逃走
「おい、パウリノ! 何だか知らないが、攻撃を止めなければこいつを殺す」
可能な限り冷たい声で唸る。それでもパウリノの冷めた笑顔は崩れない。
「あははは、馬鹿か君は。何のために八人も用意したと思ってるんだ。かかれ!」
「このっ、人でなしが……!」
抑え切れない衝動に、エレインさんが歯を軋ませた。俺も同様だ。しかし、今ここで思いのままに乱戦となってもまずい。
彼女が動き出す前に大声で、
「エレインさん、ここは先に進もう。あ、進みましょう」
「良い、今は敬語は無しだ。それともうエレインでいい」
全方位から斬りかかって来る敵を迎え撃つ。
「はい! って、え?」
「長ったらしい呼び方は前から好まなかった。男なら男らしく、一度言った事は覆すなよ」
「わ、分かりました…………いや、分かった」
どさくさに紛れてだが、今くらい言う通りにしてもいいか。俺は潔くそう言い直す。
攻撃は一撃が皆重く、太刀が軋みを上げた。
少数対多数。それも取り囲まれてしまっているこの状態は圧倒的に不利。逃げるが勝ちだ。
同じ判断をしたエレインが続けて「とりあえず分かった」と承諾。
「よし、ハルカ! 今だ!」
「ああ!」
合図と共に、俺は中心へ向かう道を防いでいる神官へ人質を放り投げる。同時に慌てふためくノアを抱え上げた。
人質を投げつけられた神官はある程度予想していたのか、冷静に腕を振って人質を退けた。しかしもう遅い。俺たち三人は一瞬できた隙を突き、神官の脇をするりと抜けた。
「絶対に逃がすな! 追え!」
パウリノが怒鳴る。
しかし全力で走り抜ける採掘師達は、並の足では追いつけない。練度の高い神官と言えども直ぐには捕まえられないはずだ。ここからは単純な体力勝負となる。
走りながら大まかな狙いをエレインに伝えた。
「中心付近まであと少しだ! そこまで行けばアガレスってやつが神官達を俺等共々かき乱してくれるはず!」
「ああ、分かった!」
予定だともう五分程度走り続ければ中心圏内。それまで、それまで逃げ切ることができれば俺達の命は助かるはず。
たった五分、逃げ切る自信こそ俺にはある。問題はかなりの時間神官をしのぎ続けていたエレインの体力が持つかだな。
「ハルカ、分岐だ!」
やはりそこだけが問題………………………………?考えながら、前方に分岐が有るのを視認した。右か左か。
体温調節の為だけではない、冷たい汗がつーと流れ落ちた。
「おい、ハルカ! どっちだ…………はっ!」
「ねぇ、ハルカ! 道を聞かされてるのハルカだけなんでしょ! …………はっ!」
二人が何かを思い出したように目を見開く。
俺は恐る恐る、
「ご、ごめんなさい。分からない……左?」
と言ってみる。当然信用されない。
「ふむ。忘れていたな。方向音痴を」
「あたしも……」
ああああああああああ、どうしようどうしようどうしよう!
このまま考えなしに道を選択して、終わらないレースが始まれば一巻の終わり。数の少ない俺達の命は無いに等しい。
何が、あと少しだ。それどころかただの耐久レースに状況が変貌しつつある。
だがこうしてはいられない、あと数秒の間にルートを思い出さないと……!
