ひとり
そして奥にある壁が少し抉れているのを見つける。そこへ向け、俺は宣告通り広場の端の方へと少女をぶん投げた。彼女は中々綺麗な顔を恨みがましそうなに歪めながら、全身で放物線を描いた。地面に墜落して、「うぎゅっ」と音を立てて転がる。
あそこまで飛ばせば見の安全はひとまずは得ただろう。いや、優しく降ろしてやっていてはあの蟻に突進攻撃を食らうのは必至であるし、そもそも同じ場所にいては戦闘の邪魔になるのでやむなしなのだ。決して運ばれている分際で五月蠅かったからとかではない。
「さて、と」
ようやく止まることが叶うが、休むこと無はできない。
少女から素早く視線を離し、元来た通路を振り返る。
光を遮られ、日光の届かないこの場所では、天井部分に点在する発光特性を持った岩だけが視界を確保してくれていた。太陽光に似た光に照らされる地面は苔むした黒色の岩で、軽い腐葉の香りが嗅覚をつく。足場は悪いものの慣れているので問題ない。
俺は続いて体勢を低く抑え、腰から素早くフルーツナイフをチャッと音を立てばがら取り出して構える。
薄く細く短く軽い、その代わり耐久性は皆無に等しい、何とも心細い刃物ではあるが、これで勝たなければならないのだ。この心細い刃物を信じなければいけない。
ふぅっと息を大きく吐き出し心臓の鼓動を整え、焦る気持ちを落ち着かせる。
力強く木製の柄を握り直し、通路に向けて感覚を研ぎ澄ました。
「シュァァァァァァァァァァァァァァッ!!」
「――っ!」
気を抜く隙を一切与えず、通路の暗闇の奥から黒い砲弾が飛び出した。
アームドアントの突撃、それは高速の一言では尽きない程に速い。それをこの瞬間身を持って確かめることとなった。
鉱虫の外骨格の中に収められている筋肉は、どの生物よりも強靭で弾性が高いとは聞いていたが、理由がある。
アームドアントは社会性を持つ鉱虫である故に質量の大きい餌を好む。その餌を持ち上げるため咬合力が特に強靭に発達しているが、同時にそれを運ぶための脚力も大きく発達しているのだ。逆に退化した脳は判断力に欠け、それを狙った戦法で本来は対応する。
その方法というのは多人数で囲むことによって標的を分散させ、アームドアントがゆっくりと目標を絞る前に距離を縮めて一気に畳み掛けるというものだが、今はできないなんて事は分かりきっている。
猛烈な突撃を紙一重で躱す。
躱すついでにナイフで浅く切りつけようと考えたが、刃が折れては元も子もないので、留まっておいた。
アームドアントは避けられた事に、俺とすれ違って少ししてから気が付いたようだ。
直ぐに勢いを殺し、右前足だけでブレーキを欠けることで急速回頭を成し遂げて次の突進へと移った。
俺は追うように走る。隙が生まれたアームドアントへ全力で飛んで接近。間合いを詰めて攻撃を加えようと試みるが、そいつの体勢の立て直しは早かった。間に合わない。
「ギシュアッ!」
二度目の突撃は、本当にギリギリの間一髪で躱した。思わず冷汗がでる。
アームドアントはまたしても俺から距離を取り、先ほどと同じ挙動で頭をこちらに向け直しす。俺も同じ様に追おうとするが、それでは先程と同じく距離を詰める前に攻撃されてしまうだろう。
二の鉄を踏むつもりはなく、歯を噛み締めつつ足を止め、アームドアントを見据えながらバックステップで距離を取った。
手の出しようのない突撃行動だが、勝機は見つけた。やはり脳が弱いアームドアントは判断力だけでなく、反射神経も鈍いらしい。先程あの突撃を躱した後、アームドアントが直ぐにブレーキを掛けて反転しなかった事から分かるだろう。ということならば、いきなり目の前に現れた物体には反応できない。
ならばチャンスはある。
アームドアントの突撃が俺にぶつかるその瞬間。すれ違うように腰にあるツルハシを投げつければ、よけきれないアームドアントは自らそれに激突するだろう。超硬質であるツルハシにぶつかれば、ただでは済まず、少なくとも横転くらいはしてくれる筈。
「ギシャァァァァァァァッ!!!」
そして三度目の突撃が、俺目がけて繰り出された。
更に距離を取って、余裕を持たせたものの今度は躱さない。いや、ギリギリまで躱さない。
俺とアームドアントが交差しようとする瞬間。
「今っ!!」
俺はとっさに腰のツルハシに手を伸ばし、片手では重量の有り過ぎるそれを持ち上げる。
そしてそれをその場で軽く投げ上げ、ツルハシだけをその空間に残すように、右方へと全力で飛ぶ。
置き去りにされたツルハシは、まるで空中で静止しているように浮遊したように見える。
刹那、そのツルハシに巨体が突っ込む。ガァィン! と、心地良い快音が鳴り響く。固く重いツルハシに、アームドアントは反応しきれず、あの速度で頭をぶつけたのである。
全力で飛んだ受け身を、転がりながら取りつつ、目線だけはアームドアントを捉え続けた。
――これでどうだ。
しかし、敵はよろめく事すらせず。何も無いかのように、再び回頭し俺に頭を向けた。
爛々と光る赤色の目は、怒りでより一層赤みを増し、寧ろ恐ろしさが膨れ上がっている。
「……っ! どれだけ頑丈なんだ!」
長考して無駄に時間を食えば、すぐにアームドアントはの突撃が襲い掛かるこの場面だ。
どうする……!
