れるで居心地悪い。

 そういえば、全く関係ないが、誰かにこうして囲まれるのは久しぶりだ。居心地は悪くても幸せは感じた。中々悪くない。

「でも、やっぱり報酬とかは用意できない、ごめんね」

 打って変わってしゅんと小さくなるノアに、「そんなことか」と言ってやる。こうしているこの状況が一番の報酬だよというのは照れくさすぎる。が、まんざらでもない。

「何だよ、そんな事承知で俺はやってたんだから気にすんな」

「そうだぞ気にすることは無い。帰ったらハルカの給料から引いて置く」

 遠慮なくエレインが宣言する。

「え、あれだけ犬扱いしたんだからお釣りくらい有っても良いでしょうが」

「寧ろまだ奉仕が足りていない」

「ええ、まだやんの!?」

 この三日間の地獄が、ここから出てもまだまだ続くことを半ば宣告されて急に元気をなくした。それを見たノアとエレイン二人が揃いも揃ってにやりと笑う。

 そういえば何故か、あの時ノアまでもが俺を足蹴にしていた。あれは理不尽だったよなぁ。

 思い出して、更に元気をなくした。

「ま、あたしはもう居ないからエレインちゃんだけだね。ご主人様は」

「そうだな、精々尽くしてもらおう」

「……謹んで断りたい」

 椅子を軽く後ろにずらしてエレインから遠ざかる。

 そういえば、もうこの後からノアは別行動になるんだっけか。結局家はここなんだし、もうこれ以上危険な外に出る必要もない。

「ま、私たちはここを出てから神殿を相手にしなければならないからな。そんな暇はない」

「まじすか、良かった」

 そこでふと、神殿がアガレスという鉱虫の存在を偽っていた事を思い出した。あれは結局、中心を護りたかったから作ったのだろうが、守るべきものはもしかしてここだったのだろうか。

 深く考えたかったが、エレインが椅子を立って遮った。

「さあハルカ。言った通りこれ以上長居していてはいけない。一刻も早くここでの出来事を報告せねばならないからな」

「え、もう行っちゃうの? 早いよ」

 唐突に切り出された別れの言葉に、ノアも俺も大きく反応した。

「すまない。少しだけ和やかな空気に触れる事が叶ったが、今の私たちは危険な状況に遭っている事に間違いはない。一刻も早い海樹の脱出が必要だ」

「じゃあ、じゃあもう二人には会えないの?」

 悲痛な叫びに、エレインも顔を歪ませた。彼女も久しぶりに親しくなった人間と離れるのは寂しいらしい。

 しかしそうも言っていられないのは事実。

 寂寥に口が動かなくなってしまったようであるエレインに変わり俺が言葉を続けた。

「そうかもしれない。でも、元々こういう予定だったろ?」

「…………うん」

「俺はお前のこと忘れないよ、何しろアドウェナ商会に入ってから二人目の知り合い何だからな。忘れようにも忘れられない」

「私も、ハルカが初めての友達だったから。絶対忘れないよ」

「……ありがとな。それじゃあ、行かないと」

 エレインへ目を遣ると、少しだけ目が赤かった。何だ意外と涙もろいのか。

 彼女が俺の視線に気づいた途端、目をごしごしと吹いたが見てしまったものは見たのでもう遅い。

 鎧を付けて、それぞれの獲物を腰に括り付ける。ついでにあの水もいくらか水筒に汲ませてもらい、退去しようと入口へと向かった。

 やるべきことは終わったのだ。思えばこの四日間は今までで一番長かった気がする。

 ノアと出会って、無茶を承知で依頼を受けて、パウリノとあって見事に裏切られて。先の見えない手探りで無謀な挑戦であったからこそ、今更やってきたものさびしさは大きい。

 入口は、入る時と同じく大仰な音とともに現れる。

 だが、そこまで来て、口惜しそうにノアは俺の腕をつかんだ。

「やっぱり、もう少しここに居てよ」

「何言いだすんだよ。さっきも言っただろ」

「う、うるさいな」

 振り返ってみれば、不機嫌そうな声の割に寂しそうである。これで離れるのは少し気が滅入る。

 それでも、ここに残れば迷惑が掛かるのはノアだ。俺達が見つからなければいつまたパウリノがやって来て襲ってくるか分からない。

「……ごめん」

 何を言えば良いかわからず、謝った。

 それでノアの表情が複雑化してしまったので、言葉を間違えたかと考えた。が、

「ばかだよね、ハルカって!」

「うごっ?!」

 がばっと抱きしめられた。言葉が何を意味するかなど考えられない。話と行動につながりが見えない。言葉と相反しすぎて、一瞬体に触れた温かみの原因が分からなかった。

 それとは別の発熱で、視界が揺らぎそうだ。

 動揺しても、あわてて絡まる手を振りほどきはしなかった。されるがまま。これが正解だと思った。

「恰好つけてこんな馬鹿に最後まで付き合って、本当に馬鹿」

「悪かったな」

「ううん、ありがとう……じゃあね」

 抱擁は短く、抱き着いてきたノアの方から手を放した。彼女はそっけなく後ろを向くと、「もう行ってもいいよ」と偉そうに宣う。

 様子を静かに見守っていたエレインが、言葉と伴に外へ出た。最後まで名残惜しそうだった。

 俺は、もう一度ノアを振り返った後追随する。

 そして、外へ出た。

「じゃあな」

 一言そういうと、入口がザァァァァ、と閉じて行く。

 遠慮なく、ノアの薄紅色の髪に覆われた後ろ姿を狭くして、隠してしまう。

「またね!」

 また出会う事は無さそうなのに、入口が閉まる間際にもノアはそう言った。俺だって、できるならもう一度くらい会ってみたい。最後に、顔を見せてくれなかったのが非常に残念で仕方がない。それでも完全に入口は閉まり、姿を消した。

 そういえば最初入る時、あまりの光の強さに中を見る事が出来なかったが、それが無くなっていたのは海樹のお節介だったのだろうか。

 そうだとしたら、この樹の好感度は急上昇だな。

「行くぞ」

「了解……」

 エレインがすっかりとけじめを付けた態度で、突っ立っていた俺を急かす。いや、もうエレインさんに戻していいか。いくら俺を疎んでいる青年達の目がなくとも、今はもうさん付けの時間を惜しむほど切羽詰まってないし。

 取り合えず走り出す。

「はぁ……」

 こうして、たった四日。

 たった四日の依頼は、怒涛の如く流れる時間の後に終わったのだった。

 正直あっけなかった、と思わざるを得ないような短さだった割には、友人が出来た価値は無限大だった気がした。

 相変わらず光り輝く発光水晶、どっしりと空間をささえる巨木、朽ちた木の薫り。

 その全てが、二度と目にする事も嗅ぐことも出来ないと思うと、旨がざわついてしょうがない。この気持ちを言葉にするには、俺にはこういう経験が少なすぎた。

 

 


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