必死に頭を動かすものの、出てくるのは地図だけ。地図を読むための方向感覚がない俺に意味は無い。
「ここまでか、やはり投降だな……」
「そ、それは駄目だ!」
諦めてしまったようであるエレインがそう言ったが、俺は首を縦に振れない。それじゃあ本末転倒もいい所だ。ここまで抵抗した俺達をパウリノが生かしてくれるとは思えない。彼らが何を企んでいたのかはエレインからまだ聞いていないが、良くて俺と彼女のどちらかが、商会に向けての人質となるだけだろう。
だが、こう否定して何ができる。万策尽きたと言ってもいいこの状況で。
俺さえも諦めかけたその時だった。再びそれは遣って来た。
俺の脳内に反響するような、優しく温かい声。はっきりと聞き取れる。老齢の女性の声。
『その通路は、右です』
しゃがれてもおらず綺麗な音であるのに、そこには長年の経験にもたらされた威厳と知性が宿っている。
「「右……?」」
俺とノアの声が重なって、思わずお互いの目を合わせる。
「右だ!」
そのまま叫んだ。
あの時も俺とノアを助けてくれた。ならば今回も助けてくれるはず、という理由だけではない。声から多大な頼もしさを感じたからそう断言できた。
根拠なんて無い。ただ天啓を授かったように驚いたような落ち着いたような俺の顔を見たエレインさんは一言。「信じさせてもらう」とだけ答えた。どうやらエレインに今の声は聞こえなかったようだった。
そこからは突き動かされたように走った。
声が、分岐につい当たる度に進むべき道を教えてくれたおかげで迷う理由などなかった。
ただ決められたコースに進む、それだけで中心に近づいている気配が有った。
だんだんと気温が上がっていったのだ。冬から春に季節が移り替わるように。厚着の俺は鎧を脱ぎ捨てたい衝動に駆られる。
「中心に近い場所の暖かさだ。これは」
息を切らしながらエレインがそう言った。中心に近づきつつある確信を得て、俺の足は自然と加速する。
中心付近はアガレスという鉱虫が居るはずで、近づけば近づくほどに危険なのであるが、それさえ忘れたように、足を動かした。
「着いたよ!」
ノアが嬉々とした声で言う。
そしてひどく広大な空間に出た。
真っ黒な岩質の内壁に響く甲高い音が、通路を抜けたとある地点から木材を踏む特有のくぐもった音に変わった。辺りを包み込んでいた、冷たく薄暗かった光が、天井部に隙間なく存在する発光水晶の暖色に変わった。
とても海樹の中だとは思えないほど広い。有るのはところどころの柱の目的を果たすであろう巨木のみ。全体を囲む内壁は音の通り木だった。無数の木が隙間なく横たわり、床から壁まで天井以外の全てを覆っている。
まるで外に出たように明るく、暖かく、居心地が良かった。
「中心……?」
走り続けながらぽろりと俺は呟いた。それに答えたのは、誰でもないノアだった。
「そうだよ、ここが中心。やっぱりアガレスなんて鉱虫は居なかったね」
そういえば、何も襲ってくる気配はない。
喫茶店で聞いたような強力な鉱虫が居るのなら、狭い中心付近ではとっくに見つかってもおかしくは無い。
なのに出会わないのは、ノアの言う通り元々存在しないからだろう。彼女は分かっていたのだろうか。
とりあえず、エレインが疑っていた通り、アガレスという鉱虫は神殿がねつ造した嘘だったわけだ。
「ここまで美しい風景が、海樹に存在したとはな」
感嘆の声を出して、口を半開きにしている彼女を見て。なぜかノアが自慢げな表情になった。そういや、ノアに寄ればここがこいつの家だったんだっけか。
「そう言えば、体力が続くうちに聞いておきたい、どうしてパウリノは俺達を裏切ったんだ?」
ふと思い出してそう問う。
パウリノ達との距離が離れている今のうちに聞いて置きたい事で、聞かなければいけない事でも有った。
エレインは思い出したように顔を引き締めた。
「分からない事づくめだな。奴らはアドウェナ商会がこの島に居る事がどうやら不都合らしい。そこで私とハルカの命を人質に、島から追い出そうとしたんだが、わざわざ海樹の中まで来てから事を起こしたにも理由が有る」
「俺達に中心到達を手伝って欲しかった。とか」
「そうだ、そんな事を言っていた」
ふむ、とエレインは頷いた。
なるほど、つまりパウリノ達も中心へ辿り着きたかったというのは俺、ノアと同じだったわけか。だからここまで利用した、と。
ならば、なぜ中心に到着する前のタイミングで裏切ったのか。
簡単だ。『アガレスの守り』、当然ながらそんな物は存在しない事を知られたくなかったのだ。だったら今度疑問に思うのは、なぜ神殿がそのように嘘を付いていたか、だな。
「とにかく……そのアガレスが居ないのでは、神官の者どもを撒けないだろう」
「あ。それもそうだな、まずい」
そういえばそうだ。これじゃあただ場所が変わっただけで、逃げ続ける事に変わりがない。
寧ろこんなにも明るい場所であれば疲れても身を隠すことは出来ないし、そこから奇襲を掛ける事すらままならないだろう。さて、どうする。
「あたしに任せて!」
ノアは俺の鎧を軽く叩いた。