焦る思考は空回りするばかり。とにかく状態を起こして片膝を立ててしゃがんだ状態まで持っていく。しかし次なる行動が組み立てられない。
アームドアントは既に突撃の第四発目の体勢に入り、紅く光るその双眼で目標の俺を睨んでいた。
どうする……!!
ならいっその事、敵意が俺に向いている今のうちに逃走して、少なくとも非武装の少女だけでも安全を確保しようか。
どうしようもない策しか思い浮かばなかい。
だが、その時。
頭上。いや、頭上ではなく、どことも言えない全方位から確かな音声が俺の耳に届いた。
最初は少女の声か、とも考えたが、清らかで、かつ安心感を与えるような女性の声は、明るく力強い少女のそれではない。
『下部に潜り込み、腹を狙うのです』
声はそう諭した。
その女性の声と同時に、少女が反芻するように「お腹を蹴るんだよ!」と叫んだ。彼女にも今の声が聞こえたのか。
内容よりも先にその声の主を無意識に探してしまう。しかしそれらしき人物は、無骨な岩だらけの空間には見当たらない。俺の加勢に来た採掘師かと考えたが、違うようだ。
従うのか、従っても良いのか。そもそも今の声は誰だったのか。色々気になることはある。それでも、藁をもすがる状態だ。有無を言わずに与えられたアドバイスを受け入れるべきか。
直後、アームドアントが俺を目指して爆発的な突撃を見せた。
気が付いた時には既に、目の前にそいつは居た。
歯が軋むほどの力で後ろに倒れこむように上体を倒し、同時に、がむしゃらに脚を振り上げた。腹を目視してから蹴るのでは遅いと判断したからである。
その直ぐ後、仰向けの俺のすぐ上を大きな影が走り、脚に衝撃が走る。痛い。折れた事さえ覚悟する勢いだ。それでも脚がアームドアントの何処かに当たった事は分かる。できたら言われた通り腹に当っていて欲しい。
刹那、謎の重量のある物質が地面に落ちるような轟音が、アームドアントが過ぎ去った方向から聞こえた。
願うように、既に過ぎ去ったアームドアントを上体を再び起こして確認する。
すると、そいつはものの見事にひっくり返っていた。今の轟音はその所為か。
「そうか、突撃するときに前に掛かる重心を利用したのか!」
誰からか分からない声の意図に気が付くが、感謝するのは後だ。今なら近づくことができる。
二度と無いチャンス。この好機を逃す訳にはいかず、速やかに蜘蛛のような低姿勢を取った。
体を筋力で立て直し、アームドアントに向け、
「はああああああっ!!」
筋肉の隆起が視認できたであろうほどに足に熱を込めて、弾けるように、飛ぶ。
目標はひっくり返って脚をバタつかせるアームドアントの胴体部分。性格には外骨格のない節の部分目がけた。
狙うのは、胴体と頭をつなぐ節だ。鉱虫の節には神経系が集中している。そこに攻撃さえ加える事ができれば、ナイフでさえ倒すことができる。
相手が止まっているだけで、距離の縮み具合は先程の比ではなかった。一瞬でその巨体に近接し、ナイフの間合いに目標を入れる。そして仄かな緑色の光を放ち続ける繊維質の節を一瞬だけ見据え。
今まで経験したことのない様な正確な太刀筋で、そこへ俺は滑らかにナイフを突き立てた。
動かなくなったアームドアントを軽く小突いて、本当に死んでいるか確認する。幸いなことにピクリとも動かない。
「し、死ぬかと思った……」
危機を出した事による安堵感で体中の力が抜け、へたり込みそうになった。
慌てて力を脚に込めた時に、先程まで抱えてきた少女を思い出した。目で探すと壁際で座り込んでいた華奢な影が目に付く。俺の視線にハッとした様子を見せる少女は立ち上がり、小走りで駆け寄ってきた。
「す、すごいね」
快活な物言いではあるが、その裏で未だ死骸に恐怖を抱いているようだ。躯にびくびくしつつ、俺の背を叩いた。
「お前、よくも俺を巻き込んでくれたな。鉱虫の相手を他人に押し付けるのはマナー違反だろ……」
「ごめんなさい」
悪いことだとは自覚していたのだろう。心底申し訳無さそうに彼女は言ったが、まず少女は無武装状態で戦えなかったので、誰かに押し付けるしか生き延びる方法が無かったのだろうから怒るつもりはない。
「まぁ、まず無事でよかった」
「それは、お互いにだよ」
「ああ」
