先頭
その少し前、前方ではエレインとパウリノが敵の哨戒に当たっていた。
「――僕が初めてそのレストランに行ったのは二年前でね、今ではもうすっかり常連なんだ。是非是非、今度連れて行きたいなぁ」
「……そうだな。だが私は降臨祭の終了と同時にこの島を去る予定だ。難しいんじゃないか?」
「じゃあ明日にでも行こう!」
パウリノが満面の笑みでそう提案するが、エレインは苦笑いで遠回しに嫌がる。
かれこれ一時間以上費やして、パウリノの一方的な会話は続いていた。そろそろこの不毛な会話を打ち止めにしたいと幾度も考えたエレインだったが、自分が黙っても延々と続く会話に終止符を打つことは叶わない。
「ふむ……この話には余り興味が無いようですね」
あまり色よい返事をしてくれないからか、パウリノは顎を押えた。これは話を終わらせるチャンスなのではないか、とエレインはここぞとばかりに同調した。
「済まないがその通りだ、今は一瞬でも早く敵影を見つける事が最優先なんじゃないか?」
「そうですね……」
頷いてパウリノは次の話題を探す。まだ会話が続くことに落胆を隠せないエレインだった。「では、折角だ。もっと大きな話をしよう」
「大きな?」
「アドウェナ商会と、バラバ島神殿として」
唐突に低くなった声に、エレインははっとして顔を上げた。パウリノの表情は至って平然として、冗談を言っているようではない。
「公式の取引は、今できる事じゃない」
「なら裏取引としてだね」
「裏? そんな危険を冒すほど急を要する話題なのか?」
「どちらかと言うと、その必要はあなた達アドウェナ商会にある」
言って、パウリノはエレインを指さす。
「どういう事だ」
その指先を眺める。話の内容が全く予想できず、訝しんで問う。パウリノの返事は、道すがらの会話を大きく逸脱していた。
「前もって言っておくと、これは勧告だと思って聞いてほしい」
「勧告だと?」
「うん、単刀直入に言おう」
そう前置きする。
「降臨祭の前日までに、アドウェナ商会はこのバラバ島から離れて欲しい」
エレインは耳を疑った。
統治機関である神殿。その中で働く一介の人間の発言だとは思えない。基本的に各島に設置された神殿は、それぞれが独立しているものの基本的に皆中立、公平の立場を保っているからだ。
降臨祭は島を訪れたすべての者が参加資格を持つ。それなのにどうして、覆すようなことを言うのか。
こんな危険に晒されているような状況でそんな話をする事に、パウリノは一切の迷いを感じていないようだ。あらかじめこの事を伝える事を予定していたのだとエレインは検討を付ける。
こいつ、最初からこの話の為に私を前に動かしたのか。
エレインに敵意が浮かぶのを見て、パウリノはその表情に一層の笑みを湛えた。その表情に生理的な嫌悪を覚えた。
「どういう事か、説明して貰おう。私たちアドウェナ商会は利益に従って動く。この降臨祭で得られるであろう利益を上回る話なら聞き入れるが」
「ははは、こんな小さな島がそんな旨い話を教えられるはずがないじゃないか。ただ交換条件として貴女が今受け入れれば……」
もったいぶるようにパウリノは言葉を切った。
エレインは黙って彼が口を開くのを待った。
「……あなたと、その部下である彼の命を保証する」
「な……っ」
文字通り、頭が真っ白になった。
脅しだ。
パウリノはアドウェナ商会を背景に、エレインを脅しているのだった。 人質に限りなく近しい行為で、卑劣で愚劣な蛮行である。
まさかそんな愚かなことを、神殿の神官が直々に行うとは思いもしなかった。普通ここまで犯罪に染まった用事は、傭兵にでも頼むべきなのに。
そんな行為に及ぶ理由を、冷静を装ってエレインは尋ねる。
「なぜ脅す。私が頷かなければどうなる」
「なぜ脅すか……は言えないなぁ。君たちアドウェナ紹介が僕達の島の利益を根こそぎ奪うからというのは建前で言っておくよ。それと受け入れてくれなかったら、当然君と彼を殺す。このために僕達はここまでの精鋭部隊を用意したんだからね」
「……よくもまぁ易々と言える。私たちアドウェナ商会は、島の人間たちが貧窮するほど悪徳な方法で商売はしない。確かにその建前は建前だな。どうしてこのタイミングを選んだ」
「中心に辿り着きたいという考えは僕達も同じだったから、利用させてもらったという訳だ」
簡単なことだろうと言わんばかりに両手を上げる。
今まで味方だと思っていた人間に掌を返され、激しく動揺するエレインだったが、それをひた隠しにして堂々とした態度を繕う。本当は今直ぐにでも逃げ出したかったが。
「受け入れてくれるかい? あ、誓約書もあるから口約束にはできないよ? それに僕達神殿を糾弾するなんて事もさせない。…………それで、どうかな? 受け入れる?」
「…………ッ!」
立ち止まる。
立ち止まって、目の前ですっかり抜剣を終えている神官達と対峙した。いつの間に抜いたのか分からなかった考えるまでもなく彼らは暗殺に特化した神官なのだろう。
いくら戦闘の技術が有ろうとそれは対鉱虫用の力。洗練された暗殺技術の前に勝ち目は少ない。なら脅しに屈するのか、商会の一員としてそういう訳にもいかない。
残された選択は、もちろん立ち向かう一択。
しかし、それでは最後尾でこの状況さえも知らず歩いているハルカ達が居る。