薄暗い中、少女の体が目に付いた。その体つきから、歳は一六、一七辺り。俺と同年代であろう事は予想がつくが、少しだけ肉付きが少ない。もう少しだけ年下かもしれない。
暗いのでうっすらとした顔立ちしか分からない。それでも造形が良い事は十分に分かった。少女は胸元に掛かっていた薄紅の髪を後ろへ流して、えへへっと誤魔化すかのように笑う。
そういえば、先ほどは事態が切迫していたからか、緊張した声も、今では朗らかで明るそうな雰囲気が宿っていて可愛らしい。
「それで、何の準備もしないで海樹に侵入して来たお馬鹿さん。どうして海樹なんかにやって来た」
ジト目で問うが、途端に目線を逸らされた。
「あー。それはね……」
どうやら言いたくないのだろう。茶を濁したのちに話を無理やり方向転換させた。
「それよりもまずお願いしたいことが在るんだけど……」
堂々と話を変えられたが気にせず、俺は「何だよ?」と返した。
「これからもっと奥に行きたいんだ。もし良かったら付いて来てくれるかな?」
「もっと奥? は?」
驚きで揺れた自分の前髪が眼に入るのも厭わず、呆けた声を出す。
「だから、君強そうだし私の護衛しない? 報酬は無いけど」
唖然として少女を見つめた。
「まさか、あんな事があった後でよくそんな事が言えるな」
あんな事、とは勿論アームドアントとのデス・レースだったが、少女はm自分が言っていることが、驚かれる事を自覚していたようで、申し訳なさそうに身を縮ませたので言葉を返してやる。
「それは、今じゃないと駄目かなの?」
「一週間以内には、絶対」
「そうか」
一週間後に開催されるという祭りの期間までには中心部に到達したい、ということか。
「いや、それよりもだな。でもその依頼は無理があるぞ」
「……どうして?」
「……いや、俺をよく見ろ」
「え、何?」
「装備だよ」
俺は腕をバッサバッサと振って身の回りを見せた。綿の衣服や腰の巾着袋など、何一つとして鉱虫から体を守れるものは無い。言うなれば、鉱虫の前であったならば、少女が身につけている高価そうなロングスカートとの防御力の差は皆無に等しい。
「え? なんで?」
「中心部に行くにはもっと防御力の高い装備が要ることも知らないのか? 海樹都市の人間なら常識だろ?」
「そうなの?」
ぽっかーんと魂が抜けたように首を傾げる。彼女がなぜこの場所に居たのか尋ねようとしていた事など忘れていた。
「いいか? 俺は採掘師って職業の人間だ。それは分かるよな?」
「サイクツシ?」
「この海樹の中から木鉱を掘って売って稼ぐ職業だよ」
「し、知らない」
この島の住民である彼女なら、島の経済のほとんどが採掘師による木鉱の流通で成り立っている事は子供ですら分かる。それさえ知らないという事実に、驚きを隠せない。
「採掘師さえ知らないのか、それでも、木鉱が何だかくらいは知ってるよな?」
「知ってる」
少女が何回か頷く。
「まぁ話を戻すと、それが金に成るんだ。でも、人間がガンガン採っていくから、海樹はさっきみたいな鉱虫を生み出し。最も強固である必要がある中心部分を守る為にな」
「でもさっきみたいに瞬殺できるんじゃないの?」
「瞬殺て……ギリギリだったんだぞ。実際ツルハシ一個ぶっ壊しても勝てなかったし。とにかくそういう事で、さっきみたいな鉱虫が中心に近づくほど増えるから今の俺じゃあ近付く事さえできない」
チラリとツルハシに目をやると、歯が欠けまくって大変痛々しい。たった一匹の鉱虫を相手しただけでこの有り様である。この一年間愛用してきたのだが次からは誰かに貸して貰わなければなるまい。
そうだ、そう言えば俺に助言をくれた女性の声を忘れていた。多分あそこに居合わせた他の採掘師だったのだろうが、顔を出してくれていない。何処かへ行ってしまったのだろうか。礼を言えなかった落胆に暮れながら、目を正面の少女に戻すと、ちょっぴり残念そうな端正な顔があった。
「じゃあ、君じゃ駄目なの?」
「そうだ、まぁ俺の所属するアドウェナ商会のエレインさん辺ならお前一人護りながらでも行けるだろうけど、何せあの人はそんなが暇ない」
「じゃあエレインさんって人呼んで」
「おうよ! 分かったぜ! ……って、人のお話聞いてたか? あの人はそんな暇ないんだ」
「ノリツッコミとか……さっぶいね」
ほっといてくれ。