ならばどうするかなど、決まっている。
本当は戦いを避けて逃げ出したかった。が、ハルカの上官としての意地が、エレインを本能とは反対の方向へと導く。
エレインは自分一人で精鋭の神官八人を相手する為、震える足を叩いて抜剣した。
何が何でもあの二人だけは守り抜くつもりでいたのだ。
「――ハルカっ!! 今直ぐ彼女を連れて逃げろっ!!!!」
先程エレインさんが張り上げた声から聞き取ったのは「逃げろ」というメッセージ。
だが、何も聞かされずに彼女の言葉を鵜呑みできる程俺は素直ではない。弾かれたように彼女の元へと駆ける。
少し近づいただけで何が起こっているのかが明らかになった。前の方では、既に乱闘が始まっていた。
八人のうち六人がエレインさんを囲んでいる。振りかざされる剣がどのような類なのか、俺は知っていた。あれは殺人剣だ。
直ぐにでも助太刀に行きたかったが、残りの二人が俺の行く手を阻んだ。奇襲のように飛び掛かってきたので。太刀の抜刀とともにその二人の剣を弾く。
カァァンッ! と甲高い金属音。その一撃の後、俺は二人と距離を取るべく後ろへ飛んだ。
「仲間割れしたのか?」
「私たちが裏切っただけよ。これも全ては私たちの島のため。せめてあなたは捕虜になってもらうわ」
二人のうち、あの女神官の方が答えた。
「…………なに?」
何を言っているのか瞬時に分からない。
「あのエレインとか言う女は強そうだけど、あなたは本命の鉱虫相手でさえ大した戦闘技術もなさそうだし。ましてや、人が相手で太刀打ちできるかしらね」
「そうか……騙してたんだな」
「どれもこれもあなた達自身が原因なのだから、私を恨むのは見当違いよ」
「何を企んでる」
「女から聞きなさい。まぁ、もうすぐ口も聞けなくなるかしらね」
エレインさんの置かれている状況と、今の発言で察した。
パウリノが裏切った、俺が騙されていたのだ。
目的は女神官が言った通りエレインさんが知っているのだろうが、恐らくパウリノは、最初から何かを企んでいた。
「ま、神殿がたった一人の女の為に動いた時点で怪しいとは思いなさいな」
「くっ……!」
確かに奴がやけに協力的だと思った三日前に疑っていればよかった。俺の所為なのか。
なめた態度で俺を見据える女神官に、八つ当たりとして皮肉の一つでも叩いてやりたかった。
しかし六人もの人間を相手しているエレインさんを見た今では、その時間さえ勿体ない。とりあえずノアを地面に降ろす。
……切り替えよう。今は後悔をしている暇などない。
裏切ったとなれば彼らは敵、身を守るために倒すべき標的だ。動けなくするのに、手段は問わない。
刀を一度鞘に戻し、再度柄に手を掛ける。さらには姿勢を低くし、重心をどっぷりと下げた。
「てめぇら、分かってんだろうな。後悔するぞ?」
「殺しのプロに立ち向かう、あなたの方ね。それは」
「どうかな」
抜刀せず、そのまま思い切り地面を蹴った。
俺は元々、エレインさんに拾われる十歳の年まで、極東の国で少年兵として育てられてきた。その経歴の所為で仲間らしい仲間はできず、同じ商会でも話を交わせる友人もいない。
さぞ恐れられ、疎まれ、忌まれたことだろう。いつも俺は自分自身の生まれを恨んでいたものだ。
だからまさか、兵士であって良かった、と思える瞬間がこう訪れるとは夢にも思わなかった。
「対人戦は十八番なんで…………!!」
体が爆発的に加速、一気に神官との距離を縮める。もう俺の目には、敵としての神官二人のみしか映っていなかった。
そして今一度、刀を抜き放つ。
「―――――――ッッ!?」
刃は隙間が一切ないと思われた鎧の、寸分の隙間のある可動部に吸い込まれた。その部位は同時に、関節でもある。
バガァッ! と派手な破砕音と共に、女神官ではないもう一人が盛大に崩れ落ちた。
それを見届けて、右足に力を込めて急制動を掛け、止まる。間髪入れず女神官にも一撃入れてやろうかと思ったが。
しかしその時すでに彼女は俺の間合いから離れ、パウリノの元へ行った。俺の評価を上方修正したのだろう。だが、
「エレインさんの方はまずい!」
直ぐにノアの方へ戻りたかったが、これ以上彼女の元へ援軍が行けば殺されるかもしれない。
「おい、付いてこれるか!?」
「そこまで私もお荷物じゃないよ!!」
ノアに自力で動くことを促し、共にエレインさんの方へ向かった。といってもノアは移動が遅いので俺に追いついた時点で無理やり担いで走る。
「ええっ、やっぱりこうなるの!?」
「悪いっ!」
円形にエレインさんを囲む、白い集団を睨みつけ、そのまま体当たりの要領で突っ込んだ。
俺とノアの全体重とスピードが乗った衝撃に、ぶつかった神官の一人は大きく転ぶ。
その隙を突いてエレインさんの元へ転がり込んだ。
そのままノアを挟んで、エレインさんと背中を合わせるように立つ。
飛び込んできた俺に、エレインさんが叫んだ。
「なんで来た! 逃げろと言っただろう!」
「見殺しなんて、できるはずないじゃないですか! それに対人戦闘ならエレインさんの足を引っ張ることもないです!」
「そんな昔の事、まだ覚えているのか!」
「なんとか!」
言いながら、俺は転んだ神官の兜をはぎ取って、その首筋に刃を当てた。
卑怯だが、生き残る手段に四の五の言ってられない。




